反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

リフレ派批判。小沢一郎さんたちの<国民の生活が第一>の意義。

 第三回、民主党消費税反対残留議員の特別講師は経済評論家の上念某。
 
 講演終後の質疑応答で当然、反論があるモノと期待したが、同じ次元にいるのか、補足説明を求める様な意見ばかりだった。
 
 >>リフレ派の見解の紙幣増刷の実体経済に及ぼす影響力について、
 
 1)今まで日銀の紙幣供給量は不十分であったのかどうかという処がカギを握っている様に想われる。
コレについては適応した通貨供給は実行してきた、とい見解が在る一方でリフレ派の様な極端な金融緩和主導論もいる。
知識なく、この辺のテクニックな問題を判定する基準がない。
 
 ただし、日本のデフレの現状はリフレ派高橋洋一の云う様な通貨供給でボーリングに例えると、とりあえずヘッドピンに充ててなどと云う政策次元から大きくはみ出た構造が横たわっていると何となく感じる。
 
 純経済学の範疇で現状認識している処に極端な金融政策主導論が出てくる。
 
 人口構造の問題。東アジア情勢と云う地政学上の問題。社会に直接むき出しにされている単身者、核家族の問題。相対的貧困率OECD加盟国第5位。
 
 バブル崩壊以降の低経済成長の継続(やはりネット上のグラフで欧米と比較してもコレは事実)と日本経済の長期波動=コレについては戦前の日本の工業指数の世界に占める%と現状の%を比較すれば、世界で突出して成長してきた日本経済が世界に占める割合を後退させるのは、水が高きより低きに流れる様に当たり前、としてきた。
>>従って、長期的にみると日本のソフトランディングの問題である。
 
そう云った経験をしてきた国は過去に数カ国ある。
 
 空元気と現実にギャップが出ていているから議論が上滑りして、リフレ派の云う様な通貨供給増加で何とかなる様な一種のイデオロギーが世間受けする様になる。
 
 他方、コレに鋭い批判を向ける構造改革派もイデオロギー色濃い。
野口さんなどは米英の金融ITパターンを例として挙げているが 、東京がシティやウォール街になれる訳がない。
 
 何よりも両国は19世紀と20世紀の世界覇権国家、日本は後発でそれらにチャレンジして完敗した地域覇権国家で、しかもその段階での工業力の差は各々に対して20分の1、5分の1。
日本はあくまでもアジアの地域覇権を狙った半封建的軍事的帝国だった。
 
 >どの国の構造改革は自分からすすでやったものでなく環境が強制したモノであり、各国はその道を辿った。
 
 >民主主義国ならば、大規模な経済国民生活に対して政治はそこまで主導力をもちえなし、また持ってはいけない。政治指導者に社会の特定の層に痛みを強制する権利はないし、そんな事をしなくても国民は生きていける。別次元の共生共同幻想の世界に在る国家と金儲け基準の私企業を同一視しないでもらいたい。
一部の層に痛みを強制する様な事をやってきた国を挙げてみれば、私の云っていることは理解されよう。
 
 そう考えていくと両者の対立は共に政治音痴同士の争い。
 
 などなどあるが、リフレ派の云う様な通貨供給に矮小化した処方箋を実行すると、とんでもない事になる可能性がりそうだ。
 
 >>2)金利1%の場合の、<流動性のワナ>の公式からの批判が私には説得力もつ。
 
流動性の罠流動性選好説の重要な性質です。利子率がほとんど0近く下落すると、もらえたはずの利息も0になります。人々は資産を債券ではなく、貨幣で保有しようとするので、投機的要素が無限に大きくなります。 
 この現象を<流動性のワナ>と云い、投機的需要曲線やLM曲線のグラフは水平(この状態が流動性のワナ)になる。
 利子率が1%に下がったところで流動性の罠にはまって、貨幣供給量を増やしても、投機的需要が増えるだけで、金利水準は低下しません。」
 
 さらに次のことが重要と想われる。
「L(貨幣需要)M(貨幣供給)曲線は<貨幣市場均衡>を示す、利子率と国民所得の組み合わせを表す右肩上がりの曲線で、利子率が上がれば、<国民所得が上がる、利子率が下がれば、国民所得が減少>すると云う関係を表す。」
 
 >であれば投機的需要曲線とLM曲線が水平になると云う事は流動性の罠にはまると、貨幣供給をしても投機的需要が高まるだけでなく、さらに、LM曲線は1%以下の利子率以外ならば、本来右肩上がりになるはずなのに水平と云う事は、いくら貨幣供給量を増やしても、国民所得は増えないと云う事だ。
 
 コレは、普通に垣間見える経済の現象を難しく云い現わしているにすぎない。
いわば世間一般の常識の理論化。在る程度のスパンで区切れば、そういう結果しか生まれない、と云う事実を示している。勿論タイムラグはある。
 
 小泉竹中時代の竹中平蔵高橋洋一さん等が頑張って、貨幣供給量を増やしたけれど、それがどの程度、国民所得上昇に寄与したんですかと云う事。
日本の経済構造が輸出独占体主導の米国中心、日中のカネ、モノ循環構造に依存しただけじゃないんですか?
そしてその崩壊からいまだに立ち直れないでいる。(尤もこうの方面の事態は純経済学で説明するのは大きな無理がある)
一部の好景気の持続は下層への貧困の蓄積と相殺しになって、国民所得は貨幣供給に比べて、どの程度、増えたのですかと云う事だ。
 
 絵空事の様な金融お気楽話を現状のアンチテーゼとする前に、現実の日本経済の歩みの中で、貨幣供給量と経済循環の関係を検証する必要がある。
 
>>またリフレ論者に対する次の様な批判も当たっている様に想う。コレは野口さんの見解を拝借。
 <フィッシャーの方程式>
名目利子率=実質金利+期待インフレ率(日銀紙幣増刷によるアナウンス効果的国民規模の経済好循環への期待値?)
 
 インフレターゲット論者は名目金利は一定だから、期待インフレ値を高めると、実質金利が低くなる=(実質金利が低くなれば、投資が拡大する)。
 
 が、実質金利は変わらない。実質金利は経済の実物要因(実体経済の様々な要素)によって規定される。
期待インフレ値が高まると名目金利が高まるだけで、実質金利は下がらない。
つまり投資が増えたりしない。
 
経済成長のポイントは設備投資と機会受注の伸びとは過去の日本経済のデータでハッキリしているが、そういった将来への期待に基づく投資が日銀の紙幣増刷如きで、好調を持続するとは思えない。逆にカネがだぶついているのだから、先を見越して、投機に走るのじゃないか?
 
 好景気の生産設備投資が不況になって、過剰になる、というのは初歩的な経済循環のパターン。
直近では、小泉時代の対米対中経済循環で潤っていた日本の輸出企業の米国バブル崩壊後の過剰設備化が今日のデフレの一要因になっているらしい。
 
 現リフレ派高橋などは小泉時代の<財政緊縮金融緩和円安>の先兵役を果し、デフレの現状の直近の原因を作ったのに現状には通貨増刷が圧倒的に足りないと云う。毒食わば皿までの類は真理であった。
 
 野口の様に云われてみると、なるほどと素人でも感覚的に納得できる。
むしろ、紙幣増刷経済好循環のお気楽話の方が常識に反する。紙幣増刷から実体経済への好循環で連鎖していく処が怪しい。
 
 日本だけがリフレ派の云うデフレ脱却と称して、極端で特殊な金融緩和をやっている間に世界主要国が通常の経済政策の範囲内で対応した場合、長い目で見たら日本は大きなダメージを受ける。
 
現段階が1930年代と条件が大きく異なるのに、日本だけが30年代の様な時代認識の金融財政政策を行った場合、日本は長いみ目見たら、大きく経済力をそがれる。極論すれば、そういう危険性を孕んでいる。
 
>さて小沢さんたち。
 
自民党脱党ー細川連立内閣ー新進党自由党ー自自公連立ー民主党合流ー戦後初の有権者が選択した政権交代による民主党政権誕生ー特捜検察マスコミ一体の政治弾圧ー民主党内分裂。
政治思想的には保守から始まって、国民の生活が第一社会民主主義的要素を加味する様に変化した。
 
 歴史的にみれば、目まぐるしい変化は彼らが日本の内外の時代の流れに、添い寝してきた結果である。
 
 ヨーロッパでもなくアメリカでもない日本に高度な資本制が発展してきた裏面では常に日本的社会民主主義、修正資本制の要求が日本固有の政治経済状況に踏まえて達成されねばならなかった。
 
 過去には日本社会党がその役割を果たし、この時代は冷戦体制と云う一定の安定的世界体制を背景に自民党=財界と社会党との日本的コーポラリズム体制が成立していた。55年体制と一般に表現されているが。日本経済はこの時代に大きく飛躍した。
 
 小沢さん自身この時代の政治文化の中では含まれ、政治家として成長してきた。
 
そして、現時点の立ち位置は<国民の生活が第一>。
 
 素直に考えると、今の日本国民の多数にグローバル資本制の国内での跋扈による弊害、疲弊が厳として存在し、拡大してきていると云う事実が小沢さんたちに、今日の様な保守の立場を堅持しながらも、社会民主主義的政治内容の取り込みをさせている。
状況に対する主体的関わりができるのは今現在構想中の具体的政策と今後の政治活動いかんである。
また、それを国民がどの程度支持するかどうかは区別された領域と考えたほうが良い。
正義や正しいモノがすぐに通じない世の中になっている、と想う。多数派だから、歴史的観点から適合性の在る道を歩んでいるとは限らない時代がやってきている。
 
 >グローバル資本制を修正していくためには地域、中間組織に根差した国民国家の単位で対抗軸を作っていくことが肝心。
 
 グローバル資本制跋扈するこの時代において、一番、国民国家の枠組みを超えた試みをしてきたEUの今日に金融危機をみたときに、国民国家、民族と云う対抗軸の正当な発揮の重要性を蔑にした、地域統合経済連携はグローバル資本への格好の餌食として国民生活を投げ出しだけだと考える。
 
 資本のグローバル資本の無政府性へのこの対抗軸の正当な発揮を基礎的力としてしか、グローバル資本はコントロールできない。
少なくとも議会圏レベルではそういうことだ。
 
 >>今と将来に日本に浸透してくるのはTPP的事態である。
 
 ここで気をつけなければならないのは、コレが経済的政治的な元に戻れない強い縛りを伴うと云う事と、それに比して、ヨーロッパの様な白人国家、民族同士の緊密性、同一性なく人種が違う、ここまで来る歴史伝統文化が大きく異なっていると云う事だ。ヨーロッパでもEU統合以来急速に自国内の少数民族への排外主義が発生している。
 
 アメリカの場合、本質的に黒人差別にみられる如く、異人種をそっくりそのまま自らに包括する普遍的原理、理念は乏しい。
 
 TPPはアメリカに在る人種、民族、職種、収入の多寡など様々な差別観念、極端な拝金主義が日本にいつの間にやら、そっくり持ち込まれ、社会ににむき出しにされた個人や核家族であっても、日本人にわずかに観念上、残存している共生観を一掃することになる。
 
 そうすると、いくら日の丸や日本国家の共同幻想を吹きこんでも、根元が根なし草状態なのだから、ただの万人が万人に対する息苦しい想いをする社会になっていく。
 
TPP参加によって、必然化するのは経済的格差だけでなく、その他の格差の拡大が日本国内で現出するとみる。TPPのインタナショナル性の受益者は極一部の人たちになろう。モノやカネは簡単に国境を超え行き来するが、人間はそうはいかない。
 
 コレに対する真っ当な日本の権利権益を守ることは日本国民の生活を守ることであり、そのためには全国いたるところ、あらゆる分野から、日本と日本国民を守る戦いが展開される必要があり、その戦いは継続する性格ののモノである。
 
地域、職種、各種団体に根差した国民国家、日本国民、民族、経済、を単位とする戦いが求められている。
 
>小沢さんたちの今回の民主党からの分裂、<国民の生活が第一>の結成は以上の観点から意味があると自分なりに考える。