8月15日にエマニュエル、トッドの「帝国以後」を読みたくなって、ひも解いた。
この書によって、自分の今までのアメリカ論は転回した。
こんな他人の意見に簡単に同調しないモノを動かしたのだから、彼は大したモノと考えている。
自分の欠陥である経済決定論のダメさをキッチリと指摘された様に想った。
また中身のどうこうもさることながら、こういった書に一番肝心なのは、文章を展開する作法の在り方、と想っている。
大状況を丸ごと写し出す事なんて絶対にできない。特に現状や将来は複雑化している。だから各々の専門分野に分岐されており、それを総合するのは並大抵でなく、実際上不可能。
そうすると、どう云う方法論で論じるかと云う事が肝心になる。
在る事実の積み重ねだけでは、別の事実もあるのだから打ち消されてしまう。
トッドさんが「帝国以後」で展開している方法は、それに耐え抜ける創造性、独創性がある。
彼以前そういう方向からの考察はなかった。
かくして、「帝国以後」でアメリカは一端、肯定され、徹底的に嗤われ、侮蔑された。
最大の打撃だろう。
>>今日2012年8月15日を祈念した記事として、再び向井孝さんの「出征」を取り上げる。
国家権力の引き起こそうとする戦争への反対を今日改めて確認しておきたい。原点だ。
コレが本物の学者さんの力である。
>>さて、この詩はB29の空襲で駅前が焼け野が原になった地方都市の町内から、一人の子供を持つ夫の出征を妻と町内会の面々が見送る情景を朴訥とした言葉で紡いだモノである。
が、その淡々と情景描写はそこに留まらず、実に広がりと実存に迫る深み、を持っている。
>敗色濃厚な当時の庶民の間に漂う、官製の戦時町内会のヒトとヒトとの結びつきの空虚さの露出。
B29に辺り一面を焼け野原にされて、子供を持つ夫婦にさえ赤紙が来る現実に町内会の出征兵士を見送る隊列の中の元気のいい一人が大声で歌う軍歌に誰も同調するモノはない。
やがて威勢のいい唄声はしりすぼみにになる。
出征兵士を見送る町内会の行進は、それまで幾度繰り返されてきたのだろうか?
最初の頃の出征兵士を見送る行進は戦況の勝利を報じる官製報道に包まれて、みんなして軍歌を高唱して湧き立つような威勢のいいものだったろう。
>やがて官製報道に日本軍転進の言葉が目立つようになって、遂に町内会の軍事訓練や防空訓練が始まる。
>そして、上空1万メートルの彼方の巨大な爆撃機から、無差別爆撃の爆弾が降り注ぎ、あたり一面が焦土と化す。犠牲者も多く出たであろう。
>戦況の最終局面に近づいたころには、それなりの年齢に達した子を持つ夫婦の処まで、出征命令がきた。
>出征兵士を見送る町内会の行進を振返る出勤途上の人々の視線に込められてモノは複雑だったのではないか。
そこに日本戦時体制の庶民レベルでの在り方の惰性の様な継続と、爆撃され焼け野が原になった現実との狭間がぽっかりと口をあけている。
戦時体制は庶民の意識の上でリアルに瓦解の途上にあった。
集団意識として形式化しつつ、敗色迫る中で個人意識として脱力していくだけだった。
>駅に到着して、夫を取り囲んで、みんなで手を取り合ったり、肩を叩きあったりして激励しあって、声を合わせて何度も進軍歌を歌い、一斉に万歳を叫んだが、最後に町内化の人々は散りじりになった。
>夫を見送る妻だけが子供の手を引いてプラットフォームに入って夫を見送った。
>ここまで淡々と情景を綴った、この詩の圧巻は夫を見送った後の次の描写である。
子供の手を引いて駅を出てくると、あたりは人影もなく、
かすかに明るい空のどこか得警報が鳴っているようだった。
影一つない焼け野原を横切り、乾き切った焼跡道を
ひっそり我が家に戻ってきた。
戸をあけるとバラックの中はしいんと静まり返っていた。
子供の服をきかえさせ、台所におりて、ゴクゴクと水を飲み
しばらく敷居に腰をおろしていた。
昼じたくのコンロの火をおこしかけながら、気付くと
子供はどこかに遊びに出かけて、もう自分一人ぼっちになっていた。
>空襲で焼け野原になった出征兵士を見送る行進の最後の最後に、妻は「もう自分は一人ぼっちになっていた」と実感した。
この詩は淡々とつづられている時系列の流れの描写の中に敗色濃厚のな当時の庶民レベルの社会、実存の在り方を浮かび上がらせている。
冷厳な事実の提示と詩人の想像力が凝縮している。
名作だと想う。
>この詩にネット上で出会った切っ掛けは向井孝さんの別の詩の内容がふと浮かび、調べた事から。
が、その詩はネットの<向井孝の詩>の中になかった。
発表されたのはズット前のタイプ印刷の小冊子だったと記憶する。
その詩は<過程に生きて過程に死ぬ>という時代状況に身を晒して生き抜くモノを謳いあげた内容だったと記憶する。
読み終わって、内側から勇気が沸き起こってくる、全面自己肯定の詩だった。
一種の開き直り、命を棒に振ってやろうじゃねぇか、と云う趣旨の詩だった、と記憶する。
私の勘違いでなければ、そういう内容の思想詩で、それが向井孝さんの最高傑作であるように想う。
向井さんの詩は解り易い言葉で書かれているが、言葉は慎重に吟味され、それがこだまする奥が深いので、直接、手に取らなくては中身は解らない。<過程に生きて過程に死ぬ>と云う内容が膨らみを持たせて書かれていた。
彼が一番脂ののりきっている頃に書いた詩だったのではないか。
その詩は多分、タイプ印刷の小冊子を今、保存している方の処に眠っている。
>>大橋巨泉さん推奨の「星の流れに」について書く時間はない。
最高の反戦ソング(巨泉の遺言のタイトル)と云う巨泉さんの意見に沿って唄そのものは考えてみる必要はあるが、
詩の内容は言葉が即物過ぎて、イメージが膨らまない。
戦後、歌謡曲の詩には今に至っても、新たに心に響くモノがある。
「星の流れに」の歌詞にはそれがない。