反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

櫻井よしこ「何があっても大丈夫」新潮社。アジアで従属覇権の道歩む日本帝国主義の欲望に応えただけの従軍慰安婦。

 櫻井よしこを検索すると保守主義者と規定しているようだが、甘い、間違っている。
 
 正確には国家主義者であり、戦前の日本帝国主義の歴史的歩みに何の批判もなく肯定し、敗戦後の日本資本主義の歩みが日本人民全体に少なくとも平和と物的安定をもたらしたことに、嫌悪感を抱き、日本と日本人を再び、結果的に出口なき泥沼に落とし込める反動的思想政治潮流の真っただ中にいる人物である。
 
 櫻井よしこ氏の今現在の思想政治的立ち位置は以上の様な規定以外の考えられない。
 
 保守主義者は是々非々の立場をとるモノであって、櫻井氏の様な一貫した偏った政治的立場をとるモノでない。
 
 >櫻井氏の政治的立場はドイツでいえばヒットラーとナチ党を肯定しているようなもので、決して保守主義者の範疇には入れられない。
 
 ドイツの保守主義者はキリスト教民主党に党派として結集しているが、その大きな政治基盤として、ドイツの主権回復を目標に掲げたモノがある。
 
 戦後のドイツの目覚ましい経済発展にも関わらず、ドイツ国家がヨーロッパや世界政治の中でそれに相応しいい政治的立場を持ち得ていないという潜在的な政治不満を背景にしている。
その中にはソ連をぐ組む連合国の敗戦したドイツ国家への不当な取り扱いの歴史に反抗する気分も含まれている。
 当然、そのような政治潮流は戦後のドイツ社会民主党の政治力への政治的対抗の核となっている。
 
 >が、この部分とヒットラーとナチ党の連携は歴史認識として切断されている。彼らはヒットラーとナチ党が戦前のドイツの道を誤らせた元凶であるとの認識を共有している。
 
 >ドイツでは敗戦の日は「ゼロの日」と呼ばれている。
その意味するところを俗っぽく言えば、ドイツの敗戦はヒットラーとナチ党の責任にして、国民は新たな憲法の下、ゼロから出発するということである。
 
 >ドイツ憲法の制定過程は日本国憲法の様な米軍当局と宮廷政治の取引の様な人民不在の形はとらず、形式的ではあっても、地方議会レベルの下からの検討過程を経て成立している。
 
 ドイツと日本の敗戦直後の憲法制定過程の相違は世界戦争に向けた同じ総力戦体制であっても、ナチ体制と日本軍国主義翼賛体制の違い、形成過程の違い、は決定的である。
 
 ナチ党はワイマール民主体制の破たんから、ドイツ金融資本が独裁体制を政治テロ支配を通じてしか行えなかった証だ。
 
 日本軍国主義翼賛体制へ至る道にドイツのワイマール民主体制の様な期間は基本的にない。
 
普通選挙制としてのデモクラシーの導入は治安維持法と抱き合わせにになっていたばかりか、完璧な限定的なモノである。
 
 >ドイツ皇帝はワイマール民主革命の進行の中で失脚の憂き目にあっている。国民は第一次世界大戦を主導し、敗北に導いた政治責任をドイツ皇帝を頂点とする政治体制に求め、これを否定したところに成立したのがワイマール体制であり、同時に敗戦による過酷な賠償、軍事的限定を負っていた。
 
第一次大戦の敗北後のドイツ革命はドイツ皇帝を頂点とする旧体制の主導する国家権力機構、暴力装置の破壊が中途半端なまま終わって二重権力状態を生み出した。
 
戦前のドイツ帝国憲法を否定し、皇帝を頂点とする中央集権から地方分権政権の比重を増した新憲法の下、政権を維持するようになった社会民主党はワイマール体制の民主的多数派として国家暴力装置、権力機構を運営していたにすぎない。
 
 1930年代世界不況、賠償金過重でワイマール体制の行き詰まりの中、登場したナチ党の政治的骨格はワイマール体制の二重権力状態の実相を指示している。旧権力の象徴、皇帝を再び担ぎあげ、旧体制を復活する反革命武装蜂起では暴力装置、権力機構を含めた国民の支持は得られなかったのである。ヒットラー一揆はワイマール民主体制に阻まれ、失敗せざる得なかった。
 
 >その後のナチ党の台頭、権力掌握の主語はヒットラーとナチ党ではない。
第一次大戦後の好況が反転する世界不況と戦後世界体制の敗戦国への報復主義的負担。ドイツ経済の行き詰まりとドイツ金融資本の政治的意向。
 
 これら、客観情勢がナチ党を権力の座につけた。選挙で多数を握った彼らはワイマール憲法を否定し、第三帝国憲法を成立させ、二重権力状態に完全に終止符を打った。国家機構、暴力装置はナチ党と一体化した。
この意味でスターリン体制と変わりはない。党=国家だ。
 
 >長々とドイツの歴史を確認しているが、櫻井よしこのような輩がどうして、己の皮相な野望のために日本国民を泥沼に落とし込める、いい加減な輩か理解するためには面倒でも絶対に必要な「手続き」である。 
佐高信の様な人は、こういう面倒な歴史確認をしないで、日本国憲法の立場から櫻井らを批判するだけだから、今の日本の政治状況の中では安易な批判に終わる。無力と言い換えてもいい。
 
 櫻井の様な政治傾向がこれからの日本で蔓延すると、日本はますます政治的選択肢を狭めることは明らかだ。
 
 戦前の日本に民主体制はなかった。ドイツと比較すれば、余りにも違いが大きすぎる。政治過程で国王が実権を失ったイタリアと比べても遅配は明らかだろう。
 日本では民主制は戦後も制度、政党、団体として実体的に根付いていない。
危機的状況の中でマスコミが一斉に同じようなタクトを振るうと国民の側に抵抗する実体がない。
だから、櫻井の様な見解は単なる異端に終わらない。やがて全局面を覆い尽くす可能性がある。
言い換えれば、たたいておかなければ国民多数がまたひどい目にあう。
ならないという保障がどこにあるのか? 
 
>日本の天皇制の特殊性は確かにあるが、その特殊性の本質はアジア的律令専制国家の典型で一貫した大国、中国の影響を受けやすい所に位置していたこと。その古代律令国家中国の直接的影響を受けた朝鮮からも、海を隔てた島国であるところから、未開の王としての側面を持ち、その意味で独自の支配の風習や神秘性を温存できた。未開の王としての側面とアジア的専制律令国家の頂点としての王の両側面を持ったモノと総括できる。
 
 さらに、この上に、世界史の近代への歩みの本流は西洋にあり、アジア全体が常に大きく隔たり、あらゆる意味で近代化に取り残された、という事実が重なってくる。近代化の先進の欧米に対して後進アジアは植民地支配の対象とされ、近代世界史に包摂されていくしかなかった。
 
 極東の島国、日本の置かれた立場は二重の意味で遅れを持っていた。
その一。アジア的律令専制国家としての完成度の遅れ。未開部分は天皇制の未開の王的支配の象徴されていた。
その二。アジア全体にルネッサンス(文明開化?)も産業革命もなく、近代化はなされず、植民地支配の対象となっていた。
 
これが外面的歴史事実である。
 
 >ただし、日本の歴史の中身に踏み込むとその一は天皇制の後退と軍事貴族の支配体制への移行と結果する
中国、朝鮮の支配体制の頂点は皇帝、国王のその宮廷文官の官僚支配とその全国化である。
日本の様な軍事貴族の支配体制の根幹は武力支配だから、支配体制の動揺は暴力政治の揺らぎとなって、列島規模の内乱を必然化する。
 
 >日本の生産力発展が軍事貴族の暴力支配とその動揺、内乱の必然化と同時に進行しているところが、近世以前の日本史の特徴であり、内乱の収束形態が日本にアジアで稀有な封建性をもたらした。
中央政府は各地の軍事貴族を完全武力制圧できる軍事力は保持できなかったから、それらの分断と力の均衡を利用してその頂点に君臨するほかなかった。
この支配形態と全国平和を保障したところからのさらなる生産力発展が徳川封建制度生成、発展、内部崩壊をもたらした。
 
 >櫻井に以上の様な歴史認識はない。武士階級が自分を律していたとか、学問をおさめていたとか、社会を統治する素養があったなどと主観的平板的に羅列している。歴史の得手勝手な解釈である。
 
その二。についても踏み込んで考えてみる必要がある。
 
 櫻井は徳川幕藩体制から、明治維新の政治過程を「混乱が続いた」などとしか書かず、後進国家から、近代国家への転身を徳川体制を支えてきた武士の稀有な倫理と能力の問題に矮小化している。
こういう主観的な単純歴史観だから、それがなかったとしてアジアへの差別観が必然化する。
大きな歴史を意識の問題に矮小化すれば、意識の優劣に行きつくしかない。よって差別が生まれる。
 
 >日本はアジアで遅れていたがゆえに律令専制支配を免れ天皇支配が後退し、軍事貴族の支配から、生産力発展を伴って、分割支配の封建体制が生まれた。
これは換言すると、日本独自の古代的中世的後進性が封建的先進性に転嫁したのである。
こういう文脈を用いなければ、今の中国の経済発展は理解できまい。
新大陸の植民地国家以外の近代化は全て封建社会の成立が前提となっている。
 
 日本における封建性が成立が明治維新を準備したと言って過言でない。
徳川の封建性が元々、アジア的専制国家支配と違っていたから、その崩壊過程で各地の封建領主やその配下で独自な動きが活発化し、明治維新の先取りが行われた。
 
 も一点。忘れてはならないのが、近代欧米の植民地戦争を仕掛ける主要な相手は極東の島国日本でなく、中国や陸続きの挑戦であった、という軍事的幸運である。遥か彼方から、船に乗って攻撃を仕掛ける先進国にとって日本は獲物として中国ほど魅力はなかった。山岳地帯の地形も制圧するのに手間取ることは解りきったことである。
 
 櫻井のこの著書はニュースキャスターになるまでの己の軌跡を都合よくまとめたモノである。
確かに複雑な家庭環境に育って苦労している人であり、ガンバリ屋である。
そかし、率直にいって、知識人として二流でしかないモノが一流であろうとして、その方便として国家主義を持ち出しているとしか思えない。
 
 キャスター就任までの彼女が自分で書いている軌跡と現在の国家主義は重なる部分があまりない。
留学先のハワイ大学のつながりのバーバラ、シュタインホフ、東大の青井教授はリベラル派であり、就職したクリスチャン、サイエンスモニターの女性上司もイデオロギーに偏った人でない。
櫻井は記者クラブの壁にぶつかって批判的見解を述べている。
 
 ただ両親そろって成り上がり根性の旺盛な人である。
櫻井はズットカネに恵まれず、苦労し、母子家庭に育っている。父親は大きな柳亭経営の別の女のところに転がりこんでいる。櫻井はこの父の存在を大きく描き出しているが、公平に見て、女の資力をあてにしたあざとい生き方をしている男にしか見えない。
 
 櫻井にとって母親は人生の師匠の様に描かれている。
確かにこの人はすごい。亭主が女のところに居ついてしまったら、そこまで気丈に立ち回り、子供を育て上げられない。周囲の見えている政治的動きのできる人である。多分、この母親がいなかったら、櫻井よしこはなかった。
 
 >櫻井は国家主義者に変身したのだと想う。時流に乗った。踏みとどまる根拠は彼女の中になかった。
物事を単純に見る人である。上昇志向も強烈にある。奇麗事の好きな人でもある。なのに、実のところ二流の資質しか持ち合わせていない。
 
 これを合理的に自分の中で解決する方途は国家主義者となって、物事の単純な裁断の方法論を獲得する道である。我慢が効かなかったし、我慢していては飯の食い上げになったのであろう。