しかし、あの番組はほとんど聴かない。
理由ははっきりしている。大阪府知事ハシモトに無批判で迎合しているからだ。
大阪のマスコミはほとんど、その様な傾向がある。
今はイロイロな意見はあるが、やはり社会科学という社会、経済を突き放して大きな観点から冷静に分析する方法論は古臭くなっていない。
変な例えだが、競馬の予想は誰でもほとんど当たらないが、予想する時、過去を振り返る、現状をみる、そしてどういう結果になるか想定する。馬券を買うほとんどの人は無意識でこういう方法論をとっている。
関西マスコミのハシモトの所業に対する姿勢は競馬親父にさえ劣る、非科学的感情的なモノといわざる得ない。
>どうしてそんなことになっているのか?
戦後、高度成長が終わった時期あたりから、ズット続いてきた大阪の停滞が閉そく感となって、ここまで積もり積もってきた。普通の庶民はそこまで考えて毎日の生活を送っていないが、知識で飯を食っている人間はこの事実を強く意識せざる得ない。
>関西経済の停滞は厳密にいえば、イロイロな側面がある。
その一。戦前戦後のある時期まで全国NO1の経済力を誇ってきた位置からの歴史的時間をかけた現状への転落である。
具体的数字を揚げよう。
1930年工業生産指数。
大阪 996。 東京、818。 兵庫、629。 愛知、448。 神奈川、295。 福岡、229。
大阪と兵庫をほぼ一体の経済圏としてみると関西経済圏の戦前経済に占める割合は今現在と比較するといかに大きかったかわかる。
戦後の高度成長期までは低落傾向はあったモノのNO1に地位は保っていた。
高度成長期間中に関西経済圏の比重が急激に小さくなっていった。
よく大阪で云われる、地元の名のある大企業の本社機能が東京に移転しだしたのはこのころからだ。
以上、歴史的時間をかけた経済力の低下だ。裏返していえば、経済的地位の相対的低下の原因は根深く、解消し辛いということだ。
モノづくりの環境としても最適でないし、モノを売る環境としても限界があるから、企業の投資力が相対的に縮んできた。経済環境として飽和しているのだ。これ以外の例えようがない。
>多くの大阪の知識人はこんな当たり前のことは分かっているのに、肯定したくなく、なんとかなると想いたい。
完璧な主観主義に陥っている。
諦める必要はないが、経済成長一点に絞って評価する道から離れた別な道があるとは、金儲けに凝り固まっているので考えられない。関西では一番、現状に合った適切な道を提出するモノは少数派である。
私の見たところ共産党の地方政策が一番筋が通っており体系性がある、と認めざる得ない。
その二。
戦前の経済力NO1は労働集約産業に力に支えられていた。
そもそも、戦前の日本の工業生産力を世界に比較してみると、こうなる。
1929年景気後退直後の工業生産%(エマニュエル、トッド本より引用)
アメリカ、44,5%
ドイツ 、11,6%
イギリス、9,4%
フランス、7、%
ソ連 、4,6%
イタリア、3,2%
日本、 2,4%
この割合をみると日本の工業生産は民生品生産を蔑にして軍需生産に特化していたと想像できる。
>ところが、大阪兵庫の工業生産は労働集約産業の力に支えられていた。
民生品、汎用品の生産を一手に引き受けていた可能性もある。
>この面での安価な労働力である在日朝鮮人の人口統計をみるとこうなっている。
1936年 224749人 170339人
1939年 274769人 207332人
1942年 412748人 317732人
韓国主要都市人口1942年、ソウル 930547人
大阪市 317732人
ピッヨンヤン283517人
プサン 240033人
>前日に記事の中で1937年の大塩平八郎の決起に言及したかった。
天保年間、大阪中心部の全人口の3分の1ほどが浮浪状態に置かれていた、との記録がある。
大阪は一種の自由経済をやっていて、周辺から人が集まってくる。天候不順などの要因で食糧事情が悪化すれ、庶民は底辺から食えなくなる。
このような過剰労働人口の存在が大阪工業発展の基礎の基礎である。
その三。
大阪で知識で飯を食っている人の東京への対抗意識はまだ根強く存在するが、最近はコンプレックス気味。
このような事情がハシモトへの過剰な思い込みの底流にある。
主観的に何とかしてくれると想い込みたい、と。
また、大阪の人間は基本的に身内意識も強すぎる。全国イロイロなところから人が集まっている東京都との違いはヒトとヒトとの間隔が表面だけだが近い。
ハシモトは以上の様な大阪の事情の中で育まれた。
>>大阪都構想への批判はすでに定番化されている。
そのいずれも的を得ている。
どうしてか?
>すでに長々と説明してきているように、大阪経済はどう足掻いても成長しない、成長する要因は乏しい。
歴史的社会構造、経済構造に根差した長期低落傾向であり、歯止めは決して掛からないいモノである。
戦前、ハッキリした構造に根差してNO1の位置が確保されていた。
今現在も云われている大阪には中小企業が多い、とか特殊大阪的なイロイロな社会経済実態は歴史的に引き継いだものである。
ハシモトは財源を傘下の自治体から取り上げて何をするのか?
またしても歴代が失敗した大規模開発か?
大企業誘致か?
全部今まで試みられて効果の上がらなかったことであり、行政手法を変えて何とかなるモノでない。
そんなことではどうにもならない実態が大阪にはある。
ましてグローバル経済とグローバル資本の世の中。
ハシモトらがこそこそやっても無駄な動きに終わり、結果的に富が庶民から大企業、富裕層に移転することに終わる。パイの大きさが変わらないとしたら、そうなる他あるまい。
経済が飽和して発展しようがないところで、成長の幻想を追っていく方法は徹底した市場原理主義しかない。
そして、成長が幻想なのだから、パイの取り分を大きくすることにしかならない。