引用
「スペインを代表する作家ミゲル・デ・セルバンテスの代表作『才知あふれる郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』の主人公ドン・キホーテが行う、数々の冒険の舞台となった地方ということで世界的に知られている。」
***
「>1874年のスペイン第一共和国の瓦解とともに連邦主義の期待は潰えた。
1906年マドリードのラ・マンチャ地域センターにおいてラ・マンチャ地域主義が表明され、ラ・マンチャの旗、歌の制定と、アルバセテ県、シウダー・レアル県、クエンカ県、トレド県によって構成されるラ・マンチャ地方の創設の支持が決められた。
1913年の(県によって構成される)共同体に関する王令により、前述の4県によるラ・マンチャ共同体創設の可能性が出てきた。
1919年にはマドリードでのラ・マンチャ青年中央大会でラ・マンチャ共同体創設が要求され、
1924年にはアルバセテ県議会において、最終的に可決には至らなかったもののラ・マンチャ共同体創設が提案された。
>1931年の第2共和国宣言後、下院議員による会合が持たれ、そして1933年には4県の県議会議長によって自治憲章に基づくラ・マンチャ地方の創設の可能性について検討された。
>スペイン内戦(1936年 - 1939年)の勃発によってこれらの可能性は打ち砕かれた。
>内戦中はラ・マンチャ地方のほとんどの領域は終戦まで共和国側地域にあった。⇒W。ジョージオーウェルの「カタロニア賛歌」は国際旅団の一員としてのスペイン内戦従軍記で昔、熱心に読み込んだ。1939年独ソ不可侵条約締結。バルセロナのあるカタロニア地方(フランス南西部国境よりに地域)の戦況と確か他の地方に転戦」していく様子が描かれていた。ヘミングウェイの「誰がために鐘が鳴る」よりも政治軍事状況がドクメンタリータッチで描かれていて参考になった。
>フランコ時代の1962年前述の4県の審議会を調整する目的でラ・マンチャ諸県間経済評議会が創設された。」⇒W.時代の流れは巨大だ。帝国主義の矛盾がソ連を巻き込んで再爆発した、ということだ。ソ連は一時的に勢力圏を確保したが時代の要請だった。
「相対的安定期Jの分析視角
(その 1) コミンテルンの世界経済論 (1)
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31276/1/24(1)_P19-59.pdf
スターリンの世界情勢、世界戦略論は非常に興味深い。妙にリアリティーがある。
引用 マイクロソフトのブラウザーを使ったPDFなのでグーグルにコピーペーストする際に文字化けする。PCが重くなるのでセキュリティーソフトをかけていないせいかもしれない。
「つぎの三つの基本的論題から出発する。第 lに,資本主義国の階級斗争の激化,第 2に,植民地人民の反帝斗争,
第 3に,ヨーロッパのプロレタリア革命と東洋の植民地革命との国際的な統一戦線である。
一方に帝国主義の世界戦線が不均等発展の生みだした矛盾で、ひきつっているとき,如上の革命斗争の進展は,その世界戦線の鎖の弱い、ところから断ちきっていくであろう。
ここでスターリンが「鎖の弱い、環」について説いていることは,かつての
ブ、ハーリンの「世界経済の各部分体制のうち最も水準の低いもの」でも, ト
ロッキーの「園内の社会的エネノレギーのもっとも弱L、国」でもなし、。それが
「帝国主義戦線」の弱い環であることに留意が必要であろう。。ロシアの場合には,国内のプロレタリアと農民の偉大な革命的伝統が一方に,
ツアーのごとき帝国主義戦線のもっとも醜悪な代表者が他方に立ったことによって,それは弱Lい環になった。
もし将来,インドが弱し、環になるときには,一方に若い戦斗的な草命的プロレタリアートが民族解放斗争の同盟者をもって立ち,
他方に外国帝国主義がすべてのインド人民の周知の敵になることによってである。
ドイツもまた,資本主義の高度の発達,したがってプロレタリアートの成熟が一方に,しかも戦勝国への隷属によって外国帝国主義をドイツ人民の周知の敵とする傾向が他方にあることで,帝国主義戦線の弱L、環になる可能性は十分にある。スターリンのこうした把握は,当時の革命の展望そのものとしては,現実的な,すく、、れた視点をふくむといわなければならなし、。
しかし同時に,スターリンは弱い環の理論を「帝国主義戦線の」と規定することによって, <<マルクス・エンゲノレスの時代はプロレタリア革命は最先進国からその国内的発展の結果として生じたが,帝国主義の時代には帝国主義戦線の鎖の切断の結果として生ずる》というように定式化した⇒W、G7は新帝国主義戦線。欧米とはタイプの違う国家資本主義ロシア、中国と発展途上国に押し上げられ新帝国主義戦線を組んでいる。強蓄積金融資本の市場の浸透に大きな限界ができたので軍事脅威を与え市場を獲得するほかない。⇒W。ソ連邦崩壊のゴルバチョフ、エリツィン体制の時期、周辺から浸透し本体の市場開放利権獲得システム構築達成直前まで行った。
スターリンの情勢分考?の第 1の特徴は,このように「さつの……J,W.以下PDFのブラウザーがマイクロソフトなので文字化けしている!
の・・・…j と,援lZSlきど別挙して示すところじある。披は v-ニンの
議論会i体系主ども,そうした「さつの主主さな矛議jゃf革命の三三つの基本的論題J
の基礎なあきらかにしたものとして,読みとったといえる。そのことによっ
て「鎮の弱い糠j論や不均等発段諭を,レーニン主義のもっとも基本的な命題として定式化した。またそういうやりかたで, レーニニンの見守諭を翼下の靖勢に接合し,実践上の課題と結びつけようとしたのであるo この定式化は決定的に疑問である
⇒W?リアリティーはある。トロッキーやブハーリンよりも理論としての体裁は悪いがリアリティーがある。
スターザンの情勢分考?の第 1の特徴は,このように「さつの……J,
の・・・…j と,援lZSlきど別挙して示すところじある。披は v-ニンの
議論会i体系主ども,そうした「さつの主主さな矛議jゃf革命の三三つの基本的論題J
の基礎なあきらかにしたものとして,読みとったといえる。そのことによっ
て「鎮の弱い環論や不均等発段諭を,レーニン主義のもっとも基本的な命題として定式化した。またそういうやりかたで, レーニニンの見守諭を翼下の靖勢に接合し,実践上の課題と結びつけようとしたのであるo ⇒W全般的危機論、体制間矛盾論、東欧支配権保持、植民地解放戦略特化に大戦後、転化したことが問題。またレーニン帝国主義論を発展させた金融資本論が無い。そもそもソ連製の経済学教科書のソ連経済論は素人でも疑問が湧いてくる。経済発展のエンジンがシステムに自律的に内包されていない。他方、グローバル金融資本制は金融を利用した資本蓄積(巨大架空流動資本)がますます増大し、階層矛盾と不均等発展が拡大する。
生態系「一帯は海抜600〜700 mの平野であり、季節的に氾濫する河川が多く、地下に帯水層もあるため、湿地が多い」
気候「大陸性地中海気候 で、その特徴は冬の寒さは厳しく、夏は非常に暑く、降雨もまれでかつ不定期で、寒暖の差が激しく、非常に乾燥」「年降雨量は300mmから400mm程度で(W、東京の<最多>9月平均降雨量235mm)多くの場合春と秋に降り、夏に降るのは非常にまれであり、以上のことからラ・マンチャ地方の大部分は乾燥スペイン(España seca)と呼ばれる領域」
引用
「農業では、乾燥農業~~灌漑を行わず、雨などの自然の降水(天水)のみで水分を供給して営む~~が盛ん地中海の三大作物とも呼ばれる、穀物類<W、ドンキホーテがラマンチャ地方の風車を巨人に見立てて突進していった場面は有名。
W注①「ドンキホーテ」より同シーンを引用。その時代の風車は乾燥農業で作った小麦の脱穀、製粉用のものであったW注②。
***
ブドウ~~~ラ・マンチャ地方のブドウ栽培面積は世界一の栽培面積、⇒W知らなかった!~~~
****
「古代から行われている農法であるが、家畜利用条播や除草中耕技術・土壌撹擾層(マルチ層)形成技術・施肥技術などを組み合わせた輪作体系の確立によって成り立つ農法で
@一概に原始的とは言えない。
>古代中国の春秋戦国時代には一定の技術水準に達していたとされている。
論語』微子篇には「耰(ゆう)」と呼ばれる作業が登場。これは、土を耕した後に掘り返した土を直ちに粉々に砕いて種にかけるという作業である。これは、儒教が勃興した中国北部の乾燥地では土を掘り起こしても乾燥によってすぐに固まってしまうためにそれを防ぐために行われるものであった
時代が下るにつれて土をより深く細かく耕すための農耕具の改良は進められたものの、夏には主食以外の雑草も大量に生育するため、これを排除するための多くの手作業を必要」
****「これに対してヨーロッパでは、古代ギリシアにおいて初期的なものが行われていたものの、本格的なものはノーフォーク農法が確立された18世紀以後のことになる。」⇒W。「600年頃、東洋で発明された「風車」がヨーロッパに伝えられ、オランダやイギリスの東海岸で風車を使った製粉工場が発達しました。 ... その後、労働力が不足していたアメリカ ...」
⇒W。ヨーロッパ世界の本格な経済発展が軌道に乗ったのはキリスト教の狂信を梃子にした新大陸発見による金銀採掘(マルクス資本論の商品論貨幣論では金銀はどの商品でも等価交換できる一商品に定着し、この特殊交換価値のある商品のが大量採掘によって大量供給され安価になれば多くの他の商品と交換できる経済環境が整ったこと(インフレ)。奴隷貿易によって資本の原始的蓄積、産業革命の前提条件ができた。当時の先進地域、イスラム、中国は新大陸発見による重商主義経済発展の道が無かったので後れを取った。1神教という好戦的な宗教イデオロギーの武器もあった。
*******
「動力が水車や風車になっても、17世紀頃までは、小麦を一回挽いて粉と外皮を分けるだけのものでした。⇒W.当時のパンは今とは違った。フランスパンは当時の残滓?日本の食パンは小麦密度少なすぎて偽物。17世紀のフランスで、石臼で挽いた小麦をふるいで分け、粗い部分をまた石臼で挽いてふるいで分けることを繰り返す、今日の製粉技術と同じ考え方の段階式製粉方法が始まりました。
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引用
「スペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスの小説。 騎士道物語の読み過ぎで現実と物語の区別がつかなくなった郷士(アロンソ・キハーノ)が、自らを遍歴の騎士と任じ、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」と名乗って冒険の旅に出かける物語である。1605年(58歳の作品)に出版された前編と、1615年に出版された後編がある。」
******セルバンテスとシェークスピアは同時代人。セルバンテス(貧しく波乱万丈の生涯を閉じた。ある時は教養人、あるときは兵士、ある時は片腕の長期捕虜、ある時は小役人~16世紀から17世紀初頭のスペイン帝国の盛衰とを体現~~、はシェークスピア(劇作家として成功~~大英帝国への端緒⇒国家に支援された海賊行為で成り上がった。懐かしのアメリカ テレビ映画・テレビドラマ ふぉーえばー: キャプテン・ドレーク
原題 Sir Francis Drake 1963年4月18日から10月10日にかけてフジテレビ系列で放映
1961年~1962年 イギリス ATV/ITC制作。バイキングのテレビドラマも放送されていた。共に善玉は海賊。
16世紀、海賊でありながらエリザベス女王の信頼を受け、イギリス海軍提督としてスペイン艦隊を相手に大活躍したフランシス・ドレーク(Francis Drake, 1543年? - 1596年)の物語。⇒W。略奪者を正義の味方といい繕う不自然な筋書に気づかなかったが何となくお面白くはなかった。もっともスペインの商戦ルートもドレイと金銀の交互荷積みという人倫に反する酷いものだった。
>グローバル資本制の今もアングロサクソン、ユダヤ国際金融による主導権奪回と覇権、拡張性向は社会経済構造に埋め込まれており、本質的には当時と同根。
海戦1588年
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~~)ドンキホーテはシェークスピアを読んでいなかったが、シェークスピアはドンキホーテの物語を知っていた。同じ命日ではない!
1547年9月29日 アルカラ・デ・エナーレス - 1616年4月23日、マドリード)
1564年4月26日(洗礼日) - 1616年4月23日[2](グレゴリオ暦5月3日))
↓
>同じ命日ではなかった。
「シェイクスピアの死亡日は、グレゴリオ暦に修正すると、1616年5月3日」
引用
「キリスト教社会では、ユリウス・カエサルによって制定され、 紀元前45年1月1日から実施されていた、ユリウス暦=誤差が出てきたため調整したのが、ローマ教皇グレゴリオ13世が定めて1582年2月24日に発布し、同年10月4日(木曜)の翌日を、 10月15日(金曜)としました。
⇒W.10日以上誤差があったが、シェークスピア時代のイギリスはカトリックではなく半プロテスタントの国教会であったためユリウス歴を使用し続けていた。
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「シェイクスピアの悲劇『ハムレット』の初版とセルヴァンテスの『ドン キホーテ』の第一部とは17世紀の初頭に全く同じ年に出ました.」
「ツルゲーネフは同時代の文学から生まれた二人のキャラクターを分析しています。」
W.同じ方の最近記事⇒れいわの米騒動について書いておられる。
***以下、小売りの店頭からコメが消えた件について反俗日記の集めた情報。
米がなくなった
W。ブログ内容は政府云々に留まっているようだ。
反俗日記の収集した資料はもっと広範囲にわたる(小麦などの政府統制分野も視野に入れている)。
なぜなら南海トラフ注意警報が出たことを受けてコメ余剰購入に走った方々は白米が備蓄に適さないことを知っていたのかどうか?備蓄米はもみ殻付きだ。
もっと災害用備蓄に向いていないことはコメは焚き上げならず非常なカロリーを消費する。インスタントラーメンでさえ1ボンベ6食が限度だからいくらも炊けない。
また、小麦系の乾燥めん(即席ラーメンでもOk)であれば1,5年以上備蓄できる。火力も少なくて済む。小麦粉の備蓄でもOK。
>ということでコメを余分に買った人たちは、キャンプなどまともにやったことがないサバイバル素人である。もっとも他人が何をやろうがどうでもいいのだが、都市生活の脆弱性が露呈したもの。
@南海トラフ注意や警戒期間を設けるのは賛成。調べると危険性が解る。確率の高い情報からそっぽを向いているから無駄な恐怖心が募り余剰米購買に走る。
@災害時に食料関連で必要なのは、携帯コンロ(ガスボンベセット)、災害セット、そして何より<水>だ。浴槽にためておく、などは非現実的な指摘だ。⇒ペットボトルに新鮮な飲料水を保存しておくことが大切(南海トラフ情報を受けて新鮮な水に入れ替えた。
>コメ不足の要因はほぼ指摘されているような内容だが(元々備蓄量も近年では最小)、インバウンド急増はあまり関係がないムード的な情報で一般の余剰買いが大きき影響している。
卸段階での差益狙いのコメ隠匿も疑っているが、(何しろ江戸時代の百姓一揆の原因の多くはコレだった)⇒1918年の全国的なコメ一揆。
>ネットで調べてもコメの流通経路、価格決定のグレー感は否めない。情報の発信源が直接的な生産流通の利害関係者ばかりなので批判的客観的事実の指摘が実に曖昧。
反俗日記ではれいわの米騒動関連の資料を集めたが、コメの流通経路や価格決定の情報をネット上でいくら探してもキチンと腑に落ちるものが無かったので記事にするのは後回しにした。
****
結論的に言えば、生産者⇒①JA(農協)⇒②卸民間会社⇒③小売りが基本ルートであり、①と②段階がコメ価格決定の主導権を握っており(プライスリーダー)、その他のルートはその価格に準ずるものとなっている。
↓
①の生産者から集荷者JAの段階でJAはコメの「手付金」(正式名称ではないが、取引の性格を言い表した名称)を生産者の支払う。
②のJA段階は問題視できる。
ア)JAは卸業者と価格交渉をし卸段階のコメ価格が決定するがこの時の卸価格とJAが生産者に支払った手付金の差額ーJA手数料をコメ生産者に支払う。ココまで納得できる。
問題は
イ)JAは集荷したコメを高さ40mの何本ものエレベーターサイロ?に適温適湿備蓄し次の精米段階に備える=この状態はいわゆる備蓄米<もみ殻付きのコメ>と云われる状態を含む(最大5年~古い米から処分)。
なお、国内コメ御卸最大業者、神戸市本社の<神明>も全国に3か所サイロを保有している、とホームページに載っているのでここでも長期保管体制は整っている、とみる。
>なお、コメ卸業者に有名大手商社の専門部門も参集している。
>また生産者⇒消費者の直接販売ルートもある。ネット販売。
@さらに契約生産をしているの生産者も多い⇒安定供給を求めて外食産業、その他。
@以上、によって生産者⇒卸コメ会社⇒小売りのルートで流通するコメの量は全体の約半分だが
>生産者⇒JA⇒卸⇒小売り業者(スーパーも含む)がコメのプライスリーダー的役割をはたしているので、現時点ではJA(苗や肥料供給<殺虫消毒>などの役割も含む)集荷主導権を握っている限りが昔のコメ管理制度時代の業態を継続しているようである。」
ウ)確証は無いがあるネット記事によれば、エレベーターサイロに一端保管されたコメは品種と生産地は区別されているが、個々のコメは全部混ぜて保管されている、という。だから旨い米と拙い米が混ぜ合わせになっているのだから~~全部が混ぜ合わせというわけ絵は無いと思うが~~細かい選別はやられていなさそう。なのでスーパーで個々のコメの旨いマズイを選ぶことはほぼ無意味で品種、生産地、値段で見当をつけるしかない。このことを生産者側から言えば、旨い米を丹念に生産する意欲が失われると、いう記事があった。であれば旨い米を作りたい生産者は産直実需販売か、契約生産になる。もっともコメの味は好みの問題だし、大して変わらないのも事実。炊飯器焚きである以上、炊き方もあまり関係が無い。反俗日記は水分含有量と糖質が多く感じるコシヒカリ系のコメはできるだけ避けたい。コメは一杯食わない、おかずを楽しむようにしているので~、餃子の王将のこめでOK。
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@コメ、小麦、牛乳(乳製品)の政府(農水省)の管理に関してトータル見渡した記事はネットではほぼ無いに等しい。
>コレも可笑しな現象だ。食生活は多様化している。特にカロリーベースの高い食品の流通経路、価格決定はどうなっているのかマスコミはきちんとした情報を流すべきだ。現状、主食であり日本人がどうこう云う人たちも存在する(天皇家はコメ行事をやっている)コメの情報が正確でトータルな情報はでていない。
@トータル情報が欠如しているから非常時を想定して余分にコメを買い込む人が増える。先にも書いたようにインフラが止まったとき、携帯ガスボンベていどの火力(カロリー)でどうやって買い込んだコメを焚くの?という単純な話がわかっていない。
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経団連のトータル情報。過激というかグローバルボケしているというか度し難い階級的見解だがコメ先物市場の要求に対して早速、大証の団体が呼応して政府に申請を出している(却下中だが)。
農産物の価格政策のあり方について聞く
農政問題委員会食品工業政策部会(部会長 浅田健太郎氏)/4月16日
今回は、成蹊大学の本間正義経済学部教授から、農産物の価格政策のあり方について説明を聞くとともに、意見交換を行なった。
*********
そもそも、政府が市場に介入して価格の安定化を図ること自体、望ましい政策かどうか疑問である。安定すべきは価格ではなく所得であろう。資源の効率的配分の観点からは、価格変動の激しい農産物についても、価格決定は市場に任せるべきである⇒W。安い外国産米輸入に結果することを容認。農地貸し=大規模農家、法人農家増加になるが、収益薄くユニクロ、オリックスなど撤退(資本力のある法人農業は収益主義なので海外超過利潤と比べて収益薄ければすぐ撤退する(国内労働力確保にも難問=外国人労働力大量移入とセットの政策)。
農家所得の安定化対策としては、別途、先物市場の創設(W。大阪証券市場の団体がコメ先物市場を政府に申請したが今のところ却下、先物市場は価格と供給の安定よりも外資を含む投機マネー跳躍。日本のコメは小麦と違って生育に手間がかかることも完全市場に適さない)や
所得安定化基金の創設(W.一か所に金を集めると分配する役所と政府の新しい権限が生まれ結局カネの出口を絞り込む)、共済制度の拡大等を検討すれば良い⇒w掛け金だ誰が出すのか?。農産物価格は天候等により当然に変動するとの認識の下に、農業が行なわれる方が、農業は活性化する⇒W狭い耕地面積に広大な新大陸の農業態を適応できるわけがない。
小麦は、依然として、国産小麦(W.ほぼ全量輸入だ!国産は数%だが減反政策を止めて小麦などの他作を補助金付きで推奨している。)の政府買い上げと国家貿易による実質的な全量管理が行なわれている。現行コストプール方式による国産麦保護コストは、製粉業者(W.全量輸入システムに守られている業態、日清製粉など数社独占⇒小麦2次加工業者(菓子製造、パン製造)、消費者が負担している。ほぼ政府管理市場なので消費者の負担額はコメに比べて小さい?密度の薄いスカスカの食パンよりもコメを食った方がカロリー効率が良い。もちもちフワフワの宣伝文句に踊らされている。
小麦粉関連製品の関税引き下げに伴い、今後これらの輸入圧力がますます強まる。これにより小麦2次加工業者(W,菓子製造屋)の海外生産シフトが本格化W?し、コストプール方式はいずれ崩壊する。
政府は、制度崩壊前にコストプール方式を廃止し、国産麦の政府買入価格の引き下げや麦類の国内流通自由化を実施すべきである⇒W.安価な食パンが物価高にも拘らず出回っているのは外国産小麦の政府一括買い上げによる川下への低価格流通のおかげ。小麦国際市場の値上がりにより当該会計は赤字になっているのではないだろうか?
GHQ以来、一貫してコメ軽視、小麦重視⇒日本人の食育欧米化の戦略の載っている、(昔はパンとミルク~脱脂粉乳~の学校給食は強制された)としか言いようがない。ただし1苗当たりの生育量は小麦>コメ。小麦の方が作り易いこともあり世界的主食は小麦。
***
乳価は不足払い制度により支えられてきた。
これは、政府(畜産振興事業団~~W.中央競馬会からの上納金2000数百億円も回っているはず~~)が、再生産可能な価格(保証価格)で加工原料乳を酪農家から買い上げ、これに保証価格よりも安い価格(基準取引価格)で乳業メーカーに売り渡すというものである(w。中小乳業者だろう)。乳製品の関税化により安い乳製品が輸入されると、基準取引価格を引き下げざるをえない。
他方で、財政制約や不足払い制度はUR合意で削減対象となっていることから、補助金の増額は難しく、いずれ不足払い制度は空洞化する。
農林水産省は、飲用乳生産農家が加工原料乳生産農家の所得を補償するという、「とも補償」制度の導入を検討している。これは社会主義経済的な制度であり、仮にそのような制度が導入されれば、酪農業の発展は望めない。
わが国の酪農は飲用乳生産にシフトしていかざるをえない⇒W中小は潰れても仕方がない、という意味。のではないかと考える。乳業メーカーの中にはすでに海外に生産拠点をシフトしている企業もあり、政府は早急に今後の政策方針を打ち出す必要がある。
*****
農林水産省では、現在、農業基本法にかわる新しい基本法の制定に向けた検討を行なっている。この議論では、環境問題に農業を守る拠り所を見いだそうとする学者が多くいる⇒W?今や環境問題に特化して議論を組み立てる学者は少数。しかし、環境問題は環境対策として別途議論すべきであり、新基本法の議論は、環境問題とは切り離して議論すべきである。
また、農家の定義を絞り、農業政策を重点化すべきである。現行では、農産物の年間販売金額 100万円以下の農家が65%を占める。学生アルバイト並みの所得の「農家」を農業政策のシェルターの下に保護するのは問題である。
>今後、グローバルな視点から農業を捉え、
@自給率は多少低下しても活力ある農業を目指すべきである。
⇒W.世界市場の不均等発展による激動世界情勢と発展途上国の押し上げによるG7支配層利益共同化のなかで日本の社会経済モデルを韓国、台湾、シンガポール型で押し切ろうとしている、
超低成長ノーマル、外国との比較では縮小社会経済=階層利害最優先(上層、上位中間層は利益共同体)。
その他の階層はマスコミを使った同調圧力喚起システム作動、近隣への排外主義や強圧でインクルードできるとタカをくくっている。
******
質疑応答
問:
2001年以降コメが関税化された場合の安定価格の水準をどう考えるか。
答:
基本的に、所得の安定策を別途講じれば、価格安定化対策は必要ない。コメについては、先物市場を整備した上で、価格は市場に委ねるべきである。
⇒①円安は日本のファンダメンタルズに準じた歴史的傾向であり、
②輸入食糧依存率が高まれば貿易収支の赤字増大=資本収支黒字は日本資本制の寄生性の増大に結果し、
③民心は安定を欠きナーバスになり民間消費は伸びない悪循環。
⓸もちろん付加体列島なので大地震災害は必然。
>どこかで安全安心感が欲しいのが生身の人間。それは自己矛盾の同一ではあるが、大地、山河しかない。
もちろん究極的には個々人の意識性の問題であるが。
問:
コメについては、一定の過剰生産能力を維持すべきとの議論について、どう考えるか。
答:
コメは次第に主食ではなくなっていくのではないか。農林水産省はコメ離れの実態も踏まえて、政策を立案すべきである。⇒Wノー天気かな?
問:
現行の消費者負担型の価格支持制度を見直し⇒W、労動力商品の価格は再生産費に等しい!よって食料品の価格を低く抑えることは資本制支配層の歴史的課題であった!
農産物価格を国際水準に近づけた上で、国内農家対策として不足払い制度を導入すべきとの考え方をどう考えるか。
答:
不足払い制度はUR合意の下で2000年までは制度の存続が認められたが、将来的には廃止対象となる制度である。過渡的に不足払い制度を導入することはよいが、最終的には価格は自由化すべきである。
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セルバンテスの名言。『ドン・キホーテ』著者の言葉 | 癒しツアー
W。シェークスピアと比べて異次元のハードボイルドな人生を歩んだヒトらしい格言。ドンキホーテを描いた真意が伝わってくる。
エルネスト、チェ、ゲバラのキーバサンタクララ記念館にセルバンテスの格言集の現物がちんれつされているという。中南米はポルトガル語のブラジルを除いてスペイン語圏。セルバンテスの影響力は強い。今、セルバンテス賞はスペイン語圏最大の文学賞になっている。この辺の事情はセルバンテスが過去のスペインの栄光と後退期を「ドンキホーテ」の文学で体現していることにあるようで日本人の我々には感覚的にわからないことである。
1181夜 『ドン・キホーテ』 ミゲル・デ・セルバンテス − 松岡正剛の千夜千冊
~~~~アメリカ共和党を席巻するようになったキリスト教福音派は熱烈なトランプ支持者でもある。その時代背景は1588年イギリス艦隊との海戦に敗れたスペインに似ていないことはない。福音派の人たちは聖書に「書いてあることのすべてが真実や真理あってそれは自分たちが生きている現在のアメリカに蘇るべきであると確信し硬い政治ブロックを形成し、しかも過去の歴史的政治的事案があるごとに降り積もりそのブロックは拡大してきた。セルバンテスは片田舎に済む50がらみの人間を「ドンキホーテ」に物語化することでリアルバーチャルなスペインと対峙させ、物語の相対的二重性を浮き彫りにしてきた。
現アメリカのキハーノたちは自分の境遇をより惨めにしている(民主党ハリスはトランプとはメダルの表裏でしかない!トランプはウクライナ、ロシア戦争を止めることは世界構造的にできない!~~~永久戦争などと云う文言をアメリカマスコミから聞いた~~中国を暴発させないようにくぎ付けしてロシア永久戦争をG7グローバル資本支配層利益共同体は戦う~~)。しかし、歴史を振り返ると「帝国」の労働階層の多くは戦争の危機に向かい合うと物的根拠をもって愛国排外の濁流に流された。
引用 1181夜 『ドン・キホーテ』 ミゲル・デ・セルバンテス − 松岡正剛の千夜千冊
「実は『ドン・キホーテ』の主人公はドン・キホーテではない。ラ・マンチャの片田舎に住む五十がらみのアロンソ・キハーノという郷士が主人公なのである。
そのキハーノが昔の騎士道物語をふんだんに読みすぎた。読みすぎてどうなったかというと、それらの書物に書いてあることのすべてが真実や真理であって、それはすべてキハーノが生きている現在のスペイン(つまり十六世紀末から十七世紀にかけてのスペインの社会)にことごとく蘇るべきものであると確信してしまうのだ。これはキハーノの妄想である。
けれどもこれが妄想であることを示すために、セルバンテスはキハーノをキハーノに終わらせないようにした。そこで、郷士キハーノは鎧兜に身をかため、遍歴の騎士ドン・キホーテと名のり、隣村の農夫サンチョ・パンサを従士にして、痩馬ロシナンテにまたがって旅をすることにさせた。
>このキハーノがキホーテになるところが、セルバンテスのインテリジェレだ。バロックの楕円の「ずれ」の誕生なのだ。
このことは、前篇の表題が『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』で、後篇が『機知に富んだ騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』になっているところにも如実にあらわれている。「郷士」が「騎士」に変わっている。ということは、ドン・キホーテとは、キハーノの頭のなかにつめこまれた“物語の言葉”をもって、それを現実のスペイン社会にぶつけていく作中の語り部としての第二の(リアル・バーチャルな)主人公なのである。ここにすでに物語の相対的二重性が用意されていた。」⇒W。反俗日記で東京大空襲被災状況を巡りながらの感想文「方丈記を読む」で取り上げた堀田善衛がドンキホーテに関心を持ったのは解る。
**************************************************************************************
セルバンテスの格言****
時はあらゆるものを熟成させる。
生まれながらの賢人もいないのだ。
****
富を失う者は多くを失い、友人を失う者はさらに多くを失う。
しかし、勇気を失う者はすべてを失うことになる。
***
一番憎むべき狂気とは、あるがままの人生に、ただ折り合いをつけてしまって、あるべき姿のために戦わないことだ。
****
真の勇気というものは、臆病と無鉄砲との中間にある。
****
人間とは、己の行った仕事の子供である。
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「そのうちやる」という名の通りを歩いて行き、行き着くところは「なにもしない」という名札のかかった家である。
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人生ではすべてが良い。
死さえも。
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死を見ること生のごとし。
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裸で私はこの世に来た。
裸で私はこの世から出てゆかねばならぬのだ。
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この世でいちばんの気違い沙汰は、誰に殺されるってわけでもないのに、悲しいからってだけで理由もなく死にたがることですよ。
W。アルベールカミユよりもセルバンテスが鉄火を潜っている。「シジフォスの神話」の哲学が幼稚に見える。
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心の中で感謝するだけなら、本当の感謝ではない。
自分は行動の中で感謝を示そう。
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信仰の存在するところに神は存在する。
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桶の水より、親切な言葉をかけるほうが、火はよく消える。
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家柄ってのは、世界にたった二つしかない。
持てると持たざると、どっちかだ。
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安眠は心労の最大の療法である。
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音楽のあるところには真の悪は存在できない。
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自分のポケットの小銭は、他人のポケットの大金にまさる。
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喜劇で一番難しい役は愚か者の役であり、その役を演ずる役者は馬鹿ではない。
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機知の切れ味を鈍らせまいと思うなら、あまり機知を鋭くしてはいけない。
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愛の原則においては、早々と失望することが、通常、回復薬として描かれる。
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事実は真実の敵なり。
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よく準備してから戦いに臨めば、半ば勝ったも同然だ。
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どんな虫けらだって踏みつけられれば、何を!という格好をするものだ。
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金持ちのたわごとは格言で通る。
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パンさえあれば、たいていの悲しみには耐えられる。
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我々が第一に戦わねばならぬ厄介な敵は、我々の内部にある。
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W注①
引用
「折しも彼等はその野原にある三四十の風車の見えるところにきた。
ドン・キホーテはそれらを見るやいなや、自分の家来にむかって言った。
『わしらが自分でおのれの願いを果せるよりも幸運の神が更によくわしらのために物事を整えてくれてるわい。あれ見よ、サンチョ・パンサよ、あすこには三十体以上も異形の巨人が姿を現わしおる。拙者はあの残らずと渡りあうて屠るつもりじゃ。またその分捕の品々でわれらは身代を起し初めよう。なにゆえとならこれは正義の戦いじゃ、またかような悪い族を地球の面から掃い除けるのは神への善い勤めじゃ。』
『どんな大男ですかい。』とサンチョ・パンサは言った。
『あすこに見えるあれだ、』と主人は答えた。『長い臂をしていて、中には、その長さがかれこれ二リーグもあるのがある。』
『よう御覧なされ、旦那さま、』とサンチョは言った。『あすこに見えるのは、大男じゃない風車じゃに、そして腕のように見えるのは帆で、あれが風で廻るので磨石が動くのですぞ。』
『アわかったわかった、』とドン・キホーテは答えた。『お前はこんな冒険の事には慣れていぬのちや。あれは巨人じゃ。お前は怖けりゃあっちへ避けて、拙者があの奴等と烈しい不釣合いな戦をする間、祈祷に身を打ち込んでおれ。』
こう言いつつ彼はその軍馬ロシナンテに拍車を当てた。彼の攻めかからうとするあのものどもは必ず確かに風車であって、巨人ではないと警め告げつつ、家来サンチョの後より呼びかける声をも気に留めずに。彼はそれでもなおそれらを巨人であると堅く思い込んでいたので、サンチョの呼ぶをも聞かねば、真近く来ながらそのなにものたるかをも見分けずして、それらに向って大音声に呼ばわった、『遁げるな、臆病もの卑怯もの、汝等に打ってかかるはただ一騎の騎士じゃわい。』
この折しも微風少し吹き起った。そこで大きな帆は動き出した。それを見てドン・キホーテは呼ばわった、『たとい汝等巨人ブリアリュースよりも数多き腕をふるうとも、汝等は拙者との始末をつけねばならぬぞ。』
こう言いつつ、かる危難にあるわれを擁護したまえと祈願して、意中の貴婦人ドゥルシネアに全心を捧げてわが身を託しつつ、槍を休らえ丸楯に身を蔽うて、ロシナンテの足掻のかぎり疾駆突進し、その前に立てる最初の粉磨車に打ってかかった。
しかし彼がその槍の穂尖を帆に突き立てたので、風は勢い烈しくそれを回転させ、そのために槍はずたずたに折れ砕け、それを一緒に馬も乗り手も引っさらわれ惨めな有様で野原の上をぐるぐる転げ廻った。サンチョは驢馬の走れるかぎり急ぎにいそいで彼を救いに駆けつけた。そしてその場へ来てみれば、彼は身動きもならぬ始末である、ロシナンテは彼と一緒にどッと激しく倒れたのであった。
『やァれやれまァ、』とサンチョは言った、『あれはほんの風車じゃから、貴方さまのなさることに気をおつけなされませと、わしが旦那さまに申し上げなんだことかい。また誰が、頭の中にあれと同じようなものでももっている人で無けりゃ、あれのことを間違えたりなぞしようがあろかい。』
『そう言うな、サンチョよ、』とドン・キホーテは言った。『およそ何よりも戦の運はしばしば勝敗のありがちなものじゃ。それにまた拙者の思うには、それが真のことじゃが、わしの書斎や書物を掻ッさらっていったあの同じ賢人フリストンが、きゃつらを征伐する栄誉をわしから奪おうために、あの巨人どもを粉磨車に変化させたのじゃ。しかしつまりはかやつの妖術も、わが名剣に施すすべはあるまいぞ。』
『どうぞさうありたいものですよ、』とサンチョ・パンサは言った。そして彼をたすけ起こして、再びロシナンテに乗らせたが、馬の肩は半ば骨がはずれておった。
さてそれから、今の冒険を議論しつつ彼等はラピースの往還口へと道を追うた。けだしそこでは、ドン・キホーテの言うに、大街道のことであるから、沢山のまたさまざまの冒険の見つからぬ気遣いはないからである。ではあったが、彼は槍を失くしたことを大いに惜しんだ、そしてこの待士にそれを言いながら、付け加えて言った。『ディエゴ・ペレズ・デ・ヴァルスと名乗るスペインの騎士が戦の中に剣を折ったので、樫の木から重そうな大技か小技かを折り取った、そしてこれでその日はえらい働きをした。そして多数のムーア人どもを打ち据えた。そこでその人はマチューカといふ異名を貰った、そしてその人も子孫もその日からはヴァルガス・イ・マチュカと呼ばれたという話を、わしは読んで覚えておるわい。わしがこれを言うのはな、見あたり次第の樫の木からそういうような大きな丈夫な枝を一本折り取るつもりなればこそじゃ。それをもってわしは素晴らしい働きをする決心覚悟じゃ。そこでお前もそれが眼のあたり見られるし、またなかなかとは思われぬようなことがらの見証人ともなれるほどの身分になったのを、われらながら実に仕合せじゃと思おうぞよ。』
『何も神様任せでござりますわい。』とサンチョは言った、『わしは旦那さまのおっしゃるとおりを何もかも信と思っておりますぞい。じゃがちっとお身体を真直になされませ、まるで片側へ寄ってしも
うておいでなさるようじゃ。大方落ちるときに揺り落とされたからじゃろ。』
『それはそのとおりじゃわい、』とドン・キホーテは言った、『そこでわしが少しも苦痛を訴えぬのは、そりゃ武者修業はどんな偽りでも、痛いと言うことを許されておらぬからじゃ。たといその偽りのために臓腑の出ることがあってもじゃ。』
『そんなら』とサンチョは言った、『わしゃ何も言うことはござりませんわい。しかし神さまが知ってござる、わしやなんによらず旦那さまのお苦しいときには、泣き言をいうてござる方がわしにゃよいのでござります。わしはといいますとな、打ち明けた話が、どんなちょいとした痛みでも泣き言いわずにゃおられませんわい。全くのところ、泣き言をいわぬについてのあの規則が、武者修業者の家来にまでもかかってくるのでないのならじゃ。』
ドン・キホーテはその家来の無邪気を笑わずにはいられなかった。そしていつなりとどんなになりと勝手に自分の好きなように泣き言をいってもよいと保証してやった。けだしこれまでかつて彼は騎士道の掟の中で、これと反対のことは更に読んだことがなかったからである。」
W.正直、以上のようなものが小説なら、毛嫌いしてきた500年前の「源氏物語」の方が小説っぽい。まだ我慢して読める。侵略と拡張主義、唯我独尊の精神の荒廃を感じる。
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人生は生きるに値するか否か.
ガリレオの背信はむしろ当然.
-本質的な問題とは、時として人を死なしめるおそれのある問題、或は生きる情熱を十倍にもする問題のことを私は言うのだが-、そんな問題については恐らく
>二つの思考の方法、即ちラ・パリス(註-1525年戦死したフランスの勇将。非常に勇敢に戦った為「死の15分前彼はなお生きていた」と歌われた。これは自明の理である⇒W誰でも死ぬまではまでは生きていた。)の思考の方法とドン・キホーテの思考の方法としかないだろう。そしてこの二つのもの、即ち明証と抒情、との均衡によってのみ、私達は、人生は生きるに値するかどうかという問題に答えるに必要な感動と明晰とに同時に近づくことができるのである。
或る問題が別の或る問題よりも緊急であると判断する基準は何であるかを考えてみる時、私は、その或る問題が惹き起す行為が基準である、と答える。
>未だ嘗て私は、存在論的な論証から人が死ぬのにであったことがないのである。⇒W。この項は以前から理解不能のまま、素通りしていたが今回「ドンキホーテ」を取り上げるに際してはっきりさせようと思った。
神の存在について(2)存在論的論証とは | 哲学・教養入門ブログ
神の存在について(1)多神教を論じる | 哲学・教養入門ブログ
W.世界を全て知ることはできないと解っている、あるいは解らないと不安がっている人間が一つの創造神によって世界が秩序良く作られているいる思考体系を獲得すると実存を超越した時間が持てるような感覚にとらわれる。コレが1神教の精神。それだけ人工的思考方法を取らなければ、現地の住民の欲望が強く、地上の生命の危機を伴う社会経済矛盾が多かった、ということ。本質的野蛮性はモンゴル、イスラム、中国、その他(現地住民統治に任せる部分が多い)<欧米ユダヤ(恒久的収奪システム構築。歴史上の残虐行為の発現地)。
w。多神教は
引用
「世界の多くの神話を見てみると、「神々と人間との境界」がかなり曖昧であることが分かります。
神様なのに実在する土地で王として統治していたり、戦争を指揮したり、病気になったり、殺されてしまったり……。要するに人間みたいなんですね。
日本神話・ギリシャ神話・ヒンドゥー神話・エジプト神話など、世界各地でこのパターンは共通しています。⇒キリスト教受容以前のローマ共和制も多神教。神仏習合、多神教(自然神、地蔵神、道祖神)の日本で天皇制創造は一神教を真似たもの。
ここから「この現実世界で偉人や英雄として活躍して大きな業績を遺した人間たちが『神』として信仰を集めるようになったのだろう」という推測が成り立つのです。
つまり個人名や具体的な業績が伝えられている神については、実際にそのモデルになった人物がかつて地上に生きていたと考えるのが自然ではないかと思うのです。神話に登場するトロイア戦争が実際の出来事だったことがシュリーマンの発掘によって確認されましたが、神話と歴史は截然と区別できるものではなく連続しているのですね。
W。小学生のころ自分がなぜ宇宙のここに存在しているのか空虚な思いにとらわれた。そこで図書館から宇宙の本を借りてきたが光は大きな質量の恒星の引力圏を通るときに真っすぐ進まないこと、地球はやがて水素核融合反応で赤星巨星化した太陽に焼き尽くされると知っただけだった。
W.心臓手術は何の恐怖感もわかなかった。むしろ楽しみだった。全身麻酔が効いてくるのは心地よく<無>が何の前触れもなく訪れた。人間個体にとって死とはあのようだ。麻酔が解けたとき思わず傍にいた看護師の方に「このまま目が覚めない方が良かった」と漏らした。死ぬも生きるも大した違いはない。gameなんだ。
W死んだひとや居なくなったヒトに回りを囲まれている珍しい環境。今度は自分の番だ。