W。序章だけざっと目を通した。
反俗日記は労働階層の視座を基盤に世界を見ていくことを<肝>にしているのであって、下記のような帝国と帝国未満の国同士の争闘、競争、連合、同盟関係における国力の推移を比較する視点は、新帝国主義の世界市場の再分割戦に搾り上げられる。経済地殻の変動がウクライナ、ロシアで、東アジアで激震をよんでいる。
ゆえに、戦時危機を煽り軍備増強をし民生を蔑ろにする自国政府を倒さなければ戦争の危機とそれによってぼろ儲けする輩は絶えない。これから先進国国民が遭遇するのはそういう時代基調である。
しかし、この編著で指摘されている項目を含みトータルした政治的軍事的経済的パノラマという肝心なところを深堀しているのは序章だけであるが各項目は事実である。
序章は中国脅威論の亜種に思える。
(記述者は元中国特命全権大使である~中国には理解のある方に分類されているらしい)
公益財団法人日中友好会館会長代行・副会長。経歴を見ると外務官僚としては異端のヒトである。それでこの程度なのだから、それ以外の中国大使は外交におけて中国側の信頼は得られないだろう。単なる現地と中央の使いっ走りか?
序章は日米欧は足並みをそろえて中国に対処し、メンツをつぶさないように出口を作り自分たちと折り合える(都合の良い、ということでその最高形態はソ連邦崩壊時の国富の簒奪)政策変容を求めていくことを戦略のようにしているが、
(A)グローバル資本主義の発展段階がもたらす帝国としての世界市場再分割の不可避性(デカップリング)とソレが異なる生産様式と統治制度を転覆させ従属化する必然性を一切考えてみようともしない(宮本の序章を読み込むと現中国の国営企業の富は簒奪の対象)。
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複雑怪奇な米中新冷戦を多角的に分析 | リコー経済社会研究所 | リコーグループ 企業・IR | リコー
引用
「オンライン形式で開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)閣僚会議でそれが証明された。NHK「NEWS WEB」によると、米国のブリンケン国務長官(戦争屋という就任前の日本マスコミ評はウクライナ対処ではっきりした。米国には根っからの危ない奴が政権に入り込む。拳銃野蛮文化の影響。)が「中国は、抑止のために核兵器を保有するという長年の自国の核戦略から逸脱し、急速に核戦力を増強している」と発言し、習近平政権に鋭いジャブを放った。
これに対し、中国の王毅外相も(B)「他国に自らの好き嫌いを押し付けたり、民主主義と人権を装って、内政に干渉し、自らの地理的な利益を求めたりしてはいけない。東アジア諸国の歴史では、ほとんどの国が大国にいじめられるという共通の経験を持っているが、今の時代に教師面をするものや、救世主は必要ない」と応戦。名指しこそ避けながらも、バイデン政権にカウンターパンチを見舞った。」
引用終了
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>(B)自らの地理的な利益を求め
をもっとはっきりいえば、(中国の独裁政党が曲りなりにも共産党を名乗り、その内実を少しでも維持していたら、反俗日記の下記の定理の視点で日米欧のグローバル資本主義の現段階を見つめ、その対処する。)
その結果が、「中国は、抑止のために核兵器を保有するという長年の自国の核戦略から逸脱し、急速に核戦力を増強している」という現在と未来である。
A)グローバル資本主義の発展段階がもたらす帝国としての世界市場再分割の不可避性とソレが異なる生産様式と統治制度を転覆させ従属化する必然性を一切考えてみようともしない。
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日米欧経済政治の基本動態は普遍のごとく扱い、
可変させる対象の中国に対して、余裕をもって<政策的戦略的>対応をしているだけというのも、<片手落ち>である。
>世界を主導するパワーを未だに維持する日米欧の政治経済の変容が
ロシアや中国、そして新興国の在り方を形作っていくという、ごく当たり前の社会科学的分析手法が希薄である。
だから、序章はある種の中国脅威論の変種というのだ。
中国の経済の急速な台頭の基礎にはテクノロジーを受容し応用する歴史的蓄積があった。ココを理解しなければ中国経済の急速な発展の本質は理解できない。
経済開放後の中国とロシアの経済発展の内容を分けたのは<規模の経済>の違いもあるが技術を即時に受け入れ応用する歴史と伝統の違いである。もちろんと地政学的な相違もある。ソ連の周辺に発展した資本主義国はなかった。
<火薬、紙、印刷技術>は中国文明が世界に先駆けて生み出したものである。
19世紀中盤、中国とイギリスのとの間で不平等貿易が行われた時期、中国商品はイギリスを圧倒し、その穴埋めに東南アジア植民地のアヘンを中国にばらまくしかなかった。それがアヘン戦争に繋がった。
>グローバル資本主義下で愁眉の課題になっているのはサイエンスではなく、テクノロジーである。ロシアの広大な大地は歴史的にテクノロジーの乏しい地域だった。だから偉大なロシア文学が醸成された。実利主義の中国に散文ロマンはない。」
日米欧支配層の政治は西欧文明と遠く離れた地域において古代より自律「発展」してきた中華文明と中国史を評価する視点から現中国を見ることができない。
戦前の対日政策に影響を与えた中国ウォチャーのレベルに達する人材はいないようだ。
日本の中国研究者の発言も知る限りではバイアスがかかっていて納得できない。1960年代ころからの中国の変節を一貫して観察し現中国に対して冷静な見方をする人にお目にかかったことがない。ひいきするか反対するかの両極端で中間がいない。
一帯一路、アジア投資銀行を過大評価する神経を疑った。
反俗日記はイデオロギー方面から中国を見てきたので、ソレがなくなれば、ただの帝国の副次的な対抗物に過ぎない。中国は好きではなかったが、中学1年の友人の影響で北京放送を聞くようになっった。ベトナム戦争中でなぜかすがすがしい感じがしたが同時期にカントリーミュージックの魅力に取りつかれた。
そのご、必要があってイデオロギーには興味を持ったが、毛沢東の実践論や矛盾論には疑問を持った。ただし毛沢東の軍事論文集はすごい、とおもった。スケールが大きい、しかも民衆の心をつかむ政策がある。
中国が身近になったのは、図書館の一冊の本から、中国史の基本的な見方を教わった時からだった。なるほどそういうことだったのか、と納得した。
それから中国民衆の王朝と民衆の相克に歴史ロマンをかすかに感じ取れるようになった。中国大陸を舞台する漢民族の躍動、と忍耐力には感服している。日本人にはないところである。
中国に身近な日本はアジアで最初に近代化するとき中華文明を否定し、その縄張りに侵入し人民を殺戮し焼き尽くし犯し続けた。コレは事実の一部である。反省するとかしないとかの次元よりも歴史の事実である。日本人がその立場であれば、どう対処できたのだろうか?外勢に主導権を握られても黙々と営為をし続けてきた中国人民のスケールと知恵に感心する。
欧米は20世紀に日本東アジアで台頭する時期に中国への関与は薄れた。
20世紀中盤、中国は政治思想運動の実験国家のようなことに膨大なエネルギーを費やしてきた。
しかし、その内部葛藤が改革開放時期に国家権力が経済分野の指揮権を握ることを可能にした。党内闘争は党を強化する。コレはリアルな事実である。
しかし現中国へのマスコミに出回っている評判は、
多分にプーチンの政治力を過大評価したと同じく「ほめ殺し」のようなところがある。
習近平政権の「一帯一路」構想、金融で支える機関として、「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」と「シルクロード基金」(2013年~)は曲りなりにも中国を観察してきたものとして、<狂気の沙汰>におもえる。
何よりもあまりにも発想が古すぎる、20世紀初頭、ドイツ帝国の3B路線とダブってしまう。
結局、日本バブル時期の資金力で外国に無駄な投資をした日本の二の前になる、のではないか。⇒帝国未満!が帝国であろうとしている<絶対>的な矛盾。
中国史上、中華圏はそれ自身で完結してきた。
陸路、海路を通じて外に出て行った経験はヨーロッパ世界と比べてあまりにも少なすぎるし、ロシアと比べても中国大陸領域に閉じこもっていた。チベット地域への関与は清朝以降であり西域との関わりとは比べようがない。インドとの国境紛争が報じられているがチベットは分離すべきである。
現中国、将来の中国は記述者らが描きあげるような米国(EU)と比較できるような壮大強力な国家ではない。
何よりも整合性に欠ける国内矛盾を内在させた経済開放以降の問題を山積みさしたまま、その解決どころか形を変えて拡大している。
こういった国内の不均等発展を政治的に接合し、国力を増進できるのは<独裁>政権、以外にないが、
>経済発展すればするほどエレファントカーブの図が描く中間層は拡大し豊かになり、>次の段階として資本制的な「自由」を求める。
@他方で独裁統治の人民レベルの要である共産党の居住区党員の活動力は低下し、
@党員は軍と行政経営組織に集中し中間層を形成する(共産党の政治空洞化、統治経営機構化~公務員化、会社員化~)という絶対的な矛盾関係がある。
鄧小平の遺訓は今も将来も健在であり、そこから遠く離れると、中国専制国家史が示す歴代専制国家崩壊の法則(歴代専制国家は公共<インフラ>部門の分不相応な拡大によって内部から瓦解し中国人民の海に消えていった)に準拠する。
参考資料
「中国の外交方針の変遷」 政策提言研究 高原 明生(東京大学大学院教授)
https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Reports/Seisaku/pdf/1108_takahara.pdf
W.時間がなくで読み込み不足。
結論を挙げておく~2011年の評論だが問題意識は古くはなっていない。
「3.新外交方針の背景——多面的な論争、綱引き
外交方針をめぐる論争の背景には、それに関連する諸問題をめぐる意見の不一致が存在する。その
一つは、「中国モデル」をめぐる論争である。
一方には、「中国モデル」は存在しないとする立場がある。
それによれば、中国の発展様式の特徴が「独裁+市場経済+ナショナリズム」だとすれば、
それはいわゆる開発独裁と同じであり、ユニークさはない。
また、中国の社会制度はまだ改革の途上にあり、他国のモデルになりえないだけでなく、中国社会の現状をみれば問題は山積しており(格差、縁故主義、汚職腐敗、物価、環境汚染、高齢化等)、とてもモデルを称することのできる状況ではないとする。
それに対しては、しかし「中国モデル」は存在し、有効だとする立場も存在する。
特に 08 年秋に米国発の世界金融危機が起き、米国資本主義の象徴である金融機関や自動車会社の国有化が起きると、「アメリカモデル、ワシントンコンセンサス」の天下は終わり、これからは「中国モデル、北京コンセンサス」の時代だと自信を強める者も増えた。⇒W資本主義への学習不足、自信過剰。ま、スターリンの一国社会主義可能論に現代的変種。
中国社会の現状についていえば、生活水準は向上し、かつ国際的な地位も高まっているのは事実であって、近代以降最高の状態にあるのだという。
この論争に絡むのが、「普遍的価値」をめぐる意見の不一致である。
一方には、「普遍的価値」は存在し、中国ではまだ実現できていないとする立場がある。
鄧小平をはじめ、江沢民も胡錦濤もこの立場を表明してきた。最近では、温家宝が人権の実現を強く訴えている。
ところが、いまや「普遍的価値」など存在しないとする立場が宣伝部門内では強くなっている。
@すなわち、西洋が自分たちの価値を中国に押し付けるためにそう呼んでいるだけであり、「普遍的価値」を唱えることは中国の否定につながるのだという。⇒Wナショナリズムへの屈服である!ナショナリズムに依拠するとロシアプーチンのようになる。
4.外交方針をめぐる現在の論争の性質
以上の考察から、今後の中国の政治と外交の方向性に関する深刻な論争が激しく展開されている様子が見て取れる。単純化のそしりを恐れずに整理を試みれば、
@一方における改革派、国際主義者、穏健派に対し、
@他方には保守派、国粋主義者、強硬派がいる。
@そして前者に対し、後者が勢いを増す恐れがある。⇒W。習近平路線である!
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日本の動向
極論を言えば、反俗日記でよく日本経済の長期停滞を取り上げるが、
本心は長期停滞していても「多くの人々が幸せに連携して生活を楽しみ労働できて命を全うできる環境を維持できれば、良いではないか、」というものである。
中間組織、下位組織の共同性が壊れていくと、人々は風に漂う糸の切れた風船のように仮想現実の共同性の妄想になびいていく。米国社会、EU「社会」の奥底に潜む<危機>の正体とはこの状況であり日本も例外ではない。
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引用
米中分断の虚実 | 公益社団法人 日本経済研究センター:Japan Center for Economic Research
引用
「米中の分断はどの分野で進み、どの領域では進まないのか。デカップリングが予想される分野は実際にはどんな形で、どの程度、分断が進むのか。第1級の研究者が、米中分断の実像と背景、今後の展望を分析しました。」⇒Wコレって言葉を替えると世界市場の再分割戦の実情を指摘しているのではないかな?
目次:
序 章 米中デカップリング論への視点(宮本雄二)
第1章 米中技術覇権競争と日本の経済安全保障(鈴木一人)
第2章 米中ネットワーク競争と海底ケーブル(土屋大洋)
第3章 コロナ禍とグローバル保健ガバナンス(詫摩佳代)
第4章 米中気候協力の行方(関山健)
第5章 米国の中国脅威論と人的・文化的分断(小竹洋之)
第6章 米中分断下での日本のバリューチェーン(戸堂康之)
第7章 サプライチェーン見直しと中国の新構想(伊藤信悟)
第8章 台湾にみる米中ハイテク分断の最前線(山田周平)
第9章 貿易摩擦下の米中金融交渉(関根栄一)
第10章 米中デカップリングとスタートアップ投資(上原正詩)
終 章 日本に求められる重層的アプローチ(伊集院敦)
反俗日記の基本視座はグローバル資本制をこのまま続けていると階層格差拡大の世界的な傾向は止まらない、特にいわゆる先進国の中間層の分解とその下層の没落は進行していき、やがて中間層中層の脱落傾向も避けられない、それを含めた労働階層の労働条件、生活基盤、命と健康を基軸に世界の状況分析を推し進めていく、というものである。⇒
この本の各章の記述者の視点ははっきりしている。
日本、中国、米国、ドイツが代表するEUの下記のテクノロジー分野の開発競争の現段階を「デカップリング(Decoupling)」という視点から編集したものである。
しかし、「デカップリング(Decoupling)」という用語を検索すると次元の違う(視点を新興国家群の将来像に移し替えたもの)ような解釈が載っており山行のために引用する。
「デカップリング (でかっぷりんぐ)
2国間の経済や市場などが連動していないこと。
例えば米国の経済が停滞しても、
@それとは関係なく中国などの経済が成長し、世界経済の拡大が続くとする見方です。
@低成長が続く先進国の経済と高成長が顕著な新興国の経済を比べ、デカップリングと称する場合もあります。」
編著のトータルな問題意識はタイトルの示した通りである。
端的に言って米国主導、日EU追従の台頭すると称する中国へのけん制、市場分離包囲網である。
東アジアで「経済発展する」中国と直接向き合う日本で2010年以降台頭した中国脅威論を、「世界覇権」国家米国がトランプ大統領以降、本格的に主導しだすと、そういう大げさなことになり、
>その結果、帝国と帝国未満の世界市場の再分割戦の様相を招き、
>G7を筆頭とする「先進国」では、~世界の民衆にどこが何が先進だったのか、問われ始めている~格差が拡大し続け中間層の分解の分解が続く。
@そしてG7を筆頭とする国々において、投票行動に熱心な分解する中間層の動揺と危機感(徹底した労働力商品化による小市民的疲弊と鬱屈排外)を反映した大衆迎合排外政治(ポピュリズムの定義は躊躇する)の台頭と保護貿易主義の兆しが目立ってきている。
@保護貿易主義的傾向への政治過程は、
@同時に世界市場の競争による商品価格の低廉化を抑止するように作用するので資源原材料の高騰を基軸とする諸物価の高騰を招き、
@それを販売価格に転嫁できる事業所とできない事業所、労働力商品の価格に反映できる者とできないものとの格差を押し広げていく。
>そして上記の過程がもたらす結果は、下記の構図を描いていく。
- 金融資本と金融寡頭制
- 資本の輸出
- 資本家のあいだでの世界の分割
- 列強のあいだでの世界の分割
- 資本主義の特殊な段階としての帝国主義
- 資本主義の寄生性と腐朽
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なお、序章はWと基本視座とは違うが、傾聴に値する見解だった。
時間不足で検討することができなかった。