本棚に眠っていた「帝国以後と日本の選択」エマニュエル、トッド藤原書店2006年刊を引っ張り出して、ザット再読してみた。内容はフランスでのトッドへのインタビュー記事、彼の世界的ベストセラー「帝国以後」に対する日本の識者の感想文。
今回、注目して読んだのは、日本の識者の感想文だった。
冷戦体制崩壊後の日米関係が日米同盟とまで言われるようになって、ガイドラインによる米軍世界戦略に沿って日本の政治軍事戦略が決定されて以降、今日のTPP事態まで立ち至っている現状に引き付けて、2006年時点に遡って、何か、参考になる記事はないかと探してみた。
古いヒトにある過去のイデオロギー枠、から自由な発想が良い。
<究極過ぎて選択できない>
「けれどの日本がトッドの期待どうり戦略的自立性を持って行動する日が近い将来にやってくるとは考えにくい。
日本は経済大国かもしれないが、軍事的には米国の{演劇的小規模軍事行動主義}の餌食にされてきた弱小国家群となんら変わらない。
では、トッドの云う様によりよく武装していくのか?
だが、ここで{武装}とは自前の核抑止力の保持に他ならない。
これは全く究極の選択と云ってよく、容易に国民的合意を得られる問題ではなかろう。
>>以下の引用部分で彼は米国隷属の枠にすっぽりハマった国家戦略無き日本の許された狭い外交戦略を描き出す。
「むろん、だからと云って、何もせず米国に追従していればいいという話ではない。
そうである以上行動には責任が伴わざる得ない。
<米軍が敵と呼んでいる人々からの手痛い反撃を招くであろう。そういう事態をどうやって回避するのか?
{目下のところ日本の選択}はこうした次元にある>
なかなか、リアルでシビアーな2006年段階での目下のところの{日本の外交選択}への認識である。
冷戦体制崩壊後、一時期、強まったアメリカ一極支配の世界情勢の中で日米同盟深化、ガイドラインによる米国世界戦略への事実上の集団安保体制への移行が、引き起こす対抗勢力との様々な衝突を掻い潜り、すり抜ける御題目として日本国憲法の平和主義が日本国家の小戦略として位置づけられる。
>ま、それは正確には{小国家戦略}ではなくて、日本国家として{許された戦術の如き次元}のモノだろう。
もちろん、そういう平和主義には一定の役割があることは大いに認める。
>が、結局は東アジア情勢、世界情勢のリアルな進展に対して、本当の意味でアンチテーゼにもならないンじゃないかと考えてきた。
その論理的な答えがこの1960年生まれのイスラム学者による日本国家の外交選択の矮小性の明晰な確認にある様な気がする。
>>日米同盟深化から安保体制の事実上の集団安保への変質によってアメリカ世界戦略に沿って、陰に陽に行動するが、そのリアクションとして敵の弾が飛んで来る事を回避するために、平和憲法と云うソフトの衝立を掲げる。そういう事でないのか!
>>が、米国バブル崩壊を受けて事態はもっと進展してきた。
飯塚正人さんは続けてこう指摘している。
「帝国以後」の日本人が取り組むべき最大の課題は米国が何をしでかすかわからない無責任なモノかどうか真しな分析であるに違いがない。日本の選択はひとえにこの分析にかかっている。米国が何をしでかすかわからないモノでないならば、日本の独立への道はあるのだから。」
真っ当な方法論である。
しかし、これについては、飯塚さんが読みこんだエマニュエル、トッド「帝国以後」の中にすでに回答はあるが、彼はトッド、アメリカ論にまで踏み込めないようだ。
>これまでの多くの日本国民の平和主義の保守性は真面目に情勢を考えると、払拭できない。
>この選択が旧来の日米関係における日本の安定的な政治的経済的枠組みの破壊になり、ひいては東アジアはもとより世界中に不安定要因をまき散らすことは承知の上にも関わらず、もはや今のアメリカには、経済的にも一国主義を貫くしかない。
以前のブッシュの国連無視の小劇場型単独軍事行動主義による帝国の軍事力の世界への誇示とそれによるモノカネの米国中心環流体制はバブル崩壊によって破たんし、その窮地から形振り構わず、逃れるために、米国従属帝国主義という特異な形態を持つ日本の弱点を強引につく収奪体制の確立への深化せざる得なかった。
それが東アジア情勢に波乱を呼ぶことはもちろん承知、日本国内の政治経済体制が疲弊することも、承知。
「アメリカの狂人戦略」はTPPによる日本収奪への深化し健在なのである。