出征 向井孝 1947年作。
しいんとあかるい夏空の下を、 みんな汗をふきながら
ぞろぞろつづいていった。
横むいてしゃべったり、追い越して話しかけながら、小旗を
持った近所のおかみさんたちや子供たちががやがやと後につらなった
赤だすきをかけた夫が、子供を抱き会社の人と話をかわしながら
先頭をあるいていた。
列の中ほどで誰かがとんきょうもない声で、軍歌を大声で歌い出してはやめたあと
ほりっぽいやけあとみちを、じりじりと朝日に照らされて、みんな黙りこんですすんだ。
すれちがう出勤時のひとたちが、おおいそぎで追い越しては、振り向いて見送った。
駅に着くと、しばらく夫を取り囲んで、誰彼となく手を握り、かたをたたいてあいさつをかわした。
やがてみんな進軍歌を歌い、何度も繰り返して万歳を一斉に叫んだ。
いつまでも汽車が来ず、てもちぶたさで柵に腰かけたり、座り込んでしゃべっていた。
再びよってきて、もう一度万歳をさけび、ちりじりになって、ばらばらになって帰りだした。
自分と子供だけがプラットホームに入り、やっと入ってきて発っていく汽車の姿をみえなくなるまで見送った。
子供の手を引いて駅を出てくると、あたりに人影はなく、かすかに明るい空のどこかで
警報が鳴っているようだった。
影一つない焼け野原を横切り、かわききったやけあとみちを、ひっそり我が家にもどってきた。
戸をあけるとバラックの中はしいんと静まり返っていた。
子供の服をきかえさせ、台所におりて、ゴクゴク水を飲み、しばらく敷居に腰をおろしていた。
ひるじたくのコンロの火をおこしかけらがら、気づくと、子供はどこかに遊びにでかけて
もう自分ひとりぽっちになっていた。
>空襲で焼け野が原にになった都会では子供を持つ男も戦争に駆り出された。1922年生まれの向井さんは敗戦時、兵隊にとられるかどうかのギリギリの年代だったが、もう社会意識を持つには十分な年だった。
敗戦の色濃くなった都会の焼け野が原で出征兵士を見送る町内会の人々の様子をジット頭に焼き付けていたのだろうか。
事実と風景を淡々と時系列で描写することで、当時の庶民の日常の在り様をリアルに浮かび上がらせている
出征兵士を送り出す町内会の人々。
もう何度も繰り返しているうちに恒例のセレモニーになっているが、周囲が焼け野が原になっている中ではマスコミや軍部の戦争報道は庶民の間では信憑性をなくしているようだ。
この辺の庶民の日常の雰囲気は野坂昭如が「アドリブ自叙伝」の中で見事に描き出している。
だからこの出征兵士を見送る行進に、ただただ、大勢に従わざる得ない庶民の無気力感が漂っている。
が、出勤途中の人たちが出征兵士を見送る行進に振り向いている様に敗色濃い中でも、戦時下の市民社会の在り様がうかがせる。
ここを描くことで出征兵士を出した家庭と取り巻く町内会。
さらにその向こう側の他人の市民社会の存在を描いて作品の厚みを持たせている。
結局、子を持つ妻だけがホームに入って出征する夫の汽車を見送った。ホームを出てくると町内の人たちは跡形もなくいなくなっていた。
そして、バラックの我が家に帰って、からの一連の描写は圧巻である。
子供は無邪気に外に遊びに行って、一人ぽつねんと残された空間に妻、女の究極の孤独を見る。
この詩の出だしから漂う虚無の匂いはここでひとりの女に極められた。
ここから始まるのが真の意味の個人だと想う。
しかし敗色濃い昭和の戦時下だからこそ、こういう究極があり得たのじゃないか?
今現在は、こういうルートでのこの露出の道は完全に閉ざされている。
成人の個はマスメディアに見事に根こそぎ、かっさらわれている。
それがこの間の政治のザワメキ、「根拠なき熱狂」に表現されている。
思考上の本物の出現しない時代になった。
小説や詩が死んだのは環境の所為だけではない。
本当の突き詰めた個の存在がない時代だ。溶融している個に思想も小説も詩もいりこむ余地はない。
そういうレベルでは人間の進歩は停滞している。
また、ここに描かれているのはいつの時代にも通じる日本庶民の普遍的姿だと感じる。
そういう姿を映像化する成瀬巳喜男愛好家の自分がいる。
<酔って死んじゃあ、男じゃねぇ!>
刑場に引き出される前の役人とのやり取りの言葉。
「忠治よ!おまえも年貢の納め時だなぁ。手も足も利かなくんなっちまってざまぁねぇやなぁな」
「うるせぇ、こちとら、伊達や酔狂で、博徒をやってんだよ!小役人が偉そうな口を利くんじゃねぇやい」
「はは、普通は伊達や酔狂ではやらねぇというんじゃねぇのか?
全く学がない奴はやだねぇ」
「だから、おめぇら、小役人は出世しねぇのよ。 まぁおいらの気持ちは大樹さま程じゃねぇとわかんねぇかもな
「盗人猛々しいとはお前の事だ。よりによって公家様の名をかたるとはいい度胸だ。
な~んて、言っても、お前も今日限りだせいぜいほざくんだな。」
「けっ」
「ほら最期の酒だ。もう一杯いくか。」
「じょうだんじゃねぇや。 こちとら男を看板にいきてきたんだ。 磔が怖くてよ、酒を何杯もかっくらって
酔っちまったらどうすんだい。
酔って死んじゃ、男じゃねぇ!、てっよ」