反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

世界経済統計作成ツールによる主要項目(第1回人口動態)の米、英、独、仏、伊との比較から、日本の特性を探る。

 1)就業者数の推移。単位万人。1980年を基準年~2012年。
統計ツールはIMFデータベースに基づき、数値とトレンドグラフで表示されている。
トレンドを一眼で見て、ハッキリとしている事は米国の右肩上がりの就労者数増加。11880万人~14184万人。
2千3百万人の増加。量的側面ではヒスパニックなどの低賃金労働力人口流入と考えるが、20世紀の主導国である関係からの質の高い?労働力を呼び寄せてきた側面がある。この両者が相まって、旧来の基幹産業の日本などによる浸食から、金融ITへの産業構造の転換が為されたともいえる。
同時に格差は大拡大した。日本の構造改革論者は1%と99%の産業構造改革による格差拡大の弊害を容認している。
 
 両国は19世紀と20世紀の主導国として、アングロサクソンユダヤ金融センターを完成さた。
日本は金融センターになる人的物的ネットワークに乏しい。日本金融市場の世界化の唯一の可能性は華僑の世界的金融ネットワークとの結合だが、米国はTPPによって戦略的に遮断する方向にある様だ。
 
 >>就労人口の低下は日本のみ。-47万人。
その他のヨーロッパ諸国は300~400万人増。
 
 戦前から戦後の高度成長を通じて、日本の労働人口動態は米国を除けば、先進国の中には類を見ない安価で豊富な過剰労働力人口が農村、都市で潜在、流動、停滞し、この人口圧力が戦前では経済的必然性として戦争へのはけ口を求め、戦後は高度成長と飽和状態における有効需要創出の飽くなき公共事業への希求となって現れた。
 
 戦前の日本は先進国中で、軍事力の突出と遅れた工業の不均衡な後発国だった。
この後発性は高度成長へのキャッチアップに有利に作用し、ヨーロッパ諸国の様に経済成長の過程で移民労働力を導入する必要がなかった。
 
 さらに、冷戦体制の相対的安定期。東アジア情勢における日本の兵站化。など政治軍事情勢も日本の経済成長に有利に働いた。
 この点をまず抑えておくが肝心。
 
 日本のバブル崩壊まで(ソ連東欧崩壊、中国改革開放本格化は1990年初頭)の経済成長は資源原材料を輸入と加工品輸出との<良好な交易条件の内需依存型>だった。
 
 
 バブル崩壊を受けた停滞局面の10年の過程で、海外直接投資の急進展による産業空洞化が進展して、労働分配率は低下した。
 
 >それを引き継ぐ、小泉時代の<規制緩和、財政緊縮>によって、失われた10年の労働分配率の低下傾向は定着した。
 
 他方。
 >>2002年政府はデフレ宣言を発して、日銀の市中銀行積立金率アップを通じて民間銀行に通貨供給した。
 
 同時にそれ以前から続いていた円安傾向を維持するため強力な円売りドル買いの為替介入(一気に20兆円の介入もあった)をした。
 
 >>政府のデフレの強調は支出を増やしたい欲求と増税への抵抗を忌避する性質が在るため貨幣発行を財源としたい(通貨発行益によるインフレ税)不純な政治的動機に基づくモノと疑ってかかった方が良い。
 
 上げ潮派、みん党、橋下等は市場原理主義純化した支配層と戦後的既得権擁護の党、自民党の完全な別働隊である。自民らの支配層の政治支配の展望が世界情勢の激動によって先細ると、こうした安易な通貨増発の衆愚政治の道しか選択の余地がなくなる。
 
 その場合、支配層としての歴史観、政治哲学が問われる、と云う処が核心点。
この非正規的政治路線をいったん踏み出すと後戻りはきかない。カンフル剤が効く期間は長くはない。悪影響は内と外に及ぶ。制限を設けた紙幣増刷の小泉時代でさえ、短期間で国民生活全般にあのような悪影響を及ぼした。
 
 小泉竹中の政策的帰結として、中小零細企業の弱体化、地方経済の衰退と輸出大企業群の日本経済全体への寄与度が高まり、信用創造力の低下にある市中銀行への資金供給は生産的投資に回されず、株式市場などへの投機を必然化した。
 
 以上の小泉竹中<緊縮財政、規制緩和、金融緩和、円安>路線は国内においてあらゆる方面での格差と対称の金融寡頭支配の「繁栄」と強化を生み出したが。
 
 >>>それを可能としたのは、米国を中心とした世界の過剰資本、過剰生産の循環構造が機能していたからだ。
 
 日本、中国、ヨーロッパは米国の世界の過剰に対するケインズ有効需要創出に強力に参入していたから、其々の内に抱えた大きな矛盾を顕在化させなかった。
 
 結果的に米国バブルに深く関与し、金融派生商品への投機を繰り返してきたヨーロッパ金融資本は米バブル崩壊と共に巨大な損失を被って、EU末端の資金ショートを招いた。
 
 >日本の米国バブルへのファイナンスの仕方は政府による巨額の米国債購入である。
その購入額の合計は欧州金融資本の金融派生商品購入額と等しく、バブル崩壊後の米政府のドル安政策によって、購入した米国債に約100兆円の歴史上稀な為替差損が生じており、こういう日本政府の財政、政治の現状、さらには大震災原発事故の現時点と将来的ダメージを巨大投機筋は白日の下で見つめている。
 
 そういう底流もあって、民主党パシリ政権、自民公明は取りあえず、自らの支配システムだけを守るために、民からの収奪体制だけは確保しておこうと云う足掻きをしている。
 
 そしてこのような支配層のアカラサマナ動向から生まれる不平不満のエネルギーの欠け口、受け皿として、橋下、みん党が政治のショーウインドウに賑々しく陳列されている。
 
 
 云い換えると、米国バブル崩壊は冷戦体制崩壊後の経済的政治的な世界均衡を突き崩し、先進諸国の内部矛盾と米国後退のすう勢、産業革命以前の世界の巨大国家であった<中国、インドの再勃興>、資源一次産品の価格上昇、人口扶養力などの要素から途上国の台頭を必然化する。
 
 >従って、コレからの日本には小泉時代の延長線上の<上げ潮>路線の有効機能する内外環境に乏しい。
政策的必然性がないところに、小泉時代の延長線上の政治路線で無理矢理何とかしようとするから、劇場型の政治でことさら単純に敵を作って、不自然な煽動政治を行わなければならない様になる。
 
 冒頭に挙げた1980年~2012年の就労人口の減少と欧州の300~400万人増のかい離だけ取り上げても
日本は各方面の備え整わない間に急速な成熟期に突入していることは明白。
 
 問題は、そういう人口動態だけでに留まらない。
 
 一次産品、資源の輸入価格上昇を相殺する日本のこれまで得意としてきた輸出商品の分野において、新興産業国の台頭にによって、付加価値を得られなくなっている。
 
 日本経済は戦後獲得してきた交易条件を大きく悪化させており、コレが国民所得全体を停滞させているのは、GDP停滞にも明らか。
 
 そうすると、金融寡頭制の一部に富が集まって、末端に行けばいくほど経済的社会的疲弊貧困が深化するのは必然。
それがまるで沈め石の様になって国民支出の58%を占める消費を低迷させている。
確かに高齢者の貯蓄は1000兆だが、現時点での可処分所得における貯蓄率は1%台に低下している。少子高齢化への根本的対策はなく、高齢人口は急速に増加している。
 
 >こういう状況にあっても、税制の3党合意の内容を見ても金融寡頭制の頂点に向けての累進課税を徹底的に忌避している。
 
 税と社会保障の全体のビジョンが示されていないって云う批判は的外れもいいところだ。
<もうここに至ったら、自分たちと直属の追随者さえよければ、他はどうなってもいい、という思惑>が貫徹されていることなど、アカラサマニ語れる訳がなかろう!
 
 そこでアカラサマナ思惑は隠して、国民会議に収奪の細部は詰めてもらって、マスコミ宣伝洗脳によって、政治幻想をふりまいてもらう。
人間は建前が一端、崩れ出したら、欲望と衝動がむき出しになる。
物質が自己運動を始める。
 
 >根本的にはグローバル資本制のもたらす政府、財政、市場の不安定から必然的に小市民間に充満する不安、不満を煽動する政治に多くの国民が引きずられると、気がつけば、我が身を貶めている事になる。
 
 戦前、戦後の日本資本主義の生成発展成熟過程通じて相対的な経済力低下は歴史の必然と、割り切れば、政治的上部構造の余計なから騒ぎは多数の国民生活にとって、益はない。
 
 日本経済はバブル崩壊を頂点<急速に成熟の過程に突入している>
戦前戦後を通じて、先進国の中で一番急成長を遂げて今日に至った日本経済の世界におけるシェアが低下する局面に至っている。
コレは歴史的趨勢であって、押しとどめられない。
 
 他方で<再勃興する国や新興国>と<旧支配を維持しようとしている国>が不均衡的に共存している。
この様な世界趨勢のただ中の多数の日本国民には経済の成熟過程への急速な突入に見合った、<成熟した政治判断>が求められている。
 
 小市民的中間層はこの様な歴史的転換期に己の存立基盤が浸食され、苛立ちを深め、歴史と国と国民全体の置かれた立場を見失いがちになり、政策的合理性の範疇を大きく超えた政治に情緒的に靡いてきた。
 
 歴史的事実として煽動政治<衆愚政治>の虜になってきた。
 
 
 
            普通選挙法、各国成立比較
 
仏。   1984年第二共和制の下普通選挙制。   1791年帝政打倒の仏革命の制限選挙国民公会
 
独。   1867年 北ドイツ連邦普通選挙。   1919年、ドイツ革命によってワイマール共和国の完全普      通選挙制
      先日、孫崎さんが戦後のドイツと日本の違いについて、敗戦によってドイツは国がなかったから、国民      が一から、国をから作り上げることができたなどと、ワイマール時代を無視した見解を述べていた。
      ワイマール民主主義の中から、ヒットラーナチスは生まれたが、戦後の西ドイツ憲法も生んだ
      この戦前のベルサイユ体制の重圧化の完全普通選挙から、ヒットラーナチスが生まれた歴史的事       実は今の日本の政治状況を考える際に無視できない
 
米国。 1870年。憲法修正第15条。男子に選挙権と<付帯義務>。
     米憲法の注目点は修正第1条、第2条の言論結社の自由と武装民兵制度を基礎とする国家形成。
     連邦制の基礎=アメリカ的民主主義の基礎である。
 
イギリス。 1918年。階級制度はあっても民間政治の歴史は長い。
 
ロシア。   1917年ロシア革命時権法制定会議。ただし、大衆蜂起による帝政打倒による労働者農民兵士評        議会(ソビエト)との前者との二重権力状態。
 
日本。    1925年成立。治安維持法と抱き合わせ。
        1928年実施。第1回の選挙における政友会の基本方針が地方分権
        すでにこの時点で国内では大正デモクラシーはほぼ一掃されており、軍部台頭は顕著だっ            た。何より、軍需経済の突出(軍艦建造割り当て率は英米に次いで世界第3位)と民需(イタリアより        下の工業生産指数)の開きは大き過ぎたこういった経済社会構造において民主主義があったにし        ても、薄皮の様なモノ。敗戦後の国民の全く関与しないところでの、GHQと残存宮廷勢力の合意は        必然。この歪みは憲法を形だけのものにして中身を修正し、今日に至っている。
        日本国憲法の最大の欠陥は民主制の中から生まれてくる、独裁政治に具体的歯止めがかけられ        れいない事だ。イタリアの共和制堅守の明記。ドイツのナチズムへの否定と云った具体的な項目が       何処に見当たらない。9条平和条項は外交分野のモノであって、民主制度から生まれる独裁体制は
        まず何より内政の問題の外部への顕在化である。
 
 
    <追記>
成熟社会、成熟経済の備えの機会が十分になく、突然訪れた事をデフレと云うんですかねぇ~。
アングリアのサクソン人やユダヤの末裔に毒された短絡発想。
もっと日本民族の過去現状将来に渡る特性に沿った思考があってしかるべし。