反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

11月中旬なのに新卒者の就職内定率60%未満。それでもTPPによる超市場原理主義でアメリカの様な完全失業率9%、上位数%が富を占有する国に日本をするという。無定見、経済発展の行き着いた先はここだった。

  11月中旬、現在の新卒者の就職内定率60%未満。将来TPPを解禁すると、こういう状態が毎年繰り返され、資本の拡大に対して、賃金部分は相対的に少なくなっていくのは目に見えている。
 現状の就職市場は完全な買い手市場になっている。
 
 一方に、就職希望者を採用する、買い手側の資本(P)がいる。他方に自分の生身の労働力を商品(W)として売る事でしか生活が成り立たない、就職希望者がいる。
 
 資本を繰り返し回転する資本家とその使用人にとって、購入した労働力商品は原材料や部品と同じようなコストの一部に過ぎない。
 PはWをできるだけ安く、買って仕事現場でその能力をできるだけ引き出して、付加価値の多く含まれている製品を作り、販売する。
 
 また生産性向上のため、資本の構成において、原材料や部品などの生産手段のコストよりも賃金部分のコストは少なくなって、相対的な過剰人口を形成していく。相対的過剰人口は流動的潜在的停滞的な形態で恒常的に生み出され、これらの存在が労働層総体の賃金を下方に押し下げていく。
 
 この資本の基本運動が一方においては富を他方においては貧困を蓄積していく。
従って、今目の前に起きている事が資本主義本来の原理的状態であって、冷戦体制時の状態は不規則変化していた時期だった。就職先がなかなか見つからず、遂に不安定就労を余儀なくされた状態が、むしろ、本来の原理的な労働者としての姿である。イギリスで資本主義が発生した時期の労働者の状態は流動し潜在し停滞していたのだ。ここにこそ労働者の原理原則的姿があり、自らの肉体を賭して支配層打倒の決起をする根拠がある。
 
 冷戦体制崩壊によって、資本主義が螺旋的に発展して、資本のグローバル化をもたらし資本制の原理原則の再び強烈に貫徹する、新しい時代がやってきた。
 
 資本のグローバル展開が今ほど、進展していない時代(日本で云えば、バブル崩壊前まで)は労働をコスト感覚で見るような風潮はまだ日本では社会全体に蔓延していなかった。
 
 ヒト、モノ、カネへの従来の規制を取っ払うと資本と製品は国境を越え、「無政府的」に往来できるが、ヒトの流動性は不安定雇用の促進に留まり、国境を越えた自由な往来は政府が制限する。
そうすると、資本の生産コスト感覚で云えば、同じ労働をする労働力商品の単価は安ければ安いほどいい、と云う法則に従う。
 
 先進国では資本サイドはその政治委員会を使用して、国内総労働に対して不安定雇用の様なヒトの国内的流動性を高め、低賃金過重労働化を強制しているが、それでも同一労働を基準とすれば、労働力商品の単価は中進、後進国に比べて高い、と云う現実がある。
 
 よって、もっと金儲けのできる適正環境を国内に求める資本サイドは法人税を下げろ、様々な特例を付与せよ、などと政治委員会にあこぎに要求する一方で、平気でドンドン労働力商品の単価の安い、中進、後進国に出ていくのである。
 
 加えて、米国バブル崩壊を受けた米国政府の基軸通貨の立場を悪用した、ドル増刷によるユダヤ金融などのへ救済、雇用確保などを目的とした近隣窮乏化的ドル安政策や米国バブル経済に追随したミニ帝国EUの不況継続からの金融不安などの要因による円高もまた、国内資本の急激な海外流失を加速させるのである。
 
 <2007年、輸出、貿易取引通貨別比率、財務省資料から>によれば、
 
 >>日本からの輸出のドル建て比率は49、3%。円建て比率38、7%。ユーロ8、4%。
日本は輸出において、安くなったドルを受け取り、製品を買う外国側は円高で高い製品を買わなければならないから、米国の完全な一国主義的な当面の利益に沿ったドル安政策は、日本にとって近隣窮乏化そのものになっている。
 
 米国バブル崩壊以降の米国近隣窮乏化政策によって、真の意味で一番打撃を受けたのは金融投機を控えていた日本である。(もっとも、政府が米国債を買い続けバブルを底支えしてきたが)
EU金融派生商品を買いまくって、米国バブルの共犯者の様なものだ。
 この流れから云っても、日本はより一層の、国内産業のコスト削減を推し進めるしかない。労働力商品の価格への下方圧力が不断にかかっていく。
 
 TPP参加はその延長にある。破廉恥極まりないが、支配層にとってもう御身が大切であり、その他国民にはかまってられない。少数の利益でしかないモノを強権とマスコミ宣伝で中央突破し多数利益に仕立て上げ、その幻想を無理矢理刷り込もうとしている。
 
 >>次に、輸出関連企業の日本株式市場の時価総額におけるウエイトの上昇を見ておく必要がある。
これも確認しておかないと、米国バブル崩壊後の日本のGDP下落マイナス14%(震源地の米国GDPの落ち込みより酷い)の原因が理解できない。
 
 1990年末時点、27,2%  2008年末時点、35、2%。
輸出関連企業の株式市場での比重は高まれば、ドル安ー円高は株安に連動する。
ここまでは理解できるが、次の説明も一応正しいとしておこう。
「急激な円高の進行によって株価が下落すれば、いわゆる<逆資産効果>資産目減りが働いて、日本の内需を低迷させる」
資産目減りー消費抑制となるらしい。こういう保有株式価格目減りで消費を控える様な富裕層じみた人たちの消費が、どの程度、内需に貢献しているのか私には理解し難いが、一応そういう理屈が成り立つらしい。
 
 ただ、この数字は別な角度から見ていく必要がある。
輸出関連企業の株式市場での比重の高まりは、市場評価に留まらず、実際のDGP(付加価値の総額)へのこれら輸出関連企業の貢献度が大きくなっている事、従って、税収面での貢献度も大きくなっている。
 
だから、ドル安、円高によって、日本からの輸出製品の価格上昇ー円高不況と云う構図が慢性化する。
 
「日本経済にとって本当に怖いのは米国経済失速のショックよりも、副次的に生じる<弱いドル>による円高だと云うことが解る」
 
 しかし、ドル安ー円高にもかかわらず、
>>>「実際、主要通貨にに対する円の価値を示す実質実効為替レートは低下傾向にある。つまり、低金利通貨である日本円の国際的な価値は弱まっているが、その日本円以上に米ドルが弱くなっている」
日本経済の長期停滞より、表向きの円高にもかかわらず、円の価値の実態は上がっていないが、その円に比べても米ドルへの評価と米国経済の矛盾は深刻である、と云うことだろう。
 >TPPは行き詰っている米国が同じく不調を抱える日本に抱きついて、抱き合い心中しているの図か。
 
 こうした停滞、右肩下がりの二つの経済大国のTPPにおける連携は基軸通貨としてのドル体制の維持さえ怪しくなっている、米国が日本国民多数を食いものにする道でしかない。日本支配層は国民多数を奴隷船に載せてアメリカに引き渡しているに等しい。
 
 >>最後に、米国経済の世界経済における比重の推移を1914年(第一次大戦)から、1929年(世界恐慌時点)に遡り、現時点まで概略する。
   
      <米国の工業生産の世界全体に占めるシェア>
1913年ー米国32%   第二位ドイツー14、8% 
    
1929年ー米国44、5%  第二位、ドイツー11、6%  英国、9、3%  フランス、7%  ソ連、4、6%
       イタリア、3,4%  <<日本>>2,4%  
1999年ー米国23,8%
2007年ー米国21、4%
2013年予測ー米国19、2%(IMFによる)
 
>「米国の影響力の低下は自国の経済成長力そのものが弱まってきたことに加えて、BRICをはじめとする第三ののパワーが急速に力をつけてきたことも影響している。」
「このような世界経済における米国経済の相対的な重要性の低下は逆に考えると、米国経済が沈没しても、世界経済が同時に沈没することはないと云うことを示唆している」
 世界経済全体(歴史)にとって米国は勝手に沈没してくださいと云う訳か。日本は例外として。 
 
>>18~19世紀後半にかけての世界の工場英国の後退は1873年~1896年の長期不況で急激に進行した
英国に対抗する新興国、米国、ドイツの台頭、産業資本主義の段階から世界市場の発展による帝国主義の段階への展開と総括できる。
 
 第一次世界大戦は人類史上初の世界市場の再分割をめぐる世界戦争であり、戦場となったヨーロッパは打撃を受け、米国の台頭が急激に進行した。
 
 第二次世界大戦スターリン主義ソ連を巻き込んで爆発したが、一方の基本誘因は当時の米国経済の世界における圧倒的な影響力とその急激発展と反転する恐慌による爆発力だった。世界経済の44、5%ものシェアを持つ国の大恐慌は世界各国経済に大打撃を与えた。米国経済の急激発展と恐慌が震源となった。
 
>戦後時は流れ、今度は経済後退の中で米国が戦争の火ぶたを切っている。
 
 最初の段階は冷戦体制と云う大義名分はあったが、冷戦体制崩壊後、世界が資本制になって、その戦争の真の敵はハッキリしないようになってきている。
自国の営々と築きあげてきた世界覇権によって、経済的権益を獲得しようとする、一国利害貫徹の真意に世界を巻き込む国家戦略が明け透けに見えてくるようになった。
 
 戦後一貫した、経済的後退期にあり、それを是正する見通しがつかず、その果てに、冷戦体制崩壊後、世界覇権に支えられたモノカネの他国頼りの世界体制に現を浮かした揚句、その必然的崩壊後の算段も付いていない国に、寄りそっていくしかないのがTTP屈従の日本である。