反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

太平洋沿岸の地震、津波被害を実態を過去に遡って調べた結論。一つの不幸にもう一つの不幸、さらに危機的事態が重なってきたが、今まで上手くきりぬけてこれたが、今後はどうかな?

 大阪中心部を流れる木津川にかかる橋のたもとに、1954年の安政東海地震とそれにすぐ引き継ぐ、安政南海地震による津波被害の実態を当時の地元有力者が記した記念碑が立っている。
 東日本大震災が発生する以前からその存在は何となくわかっていたが、3,11震災発生後、改めてキチンと記されている文言を読みいつか記事にしようと温めていたところ、7月8日付けの産経ニュースが取り上げている。
 
 そこで、この記念碑を離れて、太平洋側の過去に起きた大きな地震津波を調べていた。
太平洋側で大陸プレートの下に海洋プレートが沈み込んでいる。
この地球規模の巨大地盤変動の溜まったストレスが一気に解放された瞬間に巨大地震と巨大に津波は発生する。
 このたまったストレスの一気の解放は避けられない。
過去の歴史をひも解くとある周期で巨大地殻変動で溜まったストレスは解放されている。
巨大地震、巨大津波は避けられない、必ず発生する。
 
時間をかけて検索できる限り、丁寧に調べていくと、終いには、改めて日本列島に住むという事がどういう事か解った様な気になる。日本人は大変なところに住んできた、とつくづく想ってしまう。
 
 余りにも大きな地震津波が頻発しすぎている。
 
 酷い時はこれでもか、かれでもか、というほど大地震が連発されている。
 
 安政の時代は特に酷かった。1954年と安政東海地震遠州灘震源地として発生すると、その直後、32時間後に安政南海地震に連動する。ともにM8の巨大連動地震の次の年、1955年には江戸荒川沖を震源地とする直下型大地震が発生する。
 
 安政時代は全国化した地震騒動ばかりでなく歴史上有名な黒船が1953年に来航し、翌年、幕府は不平等条約を締結せざる得なくなっている。
 
 巨大津波を発生させる海溝型地震、揺れの激しい首都直撃の直下型地震に外交的危機が折り重なっている。
 
もうこうして書いていると、中世の方丈記の文脈を彷彿させるハチャメチャ混乱、混とんぶりである。
 
 天変地異による一つの大不幸に、もう一つ重なり、それで終わるかと想えば、次の年も大地震が襲来する。その途中で、黒船が来航して不平等条約を強いる。
 
 大阪市の木津川にかかる橋のたもとの記念碑の文言の中で反省の意味を込めて1707年の宝永地震の惨状が月日を経過するうちに忘れ去られてしまった、と書かれている。
 
 安政地震発生の150年程前の宝永地震東日本大震災が起こるまで歴史上、一番の巨大地震とされてきた。
震源域は安政の東海、南海地震と同じで、この時発生した津波の最高のモノは28メートルもあったと云われる
 
宝永地震のたった、4年前、1703年には元禄地震が江戸を襲っており、この地震を契機に元号が元禄から改号され宝永となっているのだが、改号には何の御利益もなかったのだ。
 
 元禄地震、宝永地震とうち続く中で幕府は財政難を切り抜けるために低品位の銀貨発行するが、悪貨により麦価の急激な高騰を招き、1710年ごろにはそれまで好景気に支えられてきた元禄文化に終止符がうたれた。
 
 先頃、本屋で副島隆彦さんの東日本大震災復興経済による需要増からの「好景気」の局面から、その後のハイパーインフレを予測した経済本を見かけたが、当然、この辺の歴史的事情も踏まえてのものであろう。
復興債で当面の資金繰りは政府投資に引っ張られて、国内需要の一時的に伸びる局面が出てくるが、財政赤字、慢性的デフレ傾向、世界市場での競争局面の悪化などの負の要因が高いインフレを呼ぶ。
 日本や世界の先進国での慢性的過剰生産、過剰資本の下では復興経済に政府が投資しても、経済波及効果として民間では土地投機などに吸収されてしまう部分が大きくなるだろう。
 
 ドル紙幣を増刷しても金融投機に流れているアメリカほどひどくはないが、日本経済にも同じような体質が定着している。景気の上向きはバブル的傾向と同時進行になる。
東日本大震災の北から南までの沿岸部の土地が投機対象となる可能性も出てきている。
 
 イロイロ難しい事が出てくるから、事情を知ったプロが政権の中で仕事しなければならないと、私は想っていたが、松本龍の辞任は残念。言葉の行き違いなんかどうでもいいのに。
 
 副島さんの経済本の予測の内容は知らないが、復興経済は最終的にインフレになると云うのは歴史を踏まえたオーソドックスな予測だと想う。
 
 ただでさえ日本の将来は厳しいのに、大震災、原発事故でどうしても国債を使わなければならないので、厳しい。世界的に見て日本経済は停滞する期間が長すぎた。この大本が改善されない限り、復興需要は投機含みに進行する。やがてそれは、インフレになる。慢性的不景気とインフレの同時進行するスタグフレーションだ。
 
 救いは巨大新興国需要だけだな。
ただ、ここも上手くいかんだろう。日本にはアメリカの手先の様な奴らが邪魔をする政治構造が定着化している。
 
 最後に。
今回の東日本な震災と原発事故。
1896年の明治三陸地震の教訓は生かされていなかった。
震源地は岩手県沖。M8、2~8、5。
津波の高さは高いところで28mに達したという。
なるほど、それもあってか、リアス式の海岸線の顕著な岩手県には原発が作られていない。
 
で、宮城と福島に作った、というわけだろうが、そこにも巨大地震津波が襲来するという可能性は都合よく、自分達で消去してきたようだ。
 
 想えば、巨大地震頻発の太平洋岸で原発が立地しているところは、福島、宮城を除くと静岡県の浜岡だけだが、それ自体も余りにもいい加減すぎないか。そこにだけ作れるという根拠薄弱。
悪く言えば、頭隠して尻隠さず。
 
 もっとも、日本国じゅう安心して原発が立地できるところなんかどこにもない。
海岸線は全国どこに行っても、地震による地盤沈下津波伝説に事欠かない。
 
 結局、戦後経済成長一本やりでやってきて、頭がぼけ切ってしまったのか?
国民も勘違いが激しすぎる。マスコミはそんな国民に薄利多売だから、迎合し、増長させる。
 
 以上の様な意味も含めて、諸方面から、今回の大災害だけは、うまく切り抜ける可能性が低いとみる。
主体側にも客体側にも条件が乏しい。
 
 
  <追記>
 西暦年号の表記が間違っています。安政年間だから全部、1853年、1854、1855年。
1854年安政、当時の石碑記されている内容文と詮索で調べた事が一致しない。
 
 石碑に記されている、1854年の地震津波のの事実経過はこうなっている。
 
1)  1854年6月第一波の地震が大阪を襲来する。
       この地震で奈良、三重方面の被害の状況が記されている。
   大阪の町屋住まいの女子供、老人は地震の揺れによる家屋倒壊を恐れて、空き地や水辺に仮屋を立てて   避難生活を開始する。このとき、船上生活なら大丈夫だろうと船で生活をするものも多くいた。
 
   >>詮索ではこの6月の地震は記録されていない。確認できない。
 
2)  1854年11月の安政東海地震から検索で確認できる。
    石碑にもこの地震の大きさは書かれているが、
 
3)最も被害を大きくしたのは、その直後の1854年の南海地震による大津波
    碑文に大阪中心部、上町台地下の島の内まで1,5Mの泥水が流れたとの記述からこの時の津波は約5 Mほどでなかったか。 
 碑文の位置するところは、河口に近く、一気に到達した津波と船などの漂流物で壊滅的打撃を受けた。
 ちなみにこの碑文の地元は司馬遼太郎の生家のある地域。昔から材木商の多いところ。
 
>>>要するに1854年の連続する安政東海地震、南海地震はその前の初夏の大きな地震の5ヶ月後に立て続けに発生した地震ということになる。従って記録に残っているのは二つの地震は被災地の実態は初夏から群発した地震の仕上げの様な激震だった。
 
 初夏から地震が続いていたから、大阪の町屋の人々は家屋の倒壊を恐れて家を捨て仮屋住まいを余儀なくさてた。
 空き地といえば、当然、大阪中に張り巡らされていた運河の近くに住まうことになる。
そこに、一気の大津波が襲来し、多くの犠牲者を出した。
 
 大阪は運河が多く、船の交通の盛んなところで運河に浮かぶ船は津波に流され、大阪、八百八橋をなぎ倒した。碑文にはそう書かれている。
 
 やはり、グーグルなどに記録されている事実と実際の当時の被災現場の実態は大きく違っていたということだ。
1854年の安政東海、南海地震の生々しい現実はもっとすごい群発地震だった。
もちろん当時の家屋の貧弱だった事もあるが。
 
 しかし、一旦地震の発生する周期に当たれば、常識外の連続地震が発生する事は肝に銘じるべきだ。
 
一説では戦後の高度成長期は日本では珍しい地震のない時期にあったていたそうだ。
なるほどそういえば、記憶にあるのは新潟地震で万代橋が倒壊したり、石油タンクからもうもうと煙が上がっていたことぐらいしかあの時期地震の記憶がない。
 
 一端、地震の活動期になれば、短い周期で大地震が発生するようだ。阪神大震災以後から東日本大震災の間にも大きな地震が襲った。
 
 過去の地震の記録を見ると、日本で一番の地震の巣はなんといっても、東海から南海沖の海溝という結論に達する。
 この地域の直近の大きな地震は1945年の南海地震
だいたい、100年ほどを周期としているらしいから、今世紀半ばまでには大地震が発生する確率となる。
この地域の地震の特徴は海溝地震であり、東海から南海まで広い範囲で連続する地震
この前、和歌山県内陸部で震度5地震が発生した。
 
 そもそも、日本列島は九州阿蘇山あたりから、北は茨城あたりまでを串刺しにした中央構造線が日本列島の組成事態の太平洋側と日本海側の構造を二分する。
太平洋の組成は地下30kmに一旦、沈んだプレート隆起している。
 
 この壮大な地学史的事実を言い換えると、その間にズット大地震が繰り返されてきたということだ。
そうでなければ、地下30kmから、巨大地盤が持ち上がるはずがない。
 
 列島に定住してきた日本人は地球規模の歴史にズット追い立てられてきた。
過去の経済の国際交流の少なかった時代はそれでもやってこれた。むしろ天変地異の激烈さが日本人にいい方に作用した。日本人はのんびりしていない。抜け目なく動き回れる。
 
 が、グローバル経済で世界中の多くの人に日本人の様な経済第一が増えるとどうなるか?
結局は、その国、その民族の持っている資源としての大きさが左右する。
量は必ず、どこかで質に転化する。
 歴史の中で逆転現象は繰り返されてきた。
 
私はよく大阪を引き合いに出すが、経済状態が飽和すれば、どう足掻こうが停滞は避けられない。
無駄なことはやらず、地道に暮らすことだ。
 日本全体も大きく言えば大阪と同じ。飽和している。
足元を見つめるべきだ。
 今発生している国内の政争の根本は停滞の中でのパイの分捕り合戦とみる。