反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

丸山真男対談集(1946年、1960年)より無作為に抜粋。ー戦前と戦後の継承ー

      <日本軍の最大の欠陥は劣悪な装備を人的要素でカバー> 
作家、大岡昇平発言。
アメリカ兵には無意味な軍規がない。収容所ぐらいならタバコを吸いながらほしょうしている。そういうことをうるさく言わなくて済むのは結局装備がいいからですね。
 民主主義国家はカネがある。プロシャとか日本とか貧乏国は戦闘力を最大限に発揮しなければ、ならぬから、人的要素を重んじる。我々がやすめの時まで列を作って一斉に足を投げ出す。あれが珍しかったらしい。」
 
>ドイツは1930年時点の生産力がアメリカの47ポイントに対して世界第二位の11ポイントで日本4ポイント弱と貧しさで同一視できない。
 過剰生産、過剰資本恐慌がアメリカと同じ質でドイツを襲った。経済停滞、インフレ、大失業への対処はワイマール民主体制ではできなかった。
 アメリカのニューディールに相当するのがナチス独裁体制による有効需要創出。
日本は経済が軍需に特化して、農民が全人口の半分を占める中進国。農村の潜在的停滞的過剰労働人口を工業発展で吸収できず、格差拡大の中で農村の大土地所有制が進行した。ゆえに世界恐慌の矛盾は農村の過剰人口の極端な疲弊となって現れた。満洲国樹立の必然性がここにある。
 日本のアジアへの侵略は農村に停滞する過剰人口のはけ口を見つけると云う側面が大きかった。
 
 従って、日本とドイツの同一性はエマニュエル、トッドの指摘するような家族制度の同一性などの社会学的分析による方が正しい。貧乏でひとくくりするのは間違い。
 
「日本の軍隊は装備が悪いということが最大の欠陥。」大岡。
 
>総力戦で10倍以上の経済力持つアメリカの物理力に対抗する日本は装備が悪いという最大欠陥を人的要素で補う(軍人勅語、など)方向が戦争末期の特攻隊に集約された。
 
 現在の日の丸君が代の強制、「がんばれニッポン」、東アジア諸民族への排外主義の台頭、は日本の欠陥、失陥を精神主義で補う、隠ぺいする画策である。
 
  <GHQ主権在民に驚いた日本人>
丸山。
終戦後、治安維持法の廃止。財閥解体公職追放。農地改正。そういった政治的経済的開放の基本ステップを、一つでも支配階級が進んで行ったことはない。いづれも連合軍の指令によって嫌々ながらやったにすぎない。憲法主権在民の明記と天皇大権の廃止に対してあらゆる政党ー共産党を除くーはその急進性に驚愕したのが実態。もしも、世界における民主主義勢力の圧力がなかったら、日本の現在程度の民主化でも果たしてどの程度まで行われたか疑問」
 
「大きく言えば、日本の支配階級を含めて日本人の政治感覚なるモノが、世界のレベルに比較して、著しいズレがあるのではないか。
ロンドンタイムスの様などちらかと云えば、保守的な新聞さえ、日本の民自党の社会的基盤を極右と云う言葉で表現している。決して左右両翼の真ん中とは思っていない。それが日本においては大多数の票を獲得している。
 今日の民自党なり民主党の首脳部の意識なり感覚なりが、かつても政友、民政や官僚などの被追放者とどれ程質的に違っているか。むしろ極言すれば、以前よりも小モノになっただけ。
 しかも、追放が行われても以前の支配層と今日の支配層の人的なつながりは否定できない。
単に人が新しくなっただけ。
 官僚機構も古い要素が残存しており、それが地方に行くほど著しい。警察も決して民主化されていない。警察官の質も悪い」
 
>敗戦直後の第一回の総選挙の結果に基づいて発言している。
戦前戦後の民衆意識、支配機構の継続性を云っている。
その様な支配層、被支配層の戦前戦後の継続に対してアメリカ流の民主主義の全国民的受容はGHQの権力を背景としたマスコミを使った文化的宣伝扇動、強制力を必要とした。この時、マスコミはGHQへの協力と共に今日まで至る特権を手に入れた。
 
 痴呆的な江藤淳が主張しているGHQの表現行為への検閲とはこの時期の戦前を引きずったモノへのGHQの力を背景とした改変行為のことだ。
 
 冷戦構造の強化を前にしてGHQの民主化路線が日本を反共の支柱とする画策へと転換すると、戦犯追放解除、軍備強化、レッドパージ、労働運動への大弾圧などが強行され、戦前的なモノは戦後的な装いをして復活した。
 敗戦後の、数年間はGHQ占領下であっても日本の歴史にはない、民衆レベルの革命期だった。
 
  <明治初期の軍隊は「人民をして戦慄背しむべし」「皇室の爪牙」として自由民権運動など反抗する運動を暴圧する治安出動色濃高だったが、日清日露戦争の勝利を経て軍隊の社会的信用が高まり、軍隊は対外戦争のためとー侵略戦争勝利と帝国国民国家の排外主義的国民意識の完成ー>
 
「日本が次々に先行的に遂行した戦争によって社会的不満が外にそらされた。不満が支配階級に向かわず、日本帝国が弱いから我々はミゼラブルになるんだ。それだからこそ日本を強くしなければならないという意味において排外主義の方向に向けられた。
軍隊と云うモノは自分を抑圧するモノと云うよりむしろ、国家の中に投影された自我を防御、否拡大するしてくれるモノと地して国民に映ずる様ななった。」
 
  <戦後の民主化幕藩体制を自力で倒した維新とは基本的出発点が違う。自分の力で旧体制を倒した。と云うのと基本的に違うのだから、自力でファシズムを倒せなかった、と云うことは何と言ってごまかしてもだめで、その問題はいつも考えていかなければならない>
 
「涙をのんでその現実から出発しなければならない。これを忘れてはいけない。
日本人の歴史観からすると、歴史は直線みたいなもので、過去と云うのは過ぎ去ったもので、しょっちゅう新しいモノを追いかける。だからかえって昔の失敗を繰り返すことになる。それが新しいものかと云えば、昔のモノなんだ。
過去に立ち返るということは懐古趣味でないんで、その意味で大事なのは、どういう問題を抱えて現実に臨むかでしょう」