反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

1号機海水注入中断を見送った現場の吉田所長と本店、官邸=安全委の判断と行動のズレは未曽有の緊急事態対処では当たり前。大騒ぎする平和ボケ患者どもは悪人探し。

 さて、気合を入れて、今日もいくか。
 
 今日も、早朝のストレッチ、筋トレからウォーキング3キロ、階段登り1000段をこなした。
 
 自粛、自己規制。日本人の得意分野だ。
そういう旗を振る人たちは旧来日本の支配統治方法をこの未曽有の事態に適応している。
 
日本はOECD32加盟国で住みやす度ランキング19位だそうだ。NO1はオーストラリア、NO2カナダ。
 生活、労働関連ではメキシコ、トルコ並みとか。反面、治安の良さは屈指である。
 かねてよりの主張が実証されている。
 
 オーストラリア、カナダは国土が広くて、人間が少なく、資源大国だが。
 
 もっと深い理由があるような気がする。
 
 広い国土のうち、大かたがヒトの住めない砂漠、乾燥地帯や雪原、寒冷地帯でそこに資源が眠っている。その反面、人間は意外と狭い範囲に集中して暮らしている。だから、経済合理的に国土の配分ができている。
 
 国土の置かれた立場のまるっきり違う、日本からオーストラリアやカナダを羨むのはお門違いであり、日本は日本なりの与えられた条件内でやっていくしかない。
 それに上記の社会的日本条件も含まれる。
 
 日本の与えられた自然的条件はカナダやオーストラリアと真逆である。
国土の大半を占める急傾斜の山地に何も有用資源はない。1億2千万にのヒトが狭い平野部の、所によれば、折り重なるようにひしめき合っている。
 付加価値の高い工業製品とカネを内外で回して、皆の生活をまかなっていくしかない。
 
 それでうまくいっていた時期が戦後長く続いた。冷戦時代と云う国際的な大枠が経済発展1点集中を日本に保証し、有利に作用した。冷戦の一方の旗頭、アメリカの力が強かったからだ。
 
 >ただ、この原発事故から振り返ってみると、戦後日本の歩みは日本人自身が勝手に思い描いている様な経済発展特化の平和の歩みではなかった。
 
 日本は世界に経済戦争を仕掛けていた。世界レベルで見ると日本の急激な経済発展の影響を受けて、後退した産業分野や失業も多かった。
 
 しかし、同時に世界第二位のGDPにまで急激発展した日本の側にもそれなりの無理があった。
その第一。
 社会資本は資本膨張に比べて、脆弱で歪。
その二。
 社会保障制度も脆弱。
 
 要は、日本のGDP膨張は、資本膨張に吸収され、また、政治的利権癒着集団の維持に無駄に消費されるという特殊事情もあって、多数派国民の実生活、労働実態とのかい離が大きすぎた。
 
 >そんな日本の象徴が今回、未曽有事故を引き起こしている原発である。
 
 原発によるエネルギー、インフラは経済戦争を仕掛けた日本の世界に向けた刃である。
しかし、その刃がブーメランのように日本国民に帰ってきた。
 
 その時期は不幸にも、日本に経済発展の内外条件が急激に失せてきだしたころに重なった。
 
 また、日本人の多くが支配層の市場原理主義政策への急転換によるあらゆる分野での格差拡大に傷つき、遅すぎた社会民主主義的政策への転換願望を政権交代に託した時期と重なった。
 
 >カネ勘定は得意でも政治の単純な算数も苦手な日本人であれば、
目の前で福島原発処理にモタツイテいる政権を見ると、今、野党の自民党こそが原発村のど真ん中で大旗を振り、原発立地最悪の日本に原発を無理やり全国に林立させてきたことは、計算式の中に入れることはできない。残念ながら。
 
 だから?誤解を恐れず云えば、天災と人災の極点である福島原発事故自民党政権時代に起こった方がよかった、と。
 
 忘れっぽくて、目の前に起こっていることを情緒的裁断する日本人にとって、過去と現在、将来の長いスパンの中で選択し、決着する政治分野は苦手である。
 
 目の前で起こっていることがすべてなのだから、実物教育の機会が目の前になければ、判断は誤る。
 
 >民主党政権原発事故処理でもたついているとなると、自民党こそが事故原発の元凶である、との認識は吹っ飛んでしまう。
 自民党(既成の体制)なら何とかしてくれるのでhないかと云う、頭と体にしみこまされた郷愁が形を変えて生まれてくる。
 
 こういう気持ちが蔓延しているから、石原の様な奴が圧倒的多数で再選される。
勿論、私は選挙に誰を入れようが、ほとんど関心はないが、多数の政治的傾向の判断材料にはする。
 
 >しかし、日本人とって未曽有の事態にもたれかかっていくモノは以前のままで存在していない。
必ず、歴史的に進化している。悪い奴らは悪い方に進化する。懲りないのである。
市場原理主義の小泉の後は「もっと悪い小泉」が国民多数派に用意されている。
 
 >昨夏の参院選
自民党の公約?見解をネットでじっくり読んだ時は吐き気がする想いだった。
人間の書いたモノではない、と。
動物だ。金儲け、経済至上主義のモンスターだ。それさえうまくいけばすべてが解決するという剥き出しのバーバリズムだ。
 
 自民党は野党になって、小泉時代市場原理主義をもっと進化させている。
彼らが政権に復帰した暁には大多数の国民は惨禍の中にたたきこまれるであろう。
 
 
>>>>海水注入中断という、官邸、安全委員会マダラメの方針を東電本店が受けたが、現場の吉田昌朗所長は現場を預かるモノとしてのリアルな判断から、指示に従わなかった。
この報道から様々な意見が開陳されているが、そのいづれにも共通している傾向がある。
 
 在るべき理想の体制を念頭にカオスの中で誰かをやり玉に挙げて、悪玉に仕立て上げている。
それを糾弾して終わりにしている。
 目の前に起こっていることしか見えてないし、情に流され、結論を急ぐから、事態に悪玉が必要になる。
 
>でも、未曽有の事態に際してリアルなところ、そんな理想的な体制を今の日本で取り得るのだろうか?
 
 注水中断と云う官邸の決断は管でなくても小沢でも谷垣でも、全部そろっていても、安全委員長マダラメの専門家としての意見を聞きいれて、変わらなかっただろう。
 
>マダラメの判断は海水注入時の圧力容器内の爆発の危険性という原子力工学の見地から当然の意見だった、と想う。
 
 圧力容器内の爆発を専門家がもっとも怖がるのは、核物質の周辺への大量飛散ー2、3、4号機修復を放棄しての作業員撤退ー放置された原子炉のメルトダウン再臨界のシナリオであり、当然と云えば当然の見解であり、官邸へのアドバイスである。
 
 官邸の管には3、12、午後7時4分時点で状況認識力は備わっているはずがなく、マダラメの意見を聞く。
 
そこで本店から、現場に中断指示が下りて行ったが、現場の最高責任者吉田としては、中断は不必要と判断し海水注入を継続した。
 
 >全停電時稼働する緊急冷却循環が止まってから、海水注入の用意ができて注入作業開始までの間に注入をためらう本店側と現場の吉田所長との間で、意見の相違がった。
 吉田所長と官邸、保安院は早期の段階で海水注入を主張していた、との記事もある。
 
 それ以降、吉田所長はぶれることない海水注入派であったが、官邸側が保安院との確認から、安全委員会の専門家、マダラメの意見に乗り移った。
 
 が、今となって、こういう議論でアレコレ云って、犯人探しの様なまねをして、特定個人を悪人に仕立て上げても、結果論に過ぎない。
 
 未曽有の事態とはそういうリアルな混乱が付きまとう。
>安全委マダラメの判断も間違っていない。今までの原子力工学見地から爆発の可能性を想定し、他の号機への波及という最悪事態を恐れる意見は間違っていない。 
 
 吉田所長のぶれない判断は結果的に正しく、注水を継続した信念行動力も今後の原発事故作業の長にふさわしいモノである。
 
 >しかし、吉田所長の命令無視の非公然の正しい海水注水継続にも拘らず、1時間40分も丸裸のままにされた1号機炉心はすでにその時点で完全メルトダウンしていたのである。
 
 確かに完全メルトダウンしていた炉心に海水注入中断をしたら、鋼鉄の圧力容器をもっと溶かしていただろうが、チァイナシンドローム状態の進行していく長期の事態の大きな方向性に変化はない。
 
 彼の判断は正しかったが、マダラメの云う破滅的事態も可能性としてあった。
 
>だから、事態の推移で結果が解っている今の時点で誰かを悪モノにし、誰かを持ち上げる思考法は未曽有の事態をリアルに解ってない意見であり、平常時を基準とする意見だ。
 
 未曽有の「原発カタストロフィー」に対峙するヒトの側が事あるごとに、何か失敗を見つけて犯人捜しをやって、やり玉に挙げているようでは、戦いのブレーキになること間違いない。
 
 >>福島原発事故との戦いはヒトとヒトとの通常の戦いを超えたところにあることに常に留意しなければならない。
 
原子力惨禍には人類的課題として立ち向かっていくという根本思想がいる。
 
 ヒロシマ、長崎原爆投下を体験している日本人にその体験は風化している、と福島原発事故と対処するヒトの側の動きを見てつくづく感じる。