W。今回の記事の本編(地球の中心"コア"への旅 - YouTube)
⇒最近の地震関連記事の続編。
地球深部の水の循環を担う鉱物の性質解明 | 東工大ニュース | 東京工業大学
W。動画は下図の解説のはずであるが、
図右端の最新研究の島弧火山の部分(プレートの沈み込み⇒H層による水の輸送)には一切触れられていない。
↓ ↓
プレートの沈み込み帯の短期的な流体移動の痕跡を
上盤マントルで発見
―沈み込み帯における地震活動と流体との関係を示唆―2023 年 4 月 6 日
https://www.kek.jp/wp-content/uploads/2023/04/pr20230406.pdf
引用
「過去に沈み込み帯の上盤を構成したマントルの岩石から、特徴的な反応帯(注 2)を伴う鉱物脈(注 3)のネットワークを発見しました。微量元素分析により、この鉱物脈は沈み込むプレートから供給された流体の痕跡であることを示しました。
さらに熱力学的解析及び物質移動モデリングにより、
>その流体活動の継続時間が非常に短期間(数ヶ月~数年)であり、流速が大きい(秒速 0.1~1cm)ことを見出しました。
本研究で明らかにされた流体活動は、
>現在の沈み込み帯で観測されている微小地震の継続時間や震源の移動速度とも類似し、沈み込み帯における地震発生過程と流体活動との関連を示唆しています。」、蛇紋岩
かんらん岩などが水と反応し、蛇紋岩化作用(もしくは蛇紋石化作用)を受けることで生成する。蛇紋石化作用は主に超塩基性岩類中のカンラン石で起こり、カンラン石と水から蛇紋石と磁鉄鉱が生成される反応で表される。蛇紋岩化作用の程度は岩体により様々で、作用の弱いものは原岩を構成する鉱物が多く残り、作用の強いものはそのほとんどが蛇紋石化している。かんらん岩はマントル上部を構成する岩石の一つであり[4]、そのほとんどが地下深くに存在。
低圧では斜長石かんらん岩、中圧ではスピネルかんらん岩、高圧では柘榴(ざくろ)岩
能登半島地震の要因⇒珠洲市地下の東京ドーム24杯分の流体の存在(群発地震)⇒流体の移動⇒2023年5月地震⇒2024年1月1日、能登半島沖活断層の一気の逆ズレ。地下流体と地震の関連の研究は最近のもの。流体の半島北部への移動も観測されていたときに2023年5月地震が発生し、コレによってストレスは解放されたという予測もあり、半島沖の活断層の地震に直結するという予測はなかった。地盤、水、圧力の関係の地震研究が進められているが、熱力学では観測の始めと観測の終わりの間の途中経過は法則的に明らかにできない。データによる経験則による大雑把な予測しかできない。
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プレートの下部マントル到達以前に
プレートに含有水分が上昇し地下に貯まったマグマを刺激膨張させ火山噴火を起こす。火山のマグマの揺らぎは地震と連動する。
能登半島地震の特異な要因とされる珠洲市地下8kmのTドーム24杯分の巨大な流体の半島北部への移動(岩盤のスロースリップ、流体圧力による剥がれて浮き上がった状態)による23年24年の続発地震は太平洋側の東日本大震災を含むプレートの沈み込みによるマントルHによる水の移送(解説を素人ながら解釈する限りは)とされている。
引用
「H相はマントルと核の境界付近の2900キロメートルまで水を運ぶ可能性を持っています。
水の存在は岩石の溶ける温度を下げるため、マントル最下部でのマグマの発生を引き起こし、
これによりマントル最下部に観測される超低速度層や、この付近に起源を持つマントル上昇流(プルーム)などの原因になる可能性があります。
また、地球中心核の主要物質である溶融鉄への溶け込みなど、地球深部の物質や運動(ダイナミクス)の解明において、重要な影響を及ぼすものと考えられます。
今回決定されたH相の弾性的性質は、このような地球深部の水の循環経路を調べるうえで非常に重要な情報となるでしょう。⇒W。過去の能登地震記事で珠洲市地下のTドーム23杯分の流体はどこから来たのか?という問いがあり、東日本大震災時からの水分含有Pの沈み込みの結果、という情報があったが、巨大流体は大震災以前からの太平洋Pのもぐりこみによってもたらされた、とすれば納得できる。
①東日本大震災による日本列島東の太平洋側への反発は、
②西日本列島のフィリピン海Pの沈み込み西進圧力との、
③ホッサマグナの西の端、丁度能登半島辺りでの捻じれ現象となって半島沖の活断層の巨大な逆ズレ、ストレス解放になった。
であれば①東日本大震災はは巨大なトリガー、②能登半島地震は東と西の捻じれの部分的ストレス解放にすぎず、③の南海トラフに貯まりに貯まったストレス一気解放に結果する、との予想も成り立つ。
>①と②の間の熊本地震は
下図は中央構造線ができるまでの日本列島の内帯(北に位置)外帯(中国南部に位置)トイザナギPの状態を示す。従って熊本地震を引き起こした活断層は広い意味で中央構造線の残骸である。そもそも阿蘇山のような巨大火山がある地域は巨大地震の警戒区域。
W。大陸P(一つが分割した大陸)と海底P(海嶺で新規生成P、地球内部に沈み込み、あるいは分裂~インド洋、インドネシア沖~~、横滑り~カリフォルニア沖~~)。
>海嶺で地底から浮上したPが日本列島周辺で地球の底に沈み込んでいる。
大陸P側の島嶼部日本列島は海底Pの激しい沈み込み(地質年代でいえば)に引っ張り込まれ(1億数千万年前のイザナギPは地球の底に沈下)、
>その逆作用で地殻沈下(日本海誕生)。
>一気反発(東日本大震災)による東北地方の太平洋側への東進と西日本の大陸側への引っ張り込みストレス。⇒列島の捻じれ(ホッサマグナは日本列島が大陸から分離するときの南海トラフと日本海溝の捻じれによって真っ二つに割れた痕跡。
解説⇒「ここが地球内部への入り口です」
⇒W。入口があれば出口がある。地球内部のマントルは循環している。ソレが動画のテーマ。
「地球全体から見るとプレートは卵の殻のような薄さ。」⇒W大きさ比較だけの紛らわしい説明。
硬い岩石でできたマントルの世界
高温熱放射の現象でマントル以下は輝いて見える
>熱放射を取り除くことができれば(W.無理。人間は12kmしか掘れない)
@本来の色を見ることができる(火山噴火によってマントル内部の物質は回収されている。)
かんらん石 ガーネット、ダイヤモンド、など。
ゼノリス 数百年前に火山活動によって噴出した石(かんらん石、ガーネット、その他)
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W参考資料~高温であるはずの地中深部のマントルが個体状態なのか、?この動画は肝心なところに答えていない・
マントルの主組成がゼノリス状態(固形のカンラン石、ガーネット状態)でなく、高温高圧の液状であれば、地球の大きさと比較すると卵の殻ほどの厚さしかないプレートの規則的な運動はない。
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物質は温度と圧力に応じて何になりますか?
物質は,温度と圧力に応じて,固体,液体,気体のいずれかの状態をとります。 状 態が変化しても,その物質であることに変わりはありません。 そして,このような物 質の三態の変化が起こるのは,粒子の不規則な動きである熱運動があるからであり, 粒子間の力があることから,粒子どうしが離れたり離れなかったりするのです。」
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地球深部のマントルは高温、高圧状態で粒子の不規則な動きが抑えられ固体状態を維持する。
ガーネット融点1940℃
かんらん石融点1900℃
ダイヤモンド 800度C
マントルは深くなっても組成の物質は変わらないが押しつぶされることによって色が変わる。下図は超高圧実験結果。中心部の色の変化。
*************文系なものでコレ以上詳しく深堀しない****
下部マントル。マントルの大部分を占める広い場所。深さは2,000キロ以上。
深さ550キロ以上。ゼノリスのような物質が上がってこないので今まで実態不明
↓
地震波を調べることによってレントゲンで診察するように下部マントルの状態が解るようになった。
赤い部分ー温度が高い部分。青い部分ー温度が低い部分
W.いよいよ、グロテスクなハイライトシーン登場!大きさ数千キロメートル!
「最も変化の激しい場所はマントルの底にありました」
マントルの底から温度が高い塊と低い塊を見上げた絵図。下降する塊はプレートの沈み込み(太古のイザナギPもこうしてマントルの底に沈んでいった。上昇する塊はマントルの底で熱せられ上昇する塊=大海の海底海嶺から新生プレートとして誕生(前々図、フィリピン海Pが発生した場所にまだ熱い塊がある)~~伊豆半島はフィリピン海Pにほって日本列島にぶつかった~~。
マントル内の温度変化を表した図。左の板状の塊は<スラブ>と呼ぶ。
「マントルの底はスラブの墓場」
「長いスパンで見るとマントルは滞留している」1年間に50センチ動く。
@マントル対流を見る時間は1億年以上。
>W。学者の説明では下の疑問はサラリと流している。素人には難しすぎるからだろう。
「物質は温度と圧力に応じて何になりますか?
物質は,温度と圧力に応じて,固体,液体,気体のいずれかの状態をとります。 状 態が変化しても,その物質であることに変わりはありません。 そして,このような物 質の三態の変化が起こるのは,粒子の不規則な動きである熱運動があるからであり, 粒子間の力があることから,粒子どうしが離れたり離れなかったりするので
外核2000キロ以上ー溶けた鉄ー水のような非常に流動性のある状態。
>マントルは比重の高い鉄の海に浮かんでいる。W.地球物理的自然は上手くできている!地球上のプレートの分割、沈み込み、マントル対流、外核の鉄の海、地震火山活動地球の生命体の生成発展消滅はトータルで超巨大な無常の循環であった。
鉄の流れから電流が作り出され、磁場が生まれる。外核の流れ1時間に1メートルは熱をマントルに逃がすため。
内核は鉄の塊。緑と茶色は同じ物質圧力によっての色の違い=マントル、銀色外核=鉄の流動体、内核=鉄の塊。巨大なシンプル構造。
内核の大きさ月の三分の二ほど。
>先ほどからの課題にココに至って答えている。
>物質が液体から個体に固まる条件というのは、温度と圧力で決まる。
>地球は内部に行くほど温度が高くなるが、圧力の方が上回って地球の中心部から固まって内核ができた。
内核は約10億年から20億年前にできた。
約40億年前に誕生した生命は徐々に進化し、まずは細菌と古細菌に分かれ、その後真核生物が誕生し3つのドメインが形成されました。「細菌と古細菌に分かれ」る直前の細胞は、現在の全ての(細胞性)生物の共通祖先であることから、LUCA (Last Universal Common Ancestor)と呼ばれています。はっきりとした年代はわかっていませんが、おおよそ、35億年以上前の存在と考えられています。
W。ウィルスは生命体と非生命体の中間的存在で上記とは別系統。宿主に寄生してRNA遺伝子を継続。変異が常態であり進化しなかった。恐竜絶滅以降⇒新生代、以前中生代。ヒト新生の時代などと云うカルチャー教室的見解もあるがそれよりも「猿の惑星」が相応しい。原作ピエール・ブール - Wikipedia」
特異な経歴に注目。最後のシーン、禁断の海岸に埋もれた<自由の女神>発見はフランス人らしいオチとみる。映画化したフランクリン・J・シャフナー - Wikipedia1920年生まれ)監督は6歳まで日本で育った(宣教師の息子)。
内核の表面。100メートルほどの鉄の樹が生い茂っている。W。個体が流体になろうとしている。磁場の影響も大きい。
外核には硫黄、炭素、水素などの不純物⇒泡粒のように外核に立ち上って光を発している。実験の結果外核の不純物が要因
>マントル(緑と茶色ー物質は同じ、圧力がかかって色が変化)。外核、内核は組成の違い、比重の違いで混じり合わないまま、内から外(地表)に熱を逃がしている(海嶺と火山)。海嶺で地表に現れた新生海洋プレート押し出され移動しは古い大陸プレートに沈み込んでいる。
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【全記録】過去に発生した南海トラフ巨大地震を全て集めてみた(684年〜2020年) - YouTube
コメント欄
これだけの記録が残っていることに驚きです。日本のご先祖様ありがとうございます。
資料を遺してくれた昔の人々に感謝しきれないよね、起きるのがわかるだけでも有難い。絶望せず諦観せず対策しとかないと!
周期として、だいたい100年に一回ぐらいは来てると思うと本当に来るんだなと実感しちゃう。
昭和東南海地震と昭和南海地震って結構ヤバい地震なのにあんまり触れられてないイメージあるよね 東南海の頃は戦争真っ只中だったのもあってその存在が秘匿されて被災地への支援すら全然なかったとかいうすごい地獄だったらしいし南海地震も戦後の混乱期へ追い討ちをかけるように地震発生という両者とも結構悲惨なやつなんだけど
過去に発生したこれら地震を書いた歴史書や古文書などを紹介するまとめ動画とか無いかな?個人的にすごく興味のあるテーマです。
こんなに昔のデータが残っているとは…凄いとしか言えないよな
地層じゃね
何度も立て直し復興させてきた先人達は本当に凄い。思いやりに欠け、ネットで他人を攻撃する事に喜びを覚え、自分の事しか考えない人が増えた今の日本人に果たして先人達のように復興が出来るのでしょうか…
記録残ってるのすごいな。具体的にどういう感じで記録に残ってるのかに興味ある。当時の偉い人の日記とかかな。
地震は過去の文献もそうですが、津波により打ち上げられたものが地層に残されるので、数mの地層を垂直に取り出してその時期を分析することで文献と比較出来ます。これによって地震の存在が明らかになります。
今から4年前、熊本地震がありましたが、友達と熊本って大きい地震とか起きる事ないよね〜熊本って本当に安全だよね!って話を学校帰りにしていました。 その話をした当日の夜にあの地震が起きました。内心、私がこんな話をしたからなのではないかと思っていましたが、大きな地震はいつ来るかどこで起きるかわからない。常に準備をしていつでも逃げれる状態にしておく事が大事、たわいもない1日がどれだけ大切か思い知らされました。 いやー、今思えば地震の話をしたその日の夜に地震は恐怖でした。
間違いなく来ますね!! 悲観しても仕方がないので楽しみに待ちましょう!
宝永地震で富士山が噴火したのか‥‥こう見ると‥‥確か‥‥富士山噴火も1707年(W.斜面に噴火口=宝永火口。火山灰、東に流れの農作被害甚大~神奈川~。)だったよな
じゃあ南海トラフ来たら富士山噴火するかもしれんって事?(>д<*)コワイ
南海トラフは来るのが遅くなるほど規模でかくなるから来るなら早く来て欲しい…
こんだけ巨大地震がえぐい頻度で来てるのに滅んでない日本最強🇯🇵
文字での記録は無いけど、約2000~2300年前と約4000年前に起きたらしい南海トラフ超巨大地震(津波)をいつか解説して欲しいです。
津波堆積物は70センチだった方そうですね 宝永地震の津波堆積物が30センチなので いかに巨大だったか分かりますね mは8.8〜9.3程度?
プレート地震である「南海トラフ地震」は、「必ず発生する」「前回との間隔が長いほど、規模も大きくなる」が特徴、、だよね
3:11安政東海地震が1854年におきて3:50昭和東南海地震が1944年で1854+90で1944年になる計算だから今が2021年だから90年ぴったりに南海トラフ地震がくるとしたら1944+90で今から13年後の2034年が丁度90年後になるね。
日本はこれを乗り越えてきてるってことは今回も大丈夫ということ。 ただ昔と変わったことは高い建たしかに2000年以上天皇陛下万歳でいれてる国ってスゲェよな。物が増えたこと。 よし田舎に住もう
山が崩壊して川を堰き止め、それが決壊したりなんてこともありますからね。 by長野県民
南海トラフ地震のときダム湖ができて海なし県だけど海の地名がついてるんでしたっけ
私の記憶が正しければ、887年に南海トラフで巨大地震が発生し、海から100km以上離れている八ヶ岳の山麓で大規模な地滑りが発生、千曲川をほぼ1年間堰き止め、恐らく日本史上最大の天然ダムを形成しましたが、翌年888年に決壊し(W、前回の黄河上流青海省の中国BC4000年のポンペイ記事。大地震でできた天然ダムの決壊⇒大洪水!住民は逃げる間もなかった。)記事かなりの被害が出て当時の朝廷にも報告される程の大災害だったようですね。 恐らく、地名については八ヶ岳のすぐそばにある小海町だと思います。 余談ですが、この小海町は「君の名は」や、「天気の子」を作った新海誠監督の出身地でもあります。
地震ってかなり事件だと思うけど、歴史の教科書にあんま載らないよね
大きな地震を全部載せてたら歴史が地震だらけになるからでは? まぁ、歴史の教科書って割とどうでもいい内容が多い気もするな。
歴史を学ぶことも大事だと思うけど、偉人が亡くなった事件とかより過去の災害の記録の方がずっと役に立つと思う
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鎌倉の大仏がなぜ外に有るのか? それは大仏様が納められていた大仏殿が、南海トラフ地震の大津波で吹っ飛んでしまったからです。 恐ろしいです。
W。鎌倉は日本の都市で一番好きな場所。周囲ぐるりと里山風の山系に囲まれ、前には由比ガ浜海岸が開け(ここで辺りが真っ暗な夜、友人と泳いだことがある。沖まで泳いで行って不気味な思いをした。)、海岸は江の島まで続く。勘違い!江の島は逗子方面。
江ノ電に乗らず、海岸沿いを腰越まで歩いたこともあった。寺の山門に登る階段は長い年月と人跡で風化し角が取れて丸まっている。こんなの京都には見られない。あの鎌倉の小世界は鎌倉武士たちの争闘があった、と思いをはせるには丁度良い。大仏殿は興味がなかったが行った。大仏の背後には寄進した近在の豪農や商人の名前が刻まれていた。奈良東大寺の大仏よりも人間の営みが背景に伺われ親近感がわく。
>大仏殿が大津波で崩壊したというのはピンとこない。鎌倉の大仏は海岸からかなり高いところにある。川倉の背後をぐるりと取り囲む低い山系を北鎌倉の紫陽花寺から尾根伝いに歩いたことがあった。そのとき鎌倉市街を眺望し由比ガ浜から次第に山系に高くなっている地形を確認している。ということで大仏が安置されていたという建物が大津波で流されたなんて想像できない。
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鎌倉の明応津波〜大仏殿は流されたのか?
萬年 一剛(神奈川県温泉地学研究所)
https://www.onken.odawara.kanagawa.jp/files/PDF/tayori/63/onkendayori63-02.pdf
鎌倉大日記くらいしか、検討に値する文献が無いのです。
「鎌倉大日記は、誰かの日記のような名前の文献ですが、基本的には年表の類で、治承四 (1180) 年から天文八 (1539)W三好長慶(みよしながよし)が上洛応仁の乱 (1467)年から文明9(1477)、主に東国で起きた事件を記した書物です。
南北朝時代の頃から書き継がれてきたと考えられていますが、執筆の経緯や著者は不明、原本も残っていません。
明応の津波について取り扱っている書物はこのほかにいくつかありますが、ごく最近まで江戸時代の文献しか知られてきませんでした。
現代語に訳すと、「明応四年八 月 十 五 日(1495 年 9 月 3 日 )、
「大地震と洪水があった。鎌倉由比ヶ浜の海水が千度壇に至った。水の勢
いが大仏殿の堂舎屋を破った。溺死人は二百名あまりを数えた」
大仏殿は津波で流されたのか?
歴史学者や、歴史地震に詳しい地震学者はほとんどいないのです。むしろかなり自信を持って大仏殿が津波に流されたというのを「俗説」として退けているのです。
なぜかというと、鎌倉大日記が津波発生日としている明応四年八月十五日(1495 年 9 月 3 日 )の前に、大仏殿はすでに無かったという文献があるからです。
その文献は万里集九が書いた「梅花無尽蔵」です。作者は室町時代の禅僧。
鎌倉大日記に比べると書かれた時期や著者がはっきりしていて、歴史のプロは梅花無尽
蔵の方が鎌倉大日記より信頼性があるだろうと考えているのです。
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>W.以下実に庶民的な光景が描かれている!
今のヒトよりも室町時代のヒトがアッケラカンとしている。風通しが良い。日本庶民が歴史の舞台に登場したのは室町時代まで。これが民衆史観にたつWの想い。戦国時代なんてほとんど興味が湧かない。
明治維新まで今は宮内庁管轄で絶対立ち入り禁止の古墳を庶民は遊山の場所としていた、という記録がある。禁断の古墳掘り起こせなくて何のための日本考古学なのか!(もっとも盗掘で何も出てこないよ!)なぜなら禁断の場所になったのは「いしん」洗脳の後だった。
それなのに他所の国にって王家の墓を暴いている。恥ずべき精神構造である。一種の山師根性だな。
「「長谷観音の古い道場を見て、数百歩行くと、二つの山の間にある銅で出来た大仏に逢う。高さは7〜8丈。腹の中は空洞であり、数百人は入れる。後ろに穴があって、わらじを脱 いで腹の中に入る。みんなが言うことには、この中に往々にして、ばく
ち打ちが昼日中からいて、サイコロをふっているという。お堂は無くて、露座である」
梅花無尽蔵の記述の注目点は、この時代、大仏は見る影も無くさびれていて、お堂も無いような状態であった、ということでしょう。⇒W。庶民にとって風通しの良い時代下剋上はわかる。
大仏殿が流されたと読むのは間違えですよ、というのが通説になっているのです。
じつは、当の鎌倉大日記も、応安二 (1369) 年の記述として「大仏殿転倒」、としているのです。。
なぜなら現在の大仏がある地点の標高は 14m ほどあるので、もしこの高さで津波が来たら鶴岡八幡宮の前も津波で浸水していなくてはいけないのです(図 2)。要するに鎌倉市街は大半が浸水してしまい、そうであれば「鎌倉大日記」の記述もそれなりのものになるはずです。
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ごく最近になって伊東市教育委員会の金子浩之さんの研究によって、明応四年の地震は、明応七年の南海トラフの地震とは別に確かに存在し、しかも南関東に甚大な被害を与えたかもしれないということが明らかになりつつあります。
決定的なのは、「熊野年代記」という熊野三山の社家が記した記録で、
>これには明応七年の南海トラフ地震について詳しい記述があることに加え、
>「明応四年八月十五日乙卯、鎌倉大地震」という記述があります。
ようするに、明応七年と別個に、明応四年に鎌倉で大地震があったことが明らかになったわけです。
>また、静岡県伊東市にある宇佐美遺跡では標高 7.8m のところに、津波堆積物がみつかりました。⇒W。現代の大地震周期研究は故文献と津波痕跡の地質研究(専門用語がある)の「両方をすり併せて確証を得ている。
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>宇佐美は伊豆半島の東岸なので津波を引き起こした地震は南海トラフでは無く伊豆半島より東側の海域、つまり相模灘で発生した、と考えるのが妥当でしょう。
ちなみに、宇佐美での津波高は大正関東地震で4〜7m 程度とされていますから、標高 7.8m のところに津波堆積物というのは、大正関東に比べてかなり大きい津波と言うことになります。
相模トラフ系地震の系譜
W.。明応四(1495)年に発生地震⇒元禄地震⇒大正関東大震災~~相模トラフ震源地の地震は200年周期である。
前回の記事で首都直下型地震の信ぴょう性を疑う記事を載せた。活断層はあるが関東平野の地形から首都直下型大地震の短いスパンの発生確率は低いとみる。 以下省略
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>大地震情報が古文献に残されているのは統治者の文書(記録された場合は詳しい情報である)ではなく、
>神社系が自然神崇拝を根本にしているので大地が揺らぐ地震情報に敏感に反応するためと思われる。
>寺も地震による破壊を寄進によって修復する関係から記録に残す必要があった。
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コメント続き
亡くなった祖父母は昭和東南海地震に浜松市中心部で遭っているはずなんだけど、戦争中で余り記憶がないって言ってた。艦砲射撃と空襲の方が恐ろしかったらしい。対戦レベルだと人災>天災なのかな
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親が大阪市で二度の南海トラフの地震に遭いました・・が記憶に殆ど残っていません。十代の終わり頃ですから記憶は確かな筈なのに、 室戸台風の記憶は鮮明で後の地震については「確か東海地方や四国で大勢が亡くなったらしい」と言うだけです。 次の地震に備えて東海地方と四国の方は特にご注意を。
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その地震の時に和歌山に住んでた方がいて、当時胸まで津波に浸かったと聞きました。
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100年に一度ならあと30年位あるから居住地を海側から山側に移動させろと思う
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阪神・淡路大震災が起きた時、朝方のまだ寝ている人が多い時間帯に発生して瓦礫に埋もれた人が多かったというのを聞いたけど、もし南海トラフみたいな化け物が2時3時くらいに発生したらと考えたらもう助かる確率3割きるよね…
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経験者ですがまだ子供でしたがみんなパジャマ姿とかでした、、あと冬だったのでストーブつけてた家が多かったせいで火災も多かったとか、、
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南海トラフが来る前に早死にするか、長生きして南海トラフに遭遇するか、で考えると 長生きして南海トラフに遭遇する方が幸せだよな。当たり前だけど。 待ってろよ!南海トラフ!(震え声)
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大地震の後にもそこに住み続けるメンタルが理解できない…。怖くてムリ。
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本当に機械のようにほぼ正確に決まったスパンで来てるんだね…こりゃ予測もしやすいわけだ… やっぱ地震大国だから慣れてしまっていることもあるけど、日本全体でまだ防災の意識が低いとは思う
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先に東側だけ揺れたら西側も後からきっちり揺れるんだなとよくわかりました
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逆にいうと本来住めない場所なのかもしれない、日本は地震が多すぎる。関東もいつくるんだ
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不謹慎ではあるがこういう歴史的に定期的に打撃を受けるとわかる地域に今も住んでいる人が居るのはなぜなんだろう
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サイクルが長くて忘れるから。 例えばAという県があってそこに10年〜20年に一度ぐらいの間隔で大地震と津波きてたら流石にそこには人住んでないと思う
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東だけ揺れたら必ずすぐ西も来るんやな これはいい情報知ったわ
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今の日本にでさえ経済がボロボロなのに南海、東南海地震が起きたらヤバいな。
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記録に残る地震では、東海、東南海、南海地震は必ず同時か時間差で連動する。全て同時に起きたら東日本大震災を遥かに上回る大災害になる事は間違いない。3・11の津波では20分の猶予があったが多数の死者が出てしまった。南海地震では地震発生から数分で津波が襲う。まして夜間なら逃げる暇も無く死者は数十万単位で出る。オリンピックや万博などやってないで備える必要があるはずだが