反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

天木直人氏が国民必読の書とまで推奨する「自主防衛を急げ」日下公人、伊藤貫は極東の中国脅威とアメリカ後退を前提とした核武装論。次元低く面白いだけ、がどうして国民必読書なのか?

 天木直人さんは立場をいつも鮮明にした論陣を張っているので参考にしているが、私とは意見がズレテいることが多い。違うのではなくずれている。
 
 今回、天木さんが国民必読とまで言う、「自主防衛を急げ」という対談集を読んで改めて、そのずれを確認した次第だ。
 
 が、天木さんが、原発事故から脱原発のうねりが盛り上がっている、この時期に敢えて「自主防衛を急げ」という、アメリカ一辺倒の日米同盟主義者にも、中国共産党による軍備拡張にも徹底した批判的立場からの日本核武装による自主独立を謳いあげた対談本を推奨している「思想的意味」は理解できる。問題意識は共有している。
 
 天木さんは憲法第9条を世界に広め、日本独自の外交戦略としていく中での日本の自主独立、自主防衛を想定され、そういう基準から、原発事故を国家的次元の問題に集約していこうとしているのだと想う。
言い換えれば、事故現場がどうした、放射線量云々と同時にこの時こそ日本国家の有り様の問題、突き詰めていけば、核による武装の問題を念頭に置かざる得ない、との思考パターンがある。
 
 当然その、思考の範囲の中に日本の核武装による独立と対比して自己の立場を打ち固めていると想像する。
だからこそ、自分の著書「さらば、日米同盟」の立場をとるのか、この対談本の立場をとるのか?日本の自主独立のためには二つに一つ、とまで問題を煮詰めている。
 
 在学中にキャリア外交官試験に受って、その道数十年の経験と思索の中でたどり着いた究極の結論と理解する。
 
 私の場合も、原発事故関連の記事を書きながら、ヒロシマナガサキの事をいつも念頭に置いていた。
同時に日本の核武装が頭をよぎっていた。
原発関連の記事の中でも問題意識の一旦はそれとなく匂わせた。
 
 世界屈指の地震津波国、しかも人口密集の狭い国土、に世界第三位の54基もの原発を林立させている。
この超不自然性の道にあえて踏み込んだ日本は、原発はソコソコにして、核兵器の開発をした方が論理的には全うである。
 
 核兵器原発の様にゆっくり連続核分裂させる仕組みになっておらず、一気に爆発させる仕組みなのだから、、安全装置を外さない限り、暴走しない。
 
 物凄く、酷いことを書くようだが、核兵器の方が製造過程に手間取るが機械的に単純で故障は起きにくい、国家と軍隊の完全管理下あり、ある意味安全である。爆発させない限り、核のゴミも出ない?  
 
 自力で原発建設できる国は核兵器も論理的には開発できる。
ところが、核兵器を開発できた国が原発を独自技術で持てるとは限らない。兵器級のプルトニウム抽出のための原子炉と原子力発電とはイコールでない。原発建設のためにはイロイロな附帯設備の総合的な技術力がいる。
 
 となれば、日本がヒロシマナガサキに原爆投下された敗戦国でないと仮定すれば、こんな超悪条件条件を顧みず、得手勝手な神話を妄想し、原発の林立を強行したほどだから、絶対に核兵器開発に手を出していただろう。
 
 日本国憲法非核三原則は原爆投下、敗戦の法制的表現だ。国民規模の核への拒否反応は国民感情の領域だ。
 従って、核武装を押しとどめるモノは戦前の戦争反対派の様に部分的に終わるだろう。
 
言い換えると、日本国民多数に元々、核武装への拒絶感が宿っているのではなく、戦前、戦後史の具体的推移、国際情勢が超悪条件下での世界第三位の原発林立と裏側の非核武装の現実をもたらしているだけだ。
 
ということは、日本の様に悪条件をもろともせず、自分を騙すようにして、原発林立を強行を許す国民は、ある条件さえ整えれば、平気で核武装も強行することを意味している。
 
 倫理基準として絶対核武装をしたらダメというのではなく、やってしまう。
 
1970年からの核拡散防止条約に署名するまで、佐藤栄作政権時代、同じ敗戦国の西ドイツ政府との間で秘密裏に核武装の可能性が検討された事実は情報公開で明らかにされている。
 
 この条約に署名すると中国を含めた世界戦争に勝利しした連合国大国の核武装の寡占を容認し、自らの核開発の手足を縛ってしまう。
 この時が、日本の核開発の結節点であろう。
勿論、それ以前に原子力平和利用の名目で原発建設技術が供与されている。
 
ところが、それ以降、核兵器級のプルトニウムの抽出が大量にできる高速増殖炉を自前で作り、すでに大量のプルとニウムを保有している事実や核燃サイクル研究の実態をみると、条件さえそろえば、いつでも核開発に転換できる基礎がすでに完成している。
原発を世界に売り込む段階にまで至っている韓国では核開発につながる核燃処理はアメリカの圧力で止められている。
 
 この事実を見ると、核拡散防止条約に署名した敗戦国であるにもかかわらず、日本は核兵器開発の土台の構築がなぜか容認されている。
 歴代の内閣が事故多発で世界中で開発をあきらめている高速増殖炉に今なおこだわり、核燃サイクルの研究を許しているのも、核兵器開発を含む管制高地を手放したくないからだ、と考えない専門家は少ない。
 
 IAEA(国際原子力委員会)の委員長を務める外務省派遣官僚の選挙では3分の2の獲得ができず、根回しした関係者が頭を剃る様な馬鹿な真似をしているが、これもオカシナことである。
 
 要するに、IAEA委員長就任は唯一の被爆国云々の表向きの裏で日本の核開発の余地を容認したアメリカが、冷戦崩壊後の国際情勢の多極化を睨んで日本の核兵器開発の余地に疑念を抱くようになり、飴玉、と足枷を嵌めようとしたのではないか。
 唯一の被爆国でIAEA委員長出身国が核開発にまい進することはできまい。
 
 その意も受けて、重圧下で外務省官僚は動いているから、票数が足りなければ、頭を剃る様な事をしなければならないのだ。
なお、このIAEA委員長選出を後押した外務省の高官はNHK深夜ラジオに出演して、フセインイラク大量破壊兵器があった、などと平然と述べていた。
あの委員長も2009年にアメリカ側の立場に立つ、とか通信して後にばらされている。
 
 こうして書いていくと、いかに日本の政府、官僚に一貫した戦略がなく、バラバラに行き当たりばったり、やっているか納得する。
一方で核兵器開発手前の様な事をやりながら、他方でアメリカの手かせ足かせの術中にはまっている、としか言いようがない。
 
 そこから考えると、政権交代した民主党鳩山政権が東アジア共同体やら、国家戦略、普天間基地海外移設を言い出したことには心底危機感を覚えただろう。そのままにしてしておいたら、中国との距離を縮める。
東アジアの各国を分断し、相互のネットワークを作らせず、アメリカを介してつながっていくことがプレゼンスを確保していく道である。
 
 時間不足で展開できない。
天木さん推奨のこの本は東アジアで中国の力が今後、増強し、アメリカの力が大きく後退する情勢の中でそのはざまを利用するような形で核武装し、自立性を発揮させるという、シュミレーションが大前提になっている。
 
 この大前提に疑問がある。
今現在の中国の経済力は為替レートじゃなくて、購買力平価に換算するとすでにアメリカと同等になっていて、近いうちに、中国の経済発展により逆転していく、こういう計算が検索しても成り立たない。
国際経済の比較においてGDP以外の基準が成り立つのかどうか、大いに疑問。
 
 次に、トッドさんではないが、アメリカの経済は世界覇権あってのモノ。
経済停滞、財政悪化、軍事費減少、東アジアでの軍事覇権の後退とストレートに導きすぎている。
経済に偏重した軍事情勢の見方だ。
なるほど、長いスパンで見るとそういうことかもしれないが。
その間の時期に発生する事態が大切。
 
 後退するアメリカは日本からヒト、モノ、カネを絞りとるだけ絞りとりたい。それがすんなりできそうな国は世界中探しても日本以外ない。
その場合、核武装させたら、在日米軍がコントロールしていても、瓶のふたが外れる可能性もある。
 
 日本を東アジアのイスラエルの様な国にするのは、日本を絞りとって、鶏がら状態にしたときだろう。
 
最後に。
 国家の武装は国民の武装
国民がその必要性を本当に理解できるときは革命以外あり得ない。
革命のない核武装は今の支配層の都合のいい核武装
その裏側で多数は国民は煉獄の中に閉じ込められ、本来、しなくていい外国との戦いに駆り出される。
 
今、世界中で核兵器を持っている国はいい悪い別にして、みんな国民規模の革命を経験した国である、
日本の明治維新は国民規模の革命でなかったから、すぐ隣国に攻め込み略奪をする帝国主義の算段をしている。
 戦後の民主主義は国民革命の影も形もない。
日本人は軍事を政治と不可分のものとして身近にできず、支配層の独占に任してしまう。
言い換えると、軍事の分野が大きくなるということは、支配層の強圧が実行されるということである。