TPP論議を深めるためには、まず、日本の将来的国家像を明らかにする必要があると考えてきた。
これがはっきりしなければ、回転寿司に座って、賞味している客の様なモノで、回ってくる自分好みの皿を頬張っているだけの様な気がしていた。
しかし私の様な立場のモノが日本の将来の国家像を云々するのは滑稽である。
また、キチント展開できる自信もなかった。
その意識があったので、この間、取り上げるのを避けてきた。
ネット上で識者の比較的よくまとまった日本論をとりこんでおいたから、それを基に批判を展開していこうとしていたが、できなかった。
その論議はよくまとまっているが、余りにも寒過ぎる。貧相である。
そういうモノを論議の対象とする意欲がわいてこなかった。
貧欲、強欲にとらわれたモノどもに対しては、それはそれで勝手にやってくれ!と云う想いが先に立つ。
それは国と日本国民の将来像を云々しているのではなくて、企業の単なる金儲けの論理、視点丸出しに過ぎなかった。
>「企業が栄えて、国民が栄える」と同じ次元で論じられるほど今のグローバル資本主義の世界は甘くない。
その実態はバブルの制度化、恒常化、日常化である。
濡れ手に泡の金儲け、他人の流す汗と血を収奪する経済構造にどんな危機的問題が発生しようが、世界中の支配層は一致して{バブルの制度化、恒常化、日常化}の基本的仕組みを変えることができない。
変えられると政治家は云うが、そうしなければ政治家としての存在価値が失せる、からそうしているだけであって、本当のところ
彼らは本音のところで政治の無力感を味わっている。
人間は自分でコントロールできないカネと云う敵対物、疎外物を拡大させることによってしか、生きていけない宿命を背負っている。今のところ。
この問題は、政治の大きな枠組みの問題に行き着くが、それを論じる力は自分にない。
しかし、遅かれ早かれ、この問題は現実政治の課題として浮上するだろう。
日本支配層を今でも代表する自民党が、政治決戦と云われた参院選であのような経済幻想丸出しの最小限政治綱領しか提出できないことに唖然とする。昔の自民党はもっと、夢を語っていたし、国民統合=利益分配への配慮があった、ような気がする。
尤も管首相の消費税増税発言の紆余曲折も支配層使用人としては失格の類だ。
>日本の内外環境は「帝国数義の基本矛盾の現代的再現」と時代的に特徴づけられる。
国内において過少消費でモノが売れない、その原因は国民多数の給料の低下である、しかし、給料を下げて、企業活動の最適環境を国内に生み出さなくては、後進、中進国の資本蓄積環境に対抗できないと云う。
しかも、出て行った先の海外市場での競争条件は厳しく、利潤率は傾向的に低下している。
そうすると、経済ブロックを形成し、域内で大資本の寡占状態を維持して儲けを確保しようとする。
一部政治家が主張は出鱈目である。
何がアジアの成長をTPP参加によって取り込むだ!?
だから、事実上政治ブロックの形成にしかなならず、日本はアメリカの食いものになるしかないのだ。
>>>ここで「貿易転換効果」とうTPPの負の部分について簡単に述べておきたい。
B国の財2,5ドル、C国の財4ドル。日本の関税率が2ドルとすれば、WTO下では日本は関税率2ドルプラスした4,5ドルで当然、B国から輸入する。
ところが、日本が4,5ドルの財のC国と自由貿易協定(TPPと読み替えてもよい)を結んだとする。
無関税のC国の財は4ドルで輸入できるようになる一方で、B国の財は2ドル関税のため4,5ドルになり、当然日本は元々財が高かったC国の財を選択する。
と、ここまでは無関税になった財が日本国民にとって安く手に入る事情である。
ところが、WTO下の関税率2ドルの時代には政府は2ドルの関税収入があった。その政府の税収を国民に還元すると、国民は4、5ドルー2ドル=2,5ドルの負担で財を消費できた。
しかし、完全自由貿易にすると、日本国民は元々経済効率の悪い4ドルの財を生産するC国から無関税の4ドル財を消費することになって、
4ドルー2,5ドル=1,5ドルの余分な負担を強いられる。
少しややこしい話だが、問題の発端である、B国財2,5ドル。C国財4ドル。関税収入2ドルを頭に叩き込んでおけばいい。
これは、財だけでなくサービス分野でも適応されるだろう。
市場の成長力と云う将来的展望を元に参加国の顔ぶれを見て考えなければならない。
これ、経済の必然である。
しかし、アメリカの様な金融敵国、格差帝国にカネを流し込む限界が日本金融資本にある。
従って、多くの日本人がアメリカに無理矢理カネをむしり取られる罠に自らはまりこむ様なモノだ。
次にスパゲティーミートボール現象について簡単に触れる。
これはTPPの様な無関税国間、とWTOルールを採用している国との間に完成品の部品工場がまたがっている場合の税事務手続き煩雑さ、そのコスト面の負担を指している、モノだ。
こういうこともTPP発足すれば、現実に発生する。
従って、ここでもこの種のコスト負担を回避する意味から、TPP圏内の国と取引する傾向が生まれる。
以上の事実からだけでも、TPPが事実上経済ブロック形成に向かう傾向を助長するしかないと理会できる。
参加国の顔ぶれから、日米でGDPの90%を占めている事実からみても、TPP経済圏に将来的展望があるとは思えない。
またそういう経済的観点ばかりでなく、日本が周辺の国と経済圏を今事実上形成しつつある時に、こういう排他的性格をもつ経済圏構想に載れば、周辺国との政治的軍事的摩擦は必然化する。
この地域でアメリカを中心としてしか各国が横に繋がっていけない現状も、TPP参加によって、より一層強化する。経済面だけ見てはだめだ。
>>途中解説文を挿入した都合上、文脈が混線するが時間がないので、そのままにしておきます。
>>>ネット上で、京大の中野剛志(どうやら経産省官僚の方はやめた様だ)は
「TPP推進論者は日本人じゃない」と云い切っている。
それくらい割り切って、一般国民は奴らには対応したほうがいい、と云っているのだ。
TPPは24分野に渡る交渉によって出て来るルール、バリエーション無数であり、その内どれが日本にとって有利か判断するのは困難としている。
しかも、国民各層における立ち位置、イデオロギー、業界によって{日本にとって有利なルールの定義}が違ってくる、と。
それなのに現状はそれらについて、国民的合意の形成が前以って、図られた経過はなく、交渉窓口はアメリカの省庁の如き外務省に一任されている。
今現在外務省がTPP参加問題でやっている事の本態は参加を既定事実するばかりか、TPP経済圏の妄想に凝り固まり、それをイデオロギーの如く高めた政治信念をもって、国民意見とはかけ離れたところで、すでにアメリカ側と参加を前提とした隠密情報交換をしているのである。
政治の主導性や国民合意に関係なく、官僚組織として、独走して、どんどん事態を進行させ、既成事実を積み上げ、TPP交渉参加のレールを敷きつめているのである。
一方、こうした外務省を筆頭とした官僚組織の独走に対して、国民側はTPP議論をもっと深めて欲しいと云っている段階に留まっている。
>くどい様だが、私はTPP問題をAPEC横浜開催、時点の反対記事において、外務省、経産省文書を基に批判を加えている。その時点で両省の基本姿勢は、単なるTPP参加賛成次元に留まらず、TPP経済圏形成を国家戦略と決定する決断をしていた。
官僚組織が政治と政権に関係なく、勝手に国家戦略を決定していたのである。
外務省に至っては「国を開く」とその文書に銘打っていた。
当時管政権だったが、あれから1年たって、野田政権までの間、大震災、原発事故があってもと云うか、むしろ貧欲にあの惨禍さえも奇貨として、TPP惨禍に向けて蠢いてきた、と想像できる。
その隠密交渉過程の情報を知らせているのは野田ら一部の政治家や支配層の一部の絶対推進派だけである。
民主党の反対派議員が外務省らの担当者を呼んでの勉強会を動画で見ると、政権与党の彼らのもとにさえ、TPP情報が開示されていない、と解る。
こうした事態(官僚組織暴走による既成事実積み重ねー国民従属)は日本歴史の過去にそっくり、あった。
関東軍の中国侵略の既成事実の先行積み重ね、だ。
あのときも政治が混乱して主導性をなくして、狭い了見しか持たない軍事官僚が暴走した。
その前には関東大震災で東京が壊滅状態になっていた。
戦前史の岐路に際して、一番政治をやってはいけないモノが政治に関与し、暴走した。
時は大きく変わったが、今、官僚たちのやっている事は全く同じ事だ。
かつては軍事官僚、今は文官が立っている。
そもそも、今の日本において、官僚を志し、目いっぱい勤め上げる様な奴にロクなモノはいない、と断定する。
世間に出ての判断不能、無能を自覚しているから、学校秀才の生かせる道として官僚を選択したモノが多い。
少なくとも我々の世代で官僚になった奴に主体的判断力の備わった奴はいない。
役人、学校教師。その類の就職口は今と比べて物凄く広い門だった。
がから我々世代の感覚として、それらが優秀なんて常識はまるでない。
高級事務屋として大人しくしていろ!と以前から主張している。
そういう奴らが今、日本の進路の大切で大きな曲がり角で主導権を発揮していると想うと身震いがする。
あんなものたちは政治のセの字さえ本当のところ、ワカチャいない。元より判断力はない。
だから一番任せてはいけない、奴らが事実上、政治をやっている。
一緒に唱和している連中は国民多数の事なんか本当は考えておらず、自己益最優先。他は野となれ、山となれ、何とかなるだろう、程度の意識しかない。
その政治思想!?の根幹は大企業利益追及最適環境を内外で求め、それに沿わない者たちは、コスト過多として切り捨てると云うことである。
彼らは一見、国民経済規模で経済効率を論じている様に見えて実は一個の完成した自分たちの利益、利権、最優先のイデオロギー体系を国民に刷り込んでいるだけである。
中野さんは奴らの正体を強引に「日本国民じゃない」とまで、割り切らなければ、一般国民は騙しの術中にハマってしまう、と見越しているのである。