反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

大阪ダブル選挙の隠れた争点は橋下問題。橋下独裁政治戦略と人物の足元を検証する。

 自分の住んでいる郷土をネガティブにとらえてしまうのは、足元を掘り崩す様なもので、自分のためにならない。
その場にしっかりと立っていないと、腰を据えて物事を判断できない。
 
 しかし、今、橋下が知事職を任期満了を待たず、辞任して、手下の大阪維新会幹事長を府知事選に立候補させ、自らは市長選挙に立候補するというダブル選挙を演出し、当選しそうな現状から、タブーを破る必要が生まれてきた。
個人的には、この選挙の隠れた争点は橋下徹問題とさえ思っている。
 
 さて、橋下が府知事任期満了を待たず、大阪市長選挙に立候補する意図は
>まず目先の第一として、カネである。
 
 大阪市の予算規模は特別会計を含めて、府の5倍ほどになると云われる。そのカネの配分権を握ることは、自分と大阪維新の会の大阪全体への政治支配を確立させるストレートな道である。
 
 当初は、平松大阪市長をかき口説き、同調させようとしていたが、物別れに終わり、じゃ~自らが府知事を途中でやめて市長選挙に立候補しようという極めて単純、強引な政治手法である。
 
 当然にも、こうした性急、強引な政治手法には、どんな政治理念、政策を掲げようとも、橋下等を除いた議会各派から反発を受け、現実に自民党から共産党までの各派はバブル選挙において、濃淡はあるが橋下反対派に転じている。
 
 第二。
>この事態は橋下の大阪都構想と云う政治戦略からみていく必要がある。
 
 大阪都構想は財界の従来からの中央ー地方行政刷新の眼目である、今ある県や府を大きく統合した道州制に沿った構想であり、キーポイントは行政における人件費の削減に尽きる。
 
 今の日本の一定人口当たりの公務員数は特殊法人を含めても、市場原理主義の総本山の米国を下回っている現実があるにもかかわらず、さらに削減しようと画策している。イロイロナ比較方法があるが、先進国で最低なのは間違いない。
 
 >この問題に関して核心は、必要な処に必要な数の人材が配置されていない、民間に任せられるところに人員が配置されている、と云うちぐはぐな現状であるが、全体としては住民サービスと云う意味で公務員数は足りていない。
 
 一つの例。ホームヘルパーをボランティアでしていた現場体験から、この分野を公平な立場で管理する公務員の絶対数が足りない。
ほとんどすべての過程が民間に任かせなので、ヘルパー利用者の不都合、不公平(カネを払っている割に適切なサービスを受けていない場合がある)、事業者の不正など現場段階、管理段階で様々な問題がある。
 
 超高齢化社会は避けられず、介護保険の利用者になるヒトが圧倒的である。
こうした具体的現場の状態を踏まえ、真面目に考えるべき問題を、公務員人員整理問題に一括りに論じると庶民は自分の首を自分で締めている様なことになる。
 
 >財政ひっ迫で正規の公務員給与を切り詰めなければならない現状があれば、彼らを粛々と説得して実行すればよいだけの話であり、行政の長の説得力、政治力の問題。
何もその辺の問題でことさら世間を騒がせる必要はない。民間一企業の社長が社員のリストラをしなければならないハメニ陥った時、世間にことさらアッピールするか?市場原理主義と云うイデオロギーの押し売りである。
 
 ただ今現在の行政職員はリストラされて、多くの薄給、みなし公務員、パート、アルバイト、派遣が浸透して檻全体としての給与は決して高くない。
 
 >アングロサクソンユダヤ社会化した格差社会の日本の現状から、民間では低賃金不安定就労が横行している。
 が、自分の給与が低いからと云って、公務員まで右に習えを求めるならまだしも、政治ターゲットまで祭り上げるのは、絶対に間違っている。橋下と維新の会の煽動政治はこれである。
 
 即自的な反発を自制し連帯を求めるのが、アングロサクソンユダヤ社会化した日本を生きる庶民の務めであり、結局それが回りまわって、自分のためにもなる。
他人の給料が高いからと云って、もっと下げろと告げ口するのは小学生レベルである。現実の関西マスコミ報道にこのレベルが多い。その扇動をまともに受け取った大衆を土台に橋下等がのさばる。
 
 >公務員ー行政問題に関して庶民はもっと掘り下げた自分の理念を確立しておき必要がある。
 
 >カネ、経済効率一点張りに還元してはダメだ。市民社会が市場の原理支配、公務員数を削減、一辺倒になれば、市民にとって公共領域はそれを実体として担うモノが足りないのだから、極端に狭まっていく。
 
 この世は資本主義社会、増してそれはもっと深化してカネ万能の社会化している、いくらコンプライアンスや公共精神どうこう言っても、所詮、観念上のモノに過ぎない。
公共領域を実体として担う、良質な公務員とその数を確保しておくのは人類の到達した知恵の次元の問題だ。
 
 革命期の政治混乱、中、低開発国における行政機構の果たす役割は大きいが、まさにその質や数に問題が生じている事実を知るべきである。
社会や国家にはニュートラルな中核が機構として必要。
 
>年金、介護保険など社会や国家のお世話にならずに、一生を終えられるほど、動産不動産の所有者は富裕層だけだ。
良~く立場をわきまえた、考えた意見を持ち、行動する必要がある。
 
 天に唾をしているならまだしも、自分で自分の首を思い切って締め上げている。
 
世の中が長期停滞すると手を変え品を変え、詐欺師は登場するが、詐欺師に騙される体質の方は何度でも騙されるという。
 
第三。
さらに大阪制覇を拠点にステップ台として、民主党の政権と党の溶融後の全国的な政治カオス状態を睨んだ橋下等の全国政治への戦略と云う観点も押さえておく必要がある。
 
 基本的なイメージとして、政治のカオス状態が生まれざる得ない。アメリカを筆頭とした外国勢力はそれにつけ込んでくる。
 橋下等は政治の混乱を庶民的立場から、収めるのでは全くなく、アメリカや市場原理主義代理人として、加速させる要因となる。
  
 >私が指摘している根幹は政策論議の様な枝葉末端論議ではなく、橋下と大阪維新の会自身は世界、日本、大阪と云うパレットの中に置くと確かに市場原理主義への極端な露払いに過ぎないが、
ピンセットで挟んで環境的限定から、取り出して検証すれば、日本におけるファシズム運動の原型の様なものである、と云う事だ。
 
 従って、そういう普遍性から、これからの日本政治に対して規定力を持ちうる、危険性が大ありなのである。
アメリカではティーパーティー運動共和党を席巻しようとしている。ヨーロッパでも不穏な動きがあるがある。
 
 押し並べて先進国では民主主義が衰退し、金融寡頭制に権力資力が集中し、後進国中進国においては民主主義の前進があるという、世界市場の不均等発展発展を物的根拠にする民主主義の世界的不均衡が生まれている。
 
 第四。
なぜ大阪で橋下の様な奴の跳梁跋扈があるのか?
東京のマスコミに大阪は理屈より愛嬌の地などと揶揄される残念な気質のよって来るところを過去に遡って指摘する。
 
 >>>1930年の全国工業生産指数比較
大阪ー996
東京ー818
兵庫ー629
愛知ー448
神奈川ー295
福岡ー229
 >以上から、大阪と隣接する兵庫を合計した工業生産指数は1625であり、全国の27%を占めており、日本一の工業地帯だったことが解る 
 
 >>>在住朝鮮人の人口推移
 1933年。大阪府ー140277。   大阪市ー111721。
   中間期省略。 
  1942年。大阪府ー412748。   大阪市ー317732。
 >全国在住朝鮮人の約30%が大阪府在住。そのうち、約70%が大阪市在住。 
 
 >>>1942年都市人口
ソウルー930547
大阪市>ー317734
ピョンヤンー283517
プサンー240033
大阪市は事実上、ソウルに次いで二番目の都市だった。
>大阪の経済全国一は在住朝鮮人の安価で過酷な底辺労働を一方の支柱としていた。
>日本敗戦とともに彼らの多くは祖国に順次、帰国した。現在のイヨンバク韓国大統領も大阪在日の子供時代がある。
 
>>現時点でも在日朝鮮人の集住している生野区の5人に1人は在日の方である。
 
>>>被差別部落、貧民窟の多数存在。
これも多分、全国一だと想う。
被差別部落は大阪中に存在し、その人口は大阪の経済発展を底辺で担っていたが故に、雪だるま式に増えていった。関西一円から職を求めて、在所で食えない部落民被差別部落への大量の人口流入があった。
この経過はキチンとした書籍で特定地名を挙げての被差別部落の周辺への拡大として具体的に検証している。
 
>>橋下の母親の云っている、実父の祖父の代によそから来た、はこのことを指しているだけだ。
以前からそこに住んでいる人はむしろ少数派である。
橋下の母親はこの事実を知ってか知らずか、無視している。
 
>そもそも、橋下の名字は「ハシノシタ」と読まれていたが、母親が実父の実家の反対を押し切って読み替え再登録したのである。これは戸籍上、可能なぎりぎりの線である。
>ハシノシタと名乗った実父の実家の部落民として胸を張って、生きていこうとする心意気があったから、そう名乗って、改名に反対したのだろう。
 
>>橋下の大阪府立北野高校通学時の住居は東淀川区飛鳥地区の部落解放住宅である。
基本的に、あの時代においては今の様に部落解放住宅への一般募集はなかったと考える。
大阪八尾市の部落の出身の橋下一家が飛鳥地区の住宅に選択すること自体が被差別部落民の証拠である。
他に低家賃住宅はいっぱいある。
 
>>北野高校は飛鳥地区からそんなに離れていない処にある。
橋下に対する差別の目は必ずあったとみる。大阪の昔の普通の人は部落地域を頭に焼きついている。
 
 部落差別は当時、大きかった。それが解消の途上にあるのは、社会生産関係の変化によって自動的にそうなった面ももちろんあるが、橋下実父の実家の方の様な、部落民として誇りを持って生活し戦っていこうとした、人々がいたからこそである。
 
>>橋下の母親はこの点を蔑にして橋下を育てたと、その発言からうかがわせる。
 
 学力に恵まれた橋下にはそういう母の影響の下強烈な上昇志向が染みついたと想像できる。
勿論、それはそれとして当然のことであるが、
政治家、行政の長になった橋下の実際にやってきた事、今現在のダブル選挙の政策を見ると、とてもじゃないが差別された弱者に優しい目線を送っているは、絶対に想えない。
 
 むしろ、市場原理主義、競争原理を煽って弱者を踏みつけにする真逆の事をやっていこうとしている。
上昇志向は弱者踏みつけの土台の上に成り立っている。
橋下政治の本質は時代状況から取り出すとファシズムそのものである。
が、時代状況と云うパレットの中に移し替えると、所詮ファシズム以下的な大資本金儲け最適環境を創出することが最大限の政治綱領となるしかない、住民からの政治的自由と人権を剥奪するだけの使用人に過ぎない。
金儲け最適環境さえこの経済飽和状態の大阪では不可能なのである。
 
>またファシズム以下と云うのはヒットラーとナチ党は少なくとも、巷にあふれた失業者を運動に引き入れ、仕事を与えた。
橋下のやっている根幹はその真逆である。強烈な新自由主義政策を貫徹させることで失業低賃金不安定労働環境を増進させているのである。
 >経営者が橋下政治を喜ぶはずである。
 
>大阪マスコミの橋下支持は一言で云って、話題を提供する橋下の一挙手一投足を取り上げる事で窮迫する経営の自転車操業をすると云う、根底意識がある。
経済停滞、右肩下がりの著しい大阪マスコミ資本にとって橋下で大騒ぎすることが安いスポンサー料をかき集めるアイテムである。狭い大阪。報道の材料は少ない。
橋下と大阪マスコミは利害関係で政治的に一致している。大阪マスコミに理性を求めるのは、魚屋に野菜を買い求める様なものと割り切った方がいい。