反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

震災復興の資金調達は米国債売却で補てんできず、増税。どうしてなのか検索してみた。

 ネットニュースによれば、外国為替市場の円相場1ドル=75円台の戦後最高値突入を受けて、野田財務大臣は円売りドル買いの市場介入を示唆する発信をしている。
 ここまで円高が進行すると、日本国内の外国貿易で潤ってきた中小企業の経営環境は苦しくなる。貿易の際の世界通貨、ドルー円為替交換比率がここまで円高ドル安に振れているのだから、日本国内からの輸出商品の値段は相対的に高くなる。ここまではリアルな目に見える現実だ。
 
 ところが、この種の問題は目に見えない、素人では想像できない問題が多すぎる。
そこで、専門家と称する人たちや権威の言説をつい鵜呑みにしてしまう。
 しかし自信たっぷりに解説する彼らがどこまで解っているのか?というもっと上の問題がある。
 
 外国為替市場の円高の進行に対して、マスコミ報道の解説では欧米経済の混迷によって相対的に円の安定性が市場によって評価され、円相場が上昇している、とかの説明でお茶を濁している。
 
 私自身も、この方面は解らない事だらけ。
そこで、いつものように激しく検索してみた。
 
 ただ、いつも書いている様に問題が国家レベル、増して世界レベルになれば、その人の立ち位置によって、見える世界は違ってきて当然である。
 全体を俯瞰するような解説をしようと想えば、立場の違う各々の意見を併記しなければならない。
 
 マスコミや識者を自称するモノどもは、なかなか解らないとはいいきれず、解っていないところが多いのに自信たっぷりな意見を開陳する。それで飯を食っているのだから当たり前なのだが。
 
 それを聞いて、本当は何も知らないモノが雰囲気的に解ったような気になって、架空の偉そうな立場を獲得する。
 
 また、問題をもっと掘り下げた原理原則的意見の糸口ぐらいは開示されなければならない。ここは情勢分析に対する方法論の領域の問題になるが。
 
 と、以上の様ないつもの素朴な認識を改めて再確認した。
どの説明を読み込んでも、一長一短が必ずあり、完成度にも開きがある、とこう書けば、記事は終了となってしまい、今日の記事の意味は自分として見出せない。勉強させてもらうつもりで、検索した記事の要点と批判点を列記する。
 
 1)河野太郎「ごまめの歯ぎしり」ブログ2011年4月25付記事。
読者からの震災復興資金として、米国債売却で賄えないのか?と云うもっともな意見に「残念ながらそうはできません」との結論の根拠において、読者の素朴な疑問を日本政府ー米国債購入の仕組みらしき説明にすり替え、日本政府と経済の対米隷属性と云う現実を隠ぺいしている。意図的と云うよりも自民党世襲議員としてのDNAが為せる技の如くだ。
 
 彼の説明におけるキーワードは財務省が為替市場での売買に動員している、特別会計の中にある外国為替特別会計(外為特会)。
 ここまではOK。
 
ところが、記事冒頭のこの短い指摘以下の文章は政府=財務省外国為替市場介入のメカニズムの説明にすり替えられている。
 
 読者が説明を求めているのは保有残高70数兆円にも及ぶ米国債の売却の可能性についてであって、為替市場への介入ではない。また、読者は全部売れと云っていないのに、彼は全部売るという前提で財政の民間への負債とドル資産の関係にすり替えて。現在の様な円高は負債が大きくして、不可能などとしている。
手の込んだことに二重のごまかしをしている。
 
 完全な論点のすり替えになっているのだから、私が彼の記事から学べるのは、記事冒頭に掲げた野田財務大臣外国為替市場介入をする場合のメカニズムだけでなる。
 
 ただし、こういうことは確実に言える。
 
アメリ中央銀行がユーロを除いて基軸通貨になっているドルの世界性を利用して、自国経済救済一国主義の立場からドルを野放図に増刷し続けている現状ー将来から、必然的に円高人民元高への圧力から、輸出立国の日本中国政府は外国為替市場で緊急時の為替介入とは別に、米国債を買い続け、ドル安傾向の進行を押しとどめなければなければならない、と云う趨勢にある。外国が国債を買わなくなったら、ドルは暴落する。
 
 しかし、韓国の様な未だにドルと連結している通貨は輸出においてドル安の恩恵を被る。
日本経済の実質的牽引車である輸出寡占企業体は後発の韓国などに激しく追い上げられている。
 日本の輸出先端企業の製品は基本的にある程度の技術力があれば、後発でも生産できる種類のモノであり、国際市場での激しい価格競争にさらされている。
 従って、円高傾向はますます企業活動の海外移転を促進し、雇用消費を縮小させる。
 
大震災はスクラップ、アンド、ビルトの国内需要を一時的に推進するが、日本経済を取り巻く国際環境の厳しさによって、輸出独占体の世界的シュアが小さくなると、今度はデフレから経済体力の弱体化からインフレに転じるだろう。
 
 急速なインフレ、ハイパーインフレを予測する識者もいる。
正統派の経済予測だと考える。庶民生活が本当に困窮するのは超不景気とインフレが重なる時期である。
オイルショックのころがそうだった。庶民はトイレットペイパーや洗剤などの生活必需品の買い占めに走った。
今般の大震災原発事故を受けた一時的な買い占め騒動をみれば、理解できることである。
 
 
 2)スポーツ芸能ニュース。何が問題。
河野さんのすり替え議論と違って、財政、金融、国内資金循環、政府、民間の投資、貯蓄という経済の基本を解り易く説明する中でアメリカ財政、貿易赤字と日本の財政赤字の仕組みをあくまでも楽観的立場に立って、説明している。
 
 何か癒しの様な効果のある現状追認楽観論であり、論の基本的な構造は三橋貴明さんと同じ。
ただ説明はものすごく要点をつかんでいて解りやすく、三橋さんより、この人の方が経済の実態を知っている様な気がする。経済分析家として実力がある。
 
 経済循環としてはこれでいいのだ”!と云う立場が鮮明に打ち出されている。
 
米国債、ドル増刷OKどんどんやるべし論を最後に謳っているが、
ここまで来ると楽観論はイケイケドンドンのいい加減論になってくる。
 
 アメリカ経済の基本動態は国内生産より、消費があまりにも過剰になっていること。この過剰消費体質は世界中の過剰生産、過剰資本に存在によって、アメリカへのカネ、モノの循環によって補填されてきた。
 
 日本経済はこの循環構造の中にがっちりと組み込まれてきた。日本労働者はアメリカの庶民が住宅バブルに踊っているのを働いて支えてきた。ローンを払えなくなったら、住宅を明け渡すだけで、ローンはチャラになるなんて日本では考えられない。このようなリスクヘッジの資金は外国から流入するカネによって賄われてきた、とみなしていい。
 アメリカでは住宅は不動産と云うよりも流動資産になってきた現状があった。
このような異常状態がアメリカ経済のバブルをけん引してきた。
 
 どうしてそう、なっていたのかと云う回答は経済学の範囲だけでは説明できない。
一言でいえば、アメリカ帝国主義の第二次大戦後の世界的軍事支配を要とする、経済力がその異常を可能にしてきた。
 とりわけ、ソ連東欧の崩壊後の一時的なアメリカ一極体制の成立が世界な慢性的過剰資本のアメリカへの流入体制を形成してきた。
 
 しかし、ブリッグスの台頭によって、このアメリカが世界のケインズ国家として機能する一時的異常体制を徐々に崩壊させていった。潜在的な巨大性を有する新興国家市場に一端、資本制化に火がつくと、アメリカ中心に還流していたカネモノはシフト先を変えていく。
 
 これが、経済学で決して説明できないアメリカンバブル崩壊の政治的背景である。
 
 巨大新興国市場の発展によって時代は新帝国主義の段階に達している。
 
経済の表面的な動きだけで今現在の経済現象を説明しきれるものでない。政治的軍事的背景と絡めた経済現象の説明がなければ、本当のことは解らない。
 
それをマスコミでやろうとすれば、必然的に鋭いアメリカ批判になる。
 
だから、円高ドル安も表面的な説明に終始する。
 
 庶民は眉に唾をつけて、斜に構えていたほうがいい。
 
解らないということが解っていることが肝心。
 
支配層のプロパガンダが絶えず、混入している。
 
経済支配こそ彼らの支配の根幹であるから、自らの立場を合理化するのにあらゆる手練手管を用いる。
 
そのために使用人どもが高給で雇われ、マスコミに登場している。
 
 この論者も高給かどうかはわからないが、完全なごまかしの論理を最後に謳いあげている。
 
ドルをどんどん増刷すれば、超ドル安になって、各分野の経済に勢いがつき、雇用が増す、失業率も下がるって本当かよ?
 
 アメリカ経済における金融部門のGDPは三分の一を超えている。
こんな国はイギリスとアメリカだけ。
資本主義の原点を生み出したアングロサクソン経済は今や、投機に行き着いた。それは単なる資本主義ではなく、高度な金融資本主義、つまり帝国主義である。帝国主義は国内に金融寡頭制を生み、外には資本輸出と世界市場の再分割を必然化する。
 これが歴史段階的な分析だ。
この時代認識を持って現状を見ていく。
 
増刷されたドルは生産的投資に回らず、かならず、投機市場に投じられる。
雇用も失業率も何ら改善せず、商品先モノ市場や外国為替市場の様な投機市場に回る。
 
 今現在の円高も云ってしまえば、アメリカドル増刷のもたらされたものである。
 
一番大切なのは、世界経済の動向を歴史的に見ること、そのうえで現状を分析すること。
日本の実質的な経済力はすでにインドに追い抜かれ、世界4位である。
世界市場において、急成長するものと既存の経済大国の間に軋轢が起こっていくのは当然である。
 
 日本は背伸びせず、自分の足元を踏み固めるべきである。