昨日に続き、東大教授、カン、サンジュンさんの「政治学入門」の東アジア分析をたたき台に持論をできるだけ展開していきたい。能力不足で識者の描いた絵を批判的に検討することしかできない。幸いカンさんは広い視野に立って公平に論じている。
彼は東北アジアの地域の経済の繁栄と平和的環境の恒常化のための地域構想の努力に2006年時点で希望をつないでいる。
その時点の日本政府と外務省は東アジア共同体構想を一応、掲げ関係各国との交渉に臨んでいた。
あれから、経過した5年の歳月に中身がぎっしり詰まっている。
カンさんの一方に掲げた希望的観測はほとんど外れていまっている。
>>が、彼は実際に日本外務省をも含めて、形だけでも、当時進展していた東北アジア地域構想が破たんした場合の想定もキチンと提出している。
それがまた、見事に的中している。
以下引用する。
またかつての冷戦とは違い、経済的強固な相互交流が存在している分、国際的な秩序は極めてアンバランスなモノとなっていく。
さらに日本は安全保障の面からも、ますます日米偏重になっていかざる得ないでしょう。
またこの地域の不安定要因は政治的にも軍事的にも解消されることなく、資源や領土をめぐって地域紛争が勃発する可能性すら出てきます。
しかも、東北アジアにおかれた膨大な軍事力の存在を考慮すると、万が一の場合、中近東のケースと異なり、大規模な戦闘への一気に広がる危険性もあるのです。
私たちは歴史の重大な分岐点に立たされているのです。」
それが失敗した場合。
アメリカの単極的な世界秩序はさらに強化され、
「日本は極東のイギリスとして、アメリカを支えるジュニア、パートナーの道を歩まざる得なくなる」、と。
>>後半部分の論調はこの間の5年の歳月によって否定されるところが大きい。
その戦略的象徴が
A)アジア共同圏構想から、TPPへの転換へと日本に舵を大きく切らせ、
B)東北アジアに緊張関係を絶えず生み出すことを梃子に、
C)日本の敗戦、従属国としての歴史的脆弱性につけ込み、
D)日本を対中敵対の走狗に仕立て上げ、その更なる隷属状態の戦略的に身動きのできない状態に押し込める中で、
E)没落帝国としての自らを何とか維持するために、
F)形振り構わず、日本の官民から、資金収奪をしようとの画策である。
事実経過は以下の通り。
1)東アジア共同体構想は元々、ASEANNから提起されたモノである。
ASEANプラス3(日本、韓国、中国)。
「ASEANの地域構想提唱の底流には冷戦崩壊後の世界の再ブロック化の基本動向があるが、それはWTOなど国際調整機関を中心とした投資と貿易の世界ネットワークにリンクされているモノで、1930年代の世界市場のブロック化とは違っている。」
>>私の意見では、このようなカンさんの、とらえ方はグローバル世界資本制(自由貿易)の進展による世界規模での金融寡頭制(政治的経済的上位の少数者への権力と富の集中傾向の必然化、そのことによるあらゆる分野での格差の拡大)の進展と同時に提出されなければ、その中で世界の生活者に何が起こっているのか?示すことにはならない。
これについては、エマニュエル、トッドの著書から引用する、こうなる。
「2000年のアメリカのカネ持ち上位400人は、1990年の上位400人より10倍も金持ちであると云う。
処が国民総生産は2倍になっただけなのだ。
こうしたアメリカ社会の上層部の所得の驚異的膨張は、住民多数の所得の停滞ないし極めて慎ましい成長と同様に、帝国モデルを用いなければ説明できない」(この本が書かれた時期はバブル崩壊以前だが、今も傾向は変わらない)
トッドの指摘する事実はアメリカだけでなく、程度の差こそあれ、世界共通に見られる現象であり、勿論その底には世界グローバル資本制の進展がある。
日本の場合、相対的貧困率(中間所得者の半分に満たない所得者の、全所得者における割合%だと記憶する)が、トルコ、メキシコ並みになっている。
時代が変わり社会、経済のありようは大きく様変わりしている。
>>>グローバル資本制の大枠を前提にする限り、その支配層と政治委員会は国民国家、国民経済の枠内では対立するが、グローバル資本の世界性、無国籍性の本質から共通の利害を見出す。
具体的にいえば、米国政府と中国政府は対立しているが、共通の利害も大きい。
両国、国民の一部は前者に誤魔化されて、両政府が共通の利害関係を結んでいる事を見ない。
結果論で今こう書いているのではなく、当時記事で指摘し、そのすぐ後の釈放の事態だった。
そのずっと前、中国がまだ毛沢東の時代。
日本政府に知らせずに、ニクソンは訪中した。超シークレットを事前に知らせるだけ信用されていなかったし、
後からからでもついてくる、と。
オバマの訪日日程は1日だが、中国には2日。
世界情勢において力関係は冷徹に判断しなければ、とんでもないことになるのは、国民自身だ。
最後に、戦前の1930年の世界工業生産を挙げておく。
1)アメリカ 44,5%
2)ドイツ 11,6%
3)イギリス 9,4%
4)フランス 7
5)ソ連 4,6
6)イタリア 3,2
7)日本 2,4
アメリカにとって対日戦争はインディアン相手の戦争の如くだった。
しかし想うに、よくそこまで、日本は頑張ってきた。明治維新前後は刀をさし、ちょんまげだった。
国民に富が回す、民生品生産は全くおろそかにされ、軍事一点張りだった。だから、2、4%しか工業力がなかった。総力戦の時代に勝てるわけがない。
それから、戦争に負けて、日本は経済的に躍進した。
>また勘違いが過ぎているようだ。
1)米 14,6
2)中 11,3
3)インド 4,4
4)日 4,3
5)独 3
6)ロシア 2,3
7)ブラジル 2,3
8)英 2,2
9)仏 2,2
10)イタリア 1,8
11)メキシコ 1,6
生活関連コスト、インフレ率、収入の差などを考慮すればこういうことになる。
一定の金額でその国でどれだけ財が購入できるかという指標と考える。
日本国内にモノがあふれていても、デフレ基調が続いているにも関わらず、後発諸国と比較して、物価高で一定の金額で購入できる財は少ない。
いうなれば、日本では資本活動の最適環境が整っていないと云うことである。
今後とも、資本は流失せざる得ないのである。
と云うことはこれから先、多くの国民の国内雇用は保障されないと云うことである。
自分たちの置かれた環境を熟知せず、根拠乏しいから騒ぎをしていると、またまた勘違いが始まって、オカシナことになると云う事だ。
戦後の急速発展には無理があり、これからその付けが回ってくと事を覚悟しなければならないと云う事だ。
原発事故などその最たるものである。
国民側に付けを回されたら、たまったモノじゃない。
それをやりきって、なおかつTPP路線で絞りとろうとしているのが日米支配層のたくらみじゃないのか?