反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

内閣不信任案を巡る政局。大危機を前に国政と市民社会、双方に液状化現象進行中。

 PCがフリーズしたり、イロンナ動作ができなくなって、やむなく再セットアップ。時間がかかっている割にいまだに使い勝手のいい状態に戻せていない。
 寝不足気味で頭がいつもよりボッーとしている。ストレッチと筋トレをやっとこなした。
 
それで、タイトル通りの難題に挑もうとしている。無理がある。
 
 世の中全般が危機的情勢に追い込まれると支配層の分裂が始まる。古今東西、そういう歴史が繰り返されてきた。
 が、今回の内閣不信任案提出を巡る国会議員、政党の動きは分裂ではなく、液状化現象だ。
 
私には、管直人小沢一郎、谷垣、公明、みんな、は「同じ穴の狸」に思える。争っているようにみえるが、みんな同類項にまとめ上げられる。
 だからそこに、本当の意味での分裂や対立はない。政治手法や気分、空気をもとに対立しているだけだ。
 
 東日本大震災原発事故。日本と日本を取り巻く経済政治環境の激震に揺さぶられ、もともと大して変わらぬ似た者同士が液状化して、国民にとって、当てにできないモノとなっている。
 
 国民は危機的状況になれば、より一層、政治を渇望し、政治に確かなよりどころを求める。
ところがこの国民の政治に確たるものを求める心境も漠然としていて、現実の日本政治の枠組みの中では実現しそうもない。国民は幻想の確固たる政治体制を求めているのだ。
 
 日本も一応、日本的特殊性はあって、民主主義体制である。
 
内閣不信任案をめぐる国会議員、政党のもともと似た者同士が、危機的情勢で一見対立しながら、液状化現象のように相互浸透していく根底には、危機に際して国民全般を覆う、幻想でしかない確固とした政治体制を求める空気がある。
 
 >>自民公明は確実にこのような国民の空気に乗っかっている。
この方向を前に押し出せば、自らの過去の悪行を帳消しにして政権にたどり着けると踏んでいるからだ。
 これが今後の彼らの一大政治戦略だ。
 
 小沢派は社会民主主義的ポーズを採用することもあるが、ハシモト大阪府知事、名古屋の河村市長のような行政改革デマゴギーを駆使した住民犠牲の地域権力政治=新たな利権政治をコアとして独自性を発揮するしかないだろう。これは自公の懲りない市場原理主義の亜種である。
 
 どちらも、戦後住民に与えられた民主的諸権利を破壊し、大資本の最大限利潤追及のための最適環境をこの日本で生み出すという共通点では一致している。
 
 >大震災直後の東京都知事選の石原、そのまんま東の獲得票71%の意味は大きい。
そこにあるのは、激動の真っ最中では過去の重大な政治的経緯は一切忘却されるという、「法則」である。
 
 もはや破産的事態で止めれば、みんながすっきりすることだけは絶対的真実なのに管直人やその一派も、その地位に執着して離さない。
 
 それを攻撃するほうにも、本当のところ、管直人一派と政策的に大して違いはない。
あとは手法と気分の問題だけである。
 
 こんな事態を招いた自民党、途中から共犯した公明に根本的反省点はなく、管では頼りないというだけなのだから、「手法と気分」の差異だけだというほかない。
 
先ほど、岩上さんのサイトを見ていたら、「日本維新の会」設立総会の映像がアップされていた。
原口はもとより、小沢派の急先鋒たちがわけのわからん事をしゃべっているようだ。
挨拶をする者たちや会場全体に胡散臭さが蔓延し、腐臭ぷんぷんたる様子がうかがえた。
 
 また管直人は騎兵隊内閣を自称していた。
これも胡散臭さの極め付き。
 政治センスも中身も完全にクルッテいる。
 この男が大震災まっただ中で、政権最高責任者であった、という不幸は日本人とって並大抵でない。
官僚の意言うがままに、あとはその時の思いつきで、犠牲者を増やしている。
 
 自分から辞めさせなければ、止めることはできない。  
国民の力がいるが、漠然と幻想でしかない強い体制を求めていたら、最悪の事態となって自らに降りかかってくる。小泉純一郎で懲りたはずだ。