今まで出鱈目、政治家を見てきたが、マスコミをにぎわしている政治家の中で一番、出鱈目、ほら吹き政治家は大阪橋下徹を置いて他ない。
とにかく、政治家?首長としてやっている事とマスコミを利用した口舌の格差が大き過ぎる。
この男は現実にやっている事の問題点を追求されそうになると、マスコミを使って、もう次のアドバルーンをぶち上げて、大衆の関心を過去の失政から逸らす。この面での才は動物的本能に達していると、云うほかない。
マスコミを使った口舌で大衆の関心を着実な現実、足元の直視から逸らし、不確かな前へ前へと繋げていく。
確かに今の世界や日本の実情の中で多くの国民は将来に対する漠とした不安感を強烈に抱いている。
現実足元を直視しながら、その地点から、将来を展望すると、日本国民には厳しい現実が立ちはだかっていると多くの国民は解っている。
国民への将来展望のアンケート調査では将来を悲観的にみるヒトが圧倒的である。
こんな国民的意識も背景にあって、財布のひもを締めて、将来に備えようとする。
着実な生活設計をする若者が増えて、身分保障をされていると想定される限られた職に多くのモノが殺到する。
教育の世界はその為のセコイ椅子取りゲームと化し、しかも、実際にゲームが開始される前に、椅子に近いモノと遠いモノとの序列化が定着している。スタートラインが横一列でない教育システムである。
こういう椅子取りゲームがシステム化すると、参加者はゲームに習熟し、勝ち抜くしかないのであり、当然、ゲーム渦に巻き込まれ、閉塞的になり、ゲーム外への関心を向ける暇と余裕がなくなる。
ところが、日本のゲーム方式は、世界のゲーム方式がずれている場合が想定できる。
また、このゲームの論理以外の余りにも大き過ぎる世界によって、世界は回っているかもしれない。
日本のこれからは、知識集約と創造力がカギを握っていくのは明らかだが、
教育システムは閉鎖的で、世界の動向に適応できない部分が多過ぎるし、日本の進路にも不適応、と云うしかない。
なのに修正できず、独り歩きしている。
が、ゆとり教育への舵切りは、時すでに遅し、だったのである。
そういう方向は一朝一端で効力を発揮できるモノではなく、思考錯誤の過程を経て日本的条件に適合させる必要があるが、冷戦体制崩壊後の急激な世界市場の変動で日本の経済、政治にその方向を受け入れる<ゆとりがなくなっていた>。
で、ゆとり教育は破棄され、従来の点取り虫路線に空疎な愛国教育が付加され今日に至っている。
椅子取りゲームに空疎な愛国教育が接木されれば、より一層、激動する世界への不適合人間が生み出される。
その結果、企業にヒト塊りになって寄りそって生きていくしかない人間が再生産される。
処がその企業は後発の追い上げに四苦八苦し、突破口が開かれていない。
究極的には日本がこれまで生産してきた優良商品は条件さえ整え得れば、新興工業国の何処でも生産できる。突破口は知識集約と創造力にあるが、椅子取りゲームの日本の教育は突破口を見いだせない。
韓国の受験地獄と同じ位相。ならば、徹底しているだけ向こうが先を行っている。
日本経済の停滞は戦後の日本的教育の行き詰まりとその改変の道筋の喪失による処も大きい。
>>バブル崩壊後の日本の一貫したデフレ傾向は国民の精神的な要因がかなり作用している。尤もそれを生み出している源は日本的政治経済のシステムにあるが。
2007年の米国バブル崩壊後の世界経済不況における世界の主要国のGDPの落ち込みを見ると、対GDP比の貿易依存度14~17%でしかない日本はバブル崩壊の当時国アメリカよりも酷く、先進諸国で一番の落ち込みを示している。
私はこの現実を経済理論的に知ろうとしてイロイロな見方を参考にしたが、どうしても納得できなかった。純経済理論では説明しきれない。
国内消費が鈍ったまま貯蓄に向かうと、利潤率の高い海外に資金が流失するのは、水が高いところから低い処に流れる様に経済の法則。
こういう法則的環境を無視するかのように、ナントカできる様の事を云う各種の政治家が今、国民の目の前にいる。霞が関の主要政治家はこの類が多い。
だから、矮小な政争が繰り返されているし、手軽な敵を見つけてバッシングして、観念を満足させる。
>>橋下徹の現状を在りのままに直視すれば、そういう国政政治家のレベルにさえ達していない。
国政や政権を云々する段階に達していない。地方政治家としての実績にも問題点を抱えている段階であり、キッチリとした検証、評価はなされていない。プロの国政政治家であれば、この点を厳しく指摘する義務がある。
橋下政治を容認する様な小沢氏には根本的な疑問点が湧いてくる。
それを証明するために具体例を挙げて、「行っている事やっていることがあまりにも違い過ぎる」としてインタユーの最後はこう締めくくっている。
「橋下氏は具体的成果を上げている訳ではないのです。(今後橋下総理待望論が国民の間から出てくるかもしれませんが)国民にとって幸せな選択ではない事を現段階では指摘しておきます」
>橋下は具体的成果はなにも挙げていないどころか、知事在任中、
1)飯島氏のよれば、「大阪府の借金は増えている」。「臨時財政対策費という府債を大量発行している」
2)大阪都構想の眼目「二重行政の廃止はわざわざ法律を改正して、府と市を統合する必要はなく、現行法でも可能」なのに、絶対必要な大阪都構想が実現できないとなれば、法改正を行わない国責任がある、とばかりすかさず国民の目を国政に向けさせる」。「二重行政の廃止に動く前から<できなければ、国が悪いんだぞ>と訴える。コレではパフォーマンスが生き過ぎでしょう」
まさに飯島氏の指摘する処に橋下政治の真骨頂がある。冒頭に指摘した次々にアドバルーンをあげて、大衆を翻弄する動物的本能がある。
しかしこんなモノが国政を担当したら、国民生活はどうなるか?やがて政治責任を負った橋下の正体が明らかになるでは済まされない。今の内外情勢から、そんな時間は日本と日本国民にない。
3)飯島の指摘しない橋下大失政。
交通アクセス最悪の辺鄙な埋め立て地に大阪市がバブル時代に建設した高層タワービルを70億円で買い取って、老朽化した府庁舎の代替えにしようと大風呂敷を広げた。
結果、同タワーが耐震性にも問題があって、橋下構想は完全挫折。
そもそもが、交通アクセス最悪の辺鄙な埋め立て地に府庁舎への移転は無理だったが、入居者の見通しのない同タワー問題が行政の一貫した懸案と指摘されていたところに就任直後の橋下が大向こううならせる売名行為的に反対を押し切って購入を強行した。
素人でも解る事を巧みな口舌で強行する、いい加減な奴なのである。
「原子力安全委員会が安全と云うコメントを出すというプロセスがない限り、絶対に許してはいけない、と記者会見発言し、
「次の選挙では民主党政権には代わってもらう。国の統治は任せられない」と強調。「同党との対決姿勢を明らかにした」
にも関わらず、というか、橋下流では、<だからこそ>
民主政権は変わってもらうとか、国の統治は任せられないとか、の大向こうを受けをする対決姿勢を明らかにできるのである。
橋下は府知事任期も全うせず、辞任し、市長選挙に出馬し、手下の松井元府議を出馬させ、自らは市長選挙に出馬してダブル選挙に当選してまだ半年も経たないのに、もう、民主には国政を任せられないとか大見えを切る立場になっている。
橋下は、誰にも解り易く、叩きやすい敵をわざと作って、そのことでマスコミ報道によって、自分が自動的に高みに立てる事を知っている。
>が、政治家として常道を逸したこういう不自然極まりない人物がまかり通っているのが今の日本の政治状況である。マスコミもこういう解りきったインチキ政治を批判できない。発信力の強い政治家を話題にすれば、金儲けに成る。多くの国民にも政策的合理性という評価基準は薄れてき、情緒、感情に流されている。
日本が病んでいて病根が根深いから、こういう人物の異常が不自然でなくなる。
橋下の急速な台頭は根深い日本の病根から噴き出る膿である!