昨日の記事。現在の小沢さんの政治姿勢とそれを取り巻く、リアルな政治環境の展望と橋下、維新の会の全国政治への進出を述べた最後の方のくだりで、次の様に総括した。
「これまで目を通した彼らの意見の中で、最も簡潔にまとまったモノは元杉並区長の山田の著書だった。」
>「今後橋下一派から出てくる政策理念はコレを超えるモノはないであろう。」
知事就任前、マスコミをにぎわしていた橋下自身の受け狙いのお調子モノ的粗雑な言動から、小沢さんが云う様な「自分の政治理念を持った人物」とは思えない。大衆受けするキャラクター、政治嗅覚に優れていることはあっても、それ以上でない。
類は友を呼ぶで、彼の周りに集まってきた貧欲、強欲市場原理主義者の中に、知識の展開で巧妙にヒト騙しができて、自分の政治戦略に巻き込めるモノがいる。橋下には其れを消化して、発進できる能力があるだけだ。
>そういう観点からみて、前杉並区長山田の政治綱領的小冊子は理論的完成度が高い、と評価する。
その山田の出身母体は松下政経塾である。
松下政経塾の核心は<米国市場原理主義への忠誠と日本への適応>という本質がアカラサマニならない様に日本人が戦前戦後、意識下で潜在的に引きずってきた情緒、論理、伝統、習俗を現代風耳触りのいい言葉に翻訳する事だ。
初だけど優秀な学卒新入社員に当該企業活動に短期間で適した人材へと仕立て上げるために一種の洗脳教育が密度濃く行われるのである。当該社員になった以上、その場の空気には寄りそわざる得ない。
この様な教育の本質的方向性をあらゆる方向から緻密にやっているのが松下政経塾だ。
試しに松下政経塾出身の現役政治家を現首相の野田から順番に挙げて見るとよい。
みんな同じような政治スタンスを取っている。
野田は学卒で即、入熟し、一度も就職したこともなく、社会人の体験もなく、ズット職業政治家であり、政権交代後、時の風に吹かれる様にして、首相まで上り詰めた。
>その首相はつい先日の講演会で<TPPはビートルズ=参加の意義を独自解釈で説明>と。
「日本はポールマッカートニーだ。ポールのいないビートルズはあり得ない。」
「米国はジョンレノンだ。二人がキッチリとハーモニーいていかなければならない。」
と述べてTPP参加への決意を述べた、って。
>ネット記事からの引用だが、松下政経塾教育、こういう幼稚な見解を恥ずかしげもなく、口から出まかせできる人物を政治の最高権限者に押し上げる側面もある。
口から出まかせにしても、こういういい加減軽はずみな認識を、公言できる人物が首相に上り詰めている現状が日本にある。
アメリンバブル崩壊=アメリカが世界の過剰生産、過剰資本を消費するケインズ国家たる役割は終焉し、新興巨大国の台頭、先進国の経済停滞は出口が見えない。大きな時代背景はがっちりと各国、各国民の動向をとらえて離さない。
そして山田等は今、大阪橋下と維新の会によって政治的野心を達成しようとしている。全国から、質の悪い政治的投機分子が大集合している。職業、弁護士、医者、官僚、主婦、サラリーマン?そんなの関係ない。
全部一色だ。
>>さて、以上述べた内外の時代状況は過去の歴史(特に日本だたどってきた)を振り返って、照射するのも無駄ではない、と考える。
温故知新。どうとらえるかは、今を生きる個人に委ねられる。
その場合、時系列で重要事件をキッチリ押さえておくことが肝心。
何やら東日本大震災と似てなくもない。
>1927年、永山鉄山ら軍幹部、秘密の軍国主義サークル結成。-もう、この時点で軍部台頭がハッキリしていた。其れは次の事件で解る。
>1928年、張作霖(張学良の父)、搭乗列車もろとも爆殺される。使用爆薬300キロ。
しかし、この暴走は国内に置いて一応、非難される。また息子張学良ら中国側の反発強化。
1925年イタリアムッソリーニ政権獲得の背景は仕事にあぶれた帰還軍人の存在など経済不況と階層対立。
>1932年、5、15事件。ー海軍青年将校を中心とした犬養首相暗殺事件。満州事変から、満州国成立を画策する軍部に敵対していたとの俗説もあるが、対応が消極的だったにすぎない。もうこの時点で、イケイケドンドンの立場に立たないモノは政治家として身の危険が及ぶ時代風潮になっていた。
>1934年、-帝人事件。検察トップ、平沼リンジ朗(現、立ち上がれ日本の平沼の養父)が汚職事件をでっち上げて主要な民間政治家を逮捕。この男は大逆事件、ジーメンス汚職事件で検察を指揮。治安維持法成立の中心人物として一貫して政党政治を攻撃。後の戦犯。
>1936年。2、26事件ー「統制経済による高度国防国家への改造を計画した陸軍中央幕僚と上下一貫、左右一体を合言葉に特権階級を除去した天皇政治実現を目指した隊付き青年将校の対立が背景」と解説されているが、
その根底は軍部の皇道派と統制派の根強い対立である。事件の規模は連隊がクーデター的に動員されて大きく見えるが、もうこの時点では、軍部内部の派閥争いの最終局面だった、と理会できる。
勿論、窮迫する庶民生活が決起を後押ししていたことも事実だが、この時期の日本帝国主義としては、対外侵略を満州以外の全アジアに押し進める賭けに出るしか、帝国主義間の争闘に勝てる見込みがなくなっていた。その状況への軍部の焦りが、急進的決起を即した。
>>以上の時代的傾斜の中に
この政策は今にしても大胆な中身である。
「国税である地租(土地課税)を市町村に、同じく営業収益税を府県に譲渡する」
小沢さんや橋下が喧伝している地方分権の基礎とすべき中央省庁の最大の既得権の地方への税源移譲である。
しかも当時としては大切な税源の土地税の市町村の基礎自治体への委譲。
今の様な、都道府県を廃止して日本を10余りの州に分割してミニ中央集権国家した上での財源を移譲の程度で揉めているのではない。
>>しかし、長期不況、軍部台頭の時代状況から、実現不可能と解っていても(なぜなら、文武の中央集権官僚支配で時代に対処する以外に方途はなかったから)、この様な大胆な政策を二大政党の片方の政友会が総選挙に置いて、国民に問い、民心を引きつけなければならないほど、政党政治は時代の基調に追い詰められていたのである。
時代状況の進展に民間政治の張ったりは事実行為を持って、破たんを突き付けられた。
隠して二大政党制は崩壊し、軍人と民間政治家、官僚の混合中央集権への統治形態は急旋回していく。
>>今云われている、政治主導も二大政党制の時代には官僚の政党系列化までいっていた。
今のアメリカの様に多くの政治任用官僚ではなく、官僚自らが政治にすり寄って、立身出世していた。
官僚の政治家への転向もあった。
>>官僚制の改革は政治扇動の道具ではないのである。
冷静な技術政策領域の論議である。他の国の例なども参考に議論すべきであり、実態、数字は客観に基づくモノでなければならない。
この領域でも、漠然とした危機意識だけを国民に煽っているのは間違いだ。
>行政改革、行政論の専門的な本を読んでつくづく感じるのは、政治的上部構造をアレコレいじっても目の前がパッと開ける次元には決して至らないという事だ。
ほんの少しの前身はあるかもしれない程度だが、やり方によっては事実上後退になる。
こういう次元では日本の進路は変わらない!
また、日本の国柄、国情もあり、先進国流が一概に良いとも想えない。それらの国でも其々、欠陥を抱えている。
>行政改革が単独で議論できる訳でなく、経済社会情勢との絡みが重要。
日本の行革論、行政論の最大の欠陥はリアルな経済社会分析を切断された専門分野として議論を組みた立てている事だ。あるいは自分の政治主張に沿って、客観的数字や認識を隠ぺいしている。
こういうモノが共鳴しあって、国民に行政改革への過大評価の幻想を与えている。