反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

橋下徹と大阪維新の会は世が世であれば、ヒットラーとナチス運動だが、実態は大阪を大企業の最大限の金儲け環境の場にする叶わぬ努力。結局、庶民の生活労働の権利を奪うだけに終わる。ヒットラーナチ党以下。

 橋下徹大阪維新の会への最終的な批判を展開したい。これまでの記事の再現もあるが、自分独自の意見が多く含まれていると想っている。
 
 以下、内容は次の通り。
1、ファシズムの定義。
2、橋下徹の出目問題。
3、大塩平八郎の乱まで遡った、市場原理の経済自由都市被差別部落と貧民窟の共存。
4、戦前戦後の工業生産日本一と朝鮮人被差別部落、下層労働搾取。
5、関西経済の頂点からの転落と経済飽和状態。
6、大阪の現状は日本全体の将来。
7、平松、橋本選挙に対する態度。
 
 論点は多岐にわたり、根深い。今回を第1回として数回に分けて決めていく。あくまでも自分の意見をまとめる必要から作成する。自分の意見には限界があり、他にイロイロナ意見はある。
 
1、ファシズムの定義
 A)危機の時代における金融資本のテロリズム独裁。
 B)危機の時代において没落する中間層の危機感を背景にした民族排外主義の全体主義運動。
 
A)従来から自分の見解。イロイロ調べて、一番納得した意見だった。戦前共産党の23年綱領草案が日本情勢に関する一番、簡潔でまとまった意見だと考えた。
B)に関しては丸山真男を読んでもしっくりこなかったが、ファシズムの運動実体を押さえておく必要がある、と云う意味で、A)だけでは足りないので補足する。
 
 >橋下徹大阪維新の会ヒットラーとナチ運動に対比させて考える必要がある。
 
 
 橋下と大阪維新会の政策云々は、タイトルに凝縮した結果しか生まないものであり、あくまでも、庶民から、労働、生活の権利を奪い取るだけに終わるウソ八百の目暗まし、方便にすぎない。
 橋本等本人たちは勝手に思い込んでいるだけである。日本ではこの類の連中は伝統的に自分たちのやっている事、やっていこうとしている事に対する自覚が乏しく、目先の情勢に引きずられて、成り行き任せだった。
 
橋本ら基本的なところでの誤りをキチンと指摘できず、ここまでのさばらせた、関西マスコミは最大の共犯者である。
 日頃の彼らの報道は余りにも低水準過ぎる。学級委員会レベルだ。
真面目にやっているつもりのラジオ報道番組「種まきジャーナル」でも中途半端な問題提起に終わっている。
あの番組は橋下支持層を生む構造を持っている。
入口は良くても、出口を指示していないか、間違えている。課題を鋭く設定したら、応えきらなければならないと、聴取者をツマ先立った状態で放置することになる。こういうやり方も橋下支持層を生む。
原発問題で京大の小出さんの意見を毎回聞いても、結局、橋下の嘘八百脱原発の後押しに収れんする政治方向になっている。
 
  以上を論証するためには多岐にわたる方向から突っ込んで考える必要がある。
 
 
 今の時代は1930年代と同じように先進国経済の行き詰まりと経済長期停滞が生まれている。これは大枠として、新興国家の台頭による世界市場の再編が原因である。
古いモノが新しいモノの急激な登場によって、かつて世界市場において保持して位置を後退させているのだ。この軋轢が国際問題の起点である。
 
 >しかし、今の200年代は違ったところが多くあり、具体的に検証していく。
 
 戦前の日本は工業生産力も低く、(1929年段階で米国44、5ポイント。 ドイツ11、6。 英国9、4。 フランス7。 ソ連4,6。 イタリア3,4。 <日本>2、4>)頂点の軍需的工業力の発展と半封建的な生産関係の不均衡な国だった。少数の冨者と圧倒的多数の貧困者の強烈な格差社会は必然化する。
 
 この社会生産関係に規定され(欧米から離れた極東の島国と云う地政もある)労働運動、民主主義運動はあくまでも少数派運動に留まっていた。
 
 従って、危機の時代を迎えて、広範な民主主義運動の広がりへの対抗物としてのファシズムが民間運動として不平不満の広範な民衆を運動に引き入れて、金融資本独裁に転化していく、必然性はなかった。
 
 >戦前の日本はドイツイタリアの様に民間運動から出発したファシズムが政権を握ったのではなくて、既成の半封建的な国家行政機構がなし崩しで軍事化したモノである。日本における民間ファシズムはなし崩しで軍事独裁化する国家機構のあくまで補助的な存在にすぎなかった。
 
 >戦前のドイツ、イタリアと日本の政治状況を具体的に押さえておく必要がある。
数値や抽象論では解り辛い。
 
 ドイツでは第一次大戦の敗北を受けた1918年革命によって皇帝ウィルヘルムⅡ世の追放、民主共和制のドイツが誕生している。ドイツ民主共和制の憲法がワイマール憲法であり、敗戦後の西ドイツ憲法はこの基本視点と全体主義への戦いを結合したモノである。
 
 ただし、ワイマール時代にヒットラーとナチ運動の憲法内における登場、多数派獲得の必然性も仕組まれていた。
マックス、ウェーバーは議会を通じたカリスマ登場によってしか、ドイツは列強に対抗できないと結論ずけている。まだ完全に政権を掌握していなかったドイツブルジョアジーの論客の意見であり、ユンカー土地貴族層の様な旧支配層は発達した文武の官僚制を握っていた。
 
 この時期のワイマール憲法下の民主共和制のドイツと、帝国欽定憲法下の半封建的軍事独裁の日本を戦前と戦後の継承と云う意味で対比しておく必要がある。
 ドイツでは戦前において市民革命=ブルジョア革命が成立しているが、日本では第二次大戦敗戦後だった。
 
 イタリアの戦前は興味がなかったので調べていない。
 
しかし、ムッソリーニイタリア社会党(ここから共産党が分離する)機関紙「前進」の編集長だった。
イタリアでも労働層の工場占拠などの民主主義運動の高揚の対抗物としてファシズム運動が発生し拡大し、政権を握った。
 
 >>ファシズムは危機の時代における民主主義制度内で発生し、それを食い破って、少数の多数への独裁的支配を実現する。
 
 >日本敗戦後の日本国憲法の成立過程をリアルに押さえておく必要がある。
イ)日本の戦前、戦後の歴史的的継承性を見据え、日本国憲法成立で何もかも変った様な教科書的な歴史観を排す。戦前戦後の歴史の継承を切断するウソ八百である。 
 
ロ)敗戦直後の日本国民の意識状態の戦前大日本帝国欽定憲法的意識の継承をハッキリさせる。
 
ハ)GHQ日本占領統治の支柱としての天皇制=官僚制、マスコミの特権的役割を明らかにする。
 
ニ)日本における事実上の市民革命(ブルジョア革命)は米軍軍事力の太平洋戦争における皇軍せん滅と日本国憲法、占領統治によってもたらされた、と云う現実を直視する。
 
ホ)冷戦体制への米国世界戦略の方向転換によって、米軍による日本ブルジョア革命の様々な実体的支柱は改変され、イ、ロ、ハ、の日本国憲法の衣装を纏った戦前の復活が歴史的時間をかけて進行した。
 
 ただし、戦前の復活はアメリカの占領統治政策が冷戦構造的に変わったから、と云う客体の要因もあるが、元々敗戦直後のGHQとの憲法成立交渉時点から、日本支配層の目論見は戦前体制を色濃く残す事であった。
 支配層にとって、戦前の様な体制を残す事が国民支配をやり易くすると悟っていた。
 
 両者の妥協が日本国憲法第九条と天皇制条項の均衡に見てとれる。
 
よって、極論すれば、9条を守ると云うことは、アメリカ軍の日本占領を容認すること、天皇制の容認と云う論理的結論になってしまう。もっと詰めると、戦後の日本支配層の民衆支配の容認とならないか。
 
 この辺の問題として、いつも取り上げているのは、合衆国憲法修正条項の民衆の武装民兵制度を国家の武装の原点としすると云う重要な観点である。
 個々人、家庭、家族、郷土の武装、武力による防衛、を基礎に国家の武装武力行使がある。自衛隊国防軍による国家武装が問題になるのはもっと先の次元だ。
 
ましてや、極東地域の軍事均衡状態維持などは、そのずっと先の問題であり、そこから先に考えてしまうのは支配層のイデオロギーへの屈服である。武器なき批判は奴隷の批判でしかない!
 
 沖縄普天間基地移設問題も民衆武装の次元から問題にしないと、国家間の軍事バランスや単純平和論の表面的議論に終始する。
 
 >>以上を前提にして、米国バブル崩壊、世界経済危機を背景とした戦後初の有権者多数の選択による民主党政権誕生後の鳩山小沢政権弾圧、大震災、原発事故という戦後日本史にない激動期における、橋下、大阪維新の会「運動」の性格、役割を立体的に掴みとっていく。
 
 まず、ハッキリしている事は、敗戦後の日本国民の自主的な市民革命による自由と人権の獲得があれば、市民自らが、橋下と大阪維新会の政策や言辞を見抜き、戯言として一蹴するであろうと云う事だ。
戦後憲法の権利や自由は与えられたモノで戦いによって勝ち取ったものでないから、それを奪う政治目的のモノへの警戒心がない。これは最大の政治悪である。
 
 自由や権利は選挙に還元されるモノではなく、日々の生活労働を良くするため、日々行使するモノである。決して抽象的なものでない。自由人権は行使しなければ、絵にかいたモチだ。云わば、庶民の日々の労働生活、生命守るの土台だ。
 
 橋下らがどんな言辞をはこうとも、これを踏みつけにし、蔑にしようと画策している大きな政治方向は隠すことができないはずだが、残念ながら、自らの手でそれらを勝ち取っていない、大阪府民市民は橋下の跳梁跋扈を生んでいる。
 
   >>時間不足のため次回に