私の基本的な考え方として、選挙でだれがどこのモノに投票しようが関知しない。それぞれが投票箱の前で決めることだ。選挙に行かないからといって、悪いとは思わない。そういう政治の世界と次元の違うところの生活と意見もある。世界戦争と革命が差し迫った政治課題になっていない現状、想定できない将来からすると、そういう政治的無関心、無視のフィールドは果てしなく広がっていると言っていい。
チョット、リアリズムで考えるとわかることである。
日本の54基の原発に自衛隊や在日米軍が仮想的に仕立て上げている、北朝鮮、中国、ロシア方面から、弾道ミサイルが撃ち込まれると、福島原発事故を超える事態が日本国家の骨格を直撃する。福島4基で核暴走に防戦一方なのに、全国の要所要所であんな事態が起きたら、一体誰が、どのように対処するのか?
言葉だけの勇ましさなど一切通用しない。人々はそんなモノに耳を傾けるより、我先に逃げまどうだろう。
従って、今現在から将来にわたって、民族や国家のIDを根拠に日本国民に近隣諸国との戦争状態や摩擦を一貫して焚きつける政治勢力は実質的に国や民族の行く末を危うくしているモノたちである。
このような政治勢力は相手側にも確固として存在していることが、この分野の政治軍事問題の火種を大きく発火させる要因となっている。火種が大きく発火し、国民規模に燃え広がると、なかなか消し止められない。
単に一部のモノが騒いでいる状況から、政治勢力として定着化し、政局まで左右する様になる。こうなると、ただでさえ、狭い日本の国家的選択肢がもっと先細って行く。
国政が情や気分に流され、冷静な政治判断力が喪失し、国家もろとも国民が転落の道を歩んでいくのである。
日本は戦前、この政治軍事ルートを辿って、抜き差しならない世界政治の袋小路にハマった。
この癌の病巣は進行性がある。対症療法が効いていない。書き出せば長くなるし、事が複雑になる。
事例を揚げておく。日本国憲法は対症療法に不向きだ。
戦争で主導力を果たした政治責任のある天皇制と官僚制度を米軍はスムーズな占領統治に利用するため、戦前の日本支配者との交渉で温存し、その見返りとして、国家権力の暴力機構の本質から、まるっきり次元の違う空理空論の9条を確定した。
これらの国家基本法策定の政治過程に日本国民は一切関与できず、ことは宮廷政治と米軍当局の駆け引きの範疇で行われた。
従って、日本には敗戦にともなう戦後革命期はなかった。
その後、革新勢力、革命勢力の政治的進出が活発化した根底にはGHQのマスコミ変革による国民への民主主義の宣伝によるところが大きい。
国家官僚機構と不可分の天皇制の象徴としての温存と第9条は表裏一体だった。
この時点で日本国憲法は米軍とそれに追随する日本支配層によって中身を変えられ、戦前支配層の形を変えた復活へのその歯止めとしての役割は法律的文言の世界に押し込められた。
ドイツ、イタリアとの違いは戦前の日本の政治状況との違いの継続という他ない。
戦前の世界情勢に追い詰められたドイツイタリアの金融資本はナチズム、ファシズムのテロ独裁支配で国民を政治支配するほかなかった。日本では国民の抵抗が小さく、金融寡頭支配層は偽国民運動で国民の抵抗を暴力的に抑え込む必要がななく、既存の国家機構のなし崩し的軍事強圧転換で国内平和を達成でき、近隣の被圧迫民族の抵抗に対処できた。
かくして、敗戦を迎えた手からの政治情勢の中で、ドイツイタリアでは戦前の政治運動の結果権力の座に就いたナチズム、ファシズム政治勢力は絶対に復活させてはならないと完全否定され、歯止めとして、実体的な反対政治勢力の確固たる存在、制度としてのそれらの運動の禁止が法的に明記され、政策としても実行された。
ドイツではナチの格好をするのは法律で禁止されているし、ナチ的運動を地域で包囲するためのボランティア活動は政府の有償になっている。
そこまでしなければ、癌の病根は拡大してしまうと、国民の英知が判断したのである。
私がよく記事の中で示す、ドイツは二度も世界に挑んで敗北し学んだ。一回しか敗北していない日本人がドイツ人より優秀だと思わないという意味はこういうところにもある。
尊敬するエマニュエル、トッドさんはドイツ人と日本人の家族形態を比較してよく似ている、それは政治分野にも反映すると述べている。日本人はもう一度、敗北を経験する可能性がこれまで歩んできた戦後史の中に現在の政治の中に、有りすぎる。
が、敗北するから戦う必要がないというのではない。
敗北の後、復活するために戦う必要がある。
日本のファシストを政治舞台に引きづり出さなければ、敗北後の日本国民の復活はない。
これも加味すると日本人はまた負ける。日本国家は負けることはないが。
国際情勢から考えて日本の様な大国が国として急速に沈んでいくことはない。国民が国家のこの新帝国主義的競争世界での生き残りの犠牲になるのである。
>韓国にも原発がたくさんある。
再三記事に書いているように、私は韓国当局が本気で北との戦時体制を継続してきたとは絶対に思えない。
結局は、途中でアメリカ軍事力におんぶにだっこで経済発展の道にまい進してきた。これが現実だったとみる。
中国、北朝鮮、ロシアはユーラシア大陸の後背地を控えているから、軍事戦略上有利なことは間違いないが、やる以上はやられることを覚悟しなければならない。そんな危ない自己破滅の橋を彼らが渡る理由が見当たらない。
小競り合いは今後、必然化する。アメリカはその次元では関与するが、自分と同じ次元の核戦力を有する国と本気で戦争するメリットがない。また、そんな危険な破滅的軍事的冒険をヨーロッパを含め世界が許すわけがない。
以上が戦前戦後の歴史的総括と世界の戦争と平和の時代基調である。
圧倒的多数の日本人はこの時代基調の中で物的な成長、充実を目の当たりにして育まれ、今日に至っている。
日常生活に埋没し、その継続を望み保守的、それがなんとなく保障されていると感じる限り、政治に積極的に関与したがらない。あなた任せ。関心が薄い。
>しかし、この平和ボケとも云われるこの状況は一概に悪いとは言えない。
むしろ、全国民が挙って政治を渇望する時代は庶民にとっていい時代とはいえない。普通に働いて生活する、その過程で政治があまり関与しない方がむしろ望ましい。
>ところが、この安易な良き時代は、それ故、国家が生き残るため国民生活を犠牲にする、大方向に暗転するのだ。
大阪市議選にも過半数を得ようと候補者を林立させたが、達成できず、このことを持って、ハシモトは敗北と称しているが、次期大阪市長選挙に勝利することで大阪市を陥落させ、大阪都構想の一特別区として吸収しようとしている。
長々と振り返ったのは、ハシモト登場の位置づけを確定したいがためである。
ハシモトは政治目的を達成するため大衆受け、マスコミ受けのすることは何でも口先で語って恥じない男であり、政治家、行政の長としての政治責任、基本スタンスに大いに疑問がある。
その意味で何ら目新しい政策ではなく、小泉のやってきたことを大阪を舞台に描き上げているだけである。
が、大阪経済の戦前戦後の歴史をひも解いてみると、ハシモトの政治方向は単なるデマと理解できる。
大阪の経済的地盤沈下は戦前の工業生産ダントツNO1から戦争を挟んで歴史的時間をかけての相対的経済力の後退なのであって、その意味で地盤の沈下なのだ。
大阪経済はすでに早い段階に飽和状態にあり、もう発展の余地はなくなっているから、資本は大阪を離れるのである。スクラップアンド、ビルトをやるよりも他の地域に行った方が儲かるから出ていく。まして、日本から資本が出ていく情勢である。
これは水が高いところから低いところに流れるような歴史的経済必然であり、どうあがいても押しとどめることはできない。
ハシモトはそれをやっているのである。しかも最悪の住民を犠牲にする巨大開発を三度、再現することで。
行政が無理をして経済過程の法則に介入し、逆らっているのだから、必ず、財源の無駄遣いに終わる。
>>ハシモトはのこのような悪あがきは、これからの日本を悪い政治方向、国民敗北の政治方向を象徴している。
支配層の国民を目くらましし、敗北に導く、魅力的な政治路線である。
だから、大阪で発生している政治的事態は国民全体にとって明日は我が身と他山の石にしなければならないのだ。
つくづく支配層の欲の皮は突っ張っていると想う。自分でも受けられなくなると、行政の丸ごと買収し、最大原理銃追求の最適環境を作ろうとする。
国民は地道に足元見るべきだ。働いても働いてもどんどんカネの吸い上げられる体制を作ってもしょうがない。吸い上げられたカネが日本にとどまっているうちはまだ何とかなるが、アメリカに出ていったら戻ってこない。