反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

未だに旧石器時代の寒冷で過酷な環境に基本設計が定まった身体構造を引きずった人類はその後の気候温暖化、急激な社会変動、価値観多様化などの周辺環境変化に対応するには基本設計が余りに古過ぎる。

 ある郷土史を読んでいると、タイトルにある様な斬新な視点に出会った。
この研究者はそういう記述をした後、さらに興味深い先史時代へのユニークな史観を提示している。
一般的に稲作と稲作文化は、狩猟、漁労、採集を生活手段とした縄文人の住まう日本列島に朝鮮半島経由で弥生人が渡来して、九州北部で突如、始まった、と。
歴史教科書的にもそれ以降の急激な人口増は朝鮮半島からの稲作文化の弥生人の大量の渡来と稲作定住、列島先住民である縄文人の後退をキーポイントに説明されている。
 
 >処がこの学者さんの説によれば、
稲作技術を持った渡来人が続々と海を渡ってきたと云うよりも、列島先住民の縄文人が渡来人の稲作技術を主体的に取り込み、文化的にも縄文文化から稲作文化への急激な変身と遂げた。しかもその急激変身は1世代はまりで完成した。
 
 >私はこの本を読むまで次の様な考古学上の事実は全く知らなかった。
 
 大きな堀で囲まれた稲作弥生人の環濠集落のたった1キロ程、離れた処では狩猟、漁労、採集を糧にする縄文人の生活が共存していた。
 それだけではない。
稲作弥生人の墓に埋葬された人骨を調べると、それは縄文人のモノだった。墓の形態は尤も文化的要素を伝える。
 
 と、云う考古学上の実証によって、稲作開始から、急激な人口増は朝鮮半島から大量の渡来人の日本列島への定住と云うよりも、稲作技術と文化を主体的に取り込んだ縄文人の急速な変身があった、と。
 
 勿論、朝鮮半島からの大量の渡来人もやってきて、縄文人との混血もあったが、私は直感的にこのユニークな説の方が真実に近い、と理会する。
 
 当時の朝鮮半島中国の造船技術、生産力水準からして、日本列島に大量渡来するには大きな困難を伴ったはず、そこまで苦難をして海を渡っていく根拠に乏しい。
住民の先端技術や生活程度と一般大衆の生活レベルはこの頃、すでに大きく隔たっており、大量渡来するためには先端技術や先進生活が大衆化していなければならなかったはずで、当時その環境は半島側になかった、とみる。
 確かに7世紀末の朝鮮半島白村江の戦いに日本から大量の軍船の出陣はあったが、稲作開始はそれよりずっと以前。
 
 そもそもが、文字がなく、記録のない時代の歴史的事実は考古学上の実証を基に想像力を働かせて類推するしかない訳で、その意味で絶対の真実はない。
 
 以前から、大量渡来説には何となく疑問を感じていた。
 
 
 >さて、この学者さんの本当の意味でのユニークな視点は冒頭にあげたタイトルにあると想う。
 
 大いに刺激された。
領土問題が少し発火しただけで、大騒ぎするヒトたちがこの日本にたくさんいる。呼応するかのように海の向こうにも沢山いる。
 
 私に云わせると、単なる愛国心民族意識を刺激されていると云うよりも、もっと根深いところの何か、何処かを刺激されて、抑えがたい心情が発露しているとしか思えない。
 
 以前テレビのトーク番組のパネラーが、動物にテリトリー意識がある様に人間にもテリトリー意識過剰なヒトがいる、と半ばあきらめ顔で述べていたが、かなり同意する処があった。
 
 私なんかああいう激情から、かけ離れたところにいて、領土問題の実際は政治力で解決すればいいだけ事と100%割り切ることができる。
正直、国民同士、民族同士が<激情に駆られて憎しみ合う>、と云う<感情の次元>が解らない。
 
 >生活習俗、習慣が言語、文化など違う要素が盛りだくさんの、グローバル化の下、お互いの存在が接近すればするほど、摩擦は大きくなるのは当たり前で、行き違い、衝突は実際に不可避で実際にその時は想わず感情的になる。
 
 が、そうした自分を後に反省すればいいだけの事。
齟齬に基ずく感情を野放しのままではやっていけないのは日本人一般の実生活が証明している。
 
 綺麗ごとじゃない。
元々存在する齟齬による行き違いの発生ー自省ーまた行き違いー自省のサイクルの繰り返し、が自立的に確立しているかどうか、が肝心なところである。
それでなければ、日本人はコレから食っていけない。
 
 >どうも、こんなに科学技術の発達した今に至っても、世界中で、以上の様な民族衝突を自立的に回避する精神構造が先天的にかけている人々がキッチリ多数存在している様である。
 
 先のパネラーは動物次元のテリトリー意識まで遡っているが、幾らなんでも、そこまでしたら馬鹿にし過ぎで、
尤も真実っぽいのが、
氷河期の寒冷で過酷な環境に基本設計が定まった身体構造を引きずった人たちは、その後の気候の温暖化、急激な社会変動、価値観の多様化、などの周辺環境の変化に対応するには基本設計があまりに古過ぎる、と云う事ではないか。
 
 >何かどこかを刺激されて、感情を高ぶらせている人たちの中身を観察すると、
所謂、保守主義者の冷静、客観性も持ち合わせておらず、伝統主義者の日本の伝統美への理解にも随分乏しい様に想われる。
 
 >何か、日本人であると云う事よりも、もっと根っこにある処の存在を刺激され、発情しているとしか思われない。
 
 >だから、本質的に日本国家や日本民族を口では語っても、それはあくまでも、根深いところにある抑えがたい発情への口実に過ぎないと想われる。
 
そういう人たちが人類のオゾマシイ暗部から浮上してきて跳梁跋扈する政治経済環境が歴史を振り返ると繰り返されてきた。
歴史を遡れば、過去を遡ればさかのぼるほど、野蛮に至る人類の道がハッキリと刻印されている。
 
>そして、長い氷河期の間に人類はこの野蛮性に磨きをかけて、希少な動植物を必死で狩猟採取することで生き延びてきた。
 
 それは今もって、DNAにハッキリと刻印されている。
 
 
>ただ、野蛮性と云うのは科学的に判定できないが、例えば、
 
 「日本人は食事で採るエネルギーを少しでも多く脂肪として蓄え様とする遺伝子を欧米人より多く持つと云われている。氷河期の過酷な環境の下でユーラシア大陸からアメリカ大陸、日本にたどりついた人々が身につけた
のが<倹約遺伝子>」
「獲物が採れず飢餓に陥っても、脂肪と云う蓄積したエネルギーを消費する生理的メカニズムがあったから、人類は長い氷河期を生き延びることができた」
 
>「その中でもさらに<過酷な飢餓に順応>すべく<接収した栄養を少しでも脂肪に蓄えようとした種族がいた」
「皮肉なことに、より少量の食糧でも生命維持に足る事になると、摂取した栄養をエネルギーに転化するインスリンの分泌量もより少量で足りる事になり、インスリンの分ぴ量少ない体質を併せて獲得した」
その様な倹約DNAと体質を持つ民族はイヌイットアメリカインデアン、ピマ族、日本人の順である。
 
 >日本人の3人に一人が今や節約遺伝子の持ち主であり、
「さらにブドウ糖を細胞に取り込んでエネルギーに利用するのを助けるインスリンの分ぴ量が欧米人に比べて半分程度しかない」日本人は栄養素から摂取したエネルギー源の糖分が尿に流失してしまう糖尿病になり易い体質を遺伝的に受け継いでいる。
「欧米人は長い肉食の歴史の中でインスリンを多く分ぴする体質を獲得したが、<日本人は飢餓の時代が長く、食べたモノをエネルギーとして消費せず、脂肪として蓄積する体質>を獲得した。」
 
>今一般的云われているのは日本には四季があって、歴史的に海の幸山の幸に豊富に恵まれていた、と。
コレは「日本人が飢えから解放された、僅かの間に、世界の「経済大国、果ては糖尿病大国」となった今でこそ言えることであって、日本民族の長い歴史に基ずく伝統的な食生活の上に形成されたDNA的体質は変更された訳ではない。
 基本的に日本の土壌は火山性の酸性土壌、アルカリ性不足で作物の生育に適さない。牧草を食む牧畜にも不適。カロリーの低い山や海のモノに頼るしかなかった。
 
 だから、急速な食生活の欧米化によって、高脂肪摂取によって、肥満体になると元々、遺伝的にインスリンの分ぴ量が少ない訳だから、エネルギー源の糖分が尿に流失していまう。
 
>次にアルコールを肝臓でまず最初に分解した際にできる毒素、アセトアルデヒトを無毒化するアセトアルデヒト脱水酵素の多少、有無からみても、日本人、韓国人、中国人は特異な存在である。
 
 アセトアルデキト脱水酵素は元来、人類は全て正常に持っていたが、中国人、日本人、韓国人といったモンゴロイド系の祖先において突然変異によって、肝臓のアルコール分解作用でできた毒素アセトアルデヒトの脱水分解酵素の低下、無が生じた。
ちなみに白人や黒人は100%毒素脱水アセトアルデヒトを有している。
アメリカインディアンやオーストラリア先住民でも脱水酵素の低下や無の確立は僅かと云う。
 
>以上のDNAからみても、日本民族の祖先がこの列島にたどり着き、ここで生活を営んできた人類史的な長い道程において、その過酷な生活環境が民族の体質にまで大きな影響を及ぼしたことが想像できる。
 
 保守的、伝統的な政治傾向と云うよりも、もっと、根深い遺伝子的要素によって、国家問題や民族問題、領土問題にナィーブに過剰反応してしまう民族的体質にあると云わねばならぬ。
 
 大きな視野でとらえられない。結果、民族としての道を踏み外す、危険性といつも隣接している、と云う事だろう。
 
>まして、この列島は気候と地殻の激烈な変動の凝縮点の如き地点に位置している事が、良きにつけ、悪気につけ、独特の民族性を形成している。
 
>この民族の政治のかじ取りは大変だと想う。
 
 指導層に、奥深い配慮がいる。それには日本に踏まえた良い意味での日本思想が求められる、と想う。
 
 今、それがどの程度あるかと云えば、指導層においても、国民レベルにおいても、語の真の意味において、不条理的現実だけは一杯ある、現状。
 
 だからダメだとは云わないが、進む方向の修正は決して効かないと感じる。
冒頭に記した縄文人の大変身は興味深い。
周囲に濠をめぐらせた稲作弥生人として急激変身した縄文人と狩猟漁労採取を糧とする縄文人の併存の様な状況が日本の将来において、発生したら、どうなるか。金融寡頭制と生産者層の対立と云う事態がTPPによって現出しないか?
 
  <追記>
 天皇制古代国家の大化の改新によるとされる公地公民制度は後の世の藤原氏摂関政治の正当化の意味合いが強く、実際に日本では中国の唐の様、中央集権的に実施されず、地元豪族の伝統的支配構造を朝廷中央が取り込んだ形態をとった。
 
 こういう古代中央集権制の辺境、日本における未完成が日本独自の先行的歴史形態である軍事貴族、武士の急激な台頭を生み平安末期の荘園公領制度と云う過渡的土地所有形態に至った。
 
 コレは守護、地頭の台頭はあっても鎌倉時代に継続する。
鎌倉幕府は自らの支配下の武士の土地所有の拡大も擁護したが、他方で、寺社貴族の権門の土地所有を擁護した。
 現時点の日本の歴史学界では従来の様な発展段階的歴史観への支持者減少し、権門体制論が主流となっている。
 
>悪党とは鎌倉幕府の崩壊的危機の時代における、前述の3重の土地所有形態の乱れに乗じた地元豪族層の土地所有拡大を目指した武力的蠢動と歴史的に位置づけられる。
寺社貴族の荘園土地所有形態に完全に最後の時を訪れたのは実に室町後期、応仁の乱の時代だった。
>ここから我々が学ぶのは日本歴史のおける<なし崩しの変化>である。
歴史教科書が云う様な革命的変化は実際の日本史ではない、と想って間違いない。相対立する陣営の戦いは中途で打ち止めになった。日本では最後までやる必要がなかった。
明治維新戦後民主主義をリアルに理解する上で一番、気に留めなければならない点がコレである。 
むしろ歴史の継承性が日本史を理解するポイントである。
私が現日本小市民間にある民主主義意識に疑いの目を向ける大きな理由はここにある。
日本国民の政治意識は<取扱要注意>なのである。簡単に後戻りする。