反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

大阪、橋下徹の大阪維新、大阪都構想(道州制)は100年以上も前から問題にされてきた、住民の自由束縛、諸権利はく奪を画策する支配層の古臭い手口。

 関東大震災の発生した1920年代初頭、東京都はなかった。東京府東京市の関係だった。
東京都と特別区の関係になったのは、大震災を受けて、従来の東京府東京市地方自治分担関係から、東京市の権限を取り上げて、都に権力を集権し、都官僚の統制を高め、権限の集中した都官僚の上に立つ中央内務官僚による上から下への一元的強権的差配の意図から出たモノである。
 
 こうした表向きの行政的合理化は軍部、軍事官僚と並んで、当時、警察治安、国内中央ー地方行政を一手に取り仕切っていた中央内務官僚に更なる強権を与えた。
 
 この国内体制は、危機的情勢の深化を背景に、大正時代に普通選挙実施と同時に成立した治安維持法官僚支配体制へと進展し、軍部と内務官僚の取り仕切る政府への反対者を思想犯として取り締まれるようになった。
 
こうした国内行政の上から下への一元的支配関係は反対派を委縮させ、他方、海外においては、軍官僚の独走により、なし崩し的に満州国樹立=国際連盟追放、さらには中国戦線拡大の泥沼に嵌っていく。
 
 危機の時代における行政の表面的合理化は住民から自治と自由を奪い取り、文武の官僚強権政治によって政府への批判勢力を萎縮させ、危機の時代における本質的政治無能者政治=官僚への政治判断の一元化を招き、日本の進路を誤らせていった。
 
 橋下のやっている事は同じ轍を踏んでいる。
 
 国民新党亀井静香は大阪橋下の主張が正しいと云ったそうである。大阪の人気モノである橋下をキーパーソンに政界再編が画策されているとかいないとか、そこに小沢派も一枚かんでくるとか、ダブル選挙だと云うのに
大阪毎日放送「種まきジャーナル」報道記者はいい加減な情報を垂れ流している。
 
 ただ、亀井氏が橋下の大阪都構想大阪維新に載る政治思想的事情はわかる。
元々の警察官僚、自民党時代の政治思想の根幹は、こういう危機的混乱状態の中で本音として出てくるのである。
 本当の意味で政治の多極化による民主主義の利点を理会せず、警察官僚の上からの統制政治による合理化で事態を乗り切ろうとする。
 「急がば回れ」がない。
 
 第二次大戦を見ても解る様に国内政治を先に硬直化し、表面的合理化を果たした方が結局最後に負けている。
 
 小沢氏支持者とは同じ維新の会を一応形成している原口氏か?
彼と橋下は友情関係がある。
 
 小沢氏自身、先の代表選の見解を参考にする限り、地方自治に関してもう一つハッキリしないところがある。
 
熱烈支持者に言わせると、小沢氏の地方分権構想は全国の140ほどの基本自治体に大きな権限を付与するモノであって、巷でよく云われている道州制とは似て非なるモノとか。
 この女性は面白い方だが、政治思想についてはからっきしで、ナント140に分けていたら、中央にまとまっている体制よりも、アメリカに取り込まれ難いとか。
 何か、それだけだったら、江戸時代の幕藩体制の様な気がするが。
 
 「種まきジャーナル」の報道姿勢は元々、怪しげなところがある。京大の小出さんを登場させても誤魔化されない。
橋下よいしょが以前から目に付く。
報道姿勢に庶民の立場を自称して、感情に流されるところがある。
それが橋下に通じる。議論をやりだて、中途半端なままに終わっているから、橋下支持への誘導になってしまう。
 
 レーニン「国家と革命」を元に考えて見るが
知識不足もあって、この問題を理解するために時間を要する。
 
>>>>レーニンの用語にある連邦制を現在における道州制と同義と理解する。その上で。
 
レーニンによる中央ー地方の国家体制へのより民主的順番は、
 
 A、本格的な自治「コンミューンと州が自発的に国家統一を擁護する中で、官僚主義や上からの指令が無条件に撤廃されている自治」 しかしこれは経済政治過程の複雑化し利害対立の調整機能が行政に求められている現在では不可能。
 
B単一の中央集権的な民主共和制(橋下の云う様な大阪都構想より、単一の民主的な中央集権制を上においていることは注目に値する。この時、単一と云う用語の使用に厳格な意味がある。橋下の様なミニ中央集権制を除外する意味が込められている。
 
 私の現時点の拙い理解では、天皇象徴制の問題はあるが、今の日本の中央ー地方の国家行政体制がこれに当たる。
 
 従って、橋下大阪都構想は財政行政危機を口実にした、完全な改悪である。
 
 それは、関東大震災後の東京府東京市から、東京都ー各特別区への再編と同じであり、都の官僚統制を高めるモノである。
 
 それはとりもなおさず、都の官僚統制を強める事で中央官僚機構による地方自治の掌握に道を開くモノである。
 
 財源を強化された地方ミニ集権自治体に委譲すると云う様な橋下が云うような中央ー地方の行政体制にすれば、強化された地方権限と縮小した中央権限都のアンバランスを生むのは必然であると云わねばならぬ。
 
 この程度の事は識者なら誰でも理解できる事だし、中央官僚がこんな構図を飲むわけがない。
 
 >>従って、橋下の主張は、単なる中央官僚の地方への統制力を強める大きな階段にしか結果しない。
 
橋下の主張が財界、官僚をひきつけるのは、もっぱら、地方末端の住民サービスにかかるカネを削り、住民から自治権や諸権利取り上げる効果があるからだ。
 
 >世界と日本の危機的情勢から、橋下らの本音も本気で中央官僚体制から権限を委譲できると想っていない。
 
>よって、橋下大阪都構想は完全なる<住民諸権利はく奪が本音>の、検証しようのない幻想を大阪府民に振りまいているヒットラーの様な大ウソだ。
 
市場原理主義のジャングルの掟、服従の檻を全国に先駆けこの大阪に実現しようとしている。
 
C,連邦制(これが事実上、橋下の道州制大阪都構想。財界の長年の構想でもある)
 
>>なお、イギリス連邦各国家、アメリカなどアングロサクソンの州の地方自治は内部の市町の末端の住民参加、役人コスト削減の自治にさせられているモノとして評価している。
 
>スイスの連邦制において、スイスの州は連邦から独立性が強いが、内部の首長の任命権を有しているとしている。
 
 橋下の大阪維新の会議員候補や首長候補の府下の自治体選挙、林立作戦は、多数派を握って、事実上府下の自治上に立つ自分の意のまま操りを空洞化しようと画策そのものである。
 
>>>従って、以上から、橋下の全政治行動は新市場原理主義の「服従の檻」を目指す独裁である。
美辞麗句、もっともらしい口先に誤魔化されてならないと考える。
 
D、中央集権官僚支配
 スターリン体制や戦前の日本。
 
       <<追記>>
 学習期間に突入している。レーニンの「国家と革命」を材料に今の国家の行政機構を問題にしている。全く未知の行政国家論の分野から「国家と革命」を読み込むつもりだ。
 
帝国主義時代前の産業資本主義段階において、イギリス連邦アメリカのアングロサクソン圏の政治経済体制とフランス、ドイツのヨーロッパ大陸では基本的な経済社会構成が大きく違っています。
 
 アングロサクソン圏では市場経済の調整作用に社会を委ねる傾向が歴史的に強かった。市場原理の自然的調整に社会を委ねると、行政コストは少なくて良いが、その分、格差は広がる。その不平等のケアとして末端の住民参加の地方自治による平等調整がある。一方、フランス、ドイツでは、国家機構が経済過程に介入するため、官僚機構が大きくなるがその調整作用で全社会的平等性は強い。
 
 ところがロシア革命の起こった20世紀の帝国主義段階になると、アングロサクソン圏でも官僚機構が肥大するとレーニンは指摘している。
 が、アングロサクソン的末端住民自治は抑圧されて解消されたのか、この点、レーニンは答えていない。
 
丸山真男によれば、アメリカにおいて、国家行政機構が本格的に肥大したのは1930年代のニューディール体制を契機とするらしい。イギリスでは労働党の躍進と植民地からの超過利潤が社会福祉を実現した。
住民末端自治が残存していて、国家機構が大きくなったら、社会全体の自由は広がる。
 
他方、ドイツの様な末端自治の乏しい国家機構の経済過程への介入が大きい国では帝国主義時代の官僚機構の肥大化は元々官僚制による平等志向があるのだから、国家社会主義を必然化する。
ナチス社会民主党右派も官僚国家社会主義と云う点では変わりがない。
 多分、今後「国家と革命」を読み込んでいくと、この点はもっと鮮明になる。
 
 日本の明治以来の官僚制は封建制から資本制への過渡期の絶対主義の半封建性を日本資本主義が発展しても保持していた。戦前天皇官僚制がそれである。
 アメリカ占領軍が日本統治に日本国憲法の様な劇薬を使用した必然性は日本の戦前体制の半封建性にも原因がある。憲法、民主主義のここまで激しい空洞化=経済効率、従属第一主義は戦前に原因がある。
日本の戦後の自由と民主主義は経済の自由と民主主義としてのみ普遍性を持った。基本的人権は私第一主義である。