反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

橋下徹と関西マスコ。植草一秀2008年10月20日記事「大阪府民は府民自身の選択とはいえ、時代のあだ花ともいえる、人権意識の欠落した傍若無人知事に残り3年以上も府政を委ねるのだから、大変気の毒に想う」

 トピック的な事からー。
今、記事作成のため、橋下徹で検索すると、大阪毎日放送のテレビ番組に橋下と出演予定の「平松前市長ドタキャン」とあった。
 反俗日記の前々日の記事だったか、選挙期間中にもかかわらず、毎日放送ラジオの「種まきジャーナル」出演させる局側のジャーナリズムとしての見識のなさ、企画に乗って出演する両候補のいい加減さを批判した。
 
 その主旨は選挙期間中は有権者にできるだけ冷静、公平な判断をさせるため、候補者の活動は公平に限定されるべきと云うものであった。実際にそれは様々な制限措置として実施されている。
 
 処が民間営利資本でしかないマスコミ側が候補者を番組出演させて、討論させる機会を作れば、その公平な限定事項が事実上、崩れ去ってしまう。
 
 民間テレビラジオの報道番組について、勘違いしている人が多過ぎる。
彼らの資本としての回転は戦後、GHQに付与された特権に守られているが、基本的にスポンサー料によって成り立っている。一般紙にしても、広告収入がなければ、130円程度であんな分厚い記事が成り立つわけがない。
 
 >ということは、報道は資本の回転を担う営業活動に左右されると云う事だ。スポンサーが見つからなければ、ボランティアで大赤字を出すしかない。
 
 で、資金提供者のスポンサーと番組の仲介役を務めているのは誰だという次元に行きつかなければ、ウソだ。
 >電通は広告関連の営業では世界一の売り上げを記録している。1兆5000万円の年間売り上げを記録しているガリバー企業である。そこに異常、歪、差配を感じる。
 
 まだ、突っ込む処がある。
>島田伸介タレント廃業問題。
記事にしようかと思ったが、ばかばかしいのでやめたが、問題点の核心は島田本人どうこうにない。
 
 所属の吉本興業は古くから株式市場に興味を持っていた人なら知っている様に、芸能事務所としては、日本で一番早くから、株式を市場公開しており、私の記憶している限り、上場、半世紀程度になると想う。
 
 処が、創業者、林一族と現経営陣に主導権争いが生じるようになった。
ズット前のコメント氏に「所有と経営の分離」などと経営学の教科書を丸暗記した様な幼稚な議論をする人がいたが、このケースはそのリアル事態である。
 
 現経営陣は東京キー局、関西準キー局に出資させ、持ち株会社を設立し、公開株の買い付けに及び、半世紀にわたる吉本興業株の公開を中止した。言い換えると、創業者一族は経営から排除され、東京キー局、関西準キー局、と吉本興業は資本関係と云う物的な絆によって結ばれた。
 
 民放局にタレントを出前する側の特定業者とマスコミ資本との資本関係の癒着が生まれたのである。
こんな、私的資本そのものの動態を基本とする業界が報道番組で公正、中立を保てわけがない。
 
 >まだ問題点はある。今度は関西マスコミ資本のリアルな資本としての現実。
朝日新聞大阪本社は大阪中心街を南北に貫くメインストリート御堂筋の一本、西のこれまた大きな筋である四ツ橋筋の大企業の社屋の立ち並ぶ中之島にある。
 
 処が、四ツ橋筋沿いの社屋を渡った向こう側にナント、床面積5千平方メートル、地上49階建ての所有高層ビルを建設中。「浅き新聞」社は現社屋で充分足りている。
 元々、この土地にはフェスティバル、ホールといって古くから、有名なホールがあるビルが建っており、その所有者は毎日新聞だった。創価学会系の出版物、新聞発行で食いつないでいる毎日新聞朝日新聞に土地を売ったのだ。
 
 マスコミ資本は寡占市場で守られているが、それなりに競争があり、浮き沈みがある。
この「資本間の競争」面からしても、報道番組に対する営業の規定力の大きさが解ろうと云うモノだ。
 
 さらに、土地を買って、巨大ビルを建てている、「浅き新聞」についても、一見、景気がよさそうだが、そんなカネはどこから調達したのか?教えて欲しいモノだ。まさか自己資金で間に合うはずはあるまい。
金融機関から借りている。
 
と云うことは関西「浅き新聞」は資本と金融の癒着した金融資本と云う実態の側面面が濃厚という事だ。
GHQの特権を利用し、その時の日本人民への米国流「民主化」役割を上手く利用して、今現在はキッチリ、巨大資本活動に手を出しているのである。
そういう方向に走ると、資本の論理が働くから、後戻りはできない。
民主政権誕生後、小沢攻撃に精を出し、TPP推進の論陣を張る物的根拠がここにある。
 勿論そのつながりは常日頃からの凶暴な市場原理主義者、橋下ヨイショに行き着く。
 
テレビラジオの朝日放送の方も、その近くに巨大な社屋を近年建設した。
新聞放送は資本の金儲け論理の泥沼にズッポリと口のあたりまでハマって、毎日ワァーワァーやっている。
 
 常識的に考えると一部130円で新聞を売ったり、東京と比べて格段に低料金の関西広告収入ではやりくりが大変だと想う。
 固定資本部分が膨らむと経営を圧迫する。増してこれらのマスコミ資本は浮動性のあるサービスを売っている部門。生産的商品を売っていれば、設備投資はその価値は商品に反映する。
 
 >>やくざな業態が底にある業界なのである。
 元ヤンキーがそのままタレントになって売れた島田伸介の様な人物が大手を振ってまかり通る空気充満なのだ。
 
上品な植草一秀さんに言わせると、「人権意識の欠落した傍若無人橋下徹に行政を委ねる、大阪府民、大阪市民は、大変気の毒だと想う」2008年10月20日時点で同情されている。
植草さんにとって、2008年段階でも橋下府政下の大阪府民を不憫に思っておられる。2008年の段階でも彼にとって橋下は論じるに値しない酷い人物なのである。
 
 そうすると、橋下徹が手下に大阪維新の会を使って大阪中を席巻しようとしている現段階は何と云えばいいのだろうか?
 
 植草さんの足元にも及ばない知識と教養の私でさえ、橋下を論じようとする時に、あんな奴ほっとけ!と云う誘惑にかられる。ヘドロの底から湧いてきたような人物像しか思い浮かばない。
 
 弁護士?関係ないな。若い時にしょうがないから、イロイロナ弁護士と接触したが、巷に存在する一職業に過ぎないとの実感を深めるばかりだった。
 違うな、と感じたのはIさんだけだった。カリスマ性があって、颯爽弁舌さわやか、かつ、酒席では割り切って思い切って気さくに振舞える、政治家になったら凄いことになっていただろうと想うが、政治は大学時代に卒業したのだろう。
 本物のエリートと想った。
 
 段々と、橋下に接近してきた。
橋下のテレビタレント時代のマネージメントを引き受けてきたのは、爆笑問題の設立した事務所だと聞いている。
現時点の契約関係は切れていると想うが、
例えば、橋下のアザトイ、イメージ戦略にこの事務所が一役買っているかもしれない。
 
 前回の統一地方選時、知事職の橋下は手下の維新の会のイメージ度の薄い候補の応援に回っていたが、その時の街角に張られた選挙ポスターは橋下本人の上半身アップ、物凄い目をして、こちらを指さすモノだった。
 まさにちょび髭と軍服、帽子を着せるとヒットラーそっくりだった。
 
 この度の選挙では在任中の独裁批判を交わす為か、そこらの街場のアンちゃんの如き安物のヘラヘラ笑いで手下の維新の会幹事長と並んでいるモノだ。
彼にはそれなりのイメージ戦略にたけたプロがついている。
 
>>>テレビ、ラジオで討論、政見発表をやるなら、一応公共放送である、NHKでやればいい。選挙期間中の民間マスコミでの候補者自身の討論は結局、住民にとって百害あって一利なしだ。
 
 マスコミ資本の番組が、いくら地方選挙といえども、候補者を出演させて討論させるようなことをやり始めたら、終いには収拾がつかなくなる。今回は毎日ならば、朝日放送関西テレビ、読売と云うことになる。
 
 そうするとどうなるか?
 
 言葉巧みなモノ、テレビ映りのいいモノに有権者の目が云ってしまう。
それだけに終らない。
 
 こういうマスコミ上の「政治」で選抜され、行政のトップに立ったモノは、単に住民の負託を受け、その意思を代行しているにすぎないのに、マスコミ報道を組み込んだ政治行為に現をぬかす=マスコミはそういう政治を行う人物の一挙手一投足を宣伝し、人気者に仕立て上げる事で大衆の耳目を集め、セコイ低額スポンサー料をかき集める。
 
 >関西民放は長期不況と長年にわたる関西経済経済地盤沈下で広告収入の低下に喘いでいる。
 
以前阪神戦の放映料を東京と比較したモノを見たが、東京の半分も行かず、4分の1程度。
キー局、制作の番組を垂れ流さないと、この程度の広告量では自主制作のマトモナ番組作りは製作費的に苦しい。
 
 そのくせ。立派な社屋、正社員の給料も結構高い。
と、どうなるか?関西キー局の自主制作の番組は、安い製作費の外注にマル投げされていると云う事だ。
 
 資本の基本論理として労働力商品の安いところにはそれなりの人材しか集まらない。
 
云って悪いがそういう人たちが制作した商品を局側は上から管理しているにすぎない。
 
 地方報道番組やバラエティー番組で橋下徹の一挙手一投足が偏向的に報道されるのは、この辺の事情でカネの論理が単純に貫徹する構造にある。
 
かくして、橋下と関西マスコミがキャッチボールの如きことをやっているうちに、実際は住民は蔑にされているのである。 
 
 狭い日本国土、増して生駒山に登れば、一望できるような狭い大阪。
アメリカの様なマスコミ活用の選挙の必要性はない。
 
 有権者自身が政治判断する情報が足りないと感じたら、自分で労をとって情報を取ったらいい。
その程度の政治に対する自主性がないようでは、話にならない。
その次元で候補者を選択するようでは、マスコミの情報操作に身を委ねている様なもの、実態はマスコミの振るタクトに差配されているのだ。
 
 長々とした説明になったが、平松氏の出演中止は正しいが、決断の時期が遅すぎる。
そんな政治思想の希薄な状態で市長をやってきたから、問題なのである。
 
>>冒頭のタイトルに使用した植草さんの2008年10月20付けの記事。
この年は政権交代実現の前の年。
2007年米国バブル崩壊オバマ「黒人」大統領誕生ー小沢一郎主導の民主党参院選躍進と云う時代状況の中で、小泉ー竹中市場原理主義路線の誤りがマスコミでも取り上げ出したころである。
 今読み直して、感慨深いものがある。人間は過去を忘れるようにできている、とつくづく思う。
植草さんは云う。
 
橋下知事は小泉元首相をモデルにしているのか、その言動は権力を笠にきる高圧的なもので、他者に対する心配りにかけている。橋下知事の言動がこれまでメディアを賑わしてきた。メディアが社会の木鐸として、中立公正な立場から、橋下知事を批評すれば、誤りが是正されることも期待できる。しかし政治権力に迎合する彼らは知事に対する批判を抑制してきた。メディアの偏向が橋下知事の不適切な行動を助長してきた面も否めない。
、<そのメディアの姿勢にようやく、変化の兆しが見え始めている>」
 
 植草さんらしい慎重な学問的言い回しであり、尊重する。
しかし、商店街の肉屋に野菜は売っていなかった。
これが新政権誕生後、小沢弾圧、管政権誕生、拙速消費税増税論議、大震災原発事故、小沢氏秘書有罪判決
TPP交渉参加表明、そして橋下、大阪ダブル選挙の3年間の庶民にとっての決定的な結論である。
3年前に大阪府民を気の毒がっていた、植草さんは今現在の橋下と大阪府民、大阪市民の事態を何と云う。
 
 >時代基調は急ピッチで歩を進めていると云わなければならぬ。
橋下ダブル選挙はその大きな一階梯でしかない。
 
 >大阪は歴史的に市場原理主義の地であり、公共の空間が狭かった。