反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

アメリカンバブル崩壊の歴史的意味を直視せず、アメリカ神話に溺れる日本国民は原発安全神話の自縛と同じ。やがて災難は自分に降りかかってくる。

 イロイロな情報をに接しても、総合して生き生きとした全体像をイメージできないと現状と将来が見えてこない。
自画自賛しているようで申しわけないが、直近に起こった野党提出の管内閣不信任案をめぐる民主内の政変劇。
 
 私は政変前の記事で確か、「管を辞めさせる方法はほかにないのか?」と書いたはずだ。同時に小沢さんの震災直後からの動きにも疑問を呈した。記事にできず、抹消したが、民主400余名の議員各人がその時点でおかれた立場の不安定性も熟考した。
 その結論として、とてもじゃないが不信任案は可決できると思わなかった。
 生きた政治は生モノで複雑な過程を通じて結論に至る。
生きた政治を文章にするのは難しいなと、行き詰って記事を抹消しながら、想った。
 まさに能力の問題だと。
 
 結果が分かってからは気の利いた人なら、誰でも納得させる説明はできる。
競馬の予想と同じでレースが終わってから、は競馬知識のある人だったら、鮮やかに説明できる。
プロ野球解説にも同じことは言える。一球が投じられて、球場内の一瞬の出来事が終わってから、アレコレ、くどい様に説明するのは最低の野球解説者だと想っている。野球に詳しいものなら、いやになる。
 
 大切なのは現状ただいま進行中の事態をスリルとサスペンスを持ってとらえ切れるか、その事態がどういう方向に進んでいくか、方向づけられるかどうか?だ。インスピレーションと想像(創造)力がいる。
 
 >最近、福島原発事故現場関係の記事を全く書かないが、すでにこの件に関しては自分の中でイメージとこれからの推移は確定的?に想定されている。
 記事にもすでにしている。
事態はイメージ通り進行している。
だから書く必要がない。
 
 今さらながらになるが、ウランの比重まで持ち出して、チャイナ、シンドローム状態を記事にできたのは「嬉しいい」。誰もあまりやっていなかった。超高温の崩壊熱を放ちながら落下する物体の比重、全体の重量を問題にしない方がオカシイ。
 
 メルトスルーしている使用済み燃料の全体の重量は100万KWの原発だと、50トン。大体、どの原発も発電出力の半分の重さの中身が詰まっていると調査済み。比重、原子炉内の各主要構造物の溶融点。
さらには原子爆弾の原理。臨界状態に必要な条件まで推定し、再臨界はなく、炉内水蒸気爆発も多分ないであろう。
 以上、全部、ネットで調べた情報。原子力は全く不案内だけど、仕事の関係で熟知していた分野でもあった。
 
再爆発さえ回避されれば、事故直後の様なセシウムを筆頭とする核種の広範囲で爆発的な大量飛散はない。
 
>ただ、被ばく関連のことは正直言って解らない。
 
 実証主義を大切にする。被ばく関連の事態、事実と数値をどう取り扱っていいのか、勉強しなければ、物差しがなのと一緒で判断できない。
 多くの人が影響を受けるのは被ばく、汚染とは分かっているが。
気をつけることはある。その方面からの食材を口にしないこと。
 
 政府の一貫した情報隠しで疑心暗鬼とでもいうべき、必要以上の不安が広がって、供給側に不必要な被害が広まっているともいえる。
 
>逆に情報隠しをする動機も想定できる。
国家財政の維持のため、保障費をなるべく切りつめたいのだ。
国家とは住民にとって不断にそういう傾向にある。
だから、住民、国民の立ち上がりが必要。
立ち上がらなければ、そんな事実はないモノ、そこにいないモノとして処理される。行政機構はあくまでも、自己申告制で黙っている人までいちいち構っていたら仕事が前に煤進まないという現実がある。
向こうから構ってくれないと嘆くのはお門違いであり、資本制民主主義が分かってないとなる。
 
 >日本国民はこの点でぼんやりしていたから、こんな事態を招いている、ともいえる。
とにかく、大人しすぎる。
今まではそれで経済成長のおこぼれに授かったかもしれないが、これからは内外でし烈なパイを目ぐてての争いが始まる。黙っておれば取り分は少なくなる。
 
 >>今現在や将来の日本には余裕がないということで、少数派を切り捨てていくしない。
ところが、それを結果的に容認する多数派国民も将来待っているのは、少数者の立場だ。
人の一生は晴れの日ばかりでない。最後は曇って雨ばかりとなる。
 その意味で管のいう「最小不幸社会」とはよ~く考えると含蓄のある言葉だと前から想っていた。
ほとんどの人が少数者になり、不幸になって、死んでいく。
この現実を攻めて頭の中だけでも納得させるために宗教は時間を費やしている。
 
 「強者の論理」「多数の論理」はいつまでも通用しない。
「弱者の論理」「少数者の論理」に立ちきることが、管のいう「最小不幸社会」実現につながる。
 
>>まるっきりタイトルとは違った内容になってしまった。
タイトルの内容を展開するため、トッドさんの本やら何やらを読み込んで自分で考え中。
問題意識が散在して、イメージが固まっていかない。
 
 今現在の日本、将来の日本。
本当のところどうなんだ?ということだ。安易な絶望もいけないし、根拠のない希望はカラ元気だ。
 トッドさんの本は一筋縄でいかない。
アメリカンバブル崩壊前の書でもあるし、噛み砕いて、利用できるモノを日本を取り巻く実情に応用する必要がある。
 
 彼のいいところは左翼の論理と次元の違うところに発想の根拠を置いているところ。それでいて、ヨーロッパの伝統的知識の系譜をしっかりと受け継いでいるところ。面白い言い回しが随所にあってなるほどと感心する。
 何しろポール、ニザンの孫。日本人がまねしようとしてもまねできない。