反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「増税はだれのためか」扶桑社刊。神保、宮台インタビュー。高橋洋一(小泉時代に重用された元財務官僚、今の政治的立場で云えば、みん党、橋下)の消費税増税なしの財政再建トークを検討する。

 「増税はだれのためか」はお勧め本。神保、宮台の両インタビュアーが増税反対論客に想う存分、語らせている。
ネットのマル激でのインタビューを文字起こして、キチンと編集したモノである。各論客のトークは、多分、各論客の手を入れて、論理的整合性の在るように編集されている。
その意味で、本屋に山積みにされいる流行り本とは違う。論客によって解り易く語られた=「書かれた」理論的?財政経済本である。
一読して購入すべきと判断した。
 
 高橋洋一さんがトップバッターとして登場している。
ネット上で財政経済問題に関して私の様など素人の立場でイロイロ理屈を並べ立てている方々の意見には、高橋さん的見解に素直に影響されたヒトが非常に多い。
高橋洋一さんとはかなり位相は違うが、共に日本の置かれた現状へのお気軽論と云う次元から一括りできるのが、三橋貴明さんである。
 
 私は三橋流経済学の基礎もネットで学んだ。
合計5時間以上の授業をキチンとノートに取った。
 
 現状、ご両人への評価は三橋流経済学の基礎を信用する。彼の基本見解は国民経済主義、GDP主義であり、その意味で長所も欠陥もあると想うが、経済思想として体系性、一貫性がある。
その点、なかなかのものと評価する。在野の立場から、その論評において支持者を増やしつつ、ここまで来た事を評価する。勉強家でもある。そういった方面の事を調べて、勉強し、想いを巡らすのが元々好きな御方なんだな。熱い想いもある。それは志の問題である。珍しいヒトである。
 
 高橋さんのトークの内容で信用できるのは、事実問題に関わる部分である。
が、彼が官僚としての体験や自分の理論を編集し、政治論?として押し出している根幹部分は信用できない。
結果的にそうなっている事をキチン認識し、理論的整合性を求める志向性に全く乏しいところが彼の最大欠陥である。
 しかし、この点は死ぬまで変わらないだろう。
今現在の彼は、聞いたこともない大学の教授をして、言論界で収入を得ている。
キャリアからすれば、挫折である。
 が、挫折は足りないのである。もっと挫折してもう一皮も二皮もむけなければ、軽佻浮薄の本質は変わらない。ところが民主政権挫折後の民衆?のやり場のない(と称されているだけで元々の政治音痴の軽心が当然の挫折を迎えただけで政治分野での他者依存や批判はあるが、そうする自らは振り返らない)閉塞感が今度は橋下と維新の会、みん党など新生事物に向かう風潮に乗って、高橋洋一の様な見解がその理論的?基礎付けになる必然性がある。
現にネットの一般論者に高橋的見解に振付された言論が目立っている。
それは、官僚謀略論、通俗化されたアメリカ流儀の経済学、幼稚政治論の混合である。
かくして、思想的錬度が必要な天下国家の事を語っているのに、深化のない高橋洋一の基本見解が時流に乗って垂れ流され、軽佻浮薄の連中によって、増幅され、とどのつまりは橋下維新の会、みん党支持層拡大、議員数増大として政治的に具現化されるのである。
 ところが、橋下やみん党は自民党の別働隊なのである。もっと言えば、グローバル資本制の先兵である。
よって、それらを支持することは庶民に過ぎない自分たちの立場を弱めることに結果する。
国民は革命領域に踏み込まないと割り切っているのならば、政策的合理性を最優先し、政治家を選択する必要がある。
 この視点からは橋下=維新、みん党は失格である。
同時にそれらの理論的?基礎付けを提供する高橋洋一も失格である。 
アメリカ風イデオロギーの御稚児さんだ。無批判的に受け入れている。彼が押し出している根幹部分は信用できない。
 
 兎に角、直感的に胡散臭い、と感じる。
大状況への基本政治認識に、日本の特殊性を蔑にした、アメリカ流の意見の垂れ流し、幼稚、稚拙な勘違いがある。
このヒトは所詮、行政の技術屋さん。政治音痴の単純性、幼稚性がある様だ。
典型的な個別部門で誰かに使われて、有能性を発揮するヒトである。
その意味でこのヒトに全体を語る、資質が欠けている。
が、こういう欠陥をキチンと指摘されていない。
>私はこのヒトが日本中央官僚組織に留まっていない事を日本のために良かった、と想っている。
典型的な結果としての、売族官僚である。
 
彼の国家論の重要部分をトークから抜粋する。なお、時間不足で高橋洋一の指摘する事実は次回の記事とする。傾聴に値するところが多い。
高橋曰く
「なぜヨーロッパで特に消費税が高いかと云うと、ヨーロッパを一つの国と考えれば、(もうこの時点で大きな勘違いにの仮定から論を立てている)各国は地方とと考えることができて、その意味で地方分権が進んでいるからです。消費税を者気保障の目的税ではなく、地方の財源にする訳です。つまり地方分権にして地方に任せると消費税は高くなる。
 所得税法人税に比べて消費税は景気に左右されにくい財源だから、地方のゴミ集めの様な基礎的行政サービスを賄うに適している。
 だから消費税は地方にあげちゃって、基礎的サービスに使うと云うのが普通です。
今、消費税5%のうち、4%が国の財源で、地方の一般財源となる地方消費税は1%にすぎない。
消費税を国が取っちゃうと地方分権ができなくなる。
日本の消費税はそういう大きな制度設計から、ほとんど間違っている。
社会保障は地方ではなくて国がやる業務が中心。そこに消費税を当てたら、後の制度設計はやりにくくなる」
 
>>社会保障は基本的に保険料方式でやるべきだ。
そうすると払い側の国民も負担と給付のバランスが解る。
もっと保険料が欲しかったら、保険料をあげるしかない。」
一見もっともらしい見解。
しかし、今現在のヨーロッパ金融危機で終局の問題点になっているのは、参加各国が通貨統合、共通金融政策まで進んでも財政主権だけは手放さなかった事である。
なぜか?国のよって立つ主権の経済的根幹は税収とその運用だからだ。
言い換えると、ここを手放した場合は、高橋の云う様なヨーロッパ一つの国=各国、地方の仮定も成り立つ。
それでも、まだ経済主義幻想だ。ヨーロッパの言語、文化の多様性からして、とてもじゃないが一つの国とするには無理がある。
さらには、ドイツとギリシャでは一つの国にしては格差が在り過ぎる。
 
>別の観点からの高橋の論には批判がある。
>高橋の見解は米国方式の民間保険会社の運用する医療保険制度を日本に導入する突破口になる。
結果事実として、この見解の体系を日本で実施すればそうなるしかない。
 
日本企業の社会保障費負担は米国以下。言い換えると国が肩代わりしてきた事が日本企業の成長に結果として貢献してきた。
その路線を今の政府は継承しようとして、消費税を社会保障に充ている、としている。
自民党も今のところ、その方向にあるようだが、TPPでアメリカ制度を日本に移植するつもりだから、将来、高橋の云う様な方向になるのかもしれない。
が、企業が負担増を承服するだろうか?
 
>頭のいい宮台さんは高橋の基本見解を取りまとめて曰く
社会保障所得再分配の理念があるから、所得税を使うのが最もナチュラルで、消費税と云う逆進性が問題になる様なモノを使うのは、理念的に全く出鱈目と云う訳ですね。」
>宮台さんは言葉を選んでいる。
まさに理念の問題。
 
日本ではアメリカとは違ってきた。
が、日本の税収における所得税の比率は今現在、アメリカ以下になっている。
所得税をキチンと採っていない。名目GDP完全横ばいの現状で所得税の中に社会保障費を確定していいモノだろうか?
そして、ヨーロッパとも違ってきたが、こちらの方とは類似性が強い。
日本はそもそもの社会のシステムがアメリカとも違い、ヨーロッパとも違うままここまで発展してきた。
それが経済発展にプラスに作用した面が大きい。
いまさら、大きく軌道修正できるかどうか?
というよりも、コレからの日本にとって理想モデルは世界中どこにもない。
自分たちで築きあがて行くしかない。
アメリカ、モデルへの反発から、ヨーロッパ型を理想の様に云うヒトがいるが、よく調べてみると基礎的経済社会構成において違う処が多過ぎる。知られていないが、意外と日本と違って、天然資源に恵まれている。
 
   <追記>
高橋洋一さんの経歴をネットで見た。
どうでもいいことが書かれているが、注目は次の箇所。
1998年。ポリンストン大学客員研究員。帰国まで3年も滞在。
2003年。関東財務局理財部長兼内閣府経済財政諮問会議特命室。
2005年。総務大臣補佐官、内閣官房郵政民営化準備室参事官。経済財政諮問会議特命室、兼務。
2006年。安部内閣内閣参事官
2007年。千葉商科大学で博士号取得。
2008年。国家公務員退職。東邦大学経済学部総合政策学科教授。「さらば財務省」で山本七平賞受賞。
2012年。橋下徹大阪市長の特別顧問に就任。
小泉竹中の市場原理主義路線の官僚側の先兵として重宝がられた。
それ以前、1982年。竹中平蔵日本開発銀行から出向)は大蔵省財政研究所時代の上司の関係。
1998年のプリンストン大学客員研究員は3年もやっている。
>要するに、小泉竹中ー安部路線の若手官僚の先兵としてバリバリやっていた事が、安部の失墜、2007年米国バブル崩壊など、環境の風向き急変で仇となって、財務官僚の主流から浮き上がってしまった。
それで博士号習得して、大学に就職先を確保して、正論とかあの辺での言論活動への華麗なる?転進に成功したかに見えた。
 
 立場は違うが、鈴木宗男さんと外務省の佐藤優の関係の位相。
官僚組織で政治家に接近して偏った動きをしたモノは、政治家が失脚したり、大情勢が変わったら、突然、官僚組織内の居場所が窓際になる。官僚組織の組織防衛(政治的中立性の自浄?)文化にそむいた動きをしてきたのだから、成敗される。結果、その後の転進に失敗もあって、古巣へのルサンチマンを抱えていることは間違いなかろう。その方面の言説は大幅に割り引く必要がある。
高橋洋一は、官僚時代から非常に政治的動きをする人物だった、と云う事。
小沢さんの云う原敬型の官僚への政治系列化による政治主導は日本には不適切ではないだろうか。
勿論、米国流の大統領変わって2000人の役人ポスト入れ替え、も不適切である。
 
>2012年4月。橋下徹大阪市長
橋下の下には似た者同士が寄り集まってい、人生の一発逆転満塁ホームランを狙っている。