反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢さんたちの離党に想う。(昨日の記事に続き)。法案に責任が持てなくなって党政調会副会長を辞任した、中村てつじ(参議院奈良地方区)前副政調会長の消費税議論の論点整理テキストを再検討。

 昨日の記事は中村てつじ民主党政調会副会長の前原会長を含む政調会内での白熱した議論を要約したテキストを時間の範囲内で検討した。
限られた時間内でネット上に出ている消費税論議をアレコレ参照した中で、やはり当事者の政権党政調会の議論の中村さんの要約が一番、政策技術論に踏み込んでおり、読んでいて参考になった。
が、前回の記事で、中村さんのテキストの内容を十分読み込めなかった。
どうして中村さんが党内消費税論議の場である政調会副会長を2012年3月30日の「税と社会保障の一環としての消費税増税法案閣議決定に際して、「政策担当者としての法案の内容について責任を持てなくなったため民主党政調会副会長を辞すること」にしたのか、テキストの内容を再度読み込んで、中村さんの真意を探りたい。
 正直、いまいちハッキリとしない。
いや、この際ハッキリしておきたい。
そのためには批判や感想次元に終始せず、この問題に関して自分の意見をハッキリと打ち出しておく必要がある。
 
 中村さん曰く
「意外な事と想わるかもしれませんが、民主党ではすべての議員が<消費税増税は将来的に必要>と考えています。その点では自公時代と異なります。」
(政権党になって、民主議員のこの問題に対するスタンスは野党時代と違って、支配層にも受け入れられる責任政党の議員に相応しい様に変わった、と云いたいらしい)。
 
 この中村さんたちの将来的な消費税増税必要の立場の論議の中で、政策的に対極にある共産党の様な財源論議<聖域なき無駄削減、富裕層増税、大企業減税中止>の方向は議論の対象に成ったのかどうか?
俎上にも上らず、消費税増税を前提とする政策的技術対策論に終始していたのならば、私としては納得できない。
 
 国民のかなりの部分は増税問題について共産党の政策の類の、視点を漠として共有している。
中身と程度の違いだけである。市場原理主義、人気頼みのみん党が反対に回っている事でも、それは想像できる。
 
 国民の多くは、共産党が云うから、何となく違和感を感じているだけである。
しかし今の共産のこの問題に関する基本見解の本質は社会民主主義の政策であり、なにも過激なことはなく、ヨーロッパ社民各党が過去に唱えてきたモノに過ぎない。
ヨーロッパでは、こういう方向の政見が戦いの中から、過去に実現されてきたから社会保障の日本に比べての充実が実現してきた。それを支持した多くの国民がいた。
 今の日本的スローガンで云う、<国民の生活が第一>ということを資本制の中でリアルな戦いによって、支配層に譲歩させてきた。
 
 別の観点から云えば、北欧に典型的な「福祉社会の実現」は一種の資本と社民のコーポラリズム政治体制を抜きに勝ち取って、コレなかった。
この様な尺度を日本に適応すると、自民党長期政権と社会党の55年保守的コーポラリズム体制である。
 
 しかし両者の資本制支配層と政党の協調体制であっても、前者は<国民の生活が第一>が曲がりなりにも制度的政策的に実現されてきたが、日本では企業成長と賃上げの関係に収れんされてきた。
結果、日本資本制では賃上げはインフレに吸収され、社会保障は制度政策として、資本蓄積構造の拡大の中に収れんされてきた。よって<国民の生活が第一>は資本拡張に比べて制度的に不十分だった。
 
 もう一点。日本的保守コーポラリズム体制を保守するため、自民党長期政権と官僚組織が富を中央地方の業界や団体を通じて再配分してきた事であり、この政策に大きな経済的ロス、長期経済停滞、財政赤字に至る伏線があった。
 
 やはり日本の保守的コーポラリズム体制は戦後的経済成長を前提にしていた分だけ、上記の様な政策的均衡が取れていなかった。
だから、後者に対して長期停滞の傾向から抜け出せないまま、急激な痛みを伴う構造改革に向かい、今度は一見、反転するかのような何周も周回遅れの実現する財政基盤の脆弱な<国民の生活が第一>に国民の表面的関心が向かい、今の民主政権の政治的破産に至っている。
 
 以上を今日的経済政治情勢に引きつけて云えば、ヨーロッパ金融危機における各国支配層は諸国民がこれまで獲得してきた社会民主的獲得物、既得権から、まだ絞りとれる余地がある。<濡れた雑巾>
 
 ところが日本では国民の社会民主主義的獲得物、既得権は企業蓄積からすれば相対的に低い段階にある現状なのに、日本支配層の社会保障基本政策はそこから、さらにしぼりとろうと云うのである。<乾いた雑巾>をさらに絞りとって、<濡れた雑巾>である、資本家らは絞りとろうとしていない。
 
 コレではダブルデフレ環境を作っている様なモノと。
 
 と云うのは前の記事に書いたように日本国内の名目成長率と実質成長率のマイナスポイントの異常な連続は、純経済的な原因でなく、日本の近隣諸国に今現在、偶々不幸な事(以前は資本制に本格離陸していなかった両国が東アジアのの騒乱を日本に替って一手に引き受けてくれていた幸運があった)に輸出に特化した韓国、世界の工場中国があり、東アジアとの経済関係が濃厚になればなるほど、その関係で日本にデフレ要因が移入される。資本は中国に出ていき、安価なモノが輸入され、韓国から日本が得意としてきた分野の商品も競争圧力を受ける関係にある。
 
 かくして、デフレ環境の重複になる。
が、それでも日本支配層はOKなのである。自分たちが儲かりさえすれば、他は野となれ山となれ。野獣的資本制で将来やっていくと、政治路線的に確定している。
 
 アカラサマニそう主張する訳にいかないので、最後の頼みは貧困と潜在的な対立の中で分裂する国民各層を民族国家幻想の国民統合で繋ぎとめおくしかないのである。
モノは与えられないがイデオロギー幻想はただである。
 
そういう路線を選択している彼らは、解っててやってるから確信犯なのであり、それに騙されやすいヒトが日本列島に多く定住してきたと云う事だ。
 ま、この問題に関してはこの間、江戸時代の百姓一揆の御救い求める穏健性、江戸末期から明治にかけての農民騒動の暴力性にまで過去にさかのぼってイロイロ調べたので近日中に記事にする。
 
 いずれにしても、自分の増税問題に関する基本意見は過去の記事でも明らかにしている様に税制問題は何よりも階層問題(富の再分配、機能大切)であり、国家の基本的な行く末の問題(どういう国家像、国家戦略)としている。
勿論、財政政策なのだから、どういう経済効果を及ぼすか、十分に配慮する。
 
 さらには、こういった、鋭角的政策が貫徹する政治情勢、支持基盤も大切に配慮する。実施の前提として階層間対立激化は必然、日本の場合、資本海外逃避もありうる。
この面での共産党の政策を経済主義。
政治的配慮がない。保守政治家小沢さんでさえ、歯向かって排撃され中。まして共産党の税と云う国家政策の実現の暁には、と云う事だ。
 
 でも、彼らは経済主義が自分たちの政策の弱点だと知っている。
だから、検察を頂点とする権力の暴力装置にナントカ中立性を持たせようと無理矢理に観念する政治路線を選択している。
 
 故に唯一正しい?革新性?の自分たちの政治方向からにそぐわないモノは排撃したい。
 
 なお共産党の<増税はまず、富裕層から大企業減税はやめる>は自分と同じ様な主張。8~11兆円ねん出は兎も角。キチンと挙げておきたい。所謂、正論。
 
1)証券優遇是正廃止し、株の配当、譲渡金への課税強化。
2)所得税、住民税、相続税最高税率の引き上げ、「富裕税」の創設。
3)高額所得層の社会保険料(厚生年金、被用者健保)の上限見直し。
4)新たな法人税減税中止。「研究開発費」などの大企業優遇税制の見直し。
5)「為替投機税」「環境税」などの導入。
 
>以上は以前から自分も想定してきた項目。
共産党とは税の問題では一致すると処が多い、と昔の記事に書いたことがある。
 
税の問題は国家問題の基礎。
奇抜、独創的な考えが在る訳がない。
 
戦前の日本は間接税の割合が多かった。
それもあって、少数の大金持ちがいて、政治的にも力を持っていた。
今と社会の様相がかなり違う。
 
戦後のシャープ税制改革の眼目は中央集権制の財政的基礎である間接税比率の見直し、直接税の比率増加であった。
 
今は税制分野でも戦前に螺旋的に帰っている。
ダブルデフレで経済体力の強いモノはより強くなり、金持ちは簡単に大金持ちななれる条件ができてきた。
 
 が、実況見分乏しき、根っからの小市民に時代状況への本当の実感はない。
だから、自分の事よりも先に国の心配をする習慣が身について(付けられさせて)騙されてきた。
ギリシャ財政破綻と日本経済を同じ地平に置く管さん、消費税増税でいきり立っている、支配層の意を受けて、反対派を党外に投げ出し、自らも自滅の道を歩む野田さんはその象徴。
 
 だが、この国って、究極、だれのための国なのか?
 
元々資本制の本質として主権在在民に乏しくなる社会経済構造にあるから、国家の動向を日本国憲法はけん制しているのじゃないのか?基本的人権も明記も同じ位相。
自民党憲法草案は、9条書き換えだけでおさまらず、ここに手を付けている。
なんだかんだあって、結局、民主政権後、この政治過程の結果が明らかになる。
この政治過程での振り付けは今でも大体予測できる。
解っているが書かない事にする。
身も蓋もない。
 
 <追記>
中村てつじ参議院議員の民主政調会内の論議を彼の問題意識で取りまとめたテキストからは離党にまで至る深い根拠は見出せなかった。私が論評していない、項目の記述は野党協議、行政政治改革などの政治関連で在り、彼はさらっと書き流しており、そこに大きな問題意識を払っている形跡がない。
従って彼の政治本質は政治改革、行政改革の方面から、天下国家を大上段から論じるよりも、技術論に拘る政策マンと解る。
 彼よりも民主増税論議に隔たりのある、私の様な税制の階層性に対する分配機能重視のアプローチ論者でも<増税なき社会保障の財源捻出>が可能だと想っていない。共産の方針もコレからの社会保障のためには増税が必要だと云う事だ。その他の論者も税金の掛け方が違うだけのことである。背景には少子高齢化の急速な進行と云う絶対条件がある。
 
 従って私や共産の様な政策的立場ならば、民主党からの分裂はロジックとしてあり得るが、テキストに示されている中村議員の様な立場と離党の間にはロジックとしてとして大きな飛躍がある。
 
 大きな党派は元々、それなりの理由ある求心力があって、大きな党派だった訳だから、<ロジックとして根拠不鮮明な大きな分裂が生じた場合>、分裂母体の党派そのモノに、政治構造的矛盾が内包(コレは個別、特殊で在り一般論で語れない)されていたと云うことであり、分裂した一方に政治適合性、整合性があって、片方に乏しいと云う事はあり得ない。分裂した両者は共に構造矛盾を分有しているから、分裂して共に影響力を大幅に減じるのである。
 
 両者にそれ程大きな政策的違いはなくて、対立を拡大させ分裂に至っている。
しかし当事者にその感覚は生まれずらい。政治的人間の性である。
管、野田等の眼には党内選挙に負けた小沢等は党の執行部と内閣に従て、政治責任を分有すべし、だろうし、小沢たちに言わせると、天下分け目の参院選前に、突然消費増税を云いだし、旧支配体制ペースに載って政権維持をして政権交代の意義を蔑にする政治的未熟者、政権亡者となる。
この様な党内外の政治情勢は
1)長期経済停滞による税収不足
2)戦後日本の支配体制の「反乱」
3)東アジア情勢、危機感を覚えた宗主国の米国介入
4)大震災原発事故
によってもたらされ、加速されていった。
 
 そして、日本は市場原理主義を濃厚にして、国民の閉そく感は増していく。
日本ニ一つの大きな歴史的階梯を通じなければならない時代がやってきた。
なるようにしかならない歴史的必然性に翻弄される、時代がやってきた。
コレからが本格的な歴史時代の到来である。
多数派国民に待っているのは<目に見えぬ市場原理主義服従の檻=日本>。コレがここ数年の先の政治過程の行き着く先である。