反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

経済統計ツールから日本の歳入、歳出の構造を米英独仏と比較してみる。

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上の図は<世界経済ネタ帳>の経済統計作成ツールを使っての記載。
トレンドグラフのネタ元はIMF世界経済データベース。
歳入とは税収と国債発行収入。
歳出は経費と国債利払い費、及び償還費。
こんな図を記載しアレコレ云い出すと時節柄、何か財務省の回しモノの様な気がしないでもないが、事実は事実として受け止める必要があると想って、可視化した。
 
 まず、歳入のトレンドグラフを一目見ただけで、ハッキリとしている事実がある。
日本政府の国債発行収入を含んだ歳入の対GDPは米国を下回り最低。
つまりは日本は歳入面からして先進国では圧倒的に小さな政府であると云う事実。
解っているはずだがこの事実に蓋をして、公共セクターをモット縮小せよ、と云う人たちがいる。
人口1000人当たりの公務員数は多く見積もっても、50人弱で在り、同じ小さな政府の米国を下回っている事実。欧州諸国とは比べもににならない。
小さな政府をさらに小さくする事を目指している。
コレって、市場の<神の見えざる手>の経済法則に国民生活を委ねると云う19世紀の夜警国家、産業資本段階のアダムスミスの生まれ変わりの様な政治路線じゃないのか?
今は膨大な流動資金が世界で渦巻いている時代。果たしてそういうモノで国民生活が守れるのかどうか?
全国を130程度の基礎自治体に分割しての地域主権確立の向こうに住民生活の安定、経済繁栄を設定するって、その空想性によって、結果として市場原理主義の片棒を担ぐ事になりはしまいか?
 
それでもまだ自分たちの主張を維持したい向きは、いや、公的な見なし団体も含めてなどと云うが、この50人弱(正確には48人)は野村証券研究所による、あらゆる種類の関連団体の職員が含まれている。
 
 >それでも持論を維持したいモノは天下り特別会計の問題に論点を横滑りさせる。
確かにそこに問題点があることは認める。
 
>が、私が掲示した3図のトレンドグラフを良く見つめて欲しい。
米国のトレンドグラフに何か不自然なところはないか?
歳入歳出のグラフについてはドイツにも当てはまる。
 
米国に関しては、歳入歳出、プライマリーバランスの数値を公開し出しのは2001年ごろから、と云う事だ。
ドイツも米国の様な傾向がある。
あくまで推測だが。
 
>つまり、そこから伺える事は、日本の様に国会で国家予算の審議される国ばかりでないと云う事だ。
勿論そういった国にも特別会計に類似した仕組みは在るだろう。
コレは事実だろう。
 
良く解らないので断言できないが、日本の現状において、地方、国の無駄追求が一大国民政治イベントになっている状態はもしかして、米英独仏の政治の基準から見たら異常な事態なのかもしてれない、との疑惑。
国民としては、重箱の隅をつついて大騒ぎするよりももっと他に関心を示すべき大きな事があかもしれないと云う疑惑だ。
何か踊らされて本当の事に目隠しされている、と。
  中期的には日米双方の支配層にとって、最終着地点はTPP事態となる。
そこに至るまでに市場原理主義政治の実行によって、住民サイドの利益も反映できる公共セクターに代表される障害物は弱体化しておく必要がある。現状の小さな政府、小さな地方行政はもっと小さくして集中、分散して権力サイドの利用に便利なように仕組み、弱体化させた方が、住民収奪に好都合。
そういう大きな戦略的方向性が意識するしないにかかわらず、支配層トータルの意向として働いている。
 
>日本の家計は公的援助乏しく、可処分給与所得に頼っている状態。
日本の文化水準に見合う労働力商品の再生産費に相応の給与が保障されなければ、国と地方の疲弊の元となり、国民経済は縮小する。
 
>公務員正規職員の給与の割高感は今現在の民間へ給与、労働条件と比べて、確かにある。
が、それを削減せよと迫ることが政治パフォーマンス化しているのはおかしくないか?
上に立つモノは必要とあらば、粛々と関係方面と向きあって、交渉すればいいのだ。
コストカッターが英雄になるなんて日本経済の大きな規模からして、プラスに作用するのか?
 
>現状では非正規職員、パートの多さからと全体の人数の少なさ、から全職員の給与額の財政支出に占める割合は他の先進国に比べて決して多いものでない、想定する。
>さらに職員の重点分野への配置されていないと云う問題もある。
 
この様な大局的立場に立てば、安易、深く考えない公務員批判は避けられるはず。
 
 尤も<隣の芝は青い的観点>で政治を語るのではあまりに情けない。自分を貶めていることに気付かないのか。
個人の問題と公の問題の間には大きな中間項がある。短絡すべきでない。
 
 波及力を維持したいマスコミ報道の一番手っ取り早い手法は個別の領域の問題を中間のクッションを抜きにして社会や、はては、国家の問題に短絡させることだ。
マスコミ報道は常にアナウンス効果を狙っている。
 
>この種の手法の報道に孤立した個人や情緒不安定な個人が日常的に接していると、周囲をそれら行き過ぎた「現実」に埋めつくされ、それが多くの短絡的仮想性を含むモノであるにもかかわらず、仮想性を含む情報をあたかも社会や国家の現実であるかのように錯覚してしまう。
その挙句、脆弱な神経、思考回路である事から、短絡行動や身近に可視化できる現実へのねたみ嫉みとなって蓄積する。
 
 >>2点目は課税構造が景気変動にかなり左右されるモノになっていると云う事。
税収全体の中で、景気変動に比較的左右されない安定財源の部分が欧州諸国に比べて少ない。
コレは次の基礎的財政収支プライマリーバランス)=国債発行収入を除外した税収ー国債利払い費、償還費を除外した歳出、のトレンドグラフを見ると一眼で解る。
 
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みての通り、歳出歳入から国債関連の費用を除いた財政収支(対GDP比)は景気変動に大きく左右されていると解る。
 
 「国際比較からみても、現在の租税体系では所得税と消費税が基幹税になるのですが、日本では2つとも著しく低くなっている。基幹税と呼べるほどではない、と云うのが現実」(「増税はだれのためか」。神野直彦発言) 
 
 この指摘の後、神野さんは日本の所得税の極端な低さ5%(米国でさえ7%)を問題にしている。
 
 給与所得者は年金医療介護保険を一括して徴収されるから、全体としての重負担感の視点に終始して個々の徴収細目について、考え辛いが、税の問題に立ち入って考える場合は、各々をばらして考えなければ、所得税が驚嘆に低いなどの真相がはっきりせず、税の中身を詰めていないので、為政者の巧妙な口車に乗せられてしまう。素人の単純素朴な見地だけでは説得に情緒的に押し流されてしまう。
今から、こういう方は次第に増えていくと想う。
現状の増税への批判に中身が乏しく、大雑把にしかとらえていないから、説得に対して、何となく気分で納得してしまう。
 国民負担率の高いヨーロッパでは、税に関する漠然とした思考回路ではやっていけないだろう。
 日本では反対党の政治宣伝も多方面から論じることを回避して、白か黒かの選択を迫る政治宣伝主体の内容になっている。
国民の教育水準は高い。それに見合った政治宣伝が求められている。
 
 >景気変動の影響を比較的受けない基幹税部分が少なければ、GDPが横ばい状態になって、イロイロな社会的コストの増加によって、歳出を増やさなければならない様になる。
 
 そこで普通に考えると赤字国債の大量発行による穴埋めとなるはずが、国債発行収入を含む<歳入のトレンドはほぼ横ばい>なのに<国債利払い費、償還費を含む歳出>は1990年代初頭を境に完全な右肩上がり。
 
 と云う事は、
毎年度の赤字国債発行額は適度に抑制されているが、基幹税の減収の中で、毎年の赤字国債発行は自転車操業的に積もり積もって、国債利払い、償還費の歳出に占める割合が大きくなり過ぎている。
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 国債発行に頼った自転車操業によって、利払い金や年季明け現金化の費用が順々と積み重なって、歳出費のかなりの部分を占める様になってきている。
 
結局、戦後の高度成長路線の延長線上の経済至上主義の政治は、経済界の努力によって、2回のオイル、ショックを乗り越えられることができたまでは良かったが、政治内容は基本的にそのままで、遂に経済が頂点に達したところで、戦後世界市場の主導者、米英を中心とした戦勝国の経済的権益を大きく毀損して、その政治的巻き返しの1985年のプラザ合意によって、相手の提示した自己破壊的な金融緩和や闇雲な内需拡大政治を実行するに至った。
 
 ただし、こういうバブル崩壊に至る歴史的総括の視点は今だから云える事なのだろう。
 
 >当時の支配層にはその視点はなかったし、問題は今もないと云う事だ。
だからこそTPP参加によって、日本経済の現状がどうにかなる様な安易な幻想を抱き続けられる。
現実を捻じ曲げ、都合のいい思い込みしなければ、TPPに飛びだせないのだ。
この思考回路は戦前の支配層に通じるし、直近の原発安全神話に似ており、どうやらこの辺に支配層としての責任に乏しい欠陥が現れている、とみる。
 
 自国の経済の発展速度、拡大や世界情勢の変転に相応する国家戦略的政治の対応力が乏しかった。
気付いたのは政権交代民主党であり、冷戦体制崩壊20年になろうとする頃。
官僚の政策立案能力におんぶにだっこの自民長期政権は言葉だけは勇ましい国士振りが打ち揃っているが、そういう視点が希薄なのは当然である。
大きな戦略的課題はアメリカが決定してくれる。官僚には個別課題の政策立案能力はあっても、それをトータルの視点から、総合することはできない。
 
 そういうモノどもや、その別働隊の如きモノが、ここに至って急に旧来の殻から飛び出したの如く、振舞ったら、国民に災いをもたらす。
慌てて足元を見つめない、過激方向に走る。
>巨大船、日本丸は狭い障害物の多い水路で舵とりが困難を極めている。
国民多数派はもう船長任せではいけない。
 
 税収不足は共産党のパンフレットを注意深く読めば解る。財源を探している。
以前から私はコレに近い立ち場である。四方が丸く収まる奇策はない。
税の問題の本質は階層間の問題であり、どういう国家を望むかという政治思想問題である。
だから、国民が政治力を発揮して、支配層に要求を少しでも飲ませる問題に行き着く。
このあたりに来れば、政策的合理性を大きくはみ出た政治の領域が問題になる。
立場の違いによって何通りもの正当性、正義がある。
 
>紙幣増刷がカギを握るデフレ脱却、経済成長、税収増、論とでも云うべき政治的立場がある。
私はこの間、無知を承知で記事で批判し続けてきた。
仮に日本経済のこれまでの軌道をそう云った金融政策で変更させる可能性ができる、とすれば、相当ショックを与える通貨供給量が必要と考える。
その意味ではグーグル記載のクルーグマンの日本は流動性の罠に陥っており、政府紙幣を発行するしか経済再生の道はないとの極論は論理的に正しい様な気がする。
小泉時代程度の金融の量的緩和でも米国バブル崩壊、欧州金融危機、日本経済の停滞の真の原因などの内外環境から、多数の国民の生活を結果として破壊するであろう。
 
所謂、リフレ派の主張は現下の政治情勢における市場原理主義の野党みん党などの勢力拡大の政治的思惑に沿った財政金融当局批判なのか、どの程度その政策を実行する覚悟があるのか、量りかねる。
高橋の様に最初のバーンと大きく出て、よく聞いてみると話が大きくしぼんでくる政治内容の様な気がする。
その程度でも日本多数派国民にとって将来の大きな災いの大きな一里塚となる。