冒頭から、本論の展開上必要な数字と歴史的事実を説明を省き羅列します。
英 5
米 5
日 3
仏 1、75
伊 1、75
>>B)1929年大恐慌直後の主要国の工業生産指数。(エマニュエル、トッド「帝国以後」より)
米 44、5
独 11,6
英 9,3
仏 7
ソ連 4,6
伊 3,
日 2,7
>>江華島事件 1875年
日朝修好条規 1876年
>>日清戦争 1894年7月~1895年3月
>>大韓帝国 1897年~1910年
>>日露戦争 1904年2月8日~1905年9月5日
日韓議定書 1904年2月23日 日露戦争中
第三次日韓条約 1907年7月4日 官僚任命権、韓国統監掌握。政府官吏に日本人登用。
非公式に韓国軍解散、司法権、警察権の委任。
>>3、1運動 1919年3、1独立万歳運動。
>>金九 1876年~1949年6月26日 大韓民国臨時政府の首脳、1940年~1947年主席。
1960年4月革命、李承晩打倒で与党。その後、流れをくむ政党は韓国野党勢力の中核
1951年5月~1952年8月大韓民国副大統領。
>>宋ジヌ 1890年~1945年
>>金ギュシク 1881~1950
1940年~1947年、大韓民国臨時政府幹部。
米軍政時代の戦後、左右合作。金九と共にピョンヤンで開かれた南北連席会議に集積した
朝鮮戦争時北に渡り、病死。韓国は拉致を主張し、1989年韓国建国勲章授与。
>>李承晩 1875年~1965年
大韓民国初代大統領(1948年~1960年)
上海で設立された大韓民国臨時政府初代大統領。
1945年9月帰国。米国統治を政治基盤として、国内の二大勢力である、大韓民国臨時政府
、朝鮮建国準備委員会(左派勢力)とも距離を置き、反共統一を掲げた。
両陣営に統一の動きが出ると、韓国民主党と共に独立促成中央協議会を設立し、臨時政府出 身者に対抗しソウル政界で主導権を確立して、反対を押し切って、
>>1948年5月10国連軍監視下の総選挙を実施。
>>この混乱の中で発生したのが1948年4月3日の済州島事件である。
大韓民国初代大統領の政権基盤は地主、資本家、旧植民地官僚だった。
>>1953年国連主導による休戦協定提案に抵抗し「停戦反対、北進統一」「休戦は国家的死 刑」を主張する。
>>済州島1948年4,3事件。 1948年~1954年の間に八万の島民が虐殺されたと云われる。
南朝鮮単独選挙をめぐる対立が原因と云われる。
>>霊水順天事件。
1948年10月19日、済州島4,3事件鎮圧のため主導を命じられた霊水駐屯国防警備隊第14連隊が出動命令に反して、連隊将校を先頭に反乱、市民も呼応。反乱は隣の順天市にも及び、非武装市民8000人虐殺される。反乱は1週間で鎮圧されたが、残存反乱軍は後方の山岳地帯、智異山に逃げ込み1957年まで抵抗。
この事件を契機に韓国軍内で左翼や光復軍関係者の徹底弾圧、排除が行われる。国家保安法成立。
>後の韓国朴大統領も無期懲役を言い渡された。
>>補導連盟事件。
1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令を受けて、韓国軍、韓国警察が共産主義者やその転向者の家族を再教育するための統制組織「補導連盟」の加盟者や政治犯、民間人など少なくとも二十万人を大量虐殺した事件。
韓国では近年までこの事件に触れる事はタブー視されてきた。韓国現代史最大のタブーと云われる。
究明団体によれば、虐殺されたモノは60~120万。114万とも云われる。
ノテウ政権による「過去史生産事業」の対象とされ真相が公にされた。
>>国民防衛事件
1951年、朝鮮戦争中の1月、韓国の国民防衛軍幹部が防衛軍に支給された軍事物資や兵糧米を横領し、9万人余りの韓国軍兵士を餓死させた。
この事件は当時の国会で暴露され、国民防衛軍幹部の着服した資金の一部は李大統領の政治資金とされた。1951年4月国会は国民防衛軍の解体を決議し、軍法会議が開かれ、司令官と副司令官の死刑が言い渡された。
>この事件を契機に李承晩大統領のへの反感が陸軍本部で高まった。
大統領は軍と国民の不満を抑えるために1952年1月18日に反対を押し切り李承晩ラインを宣言し、竹島(独島を占拠した。
>>居昌事件
1951年2月9日~2月11日。智異山山岳ゲリラ討伐を理由に地域住民大人345人15歳以下の子供385人虐殺。
>>>時間不足のため今日は資料だけの記事になった。
これら資料の核心点は戦前に置いて、日本帝国主義の敗北は歴史の必然であったという事。
それでもまだ、軍部内急進派に不満がくすぶり、政府首脳への暗殺テロ事件を引き起こしている。
従って、こうした当時の日本の時代風潮や、日本の軍事的半封建的経済体制からして、民間政治家に時代の流れを変える力は全くなかった。政治主導の余地は全くなかった。
>>韓国、朝鮮の戦前戦後史は日本の戦前戦後の歴史と一体のものとして理解したい。
統一的に両民族の歴史を見ていきたい。その視点が欠けている処に不必要な齟齬が起きている。
戦前史に関しては、日韓併合に至る息詰まるような濃縮された朝鮮半島を舞台にした政治軍事過程は参考になる。おそらく、この問題に関する日本の多くの発言者もそのリアルな政治的軍事的過程を念頭に置かず、一方的な発言をしているのではないか?
>韓国戦後史の暗部を長々と記述したのは、戦後の朝鮮半島がいかに、激烈な東西両陣営と住民同士の激闘の戦場だったか!と云う事を肝に銘じたかったからだ。
そこから、必然的に後方兵站基地としての日本の特殊な恵まれた政治的軍事的経済的特殊環境も明らかになる。
そして冷戦体制の崩壊とその後のグローバル資本制への展開、一時的な米国一極体制現出、中国など新興巨大国の台頭によって、すでにそういった日本にとって好都合な環境はほぼ一掃されている。
ここに戦前と形は違うが、日本閉塞の根拠を見る。コレは歴史の大きな流れが生み出した必然である。
歴史の大きな流れに無駄な抗いをするよりも、被害を最小限度に受け止める、方策が必要となる。
それが成熟した政治ではないのか?