反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

この期に及んで自民議員政務官起用。首相としての政治センス、限りなくゼロ。その場凌ぎの繰り返し、熟考なき管直人。こんな奴がどうして好き勝手できるのか?

 管直人首相は自民党参院議員、浜田和幸を震災担当政務官に抜擢する、と決定。これに対して、浜田氏を引き抜かれた自民党は感情的な反発を強めている。
 
 今国会で管政権は赤字国債発行のための公債特例法案、震災復興のための緊急追加予算を柱とする2011年度第二次補正予算案の成立を目指さなければならないが、参院多数派の野党の執拗な抵抗によって、法案成立が紛糾する政局を生み出している。
 
 さらに、こうした重要法案成立に向けた国会審議紛糾を想定した民主与党執行部の口からは管首相への猛烈な反発の言葉が飛び出してきている。
 
 >ところが、幹事長の岡田は「方向性の決まった話なので、それを前提にして全力を尽くしていこう」などと言ってその場を収めようとしている。
 
 >>岡田幹事長は6月24日付けの自身のブログ記事で最近の情勢認識と決意を述べている。
 
「今回はある意味対立する路線を選びとったことになります」
これが、自民浜田議員を震災復興政務官に抜擢したことによる自民の反発への認識であることは明らか。
 
 そして自身の決意として「幹事長である限り、総理をしっかりと支えていく事は当然と考えています」と。
管直人首相の浜田議員政務官起用によって発生する国会政局への最終決断である。
 
 >>ところが、長い記事の大半を占める国会情勢認識では
総理は「自分は何何をやる。そのためには(野党に)協力してほしい」と考えるべきだ、というトーンの基本認識に終始している。
 
 要するに、自分の考えとしては野党の協力を速やかに仰いで政府と国民にととっての超重要法案を成立させるべき、との基本認識だったが、管首相が自民議員の政務官登用を政治決断した以上、反発で国会が紛糾しても、内閣を支える与党幹事長として、総理の対決路線選択に従って全力を尽くす覚悟であるから、皆さんもその方向に沿って、全力を尽くしてほしい、ということである。
 
 >ここに岡田克也という政治家の本領が発揮されている。
 
 良くも悪くも、という言葉を基準とすると事態ははっきりする。
 
自分の政治家としての重要事態への情勢認識は明確にある。
それと管総理の政治選択は真逆である。
 
 なぜなら、浜田自民議員が抜擢される役職は単なる震災担当政務官。浜田議員の個人的能力は自民の猛反発を受けてもどうしても抜擢しなければならないほどのモノとは思わない。
彼一人を参議院多数派野党から引き抜いても、自民から後続のモノが続くとも思われない。

 よって、管総理の決断は単なるその場しのぎの想いつきであと先は全く考えず、審議を紛糾させ、緊急法案の成立を遅らせ、震災地を筆頭とした国民に迷惑をかけるだけであり、結局はその責が与党民主党に回ってきて、今でも低い支持率がより一層低迷する。
 (尤も彼はこういう読みはしないと想うが)
 
 >かくして、退陣が焦点になっているこの期に及んでの管の野党への対決路線選択は総理として最悪の政治選択である。
 
 >が、自分は総理を支える与党の幹事長としての職責上、最悪の選択をした首相を支えていく。
 
>>>政治家としての超重要情勢に対する「正しい」基本認識にもかかわらず、与党幹事長ー首相という原則的関係から職の務めとして、間違った政治選択をした管総理を支えていく。
 
 >岡田氏の様な形式的原則を重んじて、効果の発揮できる部署は確かにある。
たとえば官僚の世界。
それから、昔の政権基盤盤石であった頃の自民党
 
原理的形式によって組織を維持していれば、その時々の間違った選択もいづれ、もう一つの「正しい」選択の出現によって正されていく余地がある。
 良くも悪くも、自民党長期政権が上手く回転していたころは、この繰り返しだった様に想う。
 
>ところが、世界情勢は当時と大きく様変わりしてきて(冷静構造崩壊)、その結果のはっきりとしてきている(ブリッグス台頭)(先進国の不況、日本の長期低迷)
増して日本では大震災、原発事故が過重してきている。
 
 さらに、今現在は政権にあるが、果たして民主党に党としてキチンとした組織基盤があるのか?当然のことながら政府にしっかりとした政権基盤はあるのかどうか?
 
 >>>>党としての基盤、政権としての基盤の脆弱で先の見通しも立たないような現時点で、重要な政局を前に内閣ー党組織の形式的関係にこだわって、大きな誤った選択をして、復元力があるのかどうか?
 
この見極めができないような政治家、岡田克也。そんな人が幹事長の役職を務め、その時々の重要な政治的岐路で決断と実行をしてきたし、これからしようとしている。
 
 訳のわからない政治裁判を受けさせられ様としている小沢一郎への無期限党員資格停止処分もこういう非政治的感覚でなされたものと考える。
 
>政治はルールだけでない、もっと大きなすそ野が広がったあらゆる人々の想いが錯綜した生きた生モノである。
 
 岡田克也の様な政治家は激動時代に重責を担える資質と真逆の人だ。
 彼の様な激動時代に間違った重要判断しかできない政治家が中枢に位置する民主党は党としての練熟度が甘すぎる。党内部において各政治家への選抜基準が甘すぎる。
 
 政権党にもかかわらず、党内が二つに分かれて対立するのは党と支持者が未熟で本当のところしっかり成熟した自分の行動指針を持っていないからだ。
 これは処分された側の小沢派にも当てはまる。
実にたわいのない見解が大手を振ってまかり通っている。
 
 >しかし、民主政権がデッドロックに乗り上げている最大の原因は政権基盤の脆弱性だと想う。
自民党公明党の議員も民主と変わらない。
 
 もっと突き詰めていくと、政治不向きな日本人の有りようがある。
今までは、それでやってこれた。経済活動まい進で。
ところが世界情勢と日本経済の現状は日本に極めて政治的な立ち回りを不可欠にしてきている。
 
 >甘いのは民主岡田や民主党だけでない。日本人全体だ。
政権交代の選択は日本人の政治性が試された時であった。大震災、原発事故も重なっている。
 
 >自民党公明党は決まった固定支持者の多い、変わりようのない政党である。長期政治支配の行きついた先の小泉政治。あれが究極の雛型であり、彼らの総政治路線であり、微調整を加えながらもあの枠内で政治を運営していく。
 
 >その政治路線に痛みを覚えて選択した政権交代が行き詰れば、再び彼らのところに戻った政権は小泉時代より酷い市場原理主義政策を実行するのは当たり前である。
 
市場原理主義を受け入れ、国と地方のコントロールの物的基礎が削減されたら、多数の国民の中に国家が芽生えるのである。
 
 社会の中に国家が生まれるしかないのである。
 これが多数の住民とって住みやすい日本なのかどうか火を見るよりも明らかだ。
 
最後に。
前にも書いたけど、浜岡原発停止は愚策。
 そのままにしておいても、静岡県知事に再開させない権限がある。
社債発行で資金調達できない中部電力に1200億もの緊急融資をせざる得ない羽目に陥っている。
こてじゃ、電力独占資本が民間企業である意味がない。
中止させるべきは「もんじゅ」運転再開だろう。
 全くの本当の意味での政治不在。
 
   <追記>
自民党参議院議員浜田和幸の経歴には注目する。
アメリカ戦略問題研究所の出身。
ここは日本の寡頭政治支配を強めた中に、箸にも棒にもかからない対米従属主義者を養成し、その政治生活を保障し、送り込むという一貫した意図をもって運営されている、アメリカ帝国主義そのものの、シンクタンクである。
 有名なところでは小泉のバカ息子がここの出身者である。
渡辺コウゾウ民主の倅もここの所属のはず。
 そのほかかなりいるようだがその方面に疎いから、勘定できない。
 
私が以前、高野運営のサイトの投稿者であった頃、相手にしたのが、ここの研究員である元民主参議院議員ヤマハ労組出身の某である。
 
 こいつは政権交代から間もなくの鳩山政権が普天間基地問題で立ち往生し、国防長官が日本政府恫喝のために来日し、その露払いの下、オバマ大統領が来日するまでの短い嵐の様な政治スケジュールの中、一体この人間は日本人なのか?と疑うようなアメリカべったりの、恫喝を含んだ言説をザ、ジャーナルサイトで連日垂れ流していた。
 
 要するに言いたいことの根幹は日米同盟は相互利益に適って、永遠に不滅!疑問を呈するモノは思慮不足、解らず屋には恫喝。アメリカさんのお力沿いなくしてやれるものならやってみろ。酷い目にあう。
 
 ここで初めて、アメリカ戦略研究所がここまで日本人を洗脳し、手足に使っている様に驚いた。
固定観念過剰でアメリカの利益に傾きすぎているのが異様であるとしか言いようがなかった。
こういうところの論理に忠実なモノは日本国民の利益に相反すると強く想った。
 
 日本人ではなしにアメリカ人なのである、その思考体系が。
 だから洗脳されているということができる。研究員であることで飯を食っていける。
 
 私の記憶に鮮明なのはこの男が、ベトナム戦争の現地でアメリカ軍と中国軍が正規軍を送って戦ったという記述にぶち当たった時だった。
 
 この男が早稲田大学の学生だった頃、まだベトナムでは戦乱が続いていたはずで、どうしてこのような歴史認識の錯誤が生まれるのか、ある種の衝撃を受けた私はすかさず、この方面からその立場への疑問を呈した投降を送った。
 
 私にはこんな男の生まれてくる土壌が理解しがたかった。
アジア人なのに自分の目の前にある歴史も知らずに、学生時代を過ごして、アメリカのシンクタンクで研究して賞を授けられて、政治の能書きをめいっぱい垂れている。
 
 こんな男にすれば歴史は自分に都合でどうにでも書き換えられる。
それが、客観を装ったアメリシンクタンクの手口だ。
 
 この男このその後の活躍は、鳩山首相の海外移設の雲行きが怪しくなったころから、ピタリと止んだ。
 
浜田和幸の起用も単純ではなく、裏がある様な気がする。
 岡田幹事長の管追随のしおらしい態度にも、深読みすれば、違った世界が見えてこないでもない。
 
間違いなく、一国の政権の弱体化が続いた時には時は強国に付け入るすきを与えてきた。
 
今後日本国内の政治情勢の分析にアメリカの介入をキッチリ楚定することは不可欠になってきている。
 
 それはアメリカでばかりでなく中国もロシアも日本を揺さぶってくるだろう。
それが新帝国主義時代の国際政治の生々しい現実である。
 
 が、基本的には大きな歴史の推移では、相対的に力を増してきたものが台頭し、弱いモノが後退する。
相手の力を過大評価しすぎてはいけない。
 
 いわゆる謀略論の様なアメリカの力がすんなり受け入れるにのは、日本ならでは状況と不可分である。
 
日本の状況もそうやすやすと今後ともアメリカの力が通用するとは思えない。