「分離して然る後に結合せよ」という原則がある。
主に政治分野に適応される。
緊急事態に何でもかんでもひと塊になったら、一見、強いパワーを発揮するように思えるが、実際のところ、フレキシブルさを欠いた、かたい塊は長い目で見たら危機的状況への対応力を発揮できず、国民みんなして、奈落の底に転落する。
本質的にあらゆる意味で体力のない国ほどまとまって、非常事態に対処しようとして、墓穴を掘る。
>日本人大好きな明治維新。
そこに至る歴史過程をよ~く吟味してみると、
徳川封建体制の内実が国々に分かれていて、中国、朝鮮のようなアジア的専制官僚国家のひと塊でなかったから、幕府に反対する先進藩の攘夷的突出が可能だった。
これが明治維新の出発点だ。
強大な外国軍事力に幕府の頭越しに挑んで手痛い敗北をしたから、このままではいけないと藩政改革を一層推し進めた。
敗北した軍隊がもっともよく学んだのだ。
外国軍に敗北してた各藩の藩政改革の中に明治維新の改革の中身は先取り、予行演習されていた。
日本の内乱に勝利した維新指導部が勝手に維新の図面を引いたわけではない。
これが歴史のダイナミズムだ。
日本が上手くいったときは、歴史のダイナミズムを我が物にしていた。
>つまり、黒船来航時点で徳川幕藩体制がアジアで稀有な封建体制の崩壊過程として、解りやすく言えば、バラバラだったことが、後のフレキシブルなダイナミズムを保証したのだ。
>各藩の「内乱」ー藩政改革ー日本の内乱ー明治維新の歴史過程を総括すると「分離して然る後に、偉大な結合」が成し遂げられた。
彼は後に戦艦ミズーリ号船上で第二次大戦降伏文書に署名している。
>緊急事態を前にして、意見が分かれることは悪いことではない。むしろいいことだ。
基本的な意見の違いを明らかにする。これがまず大切。
この基本原則に沿って、東日本大震災直後のブログ記事であえて厳しいことを書いた。
解っていた。書いている内容が神経を逆なでしていることは。ただ書かなくてはならないことは山ほどあった。
田中康夫衆議院議員は自由報道協会の記者会見で戦前の関東大震災から、満州国成立、国際連盟脱退、以降の日本が短期間で歴史の坂道を転げ落ちていったことを指摘していたが、私は震災直後の記事でこの歴史をリアルに取り上げて、教訓、原理原則を明らかにしている。
大災害を契機に政治の舵がおかしな方向に切られることは普遍的といってもいいう歴史法則であり、意図的にそうする集団、個人が存在するということだ。それほど政治は甘くない、きつい対立関係が大災害以前から内包されているということだ。ということだ。
>戦争と革命は相関関係にあるが、大震災と革命は関係ない。
戦争は人災であり、人間と人間の政治関係が暴力的方向に大暴発した、人間関係の血を流す継続である。
率先、遂行した敗者は国民が裁くか、外国軍が裁くか、という根本問題はあるが、裁かれる運命にある。
天災は被害者に立場に関係なく、襲ってくる。本質的に誰がいい悪いではない。
政治、軍事の本質は敵のせん滅である。天災に本質的に敵がいないのだから、政治が成り立たない。みんながまとまる。
普段の争いをなくして、まとまるという意味では、一見いいことのようだが、政治が停止する傾向にある、という意味では、支配層には普段、反対にあってなかなか進められなかった、政治意思、重大政策を貫徹する、絶好の機会である。
それが一気に爆発するのだが、国民や反対する政治家が大人しくしていると、大震災を口実に奴等の都合のいいように操られてしまう。
警察、自衛隊などの治安問題を真っ先に取り上げるのは原則だ。
非常時だからといって、憲法に保障された権利が停止したり、歪められていいわけがない。
むしろそういう時だからこそ、人権と権利が守られなくてはならない。
少数派を切り捨ててはならない。絶対に。次は自分が少数派になる。
資本制の拡大再生産構造は少数派の犠牲に成り立っている。世界規模のことでもある。
ドサクサに紛れるように蔑にしているから、国家を優先し、住民が悲惨な目にあう。
>そういう大事が起こった時こそ、自分の原理原則を明らかにする。しばらく様子の見てから、意見を述べるようなことはしない。そんなことは誰でもできる。大事が起こった時、様子を見ていたら、飲み込まれてしまう。
大事が発生した時は、一旦その状況から、自分を分離して、原理原則を確かめよ、原理原則に戻れ、そして離れた冷静なところから、事態に立ち向かえ。熱い心を持っていても、頭は冷めてなくては、どうにもならん。
みんなで助け合う。そんなことは人間として当たり前のこと。
ただそれだけでいいのか。
>緊急事態なんだから、基本的意見の違いは、横に置いといて、とりあえず、ひと塊になりましょう、というのが近代国家成立以降の日本人の悪い政治的習性じゃなかろうか?
「取りあえず、ひと塊」がいつの間にやら、そのままずっと続いていく。緊急非常時体制の非民主主義体制が作り上げられると、そのまま存続し、全部で誤った方向に突っ走っていく。別な意見、別な方途を系統的に排除することで非常時体制は形成されていく傾向にある。
>考えてみたら、東京よりも大阪のほうが、重症である。東京では石原都知事と都議会の間には緊張関係があるが、大阪では完全支配下議員、過半数によって府知事ハシモト=府議会という事実上の全体主義がまかり通っている。
全体主義という概念を使ったのは事態を慎重にとらえたいがためだ。
ファシズムのタクトを振るうかどうかはハシモト個人の胸先三寸に委ねられている。後はハシモトをそうさせる情勢次第だ。
>これは国政レベルで小泉純一郎の郵政ペテン選挙にハマって衆院3分の2を与えてしまい、後の行き過ぎた市場原理主義政策によってダメージを受けたことと似ているが、ハシモト個人の政治傾向に小泉純一郎のようなある程度のステーツマンとしての歯止めもない。
だから、以前からハシモトの政治傾向は日本をぶち壊す、歯止めというものがないと危険視してきた。
彼は政治家としての訓練を受けていない全くの素人。自己絶対化の傾向も強い。
関西のマスコミは事実上ハシモト応援団の様相を呈していた。
関西政治の悪いところはムラ意識が強すぎて、合理的割り切りの必要な政治関係をズブズブの人間関係に置き換えてしまう。関西マスコミのハシモトへのシンパシーはマスコミ出演者としての人間的つながり、身内意識である。
ハシモトのような奴が日本の政治中枢に大きな影響力を及ぼす様になると、ホント日本は危ない。
今のところ大阪の自民党はハシモトに脅威感を抱いている。まだ分別が残っている。これが救いだ。
私が小出さん出演の毎日放送ラジオ「種まきジャーナル」ズット相手にしてこなかったのは、ハシモトへの姿勢に疑問を感じていたからだ。一方でいいこと言っても他方でとんでもない奴にシンパシーを持つような番組作りをしていては相殺しどころか、ある意味、最もたちが悪いとなる。
大阪の衰退、関西経済の衰退は戦前の日本一の産業商業地域の歴史的時間をかけた衰退であり、本質的な歯止めの方策はない。
事実を受け入れて、地道にやっていくしかない。
この観点がないから、ハシモトの様な出鱈目にマスコミ人間と府民が誘惑される。