東日本大震災が発生する以前からその存在は何となくわかっていたが、3,11震災発生後、改めてキチンと記されている文言を読みいつか記事にしようと温めていたところ、7月8日付けの産経ニュースが取り上げている。
太平洋側で大陸プレートの下に海洋プレートが沈み込んでいる。
このたまったストレスの一気の解放は避けられない。
過去の歴史をひも解くとある周期で巨大地殻変動で溜まったストレスは解放されている。
時間をかけて検索できる限り、丁寧に調べていくと、終いには、改めて日本列島に住むという事がどういう事か解った様な気になる。日本人は大変なところに住んできた、とつくづく想ってしまう。
酷い時はこれでもか、かれでもか、というほど大地震が連発されている。
安政の時代は特に酷かった。1954年と安政東海地震は遠州灘を震源地として発生すると、その直後、32時間後に安政南海地震に連動する。ともにM8の巨大連動地震の次の年、1955年には江戸荒川沖を震源地とする直下型大地震が発生する。
もうこうして書いていると、中世の方丈記の文脈を彷彿させるハチャメチャ混乱、混とんぶりである。
日本や世界の先進国での慢性的過剰生産、過剰資本の下では復興経済に政府が投資しても、経済波及効果として民間では土地投機などに吸収されてしまう部分が大きくなるだろう。
ドル紙幣を増刷しても金融投機に流れているアメリカほどひどくはないが、日本経済にも同じような体質が定着している。景気の上向きはバブル的傾向と同時進行になる。
東日本大震災の北から南までの沿岸部の土地が投機対象となる可能性も出てきている。
イロイロ難しい事が出てくるから、事情を知ったプロが政権の中で仕事しなければならないと、私は想っていたが、松本龍の辞任は残念。言葉の行き違いなんかどうでもいいのに。
副島さんの経済本の予測の内容は知らないが、復興経済は最終的にインフレになると云うのは歴史を踏まえたオーソドックスな予測だと想う。
ただでさえ日本の将来は厳しいのに、大震災、原発事故でどうしても国債を使わなければならないので、厳しい。世界的に見て日本経済は停滞する期間が長すぎた。この大本が改善されない限り、復興需要は投機含みに進行する。やがてそれは、インフレになる。慢性的不景気とインフレの同時進行するスタグフレーションだ。
救いは巨大新興国需要だけだな。
ただ、ここも上手くいかんだろう。日本にはアメリカの手先の様な奴らが邪魔をする政治構造が定着化している。
最後に。
今回の東日本な震災と原発事故。
津波の高さは高いところで28mに達したという。
悪く言えば、頭隠して尻隠さず。
もっとも、日本国じゅう安心して原発が立地できるところなんかどこにもない。
結局、戦後経済成長一本やりでやってきて、頭がぼけ切ってしまったのか?
国民も勘違いが激しすぎる。マスコミはそんな国民に薄利多売だから、迎合し、増長させる。
以上の様な意味も含めて、諸方面から、今回の大災害だけは、うまく切り抜ける可能性が低いとみる。
主体側にも客体側にも条件が乏しい。
<追記>
西暦年号の表記が間違っています。安政年間だから全部、1853年、1854、1855年。
1854年安政、当時の石碑記されている内容文と詮索で調べた事が一致しない。
1) 1854年6月第一波の地震が大阪を襲来する。
この地震で奈良、三重方面の被害の状況が記されている。
大阪の町屋住まいの女子供、老人は地震の揺れによる家屋倒壊を恐れて、空き地や水辺に仮屋を立てて 避難生活を開始する。このとき、船上生活なら大丈夫だろうと船で生活をするものも多くいた。
>>詮索ではこの6月の地震は記録されていない。確認できない。
2) 1854年11月の安政東海地震から検索で確認できる。
石碑にもこの地震の大きさは書かれているが、
碑文の位置するところは、河口に近く、一気に到達した津波と船などの漂流物で壊滅的打撃を受けた。
ちなみにこの碑文の地元は司馬遼太郎の生家のある地域。昔から材木商の多いところ。
>>>要するに1854年の連続する安政東海地震、南海地震はその前の初夏の大きな地震の5ヶ月後に立て続けに発生した地震ということになる。従って記録に残っているのは二つの地震は被災地の実態は初夏から群発した地震の仕上げの様な激震だった。
初夏から地震が続いていたから、大阪の町屋の人々は家屋の倒壊を恐れて家を捨て仮屋住まいを余儀なくさてた。
空き地といえば、当然、大阪中に張り巡らされていた運河の近くに住まうことになる。
そこに、一気の大津波が襲来し、多くの犠牲者を出した。
大阪は運河が多く、船の交通の盛んなところで運河に浮かぶ船は津波に流され、大阪、八百八橋をなぎ倒した。碑文にはそう書かれている。
やはり、グーグルなどに記録されている事実と実際の当時の被災現場の実態は大きく違っていたということだ。
もちろん当時の家屋の貧弱だった事もあるが。
一説では戦後の高度成長期は日本では珍しい地震のない時期にあったていたそうだ。
だいたい、100年ほどを周期としているらしいから、今世紀半ばまでには大地震が発生する確率となる。
太平洋の組成は地下30kmに一旦、沈んだプレート隆起している。
この壮大な地学史的事実を言い換えると、その間にズット大地震が繰り返されてきたということだ。
そうでなければ、地下30kmから、巨大地盤が持ち上がるはずがない。
列島に定住してきた日本人は地球規模の歴史にズット追い立てられてきた。
過去の経済の国際交流の少なかった時代はそれでもやってこれた。むしろ天変地異の激烈さが日本人にいい方に作用した。日本人はのんびりしていない。抜け目なく動き回れる。
が、グローバル経済で世界中の多くの人に日本人の様な経済第一が増えるとどうなるか?
結局は、その国、その民族の持っている資源としての大きさが左右する。
量は必ず、どこかで質に転化する。
歴史の中で逆転現象は繰り返されてきた。
私はよく大阪を引き合いに出すが、経済状態が飽和すれば、どう足掻こうが停滞は避けられない。
無駄なことはやらず、地道に暮らすことだ。
日本全体も大きく言えば大阪と同じ。飽和している。
足元を見つめるべきだ。
今発生している国内の政争の根本は停滞の中でのパイの分捕り合戦とみる。