7月19日、スズキ自動車のインド子会社、マルチスズキの工場で全従業員の半数を占める下層カーストの短期契約社員の日頃の怒りが爆発し、暴動状態になり、死者負傷者遠くの逮捕者を出し、工場の操業のめどが立っていないと報じられている。
現マルチスズキの前身は、1980年ごろのインド政府とのスズキ合弁事業に発し、その後のインド政府の改革開放路線によるインド経済の発展の波にのって、2006年にはインド政府が保有の全株式を売却し、スズキの完全子会社なった。
この間にスズキは出資比率を1992年26%ー50%。
2002年には54%に引き上げ子会社化。
2005年には日本資本の海外進出のビジネスモデルとして経産省より<日本ブランド創造貢献企業>なるたいそうな表彰を受けている。
スズキ資本のインドでの躍進はインド経済の急速発展に伴う低価格小型自動車の需要の拡大に乗ったモノであり(日本でも高度成長時代、小型大衆車ブームで、二輪車メーカー、ホンダ、スズキの4輪車市場への参入があった)
現時点では、小型車に限らない多くの車種を生産しており、日本国内の新車販売台数を大きく上回っている。
>要するにスズキは日本における過去の自社の企業成長の過程を豊富な低賃金労働層の存在するインドにおいて忠実真面目に実践してきた訳である。
日本においてとっくの昔に飽和状態にある労働市場、販売市場による資本と生産の過剰、収益率の低下をインド進出に活路を見出してきた。
成長の梃子は小型大衆車のインド市場における寡占状態にある。
スズキはインドにおいて創業者利得を得た。
しかし、その後、小型車を得意とする欧州、韓国メーカーも、当然、インド市場に進出し、市場の競争圧力は高まっていったであろう。
そこで、インドでのスズキの経営規模の拡大と市場競争圧力、インドの経済発展の現状の矛盾に対して、古い日本的経営の労使企業家族の鈴木商店的経営、労務、生産管理、が問題点を露呈し、爆発し、労働運動を暴動化させた。
だから、そもそも、2005年小泉竹中時代の2005年の海外進出のビジネスモデルとして経産省が日本ブランド創造貢献企業として表彰したことに先見の明がなかったのである。
原発を大推進した事と同じ様な位相の現状の認識の甘さ、長期的視野の不足が在りはしないか。
こういう死者、多くの負傷者、逮捕者まで出した労働運動の暴動を引き起こし、操業のめどが立たない状態になるのは、スズキ商店的経営がインドでその体質を真面目に発揮している段階から、在る程度予測されたことである。元々経営体質がインドでの今の環境に合わなかったのである。
この労働運動の暴動化は突発的に発生したしたモノでない。
「昨年も労働争議が起きており、昨年度は計画より、生産台数が8万5千台も少なくなるなど大打撃を受けた」
「今年1月には当地で第二工場が稼働し反転攻勢をかける矢先だった」
「インフレの進行で食料品は燃料費が高騰し、契約社員の生活は<働けど苦しくなる>と云った状態」
スズキの小型大衆車による創業者利得の段階は終了し、市場参入者が増えて、競争圧力が強まっており、収益率の低下、シェア低下を低コスト労働力商品の使用と新工場建設の規模拡大で乗り切っていこうとしている。
ましてや、収益確保のためにことさら、労働力の安い地域や、身分の低いカーストを導入している。
さらに加えて、資源価格の上昇が著しい中での成長経済はインフレ率の上昇を不可避とするから、名目賃金を上げていかなければ、短期の契約社員は<働けど生活は苦しくなる>という環境に首までどっぷり漬かっている状態。
経営側に、大企業に相応しく、その要求に正面から向き合わず、分断支配を常とう手段としてきた事がこういう結果に至らしめている。
<再び勃興するアジア。中国インドのプレゼンス拡大>
「歴史的文脈で見れば、中国インドは4大文明の発祥に地であり、盛衰と分裂の歴史の変転を繰り返しながら、
世界の歴史の中で大国としての存在感を保ってきた。
例えば、AC1000年ごろから19世紀の初め時点においては、農業生産力がある、すなわち人口扶養力のある中国やインドらのGDP(購買力平価ベース)は世界の約6割を締めていたと云う推計がある。」
この時点においてアメリカは僅か1,8%を占めているに過ぎなかった。
「産業革命以降の欧米が技術革新による生産性が飛躍的に向上し経済成長を遂げていく中で中国、インドらが世界に占める割合は急速に低下していった」
処が
「2025年ごろには中国のGDPはアメリカを上回る見込みで在り、インドもドイツを追い抜き、日本に見込みである。」
その結果。
「中国インドなど新興国のGDPは2009年18,9%であったものが、2030年には36,6%まで拡大し、欧米主要国、日本等の先進国と拮抗する」
>>「中国インドは大国として存在感を示していた産業革命以前の姿に戻りつつあると云える。
こうした力の存在感の高まりは、産業革命後の200年の文脈で見れば、<新興>であるが長い歴史的文脈で見れば、<再び勃興する>と呼ぶべきものともいえる。
>スズキのインドでの企業としてのここに至った振る舞いを振り返ってみるときに、日本をここまで経済大国に押し上げてきた良い意味でのこれまでの日本の在り方と歴史の転換点の流れに十分沿っていない日本が垣間見える。
<追記>
インドスズキの事件と<歴史的文脈で見る大国の再び勃興>を強引こじつけて焦点が定まっていない記事に成った。
本当は後者に関連して日本の人口問題を書きたかった。増税、社会保障が大きな政治課題となり、必然的に日本の将来像が論じなければならない時期にとって、一見遠回りに想えるが、避けては通れない議論であると想うう。
支配層においては、<人口問題、増税、TPP参加と日米同盟は一連の強固な問題意識のつながり>として受け止めている。コレらを一貫した国家戦略として打ち出す事が出来ないのは日本国家の法制的土台となる日本国憲法の「改正」が今の処できないから、--理屈上、そう考えることができる。
同時にコレ等の繋がりは経済問題への対処の仕方と深く繋がっている。
日本のデフレは人口問題が主要因だと想う。金融の量的緩和をしてデフレ状態脱却をしたくてもインフレ率、長期金利がデフレ均衡にハマっているからできないのだ。低金利均衡利子率の流動性の罠的状況にあり、貨幣供給率を大きく増加させれば、またバブル投機にカネが回る。大量に発行している赤字国債の市場評価の絡みもある。
だから根本的な打つ手はない。打つ手がないし、TPPによって、もっと酷くなる可能性があるから、支配層は自らの<既得権を維持したままの取りあえずの10%で消費税増税思考の刷り込み>や目暗ましの国土強靭化構想の長期公共事業構想を打ち出す。