反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

ようやく解りかけてきた橋下徹大阪市長。でも、この程度に首長と議会を牛耳られているのが大阪だけでよかった。もし、この状態が日本だったらエライ事になる。

 YAHOOニュースに考えさせられる面白い記事が載っていた。
橋下ウォッチ。題して野田首相賛美を釈明。政策論でなく、価値中立的な政治行政論で考えた>
この記事の中身を検討すると、世間の期待やマスコミの注目度に比べて、現時点の橋下の本当の政治内容はまだ素人の域を脱しておらず、しゃべりやパフォーマンス面の能力が素人同然の政治内容を覆い隠している、とリアルに実感できる。
 <次元としては>、今の私と変わらない。
その是非曲直はともかく、国政のリアルな政治過程のただ中にある野田首相と比べると、別次元の素人と云わざる得ない現状にある。
 
 だから、党内の強固な反対派を切り捨てて、民自公の多数派に乗って消費税増税路線を現実に歩み出した野田首相賛美がマスコミを前にして、想わず口を突いて出たと云う訳だ。
 
 ところが、その悪反響によるイメージダウン、政治的利害損得をあざとく察知して、達者な口先を使っていい訳をしたと云う訳だ。
が、そのいい訳の内容をよく吟味してみると、現段階の橋下の素人に毛の生えた程度の政治内容とマスコミ世間の評判の大きさのかい離が解る仕組みになっている。
 
 その内容に立ち入って考える前に自分の事を振り返るともっとよく自覚できる。
 
リフレ派批判の込み入った記事をエラーで消失。現状のその方面の力量をフル稼働して書いた記事なので、公開してきちんと残しておきたかった。
 
 が、それでも何となくすっきりした気分だ。
調べたり考えたりしていくうちに、今まであまり考えた事がない日本と日本国民の置かれた厳しい現実ついて知ることができた。リフレ派のお気楽金融緩和論をキチンと批判するためには、日本の厳しい現実をデータとして示す他なかった。
 
 記事、消失直後の実感として、管、野田と続いた民主党主流派の政治感覚がなんとなくわかる様な気がした。
政府を形成しても所詮、官僚層の量と質に取り囲まれる関係にあり、政局の推移も加味されて、説得されてしまった、と云う事が実感として解った。
 
 日本の将来のその方面の厳しいデータ、情報を見せられ、巧みに説明されて、自民党長期政権の継続してきた政策の流れを丸ごと継承している事になった。
 
自民党長期政権の政策=(官僚総体の政策体系の事)は相応の日本の社会経済基盤のリアリティに基ずく政策体系だった訳だから、総体としてそれを突き崩して行く政治戦略にこだわれば、体系性を持ったイデオロギーの塊と強い支持基盤がなければならなかった。
(それがない場合は部分的突破に絞り切るほかなかった。そういった意味でマニュフェストには当初から関心がなかく、その種モノのは聞きたくなかった)
 
 そこで自分が彼らの立場なら、どうなのか、と。
官僚に説得され、彼らの政策の方向を認めることはあり得ない。
が、取り囲込んだ官僚たちのサボタージュ、抵抗にあう事は必至だろう。
 
 官僚組織は国家の統治機構の中枢であり、戦後自民党長期支配を陰で政策的に支え、演出してきた。事実上、自民党の政策=財界の政策=官僚の政策と考えた方が解り易い。その他、今では政権交代前後からの政治過程において、マスコミやアメリカまでこういった戦後支配体制の強固な支柱である事はハッキリとした。
 
 自分の力量として官僚と同じ次元で政策を論じることには無理がある。また、主導力もない。
コレでは自分と官僚の大きな違いは立ち位置とイデオロギーの違いである、としか言いようがない。
コレがありのままの現実。
 
 >橋下の現状もTAHOOニュース乗っている釈明の内容から、この様な自分と<次元としては同じ処に在る>
と解る。
そもそも、自公の政策=党分裂に乗って消費税増税路線を歩む野田を高評価したこと自体、橋下の政治内容の現状の実態を正直に告白しただけである。
中身のない反対派を気どり、この閉塞社会に充満する不平不満を政治躍進の原動力にするモノにとって、既存の支配体制と重要な局面でアカラサマナ一体化の現実をさらけ出した野田に高評価を与えることは拙いと、世間マスコミの悪い評判によって、気付いた。その程度だ。
 この程度で私と次元が違う処に立っていると云えるのか?
国家のために敢えて党を犠牲にした?
そうかな?そんな単純、抽象的次元の価値判断で済ます事が出来るのかな?
 
 橋下ツィートによると。
「僕は政策論と政治行政論は分けている」
弁護士らしい法的形式論で頭の中で区分けできているのは、彼がまだ地方政治の段階に在って国政にタッチしていないから。しかも4年に満たない経験で結果責任が問われる前にダブル選挙を仕掛けて風評依存政治で誤魔化している。政治のプロなら、ここに不自然を感じるのは当たり前。本人にその自覚が全く見られない危なさ加減。
個別政策レベルでは民主党と意見が異なる処があるとして。
政治行政論は価値中立。政治家一定の価値観を明確に示して、その方旺盛で物事を決め実行していく」
国家統治機構の中枢の中央官僚機構に価値中立論など通用しないのは先の私の説明に在る通り。自民党長期政権とのリアルな一体化が現実。政策制度、イデオロギー面で。そうなってきたリアルな現実に民主党政権交代は反撃されここに至っている。
民主党は当初、是非はともかくマニフェストで、異なる政策体系を掲げていたが故に、連綿と続いてきた既存の中央統治機構の中枢の反撃を受けた。
管、野田等は既存の政策体系に迎合し、終いには自分たちの政策体系を破棄して、既存のモノを受け入れる道を選んだけである。それは同時に党の分裂の道、さらにいえば、民主党壊滅の道の選択とイコールであった。
ここにリアルなパワー政治の実態がある。
 
 が、橋下はそういうパワー政治の実態からかけ離れた次元に身を置いて、政治主導の一般論を今頃、呟いているにすぎない。
コレでは政権交代前の民主党と政治の次元として変わるところはない。
>明確な違いがあるとすれば、一定の価値観において、政権交代当初の<国民の生活が第一民主党>と、
<小さな政府市場原理主義の橋下等>との違いであり、
橋下等の<一定の価値観>は今やグローバル資本制の原理(TPPに当面は帰着)で動いている日本支配層の<一定の価値観>と同質そのものである。(橋下等の論理からTPP反対は絶対に出てこない。原理も問題だ。)
いや、支配層は、これまでの政治史の流れの中で剥き出しのグローバル資本制の原理を掲げる訳にはいかず、国民経済にも若干、配慮する振りをしなければならない支配層にかわって、橋下等が欺瞞的煽動政治の実行によって、その先兵の役割を実際上果たしているのである。
>だから橋下等はお粗末な政治内容にもかかわらず、事あるごとに一挙手、一投足が報道される。
考えてみれば、オカシナことである。
 
以上、断定調になっているが、字数と時間制限のため敢えてそうしている。
各々断定できるだけの数字と事実の裏付けがある。
橋下曰く。
「個別の政策については見解の相違もあるが、政治と云うモノは論点を明示して、イロイロナ反対論があっても、それを<キチンと手続きを踏んで決めていく、のが政治の一番重要な処>」
<キチンした手続き>を蔑にした配下の維新の会の議会制覇の強引な利用、職員の思想調査の如き政治的選別作業がダブル選挙勝利後、批判された事を踏まえての<きちんとした手続きを踏んで>だから、彼の本来の政治体質から自然とでた政治行為への批判の噴出に対する弁明で在り、糊塗と云って良い。
 
 それは、前後に続く文言にハッキリと示されている。
「イロイロナ反対論はあっても<>決めていくのが政治の一番の重要な処」
<>部分の限定事項を取り払うと、「イロイロナ反対論があっても、決めていくのが政治の一番情様な処」となる。
橋下の地元でも橋下批判と云えば、まず独裁政治の批判。
コレが一般に受けやすいからで、そういう政治スタイルと政治運営の事実があってのことだ。
だから、橋下に限って言えば、<きちんとした手続き>は必ずしも、「イロイロナ反対論があっても決めていくのが一番重要」な政治の<担保にはならない可能性が常に付きまとっている>と云う事だ。
 ただし、私の橋下批判はこの角度からのモノでなく、その政治路線の本質、政策的反国民性、反合理性に焦点を当てている。
決めることが政治の一番重要なところとはなんともサムイ。政治の貧困そのもである。決めることはあくまでも手段、政治過程に過ぎない。今のツマ先立って余計な心配、不安感、危機感にさいなまれ、先を急ぎ過ぎている日本人の風潮を正直に反映しいる。
 こんな政治内容では中央官僚とすぐ一体化する。向こうは決めなくてよい立場で説得に専念できる。組織で動くし、政策内容にも継承性とリアリティーがある。
尤も橋下の場合、同根だから、大きな違いはない。唯一、一般的な感覚では政治的利害が対立する様に見える官僚機構の改革も、多数派日本国民の生活の利害に全く関与しない性質のもである。それを在ると想いこまされている国民側の無知がある。問題の本質を官僚批判にすり替えられている事に気がつかない。
 
>橋下は大飯原発再稼働直前になって、「夏の電力不足による、病院などのパニックに怖気ずいて」(自身のいい訳)再稼働容認に至った。
コレを聞いて私はこの男は政治家として相当程度が低いと納得した。
<決めるのが政治の一番重要なな処>の橋下らしい。
ダブル選挙の頃は反原発の機運がまだあった。
そこで橋下と維新の会は脱原発の言辞をスローガンの一つにしていた。
その時点で、橋下は国政レベルに及ぶ政治課題に対してその様に決めたのである。
ところが、いよいよ大飯原発再稼働の夏場を迎え、「夏の電力不足による病院などのパニックに怖気ずいて」
再稼働容認と。
決めることが政治の一番重要点とする橋下は一端、決めて、また決めたのだ。
決めた事に変わりはない。
が、この男は最初決めたときに大飯原発再稼働を視野に入れていたのか入れていなかったのか?
いづれにしても、決める中身こそが問題で、そこを間違えれば、一番、被害を込むるのは、橋下が良い訳に使っている弱者だと云う事が解っているのか。
 
>少なくとも、私はこう言って、橋下を批判する資格は在る。
原発集会に参加してもデモ行進には参加しなかった。勿論、原発の是非を問う国民投票への署名もした。
が、持論は在ったから、デモには参加しなかった。昔からの持論でもあるし、譲れない処がある。
また自分なりにイロイロ調べての結論もある。
私から見ると、橋下は原発再稼働の野田よりも政治家としては未熟者。
それをこの間の政治体験でなんとなく実感してきているから、野田を高評価するのである。
 
>政治には積み重ねが重要。そこで結果が問われ、検証され、選抜淘汰されたモノがより大きな政治責任を持つ。大きな国の政治家はこの試練を潜ったものでなければ、務まらない。被害をこうむるのは国民である。
戦前も普通選挙制導入後、終いには、政治にずぶの素人の軍服軍事官僚が軍事面での既成事実を積み重ねて国民の湧きたつ中で遂には政治の主導権を握って結果明々白々の無茶をした。
その時点で解っているヒトは解っていた。
橋下は途中省略もいい処の未熟モノである。
そいう橋下に不相応な権限を付与しているのは世間で在る。
 
      
     <追記>
ぜひ、エラーで消失したリフレ派批判の記事を中身を変えてでも、復活したい。
デフレの本質は需給ギャップ拡大(一般的によくつかわれている言葉)でも金融問題(日銀の通貨供給量が足りない)でもない、は正しい。
デフレの原因は自由貿易体制で外国からの安い商品の流入ーコレは先進国に潜在的に共通しているが、日本で顕在化するのは所得分配機能薄い税制、少子高齢化の急激な進行、高齢者に偏った貯蓄など、日本固有の環境による。現状のインフレ率低、長期金利、低、通貨供給、量、低は日本固有の事情にあった妥当な均衡点である。、従って、通貨供給量の増加で対処しても、良い結果は生まれない。