重大な事実誤認から記事を作成していたことが今頃判明した。
3号機の様に停止していた原子炉の再稼働なら、県知事に運転許可の権限があるが、4,5号機の様に運転しているモノを停止できる権限は知事にない。
記事を作成するとき、事実と論証過程を重視するモノとして完全な誤りである。
イロイロ原因は解っているが、今までのライフスタイルを変えるつもりはないのでこうした事実誤認は今後とも出てくる。
間違っていれば、キチンと訂正すればいい。
浜岡運転停止を知らなかった自分は無視していたが、
今想えば、退陣の瀬戸際まで追いつめられている管首相が浜岡原発を停止させた「実績」から、反原発、脱原発の時流に載って、脱原発解散の破れかぶれの反転攻勢に転じるというシナリオも頭の中では成り立たないことはない。究極の権力亡者、病人を想定すれば、そういう脚本もあっていい。
ただ、管首相、小沢派、中間派を含めた民主党全議員の置かれた立場は例えると。
400余名の議員は4階に上がった(政権交代)はいいが梯子を外されてしまった状態。高い空中の床に置き去りにされている。極端にいえば晒しモノにされている状態。
そこから類推すれば、この間の内閣不信任案の不首尾を頂点とした民主内内紛のあらゆる事態が理解しやすいと想うのだが。
造反者は徹底すると4階から下に飛び降りる覚悟がいる。梯子がないのだから。
それができる人はったった一人しか出なかったというのも当たり前といえば当たり前だ。
国会では野党は存在していないも同然。
と、なれば、一体どの政治勢力があらゆる分野で今なお拡大する格差に晒されるか、脅威に感じている国民の利害を体現できるのか?それらは今後、国民の多数派を形成していく趨勢にあるのに政治的意見を集約してくれる政治勢力が見当たらない。
これは、イデオロギーの問題ではない。生活と労働に密着した利害の問題である。
また、国家国民資源の適正配分や暮らしやすさ、民主主義の問題である。
大きく言えば日本の問題だ。
小沢さんたちはできるだけ多くの国民の生の声、悲鳴を聞いて政治に反映することに徹したほうがいいのではないか。
党は今政権を担当している。衆議院では圧倒的多数を握っている。
執行部派に阻まれて、限界はあるだろうが、その道に徹すれば、少数野党でワァーワァー騒いでいるよりよっぽど成果が得られる立場にいる。
これが、400余名の民主国会議員が全員、4階に上がったはいいが、梯子を外された状態への解決の道に就く方途だと想うが。
マニュフェスト原理の総括の立場はこの大震災、原発事故の事態が押し流してい待ったような気がする。
小沢さん関連の裁判も見通しとして決して楽観視できない。裁判所は国家暴力装置そのものとの認識がいる。
従って、別の地平に立つチャンスである。
抽象論になるが、これまで見てきたところ、ここのところがハッキリしてこなかったような気がする。
権力闘争に政治活動を集中する小沢さんのいいところが、マイナスの要因に働いてきていると思えてならない。
政治的節目ごとに繰り返されたいわゆる純化路線も権力が見えなくなったときの諦めをイデオロギーで合理化してきた産物の様に想える。権力から離れても、プイと諦めるのではなく、わきからしぶとく影響力を行使することがこれから大切なんじゃないか。
党内で非生産的な内部闘争が過ぎている。仮に言葉の違いは大きくても実際行動に至って違いが、それ程大きくないと、納得したら、上手く処理するのが政治家の器量だろう。
これができなければ、内ゲバ戦争の論理と変わらない。あれは完全に間違い、とつくづく思う。
思想と政治に間違いがあったから、問題が収拾のつかない時点までいった、と想う。
内部抗争の大きな亀裂が走ったままの民主党内の事情も同じことがいえる。
>思想と政治が間違っているから、内部抗争が悪い方ばかりに向かう。
私の鳩山政権当初から見た想いでは、小沢さんたちの政治手法に自民党政権が安泰だったころの派閥抗争のやり方が染みついているように想えた。政権基盤がきっちりした長期政権では権力を握る近道は内部の敵に勝つことを第一にすることだ。日常政治は官僚たちがきりまわしているといっていい。世界情勢も日本に追い風だった。
だから必然的に政治闘争のベクトルは内向きになり、それなりに強烈な破壊力がある。
その政治手法を民主党未熟集団の中に持ち込んだ、当初は効果を発揮したが、やがて、素人集団が相手であるが故に、奴らは党内、内部抗争の一線を大きく越えた、反攻に転じてしまった。
>相手をやっつけるためには形振り構わぬ手段を弄するようになった。
検察の政治暴力も大いに利用する、連動するマスコミの宣伝扇動力に依拠する。
自民党はそこまで踏み込んだ内部抗争をしなかった。
田中角栄ロッキード事件の三木武夫、中曽根らも検察やマスコミの力を借りて政権を運営しようとしたが、与党の政治基盤が固く、、与党としての自民党支配体制を揺るがすことはできなと知っていて、限度はわきまえていた。
やりすぎると自分達の立場が危うくなる、というのが本当のところだった。
なにはともあれ、自民党政権は続いていくと前提に立てば、次の権力を握るチャンスを行きすぎた行動で自分でつぶすバカはいない。
次に権力を狙うという長期政権の求心力を強力に働いて、行動を自重させ、結果的に抗争を党内に封じ込める。
>民主党では内部抗争を党内部にできるだけ収拾する政治力学関係が党内で成り立たなかった。
党の政治基盤がぜい弱なのに衆院圧倒的多数で政権を握っている。この現実が作用して党内抗争に検察やマスコミの力を取り込む要因になった。
利害関係に絡まった人間集団にキッチリと基盤を置いた党ならば、利害集団の方からこれ以上抗争をつづけたら、自分達の利害を侵食すると強力な抗議が来る。利害と、運命の共同体の力が抗争を包み込む。
止める第三者がいない。
政権に就いた民主党の内部抗争はいったん始まったら収拾のつかないようなところまで拡大する構造にあった。
どんなことがあっても付いてくる人たち、集団が少ないから、マスコミの吹かす風任せの支持率を気にしなければならない。
ところがそのマスコミのバックに検察がいる。検察は官僚組織の暗黙の意向を代弁して、民主の政治代表をつぶしにかかっている。
この構図の中で、管執行部のやった反小沢の対抗軸のねつ造は敵の術中にはまることである。
最初の投じられた一石の反動が党内部を越えて検察マスコミまで含めた拡大戦線を形成するまでに至ってしまった。
大きく党外にまで拡大した戦線を収束させるのは並大抵でない。
民主執行部から合理化するとこれがリアルな権力運営なのだ、ということになり、やられている側からみると、検察やマスコミの力に依存した政治優位の獲得継続となる。
>こう考えていくと、最初の一石と投じたモノが悪いのか、偶然、転がりこんできた権力を握った政治の素人、未熟者、視野狭窄者が悪いのかという比較になる。
>私は、偶然、権力が転がり込んできた官らが自重すべきだった、とその時、考えていたから、代表選に小沢さんを支持したし、今もその立場に変わりはない。
管直人らに国政の統治者に相応しい政治センスがあれば、参院選はもっと違った戦い方ができていたはずだと今でも思っている。政権交代を果たして1年もたたないのに消費税アップを口にすることで火中のクリをあえて拾うことをしている。どこかよその国の政治ならそれで正しいかもしれないがここは自民党に長期政権を許してズタズタになった日本。
結局、これが自分の首を自分で締まるようなことになってしまった。
あそこを上手くクリアーしていれば、今頃自民党などガタガタ。
民主内の抗争もここまで過激化しなかった。
どうしようもない政治センスのモノたちが党内で力を持っていたということだ。
もっとも検察マスコミが動かなければ、奴らのところにはすんなりと権力はいかなかった。
これはとりもなおさず、政権交代の果実を国民が受け取っていたということにつながる。
可視化法案などカネのかからない重要法案はいくらでもあったが、今やいずこへ?
管の参院選はあり得ない政治センスである。
拙速だったなどと総括している執行部派の議員もいるようだが、管直人は政治のバカの何乗の政治家である。
その政治家が今まで首相でいられたのは、民主党全体が4階に上がってはしごを外された状態で、400余名の国会議員が管もろとも身動きの取れない状態にあるからだ。
梯子を外された不自由で先がお先真っ暗でも、4階にいることは間違いないのだから。
やはり権力の魔力は末端にまで及ぶということか?
管が首相として生き残ってこれたのも、このような状況以外の何物でもない。 それが国民に不利益を与えているのは間違いない。
大震災、原発事故を前にして管が息を吹き返しての混乱では一層目に就く。
>が、かつて政権交代に一票を投じたモノとしての思考がこのレベルに留まっていいのかのな、という問題がある。
管ダメ、民主には裏切られた、で終わらせていいのかどうか?
この課題を考えないと。
普天間基地県外移設問題も突き詰めていけば、同じ系列の問題だと想う。
この系列から考えると、小沢さんに過剰な思い込みを持って支持する人たちの心情が理解できないこともない。
具体的出口、感情を託す対象を見つけたい、というリアリズム指向がそこにある。
でも、事実の前にプッツンしない様に願うばかりである。
マスコミの一部は2~3年を一区切りにして政局の推移を想定して、管を擁護してきたような気もする。
先を読んで自民党らが政権に復帰した時の事態を恐れているから、管に目をつむって無理やり支持してきたような気もする。これも酷すぎる管の延命の理由なのか。
政治家として稀にみる悪運の強い人間である。
<追記>
>>>大前研一って何者なの?
私は実はその旗艦ブルーリッジにズット以前に乗りこんだ経験がある。
グーグル検索では凄い軍艦の様に書かれているが、実はたいしたことはない。これが実態。
デモ隊でいえば、先頭集団の旗の様な存在。
第七艦隊というデモ隊の旗に過ぎないのがブルーリッジ。
そこに実践における戦闘指令の中枢があるわけない。
のんびりした軍艦ですよ。いわば、象徴。
1970年建造の武装もしっかりしていない軍艦に第七艦隊の実践の作戦頭脳が集結するはずがない。
一発でやられてしまう。
ブルーリッジは今も横須賀に停泊中、見学者を受け入れているという記事もある。
そんな第七艦隊の旗艦ブルーリッジの横須賀での存在に浜岡原発中止要請の根拠にする大前って何なんだ。