不思議なフランスの労使関係
要点
「フランスの労働組合の組織率は先進国の中では、もっとも低いと推定されている。全セクターで7~8%程度で、民間企業では組織率は5%と推計されている。つまり、労働組合が活動しているのは、公務関係と大企業と見ておおよそ間違いない。
>ところが、労働協約の適用率となると92%とほぼすべての労働者がその適用範囲に入る。
その訳は、労働協約が産業別に締結され、組合員あるいは非組合員とは関係なく、その産業で働くすべての労働者に拡張適用される(労働省の省令)。先進国の中で、これほど組合の組織率と協約の適用率が異なることは珍しい。⇒W。組合に組織された労働者と非組織労働者の分断、例えばストライキに対して非組織労働者が白眼視、あるいは敵対するような事態が起こり難い。
>肝心なことは、どうしてこのような産別労働協約が立法化されたのか、ということである。コレは第一級の政治の課題であり、立法府である国会が決めたのである。組合運動一般の力に寄って、労使間の交渉で産別労働協約は決められたのではない。
>ではどうして組合組織率が先進国最低レベルであっても、産別労働協約が立法化されたのか?フランスの国民の多数派である労働階層の力(労働協約の立法化)がフランス的な組織的なタガの緩い政党を通じて国政に反映していたからだ。
@情報不足、不勉強ではあるけれど、結局、この件に関する本質的な問題の所在は、下記のフランス革命のテーゼにある.
>団体一般は個人を抑圧する。
>雑炊物としての一切の中間団体を排除して
>国家権力と解放された個人とが直接向き合うような
><国家ー社会関係>=ルソージャコバン型2極構造」こそが新たに構築すべきモデル
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W.フランスの近代史は日本とあまりにも違う、別世界の歴史であり体感的な共通点は無い。その点、.英国や米国の歴史は理解し易い。
W.日本の近代史と似通っているのはイタリア近代史である。農業遅れた近代化と降って湧いてきたような王権が内紛の一方の旗印に担がれて資本制化国家建設の国家機構の中枢に据えられた(遅れて資本制化を急ぐ絶対主義権力機構)。
W。第一次パリコミューン。フランス革命の際のパリ自治政府。便宜的に第一次パルコミューンとしておく。
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「フランス革命のさなか、1789年から1795年まで存在したパリ政府。バスティーユ襲撃の直後、オテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)に設立され、フランス中央政府からの命令を断固として拒絶し、1792年の夏にコミューンは反乱者になった。」
「1789年同月日に発生しフランス革命の発端となったバスチーユ監獄襲撃および、この事件の一周年を記念して翌1790年同月日におこなわれた全国連盟祭 が起源」
「コミューン(仏: commune)は、フランスにおける基礎自治体、すなわち地方自治体の最小単位」
「元来はフランス語で「共通」「共同」「共有」「多数」「平凡」「庶民」等を意味する語で、英語のコモン (common) にあたる。」⇒W.日本語に (common)該当する用語は無い。安富歩さんはcommunityに該当する日本語は無く共同体と訳してもcommunityを表現していない、と述べていた。この辺の根源的な疑問から東洋哲学に接近した、と語っていた。
あえて言えば<ムラ><郷里><世間>をミックスした概念かな?
- 県より下位の行政区画は
このテーゼはナポレオンボナパルトのフランス拡張主義(ブルジョア国民国家形成時の排外主義)に転回しようとも、フランスのヨーロッパ世界との戦争の敗北普仏戦争はテーゼの発展形態であるパリ=コミューンに結実した
W。ここまで何を証明しようとしてきたのか?
W.プロレタリア独裁の源流をたどっている。そしてその解放空間を想像している。
2.労働組合代表は組合員の利益代表ではない。
「なぜ、国は労使の交渉結果である産業別協約を拡張適用し、強制力を持たせるのだろうか?
その答えは、フランス特有の労働組合の法的位置づけと関連している。
>20世紀初めに確立した判例により、
W.参考資料 サンディカリズムについて調べてみた結果、ココにたどり着いた。
W。注釈。面白い視点が開示されている。
国から代表性を認められた労働組合は、自分たちの組合員の利益代表ではなく、当該労働者すべての労働者の代表として交渉を行う。
したがって、締結された協約は、労働組合員あるいは非組合員の区別なく、当該労働者すべてに拡張適用されるという論理である。
この点、労働組合が、原則的に、組合員の利益代表であるわが国やドイツとは決定的に違うことになる。⇒W.他の国の労働組合もフランスのような労働協約を国との間で締結したかったが、できなかった。したがって、社会民主主義党の構成員に労働者出身の国会議員がいないだとか、労働者の仮名への浸透力が弱い、こと労使交渉の最大の眼目である産別労働協約、無差別適応とは関係がなかった。フランスにおいては民衆個々の力が国家機構に向けて発揮されることに対して捻じ曲げたり邪魔をしたりする政党組織が弱かった。政党に力を弱くしてきたのはフランス政治の知恵である。
フランスでは、様々なレベル(中央、産業、企業)で交渉が行われるが、組合代表には一定の時間の労働を免除され(たとえば、週20時間)、組合活動に専
念することが法律で認められる。この時間免除は、総計すると、フルタイムの専従者3万~4万人に相当するという。組合員数が少ないのに、ナショナルセンターの本部が立派で、多くの組合活動家がいるのは、結局、労働者全体の権利を守るという大前提があるためである(政府からナショナルセンターへの補助金も出されている)。
3.国レベルの労働組合の発言と企業レベルの組合の立場は異なる
4.労使とも法律専門の人が幅を利かす
W.政治は政治のプロがやることという知恵はフランスの激動の内乱史から授かった。必然的に官僚のヒエラルキーが確立するが対抗措置はフランス的な枠組み緩やかな政党のちからであり民衆個々の立ち上がる街頭パフォーマンス。国家機構と民衆個々が直接向き合うような構図が上手く作動すると強固な政党政治枠組みよりもフレキシブルに民衆の要求がストレートに政府に伝わる。
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「団体交渉に関するインタビュで印象に残ったのは、労使双方とも法律の専門家が多いことだった。
フランスの労働法典が3千ページを超える分厚いもので、雇用契約、団体交渉、労働条件、訓練、安全、差別禁止などに関して、細かな手続き、条
項が定められている。そこで、企業の人事担当者の第一の課題は法の遵守である。労働組合の方も法律専門家を多く抱え、いつでも法定闘争に訴える準備をしている。中でも、CGTは、専門家も認める労働法の月刊誌「Droit ouvrier」を1948年から発行している。ある友人が、中国語で、フランスを「法国」とするのは面白いと指摘していた。
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W。注釈 『全共闘』(3)|外山恒一|note
引用
「サンディカリズムは日本語では「労働組合至上主義」、あるいは単に「組合主義」などと訳されてきた。
労働組合を基盤とするゼネストなどの直接行動によって資本主義を倒そうというサンディカリズム(W.レーニンの革命論「国家と革命」「何をなすべきか」では受け入れられない戦略)は、もともと必ずしもとくにアナキズム系の思想というわけでもなかったが、マルクス主義者たちが急速に議会主義へと傾いていったために(第一インターが各国の社会主義者たち個々人を構成員とする組織だったのに対し(W.マルクス活動時代)、第二インターは各国の社会主義〝政党〟を構成単位(W。ドイツ社民党中心)としたところにも、そのことは表れていよう)、ともに議会進出路線を唾棄していたサンディカリズムとアナキズムが結びついて、〝アナルコ・サンディカリズム〟の一大勢力を成した(「アナルコ」とは〝アナキズム的〟の意)⇒W.フランス労働運動はコレ!。
なお、マルクスとバクーニンとの主要な対立点は、一般的なアナキズム理解でよく言われるような、〝階級支配の道具〟たる国家権力の廃止へと至る以前に革命派による過渡的な〝独裁〟を認めるか否かといった点になどではなく(バクーニンもアナキストたちの結社による〝見えざる独裁〟を主張していた)、議会進出に意味を見出すか否かという点にあったようである(バクーニン派が否定した〝党〟とは、政治組織一般のことではなく、議会進出を目指す政治組織のことらしい)。⇒W。レーニン「国家と革命」は前半部分の真っ向からの暴力革命の不可避性とプロレタリア独裁、過渡期社会論の記述とは打って変わって、後半においてロシアを含めた各国の統治形態の違いをリアルに分析し柔軟な戦術を提起している。
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「いかにも地味に感じられようサンディカリズムに、革命的な意味づけを与えたフランスの思想家がソレルである。
一九〇八年に刊行されたソレルの『暴力論』のタイトルとなっている「暴力」とは、サンディカリストたちが目指すゼネストのことで、もちろんソレルは〝ゼネストという暴力〟を称揚しているのであり、この本によってソレルは一躍、アナルコ・サンディカリズムの代表的理論家と見なされるようになった。
>フランスでは十九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、労働組合運動をマルクス主義政党の統制下におこうとするマルクス主義者たちに反発して、自立的に運動を展開しようとするペルティエらの労働組合運動が一大勢力を成していた。
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⇒W。このころのロシアでは労働運動も非公然、社会民主主義政党の活動と労働運動は混然一体化せざる得なかった。労働運動=革命運動の様相。だだし自然発生的に工場と地域の一体化した経済闘争(工場側は官憲のむき出しの暴力で対抗)は盛り上がっていた。このあたりの事情はゴーリキー「母」にリアルにえがかれている。
>ここで指摘されているフランスの場合は政党の労働運動への介入であり政治思想の啓蒙。自律的な労働運動の戦闘力を弱める役割を果たす。
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「それは、マルクス主義者たちが主導する社会主義政党と、議会主義を嫌うサンディカリストたちが主導する労働運動との分裂でもあった。もともとマルクス主義者だったソレルは、この過程で次第に議会主義に失望し、ペルティエらに接近していく。ペルティエは一九〇一年に若くして死去するが、その思想はソレルに受け継がれ、まさに〝黙示録的〟な様相を帯びる形で理論化されることになる。⇒W.ソレル「暴力論」を昔読んだことがあるがピンとこなかった。