反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

台湾の過去と現在の政治状況を探る。

   台湾光復節 - Wikipedia10月15日。

1943年カイロ宣言7月26日、米、英、ソ三国指導者が発表したポツダム宣言

中国大陸と台湾に居た日本軍に対し、中国戦区最高司令官蔣介石への降伏を命じた。

蔣介石は、 陳儀 - Wikipedia

台湾省行政長官兼同省警備総司令に任命し、台湾における降伏接受を命じた。

陳儀は重慶で行政長官公署の要員を任命して台湾接受の中核組織を編成した。10月17日国軍第70軍と長官公署官員が台湾に到着した。遅れて10月24日陳儀自身が台湾に到着した。翌10月25日に台北市で台湾における降服を受諾する式典を行った。」

     

    陳儀 - Wikipedia

W。国民党のエリート軍人(戦争指導者というよりも行政官僚タイプ~部下の叛乱にもあっている)、日本の陸軍大学校留学。福建閥の中心人物あったこと、日本留学の経験から(W台湾統治に)適当な人物とみなされたとされる。

 

W。以下長いが前回の記事関連(台湾の歴史)で非常に興味深いことが指摘されているので引用する。

  引用

「台湾の行政を担当した陳儀は統制経済政策を実施し、日本企業の大部分を国営とした他、米・塩・砂糖・燃料等の民生品を公定価格で政府が一括購入する制度を確立し、また日本統治時代に始まったタバコ・酒・マッチ等の専売制度を強化した。

当時の台湾では本省人が大部分を占めていたが、(W。第二次世界大戦以前から台湾に居住していた中国人~対岸の福建省の人が多い~、客家、原住民を本省人~戸籍で区別された。今は廃止~という)

 本土と台湾島を隔てる海峡は一番狭いところで130キロ。ただし金門島(台湾領)はアモイの直ぐ対岸。結局、金門島を死守できたのは1949年中国統一1952年朝鮮戦争を経過しての米軍軍事力のおかげ。また人民解放軍台湾島に上陸する軍事力もなければ、もちろん占領する能力もなかった。

■台湾(中華民国)が実効支配する金門島と中国本土との位置関係、<br/>そして今回の旅行の経路

business.nikkei.com

            2016.8.2

       金門島と大陸の間で砲声が止んだのは1979年

砲声が止んだのは1979年に米中国交正常化が実現してからのことだった。」

  中台関係の緊張感の高まりは感じなかった

台湾独立を志向する蔡政権との当局間対話を中国は事実上停止

経済の調子が良くないと外交・軍事面での対立・緊張に国民の目を向けさせるという事例は、古今東西枚挙にいとまがない。

 

   金門島とアモイの間では、通航の自由化が実現 W.今でもOKだろう

「金門の人々は、中国に対する警戒心がそれほど強くない。台湾意識も強くない。基本は中台和解支持である。対中国のハードルが台湾本島より低いのである」

 

 アモイは中国の中で、住宅価格の上昇率の高さが最近目立つ都市の一つである。6月の新築住宅価格の上昇率は前年比+33.6%で、深センに次ぐ第2位。金門島の住民も投資しているらしい。

 

 引用分に還る 

「日本統治下の教育の影響で中国語の理解力不足があり(W。50年間日本統治で福建省の中国語もしゃべれない人も多い)、

また共通語とされた北京官話が苦手であった(W。福建省出身の人は北京語理解不能。)

>そのため外省人を公務員として登用したが(W,台湾外の国民党が行政を握らなければならない都合上、言葉の通じない地元民を行政幹部に多数採用すると行政機能が停滞する

>優秀な人材は国共内戦の影響により大陸に集中し、劣悪な人材に限定されてしまったためその能力や品行に少なからず問題があり、住民との衝突がたびたび発生していた。同時に経済上では極度のインフレが発生し、生活が困窮した住民の間で不満が募っていった。

こうした状況下の1947年2月28日二二八事件が発生する。闇タバコ摘発を契機とした政府と住民の衝突は台湾全島に広がり大規模な抗争が各地で引き起こされた。3月8日、蔣介石は大陸より叛乱鎮圧のために大軍を投入、一説には18000~28000名の台湾市民が逮捕後殺害されたとも言われている。

3月22日、事件の責任を取って陳儀はは国民党三中全会により職務を解任された。5月11日に陳儀は大陸に渡り国民政府顧問に就任している。」

 

    W.ここから先の陳儀の運命は

「1948年8月6日、陳儀は蔣介石により再度浙江省主席に登用される。翌年1月、陳儀は親密な関係にあった京滬杭警備総司令湯恩伯W明治大学留学、陳儀の庇護を受け出世、国共内戦の戦役で敗北を続け、責任を問われ、閑職追放、日本で死すと共に共産党への投降を計画するが、湯恩伯が蔣介石に計画を報告し反逆行為が露見することとなった。

1949年2月、陳儀は省主席職を解任され逮捕・監禁され、1950年4月には台湾に移送され基隆で拘束された。6月18日台北馬場町で銃殺刑が宣告され直ちに刑が執行された。遺骨は新北市五股区に埋葬されている。

1980年6月9日、陳儀は共産党への投降を画策したことから中国共産党中央統一戦線工作部は「中国人民の解放事業に貢献した愛国者」と評価してその住居は記念施設となった

陳儀は日本人を妻としていたが、両人の間には子は生まれていない」

⇒W.中国共産党は植民地ナショナリズムから抜け出していない。一方で中国経済は世界に拡張している中国首脳は世界政治の主導権を争う器ではない。」

 

w。結局、1947年2月28日蜂起前後の国民党系の統治は元から台湾にいた民衆にとって、「 」付の占領軍のような存在になってしまった

1949年の中国共産党の大陸統一後台湾島に大挙、渡ってきた国民党系の統治は国の東アジアにおけるプレゼンスと援助があって(韓国のように米国駐留軍はいないが)、機能するようになったのではないだろうか。この辺のリアル統治のあり方は日本の側で意外に観察されていない。

W.資料を調べた結果、台湾の過去の政治に拘れば今と将来の台湾の状況がみえなくなととわかった。朝鮮戦争に帰っても今の韓国状況が見えなくなるのと同じだ。ただし、戦争が作った対立関係という絶対性は今もなお状況を貫く。台湾や韓国はウクライナのような経済状態や政治状況ではない。

ただし戦争に至る危険性のある政治傾向は内外に十分ある。

 

中国、韓国のリアル統治は結構ウォッチされているが

~ただし韓国人口約5000万、

台湾2300万

国土面積36,200 km²台湾は九州の0.8倍の面積、台湾は九州の2倍の人口密度。

台湾は北海道の2分の1の面積

韓国100,200 km²⇒中国本土に展開していた国民党の軍事政治力本省人(人口の65%)?との和合も時間的猶予があればできる)と米国庇護、戒厳令があれば、統治は難しくなかったと想像する。

 

@今後の注目点は台湾型民主主義(民進党市民運動が(中国本土への)クレオールナショナリズムに容易に転化し、ポピュリズム政治手法が圧倒し、大陸に対して過度の愛国的攻撃的になる場合である。

>即席ナショナリズムは一番、無鉄砲、攻撃的。

 

①台湾の国民党系の統治(戒厳令維持)、と②韓国の独裁時代、日本の高度経済成長時代、③中国の実験国家時代、④東南アジアの政治状況を相互に関連させてみていく必要がある。

①、②、④はアジア新興工業国としてキャッチアップし、③も国家資本主義の路線を選択しそのファンダメンタルズの威力を発揮するようになった。

そうすると、日本の工業製品の市場での競争相手が増えて、市場占有率は加速度的に低下し、日本資本主義は資本輸出に活路を見出すほかなくなり(生産的な産業の空洞化)、金融資本的な利得の国際収支での比重は増している。

 

W。元から台湾島に居住していた人々の多くは日本の50年統治下で日本語教育が徹底されて、(北京標準語との意思疎通の難しい福建省の)中国語と日本語のバイリンガル

W。本省人は日本の統治に50年間馴染んできたことから、国共内戦の本土に人材が集中されていた国民党の中でも後方の人材が台湾統治に当たったことも外省人との軋轢を生んだ。

W。参考資料①

台湾政治の長期的変化と蔡英文政権

   前説

 米中対立が本格化し台湾はその最前線に位置するので,海外から見ると台湾は揺さぶられる存在のように見える。しかし,過去25年間の台湾政治の長期的変化を見ると,異なるアイデンティティの間で揺れ動いていた状態から,しだいに広義の「台湾アイデンティティ」が台湾社会の主流になり,台湾政治は一定の安定状態に入っているそれが蔡英文政権の時代である。中国の軍事的威嚇で台湾が簡単に屈する状況ではない。(2020年10月)⇒W。相手方から見れば米台日が威嚇しているように見えるとは片時も思ったことがない。それでこれからの東アジアの政治が上手くできるのか。戦争手段をとるのはある意味簡単である。

  1.四半世紀のトレンド

2.台湾の民意―自己認識と台湾の将来

2010年から2019年までの10年間の調査結果の平均値は,「台湾人」56.3%,「台湾人でもあり中国人でもある」36.4%,「中国人」3.6%,「無反応」が3.7%である。⇒W。文中後半に台湾人でもあり中国人でもあるという立場の曖昧性によって問題が生まれている。


 この自己認識と政党支持との関係は,大雑把にいって「台湾人」という自己認識の人は民進党を支持する比率が高く,「台湾人でもあり中国人でもある」と「中国人」という自己認識の人は国民党を支持する比率が高い。

「台湾人」という自己認識が多数になったことで民進党の支持が拡大しやすくなった。

次に,台湾の将来についての民意の動向を見たい。「独立志向」「統一志向」「現状維持」のどれを支持するかという調査も数多くなされている。

 台湾独立というのは,中華民国を解体して中国と関係のない台湾国家(台湾共和国)を建国すべきだという主張(憲法改定)で,これは台湾ナショナリズムというイデオロギーである。⇒W。ひまわり学戦運動を出身母体とした政党の主張である。

 

  台湾ナショナリズムの初の民進党総統。

陳水扁 - Wikipedia

2000年から2008年まで中華民国総統を務める。

陳水扁直接選挙により選出された2人目の総統であり、初めて民進党から選出された、台湾の台湾本土化運動 - Wikipedia

 を推進する立場からの総統である。国民党出身の李登輝から民進党への政権交代であり、半世紀に及ぶ国民党支配体制を民主的選挙によって終焉させた。

W.台湾ナショナリズムを促進したポピュリスト政治家。失脚。国民党

馬英九 - Wikipediaに敗れる。

 <台湾本土化>とは?

「台湾を「中国」の一部とみなさず、台湾独自の文化社会経済国民性と主体性の重要性を強調するものである。歴史教育地理教育、文化教育に台湾を中心とした視点を持ち込み、台湾語客家語台湾諸語などの台湾において確立された言語を奨励する。

本来台湾独立運動の一環として行われ、台湾正名運動ともかかわってきたが、今では「一つの中国」論者の一部からも台湾化の目的はある程度支持されるに至っている。」


 中国統一というのは,台湾と中国大陸との絆を重視し,両岸は将来統一されるべきだという主張で,これは中国ナショナリズムというイデオロギーである。

民進党台湾ナショナリズムに立脚し,国民党は中国ナショナリズムに立脚する政党である。
 一方,現状維持というのは独立と統一の中間にあるのでよく「中間派」とされる。だが,それは無色透明ではなく「台湾」という色がついた立場である。前提となるのが,民主化し台湾化した中華民国の存在である。この中華民国蒋介石が君臨していた頃の中華民国とは別物である。
 台湾と中華民国は厳密には別の概念であるが,台湾では両者を同じものととらえる人が多くなった。この民主化し台湾化した中華民国の現状維持の立場を「台湾アイデンティティ」(W。天独派)生まれたときから台湾人。若い世代に多い。の立場と規定することができる。

 

3.イデオロギーと政党支持

  図2 台湾の3つのイデオロギー(政治的立場)と二大政党の支持構造

図3 台湾の3つのイデオロギー(政治的立場)と自己認識の構造

4.台湾の二大政党と米中対立

米国は,台湾が中国に統治されない現状を維持することが国益なので,中国が力により台湾を統一することに反対し,台湾が統一されないように手助けをする。他方,米国は現状維持の観点から,台湾が独立の方向に動くことにも反対する。米国は,台湾ナショナリズムも中国ナショナリズムも支持しない。現状維持の「台湾アイデンティティ」の立場は米国にとって好ましい。
 中国は,台湾ナショナリズムを敵視し,中国ナショナリズムを支援する。中国は,台湾ナショナリズム「台湾アイデンティティ」も敵視するロジックを使っているが,「台湾アイデンティティ」の枠内で動いている政権に対して武力行使をするには至っていない。中国が,戦術的観点から統一促進よりも台湾独立阻止に重点を置いている時には,米中の思惑が一致する場合がある。
 「台湾アイデンティティ」はゆるやかで幅が広い。

その支持層は,中国が台湾に圧力をかけると,台湾ナショナリズムと同じく反発する。だが,台湾の生存のためには台湾経済の発展が重要で中国との関係も必要だと考えるし,中国との対話・交流には比較的前向きである。中国が,胡錦濤時代のように「両岸関係の平和的発展」を唱えて経済的関係を重視する姿勢であると,「台湾アイデンティティ」の層の対中警戒感は比較的緩和し,習近平時代のように統一を前面に出してくると対中警戒感は高まる。

「台湾アイデンティティ」の支持層は,中国との距離のジレンマ(これは「繁栄の自立のジレンマ」と表現することができる)に悩む層である。

 

W参考資料②

ssdpaki.la.coocan.jp

「1.内政

(1)支持率の低下と政権基盤の安定性

蔡英文の得票率は約56%、民進党のそれは約45%であり、支持率は最高でも半分ちょっとというところであろう。 裏を返せば反対ありきが半分近くはいるのである。 現状は、支持者の約半数が期待外れ感を持っている

 

  (2)台湾アイデンティティーの高まりと政治的地殻変動の可能性

蔡英文の勝利の背景には、「天然独」と呼ばれる台湾政治における新しい世代の存在がある。 「天然独」とは「生まれながらの独立派」とでもいうべき30代半ば以前の若者達である。 彼らは「自らは台湾人」であるとの強いアイデンティティーを持ち、「台湾と中国は別々の存在」であることが、 空気のように自然な世代である。 台湾アイデンティティーは、今後強まることすらあれ、弱まることはない。

台湾政治は、統一を志向する国民党と独立を志向する民進党が、それぞれの志向を封印し、 中間層である現状維持派を取り込むことで勝敗を決して来た。 国民党も民進党も、基本理念は台湾アイデンティティーを代表するものではない。

民進党でもやっぱりダメということになれば、 台湾アイデンティティーは自らの価値観を体現できる政党を探すであろう。 今回、ひまわり学生運動の流れを組む政党「時代力量」が、大方の予想を上回る躍進を遂げたのも、 台湾アイデンティティーの成せる業である。 

天然独世代の国民党員の中には、大陸色の濃い「中国国民党」の名を捨て、 「台湾国民党」として生まれ変わるべきとの声がある。 仮に一方で天然独世代の民進党離れが進み、また一方で国民党の台湾化が進むようなことになれば、 そう遠くない将来、台湾政治に大きな地殻変動が訪れる可能性がある。 今は胎動期、との指摘がある。

W参考資料③

ひまわり学生運動のリーダー・林飛帆氏が指摘する「時代力量」の課題 | 日本李登輝友の会 愛知県支部

 W,クレオールナショナリズムであり米国流の攻撃的ナショナリズムである。20世紀後半の東アジアの政治地図を塗り替える主張であり、その基本は国連復帰など、台湾独立の国際法上の地位を獲得すること。コレは中国政権の国際政治における獲得物への挑戦と受け取るだろう。その主張が民主主義の衣を被って登場しているところに特徴がある。

統一か独立かで争うこと自体が古いとして、台湾の「国家地位の正常化」、すなわち台湾が国家として国際社会に承認されることをめざすことを基本政策とするのが「時代力量」で、台湾の今回の総統選挙と立法委員選挙を象徴していたと言っても過言ではない。」

民進党と与党連合を組む時代力量は5議席比例代表での政党票6.1%を獲得。天独中間層を代表していない。緑社会民主と同じ母体<ひまわり運動系>から分裂した。国家独立路線を鮮明にすれば分裂は当然。とは言え、今後、民進党の対中国政策などではキャスティングボートを握ると見られ、」

W資料③

 「ひまわり学生運動リーダー・林飛帆氏が指摘する『時代力量』の課題」

編集部注:台湾のシンクタンク「台湾智庫」の調査によれば、今回の選挙において20〜29歳の有権者の投票率は74.5%だった。そのうち、総統選では、20〜29歳の有権者の54.2%が蔡英文候補に 投票し、国民党の朱立倫候補には6.4%。30〜39歳の投票者のうち、蔡候補には55.5%、朱候補 には5.0%だった。

 ◆民進党は両岸関係で国民党と同じことをやる?

今後の民進党は、保守的で安定・安全路線を進むだろうし、受け身の姿勢に入るかもしれない。
そのため、両岸関係は大幅に調整(W,言っている意味が解っているのかな?戦争手段によってしか政治地図は塗り替えられない!)される可能性は低くなることを、われわれは心配している。今後も注意して見ていく。

 ◆「第3勢力」の出現は多くの政治参加者を増やした

緑党社会民主党連盟は議席を得られなかったと言っても、選挙区選挙での立候補者が得た得票率を見ると、来る地方選挙で市議会議員候補として出馬すれば当選者が出てもおかしくない。今後、地方で議席を得ることになれば、より多くの政治参加者を育成し、将来は首長選挙でも突破口を開くことになるかもしれない。

―― 時代力量をはじめ、第3勢力は政策的に似ている民進党と協力するケースが目立ちました。

 これら第3勢力の勢いが選挙戦後半で想定を上回ったため、民進党はあわてて「緊急事態」を宣言した。

特に時代力量にとっては一種の脅しになったかもしれない。「今は協力しているが、いつでも時代力量に向かう票をこちらに回すことができるのだぞ」といった警告として映ったのではないか。そのため、時代力量が獲得した政党票は予想よりも少なかった。

―― 第3勢力の核となった時代力量と緑党社会民主党連盟は、もともと同じ団体でした。なぜ分裂したのでしょうか。

W、発言を要約すると、民進党との協力関係をやるかどうかの対立。

W、緑社会民主党はひまわり運動の中から、労働派が結集したものと思われる。

緑党社会民主党連盟は、民進党との協力はしなくてもいいと強く主張していた。

とはいえ、選挙戦後半の動きをよく見てみると、社会民主党の范雲主席は自ら出馬した選挙区などで民進党蔡英文氏のイベントに出席したり、民進党の院内代表とも会うなど、蔡英文支持を直接訴えていた。時代力量と緑党社会民主党連盟の違いは、投票日に近づけば近づくほど目立たなくなっていた。

◆労組を大量動員した選挙戦に驚き

彼らの選挙戦略は、すべてマイペースだった。

 また、緑党の比例代表名簿1位だった張麗芬候補は、今回の選挙で多くの労働組合員を動員した。労組を大規模に動員することは、台湾の政治では非常に珍しい。議席は得られなかったが、労組を動員して選挙戦を戦うという流れが次の選挙にまで維持されれば、地方選挙などにも影響を与える可能性がある。

―― 時代力量に対して、「民進党翼賛政党」という指摘が少なくありません。この指摘についてはどう見ますか。

今回の選挙期間中での双方のやりとりなどを見ていると、「そんな指摘は的外れだ」と単純に言うことはできない。前にも触れたが、民進党と今後どのような距離を置くのかが、時代力量が今後直面する課題だ。

―― 投票日直前になって、一つの事件が台湾に大きな影響を与えました。韓国のガールズグループに所属する台湾出身の歌手が「中国人なのか、台湾人なのか」という敏感な問題をめぐって難しい対処を迫られ、その結果、彼女が所属する韓国の芸能会社はもちろん、中国に対しても強い反感を台湾国民が持つようになりました。結果、国民党からさらに票が逃げ、民進党などに流れ込んだという見方があります。

 台湾の国際的地位と尊厳は、今後も台湾が向き合わざるをえない課題だ。とはいえ、「台湾は主権を持つ独立国家」と海外で納得させられるのか、その方法などを今後もより強化していく必要があると思う。制度的にわれわれがどのような方法で協力するのか、憲法を改正するなど法的にどのように処理するのか。そんな議論と行動をしなければ、似たような問題が今後も起きるだろう。

日本語版発刊辞 | 季刊 『創作と批評』

南北軍事境界線】「ここが北緯38度線だ」北を向く火器、道路脇には塹壕(1/2ページ) - 産経ニュース

     第1章 1987年、そしてその後

  ~革命と反動、共同体と個人の間、6月抗争20周年を語る~

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