日は東に昇り、西に沈むが、傾いた命の夕日が沈むと、再び東から昇ることはない。ヒトの生は一回限り。
宇宙、大地の永遠の輪廻からすると、ヒトの一生は瞬きのごとく、無きに等しい。瞬間の様な一生ならば、死ぬも生きるも大した違いはない。
前の記事、「隠者の文学」石田吉貞。
革命的名著などと銘打って見たものの、じっくり読みこんでみると、大したことはなかった。
300ページにわたる文庫本。気になるところに蛍光タブを一杯貼り付けて、再読してみたが、論理展開がまるっきり深化されていないとわかった。
読み返してみると、私が最も知りたい中世後期の無常感の掘り下げが、まったくなかった。
平安貴族、平家などの滅びるモノ、死をしいられるモノの必死の反抗としてあった無常感など、私にはどうでもよい。
天皇や貴族絡みのことは、昔から無関心。興味が全くない。古代史など研究書が大きな図書館の陳列棚にズラッと並んでいるのを見ると、こいつ等バカだ、想っている。
とても実証できない歴史を云々する立場を排す。それはロマンではない。イデオロギーを取り扱っているのだ。日本ではそういう結果しか生まない。そういう冷めた認識がなく、歴史を取り扱う「専門家」を軽蔑する。
従って、私の立場からすれば、無関心、無感動、無自覚な興味ない分野(天皇制、貴族)に関して、特別に反対も賛成もしない。特別視したい人たちは勝手にやってくれと云うことだ。昔から、その感覚である。
「日の丸君が代」には起立しないことにしているが、特別な決意のもとにやっているわけではない。
例えて云えば、カミユ「異邦人」のムルソーの様な心境だ。
どうでもいいのだ。
だから起立しない。
ただし、日本固有の歴史である以上、知らなくてはならない、という意識は絶えずある。
だから出かけて行って、調べる。伊勢神宮の中身は古代風を装っているが、外見的佇まいは完ぺきな日本中世のモノだ。山並みから流れる五十鈴川を背景にした伊勢神宮の周辺の風景は大阪泉南、泉佐野市に残っている有名な中世荘園、「日根野」の風景とそっくりだ。
前記事で取り上げた西行法師の和歌。
>心なき身にも憐れは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ
これを引用した著者の石田さんはサビ系の美の典型、万有、宇宙、を表現などと最大級に持ちあげているが、何のことはない、実際は中世荘園の在り来たりの風景に作者、無常感で胸一杯の西行が過剰な思い入れをオーバーラップさせたまでだ。
中世初期の荘園は土木技術見発達のため、沢の水を利用する取水上の関係から山裾に展開している。時代を経て生産力が高まるにつれて、平野部が開発されていき、遂には海辺の干拓まで至る。この地理的歴史観は中世史に興味があるモノだったら、今ではだれでも念頭に置いていることだが、昔の国文学者の石田さんの頭になかった。
だから、西行の「鴫立つ沢の秋の夕暮れ」への目の付けどころを最大級に持ち上げる。
当時はどこにでも見受けられた光景だった。大した和歌じゃない。
>私は中世後期のこの世を「夢幻泡影」とする悟りから、カオスの渦中に戦闘的に打って出た武士や庶民の行動主義にこそ関心があった。
そういう観点からの展開に期待していたが、残念。何もないも同然だ。
中世後期の虚無感から戦闘的行動主義に至る武士や庶民の姿、中身を書き込んで欲しかったが、石田さんは云う。
>「一切を夢幻だとすることは、一切を限りない虚無の悲しみに追い込むことになり、一木一草にも、深い存在の悲しみを感じさせることになる。」
そこから、松尾芭蕉の有名な句。
夏草やつわものどもの夢のあと。に続く。
何だよこれは!チットモ「この世、夢幻、無常感」の哲学的掘り下げができていないから、説得力が欠けている。
所詮学者さんだった。
とくにこの人、気になっていたのはおそらく教師として教え子を戦場に送っても、兵隊に行ったことがない。
1890年生まれ、だから、中国戦線が拡大した頃はすでに40歳、太平洋戦争開始に至っては50歳。
第一次大戦の日本軍は民間人からの徴兵はなかったはずだから、ここでも戦場を免れている。
いい意味では大正ロマンの教養を身につけている。戦場を潜った人だったら、哲学論ももっとリアル系に傾くが、その影響がなくて、昔流行った西田幾太郎系の日本的観念論を素直に基準に置いているところが新鮮だった。だから、蛍光タブヲベタベタ貼った次第だが、読み込むと大正時代の教養主義を出ていない。
死を覚悟した潜水艦の乗組員が最後に茶を静かにたてた、などという当時の報道を本の最後に蒸し返すのは
実際の戦場を体験していないからだ。
これでは、中世後期の武士や庶民の戦闘的輪廻転生感、この世夢幻感、行動主義の中身まで立ち入って展開できない。
>>ところで、こういう歌を検索から見つけてきた。
>人買ひ船は沖を漕ぐ とても売らるる身を ただ静かに漕げよ 船頭殿。
一期は夢よ、ただ狂へ
と同じ「閑吟集」に載っている、らしい。
「閑吟集」は1518年成立の庶民の小唄を収録したモノ。
奴隷にされた香川京子さん扮する安寿は身をはかなんで入水自殺して果てる。
が、母親の田中絹代さんはもういなかった。
仕官を辞して母親の消息を訪ね歩いて行き着いた先は佐渡だった。
そこで母親は春をひさぐ内、気がふれた老女になり果てていた。
多分、中世という時代背景抜き、ラストの重要シーン抜きの勧善懲悪ドラマにしてしまったのだろうな。
大雑把にいえば、中世において、農民として生まれたら、半分ぐらいは流浪の民、下人になるほかなかった。
戦争は下級の参戦者にとって、一方では焼き討ち、作物物品強奪(強盗強姦)、奴隷狩りの絶好のチャンスだった。戦乱の世の実相は農民や下級兵士にとって、領地云々ではなく、そういうモノだった。
黒沢明の「7人の侍」で田畑を野武士集団から守るため、浪人たちを徴兵する百姓の姿は半分ほどは真実である。確かに当時の百姓は武力をもった武士や寺社に従属して身を守ったのだが、逃げまどうだけでなく、身近らも武装し十分残忍に事にあった。村の掟を破ったモノには呵責なき制裁が加えられた。そこに今風のヒューマニズムはなかった。日常的な些細なことでも女子供さえ一気に殺していまう残忍性があった。
そういう時代。奴隷売買は特殊なことでなかった。後世の歴史のスポットがそこに当たっていなかっただけであるし、代表的な文献にはもちろん載っていない。
が、資料はあるので今はそうい方面からの中世、戦国時代の研究が進んでいる。
NHKに代表されるテレビ時代劇の最大の罪は歴史に翻弄されて、しかもそれなりに逞しく生きていく庶民の実相を垣間見せないことである。
中世の庶民が「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ!」と歌う時代背景はこのようなモノだった。
信長が「人間五十年」と歌い舞って、俺に続けと戦陣に率先して切り込んでいった、捨て身の武力闘争の背景もそういう時代の先端を行くモノだった。信長の「天下布武」=全国武装制圧の精神的支柱はその時代の最先頭に捨て身で決起できたところにある。ここぞというときの、大将には個人的な突破力が肝心だったのである。
時代は変わるが、江戸末期天保飢饉。
「自由経済」の大阪庶民の3分の1は浮浪状態だった。
当時の全国経済の台所という表の裏側はこれだった。ここに後代のスポットが当たってなかっただけだ。
さらに時代は変って、今。
多くの人は後ろから追い立てられた、現代の「奴隷」のような境遇で一生を終るしかない、そういう時代傾向がますます強まって行くしかない。
河野健二さんという信州に引きこもっている芥川作家のブログを見ていたら、見事に日本の今の到達点を作家らしい言葉で総括されている。
日本は戦前背伸びをしすぎて、原爆を落とされ、敗戦を迎えた。
戦後の戦局の分かれ目、ミッドウェー開戦に当たるのが、バブル崩壊。
戦後の戦後がゆっくりとしか展開しなかったのは、戦時でなく平時だったからだが、敗戦に間違いないと考える。
ただし、私に言わせると、国は破れない。
負けるのは国民自身だけだ。
多数の国民が人買い船に乗せられて、売られるんだ。
雨宮かりんさんの本を読んでいたら、全国いたるところで悲鳴を上げている若者たちの鎮魂歌の様な気がした。
悲鳴を上げる魂の慰め様もイロイロあって今風だけど、仮に彼女の言説が日本独自のものだったら、日本国民はジエンドめがけてまっしぐらに近付いている。
彼女の云っていることは妥当なところと想うが、そこまで優しく慰めてもらわなければ、立ち位置を喪失しそうな若者がいる国民は病んでいる。