反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

任期中府知事職を投げ出し、配下を府知事選に出馬させ、市長選立候補のダブル選挙の暴挙。「橋下の橋下による橋下のための政治」を追い求める独裁異常男の人格形成過程は明らかにされねばならぬ。

 大阪市民にとって、11月27日は府知事選挙と大阪市長選挙のダブル選挙になる。
この日は大阪市民にとってのダブル選挙になるが、大阪府民にとっても、辞任した橋下の配下の候補を選ぶのか、別な候補を選択するかで、大きな政治選択をする機会となる。
 
 また、この橋下問題(ダブル選挙を引き起こしたのは橋下であり、もはや焦点は橋下問題を含む問題に到達している)は大阪の問題に収まらず、日本全国民の明日の政治の大きな雛型となるモノである。
従って、大阪だけの事と考えて欲しくない。
 
 小沢氏は冷戦体制崩壊後、云った。
これで、パンドラの箱の蓋が開かれた、と。
 
 あれから、20年経過しているが、まだ蓋は開かれたまま、大震災、原発事故、そしてそれをも奇貨とするかのようなTPP参加事態まで急転している。
 
 民主主義の一般論を何時までもお題目の様に唱えていたら、完ぺきな日和見主義、流れに流される日本があるだけだ。勿論、多数派国民自身が厳しい情勢を背負わなくてはならない。
 
 >民主主義はどこにも一般的に存在するのではなく、頂点にあって、下方にいくに従ってなくなるモノだ。
まさに民主主義の在り様にこそ、格差、偏在がある。
 
 小沢氏らがこんな目に会っているのも、彼らが支配層の一員から外れて、別な道をあえて選択したからであり、次第に民主主義が希薄になっている処に足を踏み入れたからだ。
 
政治路線的にいえば「国民の生活が第一」を掲げ、実行しようとした時、民主主義の希薄地点に突入したのだ。
 
 >ところが熱烈支持者の多くは、その様な民主主義の偏在を体験し、教訓化し、実践してきた経験に乏しい。
 
だから、小沢氏らへの政治裁判判決当初は怒り心頭に達するが、時間の経過とともにまた、元の民主主義一般のあると想いこまされている世界に舞い戻る。
 
 >日頃の生活感に根差した常識は簡単には払拭できない。
 >まさに存在が意識を規定するのであって、意識が存在を規定するのではない。
 
>そしてその感覚で橋下問題を論じると出目差別だと云う観点に終始する。
 
 >弁護士で府知事までなった橋下のところには民主主義は充分あったし、それを使える立場にあった。
 
 にもかかわらず、公人としてやってきた事、これからやっていこうとしている事は真逆であり、民主主義の少ないモノから民主主義を取り上げる道だ。
その傾向は今回の知事辞職、市長選出馬や配下の大阪維新の会の議会無視の多数派横暴を見ても、まさに風雲、急を告げている。
 
 >>橋下のやってきて、これからやっていこうとしている政治は「大阪府民、大阪市民の生活が第一」の真逆である。
 
 >>が、こういう強者、橋下に対して、民主主義のないところ、乏しいところのモノは、どうやって戦っていけばいいのか?
 綺麗ごとで済ませられるわけがなかろう。
 
 彼の人格形成過程を問題にするのは彼の攻撃への反撃として、橋下がどうしてそうなったのか明らかにする観点から、やらねばならぬ事だ。
 
 やらないと全貌が理解できない。
 
 >部落問題に言及するのは間違っていない、と考える。
 
大阪と云う特殊地域性を考慮しても必要である。
 
 >現在、部落問題は解消していないが、日本資本主義のグローバル展開と共に、差別の経済的基盤、社会意識としての差別は小さくなっている。
 
 こういう現状認識も踏まえ、橋下問題に敢えて部落問題と関連付けて、大きな差別助長には至らないという判断を下したから、敢えて一線を越えて論じた次第である。
 橋下を擁護するマスコミ世論がたくさんあるのは時代のなせる業であり、良いことである。
以前はタブー視してオープンに論じられなかった。
 
 >同時に、この判断をする時、問題になるのが、橋下の人格形成時には、大阪を含めた関西の部落差別は大変なモノがあった、と云う歴史的事実である。
 
 橋下が差別を受けなくなったのは、経済情勢の変化だけで自動的にそうなったのではなく、部落大衆と部落解放運動の粘り強い戦いがあったからだ。
 
 検索に基づく橋下の母親によれば、彼の実父は部落出身者ではない、たまたまそこに他所からやってきて居住していただけなどという言動はそうした戦いを蔑にするモノである。
 
 部落解放の闘いは、決然と部落民だと、胸を張った一人一人の熱い想い、勇気が結集して大きなうねりとなって、成果を勝ち取ってきた。
 
 一線を超えた批判は差別を助長し、間違っている。
 
 が、もはや、橋下のやってきた事、やっていこうとしている事は、そういう制限を取り払わなければ、事情が解ってもらえないと判断し記事にした。
 週刊新潮週刊文春が何を書いているのか、全く知らないが、週刊ポスト週刊現代には擁護記事があると云う。今はそういう時代になってきているのだ。
 予め、考えた末の決断として、論じてもいいとの判断が私にはあった。
 
 >橋本の母親の様な出目隠しの融和主義は部落差別の激しい時代であったから、子供に大きな影響を与えたとみている。
 ハシシタ姓から橋下(ハシモト)への読み方だけの変更にも実父の実家が反対した気持ちは肯ける。おそらく実父の実家側はハシシタで胸を張って生きていこうと志していたのだろう。尊いと想う。
 
 が、橋下は個人的努力による立身出世主義、社会的弱者、少数者に目が向かう必然にあっても、その人たちを貶め攻撃する事で悪い世論の受けを狙う。
 
 地方自治体トップがこういう扇動まがいの事を政治手法の根幹にすれば、当然、それに煽動された「在特会」の様な連中が図に乗って、跳梁跋扈し、社会的弱者、少数者に卑劣、非人間的蛮行を働く。
 
 橋下の政治傾向は差別の煽動の一方で、普天間基地国内移設先、大阪立候補や反原発言動など雑駁性を特徴としており、これに惑わされ喝采する府民やマスコミは多い。
しかし、この言動で橋下は政治責任をとって行動する訳でない。あくまでも口先だけの受け狙いだ。
 
ファシスト思想の本質はその雑駁性にあるが、どこに本性があるか狙いを定めると、その政治の危険性が良く分かる。
 
 >小沢一郎氏への人格破壊攻撃なるモノと、橋下への地元大阪からの批判を同一視しないでもらいたい。
そういう、一般論に安住している愚をもういい加減解ってもいいころだ。
 
 時代はもうそんなところに立ち止まっていないと云うことは、小沢氏秘書さんたちへの判決で痛いほどわかったのではないか?
 
 そういう判決を前以って予測しなければならない時代にもかかわらず、供述調書不採用に安易な幻想を見てしまう。
 
 もうソロソロ、ここに自分たちの欠陥、甘さがある事を気付かねば。
 
 今回の橋下問題は云ってよければ、その応用編である。
私の見た限り、また同じ轍を踏んでいる。
 
 >実際に向こうがやってきている事に対しての反撃には手段を選ばなくてはならないが、キッチリやり返さなくてはならない。
 >甘い考えではやられてしまう。民主主義の枠を破壊して攻撃してくるモノに対してはそれなりの対応で臨まねばならない。
 
 >今回のダブル選に関して、自民党公明党も橋下に反対の立場をとっている。
当たり前と云わねばならない。やっている事があまりにも出鱈目、危険で民主主義制度の根幹を破壊するモノだからだ。
 
 府知事任期中にもかかわらず、辞職しての大阪市長選立候補する橋下の大きな政治構想に「大阪都構想」がある。
 
 これは、今の府下の主だった各市町村の行政区画を解体し、大阪都下の特別区に再編し、特別区にする事で、財政権限を縮小、=取り上げて、カネの配分のうらずけを持った大阪都の権限の強化によって、大阪都の中央集権制を強化しようとするモノである。
 
 この橋下の大阪都構想の野望からみると、今回の任期中の府知事辞職(手下候補擁立)大阪市長選立候補の画策の意味はハッキリする。
 
 大阪市の予算規模は特別会計を含めると府予算の5倍に及ぶと云われている。
現状の地方自治からみると、大阪市堺市などの府下の大きな自治体の予算規模に比べて、大阪府の予算は決して大きくなく、権限も分担されている。この地方分権体制は地方自治、民主主義からみて悪い事ではない。
 
 橋下の立場からすると府下の大きな自治体の行政権限、議会政治を自分の政治意図に同調させなければならない。
 
 そこで、時間をかけた既存の府下の首長や議会への丁寧な説得の政治過程を省略して、府下自治体議会選挙における配下の大阪維新会候補者を林立させた多数派工作、配下のモノの首長選への擁立工作という強引性急な政治手法が優先される。
 
 すでに府下で大阪市に次ぎ二番目に大きい堺市の市長は橋下の配下になっている。
 
前市長も決して悪い市長でなかったと聞いているが、ムードに乗った選挙によって橋下の配下のモノにとってかわった。
 
 橋下の今回の大阪市長選立候補は大阪都構想の画期的段階を性急に目指すモノであり、政策以前のこれまでの政治手法がまずやり玉に挙がらなければならない。
 
先の統一地方選では維新の会候補者は府議会で単独多数を獲得したが、大阪市議会選においては過半数獲得に及ばず、この事を持って橋下は敗北と総括している。
自身の市長選挙立候補を見据えて、統一地方選において維新の会で市議会多数を握り、一気に独裁体制を実現する絵を描いていた。
 
 とにかく政治手法が荒っぽく、短兵急。議会での数を頼んでの横暴、選挙戦における公約にない大切な案件の強引な実現、任期中の大きな政策失敗への責任転嫁、開き直り、その時々の人気取りのための口から出まかせ、社会的弱者、少数者への攻撃に基づく世論形成、嘘八百など、政治手法が荒っぽく、短兵急で政治内容が出鱈目、危険極まりない。
 
 憲政の常道を逸した得体のしれない危険な政治の匂いがぷんぷんとする。
 
今回のダブル選挙、騒ぎも橋下が府知事を任期中辞任しなければ、なかったことである。目の前の定期の大阪市長選の餌に飛び付いたのであり、時間をかけて職を全うし、次の市長選に賭けるとか、自分の同士を立候補させるとかの選択肢は彼にない。
 
 >全国の首長でこんな事をやっているモノがいるだろうか?
 
 名古屋市長の河村氏も前職の市長辞任しての、再度の市長選立候補であり、知事選は自民党国会議員大村氏に任せている。橋下の様に職を投げ出して、鞍替えで野望達成を狙ったわけではなく、最低限のルールは守っている。
 
 この観点が全くなく、財政破綻府民市民が検証できない大阪都構想、大阪副首都構想の嘘八百をぶち上げて、強行突破しようとしている。
 
 こんな男に健康と生命の掛った身近な自治体の政治は危なっかしくて、任せられないと云う声が、党派を超えて、方々からわき起こってくるのは当たり前だ。
 
 また、橋下の府知事任期中の社会的弱者や少数者への差別排外的傾向の増している世論の受けを狙った攻撃に対して当該者の側の恐怖心、やそこから来る憎悪は頂点に達している。
 
 >大阪都構想の本質は府下自治体から権限とカネを取り上げて、大阪都に集中し、橋下の橋下による橋下の政治を実現するに行き着く。配下の大阪維新の会や同調首長を操って、橋下の独裁の大阪都中央集権制を確立しようとしている。
 
 カネと権限の集中する体制を作っておいて、やることは巨大開発や大企業誘致、住民の生活生命労働、社会保障、福祉の蹂躙のあきまりの市場原理主義政策である。
 
>今回のダブル選で橋下は独裁批判に対応してニコポン路線のポスターを張り出しているが、統一地方選のポスターにちょび髭と軍服を着せるとヒットラーそっくりの異様な目つきをしていた。
 
 橋下政治に大企業経営者やマスコミは新たな権益発生を見出し、大歓迎なのである。
 
自民党公明党が反対するのはいくら何でもやり過ぎだという反発である。
橋下に靡かなくては既得権を守れないと云う事情も確かにあるが、橋下は全部の既得権を破棄するのではなく
靡くモノには惜しげもなく与えると云う事だ。