天木さんは以前、自身の有料メールマガジンとやらで、経産省官僚、古賀の「政権崩壊」なる本の内容に賛同し、みんなの党渡辺はルビコンの河を渡ったとまで書いた。この時期は、そんなに遠い昔でなく、古賀の本が店頭に積み上げられていた最近だ。
その時の主張を今ここで、詳しく再現することはできない。私のブログと同じように書きっぱなし、テーマごとまとめるとかの読者サービスは一切やってないから、拾いだせない。
>しかし、公平を期すために現時点における天木さん自身による、古賀書評をした当時の意見の要約を記しておく。
1)みんなの党は自民も民主も否定する政党だ。その限りでは私の立場と同じだ。
正しい判断だ。
<4)も一切言及がなかった>
>渡辺への将来の首相との天木自身の評価など冗談半分としてしているが、渡辺個人の政治力量への期待はあった、と明け透けに語っている。
>そしてそれが今回の「TPP騒動でひとりTPP推進を訴え続けたみんなの党は「やはりだめだった」解ったと。
>>毎度の天木独特の腰の軽さである。
当然天木の政治傾向を知ってる私はこの言説に鋭くチェックをした。
またまた、軽い腰でふらついているな、と。
そして今回のTPP問題でのみんなの党の限界露呈に至る。
こういうのは、マッチ、ポンプの一種である。
相手の実存に深い考察を入れず、得手勝手に自分の枠から、想い入れをする。当然現実において、相手の実存の中から、天木さんの政治綱領的大枠=「日米同盟からの脱却」とか日本国憲法擁護から、気にくわないところが出てくると、今回の様に限界露呈などと云うことになる。みんなの党のTPP唯一推進は天木さんの「日米同盟からの脱却」の大政治綱領から、とんでもない逸脱である。
こういう幼稚な思考回路は小沢一郎秘書たちへの「とんでもない判決」が下った時の、小沢一郎断固支持の論調にもハッキリと表れていた。今後、小沢一郎の政治の方向性は日本国憲法擁護を基軸とする戦いになるしかない。自分はそういう小沢一郎を断固支持する。
小沢さんのこれまでの政治経過から、天木の勝手に設定した社会民主主義的枠から、零れおちる部分が出てくるのは当たり前である。
そういう対象への見極めを解っていてやりたくないのか、無意識にそういう思考回路なのか?私にはまったく、判然としない。
ただ一つ言えることは、未だその年になって、学生気分が抜けていないって事だ。
佐藤優にも同じようなところがある。
政府中央の役人と云うのは、本当の意味で世の中に出ていない、世間知らずのまま、務まる職業だと押さえておく必要がある。
学校教師、役人に世間知らずの、得手勝手な正義感を振り回す人が多い。私なんか、近親のほとんどが固い職業だったから、子供のころから、その欠陥が身にしみてわかっている。ブンヤさん、マスコミも解っているようでちっとも解ってない事が多い。
私の様に小沢一郎には批判点はあるが支持する、小沢さんは小沢さんの政治を伸び伸びとやってもらいたい、というモノではない。
自身の政治的立場に最も近い社民党への評価、態度にも揺れといい加減さがある。
その選挙運動を通じての結論として、彼らの政治も信用できないとしている。
要するに、天木直人の政治的立ち位置は団体でもなければ、この日本の特定の社会層でない。勿論、国政の政党でもない。
天木と云う一個人が、その時々の状況に遭遇し、自分の想い入れを吹きまくっている、その程度にしか彼を評価していない。記事も実はほとんど読んでいない。ばかばかしいから。
>唯、未だにこういう言説が通用する小さな世界への批判は必要と考える。
せっかく、そこまで考えているならば、その先に想いを馳せなければ、もったいない。
そこで立ち止まっていれば、戦えない。
>天木さんの「さらば日米同盟」は読んでいないし、読む必要を感じない。
日本国民の極々一部しか代表しない政府の政治家や役人、官僚の力では、「日米同盟からさらば」できるわけがない事は鳩山ー小沢民主党新政権時代のリアルな政治状況で多くの政権交代に想いをかけたモノは思い知ったはずだ。
これは同時に戦後形成されてきた日本支配層打倒の激烈な戦いになるしかない。
この政治過程は同時に単なる政治闘争の枠を超えた、民衆の武装問題を含むモノと覚悟していたほうがいい。
この観点を踏まえ、再三、軍事問題を日米韓中のバランスオブパワーに矮小化する事を問題視としている。
>私に言わせると、天木の様なさらば日米同盟などは日和見主義の耳触りのよい空理空論である。
>さらにもっと言えば、仮に日米同盟にさらばしても、金融資本の高度発展段階にある日本資本主義の内外構造は残る可能性が強い。ファシズム政権が日米同盟にさらばする可能性もある。
天木さんの様な、国家間の横関係の従属とか隷属とかだけを問題にするだけで、事は収まらない。あらゆる方面での格差を同時に問題にすべきだ。自立してもファシズムじゃどうしようもない。
国家関係ばかりを問題にしていると、危機の時代の支配層の選択に過ぎないファシズムに足元をすくわれる。
戦前のドイツ、イタリアがそれである。日本の翼賛体制は別種だ。
>そもそも、従属論、言葉を変えた対米隷属にしても、日本共産党がこの間の半世紀の間にさんざん唱え続け、日本国民に宣伝し続けた政治路線であるが、結局のところ、国民の一部にしか浸透しなかった。
>共産党が唱えたから、支持されなかったとばかりは言えない。
その政治論理の中の何処かに大きな間違いがあった、云わねばならぬ。国民多数をこれでまとめて、アメリカに対抗する事に至らなかったのだ。
>>要するに「日米同盟にさらば」するためには最低限、フィリピンで起きたピープルズ革命が必要だ。
これがリアルな現実であり、ここから目をそらしても無駄だ。
何か自身が物凄く有能であり、そのせいで迫害されている様なトーンで一貫していたが、本を読んだ印象として、そこまでの人物とは思われなかった。
だから、単なる高級事務屋に過ぎない分を枠まえよ!と。
一種の政界進出や評論活動への売名行為である。
政府の高級役人が時の政権とそれを担う党の一貫した批判者であり、それを著書はもとより、マスコミにおいて公言し続けると、職を辞す必要が生まれる、これ当たり前のことである。
天木さんは、既成政党を認めない(確かそういう云いまわしだったと想う。その視点にも天木さんの幼稚理屈がある。既成政党は認める認めないにかかわらず、厳として存在し、リアルに国政を取り仕切っている。いくら「新左翼」でも天木さんの様な独りよがりの視点には今まで、接したことがない)
とか「脱官僚」であるとか、ともすれば、その抽象論に多数派国民が誤魔化されやすく、現に小泉竹中路線のムード的脱官僚に誤魔化されてきた。その結果のあらゆる分野での格差拡大、その痛みを持つモノの政権交代への熱望でなかったか?
その熱い想いが現実政治によって混乱させられたからといって、我々はまた振り出しの市場原理主義政治路線容認に戻る訳にはいかないし、国際政治過程は小泉市場原理主義を深化させたTPP絶対市場原理主義=国民多数切り捨て、奴隷労働化へと進展しているのだ。
>従って、天木さんの云う様な、脱既成政党ではない、などと云う評価基準で国政党派を判定するのは、過去の歴史にも学ばぬ、とんでもない時代遅れの政治論なのである。一体過去の新自由クラブとかの自民党分派の歴史をどう総括するのか?不明だ。
脱官僚については、今回の記事でたち云って論じるつもりだったが、時間不足で省略する。
何より、今の中央官僚の様な天下り先不可欠の官僚組織は本当にリアルに必要なのか?大いに疑問である。
そもそもが、経済運営の大部分を市場経済の自動調整力に任せている現状において、一体官僚はどのような仕事をしているのか大いに疑問。
仕事のための仕事と云う奇妙のモノがお役所仕事には付きまとっている。
日本では経済成長に比べて諸権利が今まで足りなかったのである。