しかし、その発言内容を確認しても、何か不思議な気がする。
野坂さんの自叙伝は1973年1月~1973年12月まで雑誌「現代」に連載されたものをまとめたものだ。
1945年の日本敗戦のとき、15歳だった著者、42歳の作品。敗戦から27年目に書かれた。
自叙伝を書いた当時の野坂さんから、神戸大空襲、その後の数々の小説の題材になった焼け跡闇市体験は27年前。このブログ記事を書いている今の自分からみて野坂さんの自叙伝は37年も前になる。
日本の敗戦から、今年で66年目に当たる。
時空を超えて、イロイロナ想いが浮かんできては消える。
それを一々書いたら、横道にそれるが、じっくりと考えて見るのが、オリジナリティなのだが、今はその時間がない。
ただ、本論に沿って云えば、キチンと書かれた小説は文学なのだが、その力は生み出した作家の手を離れて、独り歩きしている。現在からみてもイロイロナ解釈可能であり、その威力は一種の魔力を持って失せないし、普遍性がある。
現在の野坂さんの脱原発発言は彼のこれまでの作品、発言から、当然のモノである。
そのような角度からの発言は多くに識者と共通するものであって、そこにそれまで野坂昭如の生み出してきたオリジナリティを垣間見ることはできない。もちろん新聞コラムはそれを表現する場でもないが。
ところが、
野坂昭如42歳で記した自叙伝はものすごい威力を発揮して、私に迫ってくる。
そこで出てきたキーワードがタイトルにあるように
「国家の都合、社会の事情、個人の判断=行動」ということになった。
原発事故で暴走する核燃料に対して人間側の対応をまとめ上げると、これに尽きると思う。
>原発事故発生以降、管政権は国家の立場に立って動いてきた。
事故発生後の避難区域の設定。情報開示の仕方、内容。限界放射線被ばく量の各設定変更。ETC。
これらの手法は野坂昭如の描く大空襲への当時の政府の対応と本質的に何ら変わっていない。
大空襲の真の情報は開示されなかった。というより、戦争遂行の目的が優先される中で政府自身が自己中毒に陥って、客観的な軍事情勢がもたらす事実に自ら目をふさいだ。
間違いなく当時の大本営発表のウソは今と比べ物にならないほど、酷かった。
>が、住民に対する直接被害という面では、程度の問題である、という意見も成り立つ。
それが証明されるのは、時間が経過して、被爆者の犠牲が明らかになってからだろう。
何度も繰り返しているように、私には現時点で判断しかねる。
ただ普通はアメリカ側が事故当初、設定した70km避難が妥当ではないか。
住民避難への不手際は戦前の大空襲への対応と体制として本質的に変わることがなかった、ということに尽きる。
都市の住民は大空襲の不可避の下に事実上、放置され、ほとんど役に立たないばかりか、犠牲を強いる原因なった防空訓練に駆り出されるだけだった。逃げに徹していれば、圧倒的な人々の命は救えた。
避難区域の設定の限定に同じ体質を見る。
管政権が、と云うよりも、官僚体制の戦前戦後の手法の継続ということであるが、国家は元々、社会とは大きな溝のある別個の組織体だから、そのような傾向を本質的に持っている。
しかし、程度の問題は大きい。
民主主義度合いが高くなれば、住民サイドに国家は立たざる得ない。
日本ではその点、どうだったか、これからどうなるのかということである。
力関係の中で決せられる側面が強い。先を見通して、上手くはめられないようにしたいものだ。
>住民側は明らかに今のほうが情報を入手できる立場にあった。
神戸大空襲の時、住民側はわかりやすく云えば、政府に騙されて、あえて身を危険に晒し、当然の結末を其々迎えた。完全な一方通行の情報の洪水の中で、共同意識として浮遊していた。その結果、みんな一緒の連帯意識の中で大空襲に押し流されてしまった。
>野坂昭如の描く神戸の街中には空襲の切迫下にあるにしては不思議ともいえる、「平穏な」日常生活が営まれている。
>>集団としての庶民はどんな残酷、非常事態にもその時々の事情に適応して、営みを続けていくものらしい。
動物的類としての本質を持つ人間の逞しさと云おうか、弱さと云うべきか。
そこに付け入った政治体制と云うモノが過去も現在も最悪の政治体制だろうし、政治家だ。
>>原発事故のような緊急事態に対して、個々人の判断=行動ができる環境に少なくとも今の日本はある、と想う。
当時の神戸では疎開は敵前逃亡と云われていたらしい。
野坂の養父は石油の卸販売会社の幹部であり、日本側の戦況の物質的な不利な点は理解していたというが、疎開の決断はなかった。
「横断歩道みんなで渡れば怖くない」と云う住民の共同意識、「敵前逃亡」「本土防空」
のイデオロギーが判断力を奪った。
>原発事故に関する情報は考えようによっては溢れている。
社会の縛りの中で少なくとも、逃げたらダメという圧迫はない。
個々がおかれた状況はそれぞれ違っている。無理に押しなべる必要はない。
>>キチンと情報を収集できた時点で判断し、行動したほうが良いに決まっている。
究極的には逃げる逃げない、どう対処するか、ということである。
>私が福島市に住んでいたとしよう。絶対に逃げない。逃げることのほうがリスクが大きすぎる。
増して東京にいたら、論外と云おう。
以上は原発事故情報、個人的事情を十分考慮した判断である。
>ただし、人それぞれ人生観、生きる基準がある。
それに現状が抵触する場合がある。
で、あればそういう観点からの避難は大いにやるべきだ。社会の風通しが良くなる。人は自由であるべきだ。
<追記>
日本人は大緊急事態に逃げる、事の不得手な国民性がある様な気がしてきた。
ユーラシア大陸、数千年の歴史は民族大移動、大侵略の「国家?興亡」「民族興亡」の歴史だった。
その折々において、民は自分勝手に、今からすると、そうした歴史的行為に従属したり、抵抗してきた。
ここにスケールの大きな集団レベルの庶民の葛藤が生まれる。
逃げるべきか、逃げざるべきか?逃げないとしたらどう対処したらいいのか?
そういう集団の葛藤、決断の過程が、個々の集団に及び、最後は最も小単位の家族や終局的には個人に及ぶ。
たび重なる大陸規模で発生した超緊急事態に統治機構の上っ面が翻弄されれば、民は別の行動原理で動くしかない。それが生活の知恵だ。
統治者の側がキリスト教でそのような生きた民の歴史を閉じ込め、統合しようとしても、無理だった。
近代史における個人のありようはこうしたルートで確立されたのではないか?
その時、中世都市国家の経済的政治的自立性が果たした役割は実に大きい。
小さな都市の範囲に未来の近代国家の要諦が詰め込まれている。それは、ローマ帝国の様な広大な支配領域を持ち、その恵みを基礎とするものでない。
もっと住民と国家の利害がストレートに絡み合った世界だ。
イタリアではムッソリーニは公衆の面前で吊るし首にされた。
東アジアの最果ての狭い山岳地帯が大半を占める列島で何が起こっても、対して逃げ延びることのできなかった日本人の宿命は民族性を刻印した。
そして近代国民国家の成立である。逃げられるけれども、逃げられない、見えない鉄鎖が国家幻想、労働力のの資本隷属へと打ち続く。
だから、ではなく、本質的に人類の歴史化すれば、福島原発事故による核種飛散や核汚染に対しては、とりあえず、逃げ回るという選択が本質的に正しいのである。
歴史に刻まれた人類の長い歴史からみて。
またそれが、巡り巡って、今日の文明を形成してきた大きな源泉といえよう。
だって、アメリカ合衆国、事態が逃げ延びた人たちの「楽園」だった。
「日の丸君が代」に起立しない日本人は本当の日本人である、という論理も一方の当たり前の思考である、という意味と似てなくはない。
少なくとも、私はどんな場でもこれまで、そうしたモノは拒んできた。それが正しいと自分で確信しているからそうしてきた。
単なるアンチでない。国家とはこうあるべきだという信念に基づいている。国家暴力装置のあり方に想いを馳せているのだ。
だから、その瞬間に誰よりも未来の国家主義者になっているかもしれない。
強烈な国家意識があるから、現日本国家のありようは否定する。
わが基本原則に立ち返れば、原発事故で東京からでも避難する方は正しい。
本文中の私の断定は間違っている。
個人の事情を書いたまでで、それをあたかも真実の様な振りで書いている。
考えが狭かった。目先の間違いである。