反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

大震災。復興に名を借りた土建政治の恐れあり。ゼネコン事情熟知の松本龍復興担当相は適材適所。

 松本龍復興担当大臣が宮城県知事ほかに暴言を吐いたとかでマスコミにたたかれている。ネットの動画で少し確認した程度なので、テレビなどで報じられているリアルなところは全く知らない。
 
 ネットの映像はテレビ報道の映像を張り付けたモノで、あれだけみると、ナント酷い態度だ、と想ってしまうが、よくよく考えてみると、アレがテレビお得意の先入観、予断と偏見、まずありきの編集された印象映像で、あの場の前後の事情は一切省かれている。
 
 それを茶の間に流し、いつもの訳知り顔のコメンテーターがネガティブなコメントを入れると、視聴者には完全に一つのイデオロギーのワンセットが注入される。
 
 映像込みのイデオロギーを注入し、一方向に意識を統合している。
 
 >自民党政権時代から、こういうマスコミ手法を政治に持ち込むことに関して厳しい批判を持っている。
 
自民党へのこうした手法のマスコミ報道はよくて、民主党なら、ダメという身勝手な考えは一切ない。
繰り返しその点について記事にしてきた。
そんな態度は浅はかの典型と想っている。
 
 マスコミを使った国民への洗脳、扇動を容認すると、最後には国民の利益は棄損される。
 
 一般国民は歴史の過去にも現在においても、マスコミ媒体を駆使した洗脳、扇動によって大被害を受けてきた。
 
 後からそれと気づいた時はもう遅い。時代の曲がり角で必ず、マスコミを利用したイデオロギー面の意識の統合がなされる。
 
 >このようなやり方は政治家と政治をまともに評価する基準を庶民から奪い取る道である。
 
テレビの様な短い編集されたワンショットでうまく立ち回れ、気の利いたコメントを発せられる政治が横行する。それができなくてもいい政治ができる政治家は五万といる。いやむしろ、こちらの方が本物の政治家ともいえる。
 
 政治家にテレビ芸人の様な瞬間芸なんか必要でない。その場限りを上手くやって、耳目を引きつける政治手法を多用しだすと必ず、攻撃しやすい敵をでっち上げ、自分をその敵と果敢に戦う「正義」「正当」と押し出す必要がある。こうした劇場型の政治に翻弄されているうちに多数の国民の利益は損なわれ、とんでもない状況に連れて行かれる。
 
 国民にとって政治的抑圧は政治的暴力の様な物理的なものとばかりは限らず、空間情報の圧倒による脳内、感覚への暴力もある。人間は動物だから、実際に目に見えて、同時に耳に聞こえる情報を架空と知らされなければ、事実と納得する習性が抜けない。
 
 マスコミを宣伝扇動の道具に意識する政治家にまともな熟考を常とする政治家は絶対にいない。
その時々の感情とスタイルを常に気にかけ、いかに多くの大衆を巻き込むかを念頭に置いている。
 
 大阪府のハシモト、名古屋の河村、東京の石原。
みんな、同じ政治手法の者どもである。
 
宮城県知事の某もその一種ではないか?
その臭いがする。
 
 勘違いが過ぎている。相手を待たせておいて、颯爽とドアを開けて入ってくるなり、いきなり握手を求めるその場の雰囲気に愚弄されたと感じたから、松本は腹を立てたのだと想う。
 
礼を失している。
 
 自分は会見の定刻に行ったとかは関係ない。
 
普通は、先に来て、待っていたモノに一言、あるべきであろう。
 
その後の握手は自分から手を際し述べるのではなく、頭を下げて、相手の様子をまず見るべきであろう。
全てやっていることの立場は真逆だろう。
 
 この若造はこんなことも知らんのか、と腹を立てるモノが普通の感覚だ。
 
言葉に出して言う云わないはあるが、云ったからといって、大したことでない。
むしろ、こういう人間にはその場で云ってやらなければ気付かない。
 
自衛隊出身者には閉ざされた空間生活が長いせいか、世間の常識からかけ離れた人格が育ちやすい。
特殊空間の生活で世間一般になじめなくなったモノをズット輩出している。
 
 >軍人と民間人の置かれた世界、空間は次元がまるっきり違うし、また次元の違う世界になじまなければ、、軍人は務まらない。普通とは違う空間に身を置き、判断力、戦闘力をつける訓練をしている。
違った感覚の人間をわざと育成している。
 
 その彼らが外に出てきて、その論理、作法を修正できず、政治をやれば、どうなるか?
いやどうなったか?戦前に。目的と手段の関係が硬直し、政治の幅が狭まり、最後は国政の選択肢をなくさせた。
 
 反対するモノがいなかった?から、国内的に騒動が起こらなかった、騒動が起こっていたほうがよかった、となる。
 
 同じ自衛隊出身の鹿児島、阿久根市の竹原も目的のために猪突猛進して、騒動を起こしている。
 
 騒動がまだ日本には起こる余地がある。
 
 
宮城県知事は壊滅的打撃を受けた宮城県漁業を再建するため、漁業分野への商社などの民間資本導入を画策し、漁協との軋轢を引き起こしている。
いわゆる漁船を災害で失った漁師はサラリーマン漁師でいいではないか、ということらしい。
どこまで規制を緩和するのか、揉めている。
 中央官僚の意向もあるらしい。
 
 農業への民間資本参入は田んぼ、畑の生産手段に固定性があり、これがいわば固定資本だ。
 
ところが漁場はイロイロな条件に左右されるから、固定資本とは云い辛い。
 
 となれば、民間資本に開放されると、漁船漁具などの装備の優劣で漁獲高が変わってくる。つまり、沿岸漁でさえ、大資本が中小資本を駆逐する。儲けを多くするためにはサラリーマン漁師の給料は安く抑えられる。その比率は農業より多くなる必然性がある。
 
 こんな沿岸漁業に民間資本をバンバン参入させる漁業をやっている国が果たして世界中に有るのかどうか?
いくら政府にカネがないと云っても、先を急ぎすぎだろう。
 
 民間資本に大きく市場が開放されると、小林多喜二の「蟹工船」の世界が再現される?
極端にいえばそういうことになる。
 
目先のカネだけの合理主義で割り切れるモノでもなかろう。
 
 そういうことを踏まえて松本大臣はあなた方で調整しろと言っている。
 
当たり前の政治の道筋であり、被災した地元が意見を出し合って自己調整し、国に要望し、再調整する。
この手法でなければ、資金と時間のロスが生まれる。
 
 国が何でもかんでも震災対応を急ぎすぎたら、土建や政治の跳梁跋扈を許す。
ドサクサに紛れて、やりたい放題の金権、中抜き、利権政治は土建や政治のお得意の事である。
 
民主党幹部の中では実家が九州の有名なゼネコンで土建政治の実態を知りぬいている松本龍しか適任者はいないと見る。
 
>北は青森から、南は茨城あたりまでの超広範囲の沿岸部が復興の対象であり、実情をリアルに知らない大臣では実務はこなせない。もちろん官僚など単なる事務屋だ。
 
地元と担当大臣がしっかりする必要がある。
 
>テレビなどマスコミはなにも事情が分からず、ホンの狭い隙間から、覗いた結果を国民に伝えている。
煽られてその気になる国民が結果的に損をする。
震災復興はプロがみんなの意見を集約し差配すべき仕事。上に立つモノがプロでなければ土建屋に食われる。
 
 これは福島原発事故現場にも当てはまる。
なんだかんだ言っても現場収束作業は東電でなければ、やりきれない。
 
 私が国の関与を主張したのは、現場で働く労働者に基地とした報酬が払われるべきとの観点に立ってのこと。
事故原発現場作業の指揮は国ではできない。
 
国側に原発のプロがいないという海江田大臣の言葉は重い。