反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

大阪府知事橋下徹を再度、批判する。やっている事はファシズムの構想の実行である。

 政治においては、ウソをつくならできるだけ大きなウソをつく方がいい。事が大き過ぎて、検証するためには時間の経過が必要となる。政治家がよく使う言葉に{歴史の審判}を待つと云う都合のいい言葉がある。
 
 しかし、歴史の審判を庶民が待っていたら、いつも騙されてばかりとなる。
なぜならこの世界は我々の主導する世界ではなくて奴らの支配する世界だからだ。
 
 奴らはこの世界の自分たちが完全に主導権を握り、地位と富の源泉である経済的循環構造を基盤に、付随する政治的構築物を使ってあらゆる方途を駆使して「服従の檻」の形成に躍起になってきた。
 
 それに対して、庶民はズット、抵抗しながら生きてきた。
 
激動期の進行形の渦中で断固とした判断を下す必要がある。
 独自の判断を下さなかった、下せなかったから、日本国民は惨禍に見舞われたのだ。
 
 >大阪府知事橋下徹がブチあげている大阪府構想、大阪副首都。
 
 全部、出鱈目であるばかりか大阪府民の生活、労働、権利を破壊し、大資本の金儲けの最適環境を生み出そうとする、虚しいあがきであり、過去の当局のやってきた住民生活を蔑にした巨大開発の失敗を倍加して実行しているだけである。
 
 大阪経済はズット以前に飽和状態に達しており、この状態はリストラしようがないにも関わらず、歴代の行政トップは、行政手腕によって民間の資本蓄積構造を上向きにしようとしてきた。その結果、更なる経済飽和状態が生まれてきた。
 そして、企業本社の大阪離れがトコトン進んできた。歴史の時間をかけて、資本は大阪から流失していった。 
 
 経済基準で物事を判断しがちな大阪人は、長年続いてきた、こうした悪循環を何とかしたいと願望する。
 
しかし、別な道、もう一つの道を模索することが多数の意見になっていない。
 
それ程、カネを中心に物事を判断する習慣が受け継がれていくと払しょくするのは難しい。
 
同じような失敗を繰り返した果てに、ハレーションを引き起こし、判断力を喪失し、橋下徹という最悪の選択に身を委ねようとしている。
 
 大阪の非文化的非政治的環境は長年にわたる経済飽和状態、経済地盤沈下を大きな要因として促進されてきた。
 
 経済飽和状態でない頃もっと違う文化も政治もあった。
 
今は殺伐としている。元々、良いモノがたくさんあったところが気がつけば、なにもなくなっていたら、次元の低い笑いで自虐し、流されるしかない。
 
 元々、大阪の笑いは、吉本のテレビ芸人がやっている様な下劣、人身攻撃的、差別的「笑い」は傍流であって、「ハンナリ」した処を含んだ庶民の泣き笑いを根底においていた。
 
 こうした環境に、橋下徹ファシスト政治が生まれた。
 
 政治行動の着地点を府民に悟らせない、大阪都構想、大阪副首都構想。
「ウソをつくならできるだけ大きなウソ」そのものである。
府民にとって検証し様がない。提出された問題が地方行政のことのはずが、判断するためには、実際に歴史的観点や「経済学」がいる。
 解り易く説明できるモノは限られた場所にしかいない。
マスコミ、有識者である。
ところがここが、橋下デマの発信源の如くなっている。
 
 
 が、それでも独自の判断を下さなければならないのである。情勢の進展は待ってくれない。
今はそういう内外情勢なのだ。
今日の記事は、こんな1大阪の事など書くつもりはなかった。
元々、EU経済危機について記すつもりだったが、問題のでどことが良く似ている。大阪と共通項もある。
 経済が停滞している対処方法を財政縮小、公共部門縮小、ユダヤ金融資本救済、国民既得権利剥奪、増税IMF方式に頼っている。
 で、その結果、国民多数にとってもっと住みにくい社会が構造化する。そればかりか世界に向けて広げていく震源地となる。
 
 一言で言って、
バブル経済の制度化、恒常化、日常化を処方箋としている。
富裕層、アングロサクソンユダヤ金融資本はバブルの責任をとって腹を切らなくてはならないのに、またしても他人のふんどし(国民負担)で相撲を取ろうと画策している。 
 
 根源的に思考すれば、別なやり方はあるのだ。
 
>以前、記事で江藤淳批判をやっていたころ、面白い記述に行き当たった。
 
江藤淳夫人の父親は「関東州、総務局長」と云う職責の官僚とあった。
 
東京都成立の経過は
それ以前、東京府が広域地方行政機構であり、その中に東京市があって、東京市の下に各区となっていた。今の大阪府大阪市など府下各都市の関係である。
 
 ところが、日本帝国の首都の行政機構を中央内務省官僚が完全掌握するため、内務官僚直轄の東京都の権限を強化し、上意下達の統治力を高めることを目的に、地域分権していた東京市など府下の各都市の財政的行政的権限を吸い上げ都に移管した。東京市は廃止され、都、直接管轄下の権限の弱い特別区になった。
  
 しかし、関東州まであった、とは全く知らなかった。
おそらく、戦時体制に突入して、当時、軍事官僚と並んで警察治安、全国の行政全般に絶大な権力を握っていた内務省の戦時体制における更なる上意下達の権限強化を狙ったものといえよう。 
ヒットラーナチス流の行政区分に置き換えると、ナントカ、軍管区に近いモノであろう。
 
 大阪府知事ハシモトのやっているのは、戦前の内務官僚のやっている事を踏襲しているのであって、地方分権の政治の流れを逆手にとって、国の行政統治機構の上から下への官僚統治を強める方向の再現である。
 近畿圏の首長の集まりである関西広域連合と云うのが関東州まがいのモノまで用意されいる。
 
 そういう上なら下への意思決定が行政機構として組織的に保証されると、地方分権とは全く違う方向の、頂点に立つ少数の寡頭支配者の政治意思によって、住民生活が翻弄されると云うことになる。
 
行政組織がいったんその様に組織されると、それ自身が生命力をもって蠢動することは多くの国民の知るところである。
 
 勿論そのことは、国民を「服従の檻」に閉じ込めることが行政機構として完成したことになる。
 
 国内経済発展や民主主義とは水と油である。格差社会の象徴の様な事態である。
 
>大阪にどうしてハシモトの様な輩が出現したのか?もっと、歴史に根差した根深い問題はある。
 
 私が以前書いた記事は視野を広げた角度から取り上げている。
 
大塩平八郎の決起したころの江戸末期の「自由」経済都市大阪住民の3ぶんの1に及ぶ貧困層、貧民窟の存在、被差別部落から説き起こし、
 
戦前戦後の日本経済の頂点だったころの大阪を数値を含めて明らかにし、
 
大阪を含む関西経済の凋落は敗戦をはさんで歴史的時間をかけた頂点からの必然的地盤沈下(経済飽和状態)である、と明らかにした。
 
 さらに、戦前の経済発展は貧困、差別と朝鮮人労働を大きな柱とする、とする証明として、戦前の在日朝鮮人、府下85万最盛期、居住の事実を明らかにしている。
 
 1943年時点で大阪府はソウルに次ぐ朝鮮人の集住する都市だった。
 
東京石原、名古屋河村、大阪橋下。
其々、独自の政治経済基盤に沸いてきているが、共通するのは形骸化した戦後「民主主義」の内部から民主主義の構築物を空洞化し、破壊することで、住民の権利を蔑にして、大資本の利潤追求のためだけの最適環境を生み出そうとする画策である。
 日本人を韓国人の様な資本の論理の「服従の檻」に閉じ込めるたくらみである。
 
それは、リビアカダフィ射殺、EU経済危機への首脳の対応、アメリカのバブル崩壊以降のバブルの制度化、世界への侵略、属国化の事態と固く結び付いている。
 「パンドラの箱」は開けっぱなしだ。
これから、世界でもっと、イロイロナ事態が発生する。