反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

明治初頭の一揆、内乱内戦、騒擾事件メモリーから、第1回の補足。植民地化過程の朝鮮側の主体的問題点は長く続き過ぎた李王朝の両班特権官僚支配層の民間への肥大化。日本韓国朝鮮の共通の歴史認識を探る。

 第1回の記事を書いたあと少し振り返ってみると、修正すべき点が出てきた。自分の基本的な考え方の根幹部分を蔑にしている。メモを見ながら書き飛ばしているから、どうしてもそういう雑なところが出てくる。
 
「1858年、日米通商条約の関税自主権の放棄、治外法権。欧州諸国ともめ事の時には米国仲介。不平等条約
1894年日清戦争勝利、ー1904年日露戦争勝利の過程で日本は同じ手法を用いて朝鮮を植民地化」
この部分は完全な説明不足。
 
>日清日露戦争前後の朝鮮半島の日本を含む外国勢力と現地政治の絡み合う政治過程をリアルに検証しているかどうかが、日本と韓国朝鮮の各々の在り方と相互関係を理解するポイント。
 
 このリアルな軍事政治過程は1910年の大韓帝国日本併合に着地せざる得なかった。
韓国朝鮮側からこの軍事政治過程を今振り返っても、おそらく断腸の思いがするだろう。
 
 が、僭越ながら、そこに踏みとどまって良いのだろうかと云う主体側の問題があるのでは?
 
 >朝鮮、韓国史にちょっと触れたモノでも簡単に気付くことがある。
 
 1392年(室町幕府将軍、足利義満の死と同年)李王朝を開闢した開祖、李成桂の権力掌握の手口は1582年の豊臣秀吉の中国がえしと全く同一のモノで、前線での戦闘の任務を帯びた強力な精鋭軍団を体制混乱に乗じて、そっくりそのまま、軍事政権確立のために転用したモノである。云わば一番手っ取り早いクーデターである。
 
 古今東西、こうした原始的武力方式で確立した政権は全国?的合意形成が最後までなされず、強力な反対勢力によって淘汰されてきたのである。日本おける一代限りの豊臣政権しかり。
対抗する反対勢力との一大武力衝突による政権に内在する問題の解決が図らててきた。
戦乱の時代に相応しい内乱内戦による歴史的進歩が勝ち取られてきた。
 
 日本のパックストクガワーナ政権は長期の戦乱の政治軍事過程が生み出した歴史の進歩であった。
正(信長の天下布武=全国武装制圧)ー反(秀吉の臨時革命政府)ー合(徳川長期政権による近世中央集権的封建体制)の順当な普遍的過程が進行したのだ。
 
 >ところがどうした事か、李王朝は1910年の大韓帝国の日本併合(植民地化)まで、実に518年間も曲がりなりにも、巨大半島を支配し、支配層を形成してきた。
 
 この長期の歴史過程に置いて支配体制は中国型の王朝とその支配を護持する文官貴族層両班ヤンパン)の支配体制として、500年も継続した。
 
 この500年継続の体制は、朝鮮半島の政治経済を納めるのに適合するものであったかもしれないが、欧米の凶暴で先進的な政治軍事経済の中から生み出された産業力、軍事力、政治力に対して強固、かつ柔軟に対応するフレキシブルさを内在していなかった。
 
 中国に典型的な文官官僚専制支配体制はあらゆる分野で<アジア的停滞を生む>。平和な腐朽過程が歴史的に温存され、やがて国民レベルに肥大化する。
 1910年大韓帝国併合に至る韓国朝鮮史の側から見た最大の問題点はここにあると考える。
 
>今、韓国と日本の間には竹島=独島を巡る紛争がある。
 
 この問題を日本人が韓国史から考えていく場合、朝鮮戦争前後の李承晩大統領の対北、対日本、あるいは自民族への20万に及ぶ大量虐殺などの硬直した強硬姿勢も視野に入れなければ、ならないのは明白。
 
 大海の真ん中のちっぽけな何もない孤島、独島を日本で云えば富士山の如く韓国支配層が国民感情を煽るのは筋違いではなかろうか。
 
>それは一見勇ましい民族主義の様だが、結果的にアメリカの東アジア分断支配を固定する事大主義ではないのか。19世紀から20世紀初頭の日本を先頭とした外国勢力に乗じられたのは停滞文官専制支配体制とその崩壊過程がもたらす外国勢力依存の事大主義によるのではないか。
 
 韓国朝鮮民族にとって日本の富士山に相当するのは、白頭山ではないのか。
韓国朝鮮民族アメリカの東アジア分断支配を超えて民族を統一することが大事ではないか。
西ドイツが東ドイツに取った政策は参考になると想うがどうだろうか。
 
>韓国は目覚ましい経済発展を遂げて今日に至っているが38度線の向こう側では、戦前戦後の朝鮮史の否定的傾向をまともに継承した様な王朝的官僚軍事専制支配体制が存在する。
食糧とか基礎的経済物資の援助を外国に要求しなければならない様な国情、民情の中で核搭載の長距離ミサイルを開発するのは統治者としてとんでもない転倒であるが、こうした政治軍事をやっているのは同じ民族なのである。
為政者として独島を煽るよりも、やるべきことはもっと他にある。
 
 やっている事は李承晩と同じ政治路線であり、朝鮮戦争後の韓国保守主義の源流に回帰する政治反動そのものである。
 
 韓国経済は曲がり角にあり、インフレと交易条件の悪化で財閥系輸出企業は生産量の量的拡大はあっても
収益性が悪化している。
金融資本における外資の占める割合は多過ぎて、国民の労働は頂点から生き血を吸われている様な状態である。非正規雇用は慢性的になっている一方で、国民間の生活競争圧力は高まったままだ。
社会にストレスが充満して、強烈にはけ口を求める。
 
 イミュンバク大統領の様なアメリカCIA要員かどうかも定かでない政治家は、こうした状況にアメリカの利害を念頭に暗躍する。
 
 以上は現在の日本も似たようなところがある。 
 
 
 >>では日本の立場からどうなのか?
 
 いやこういう課題の提出自体が間違っている。
こういう領域の問題に関して、日本の政治家は別次元に存在していると考えたほうが良い。
 
 だから、日本の庶民、市民、国民としてどうなのかと云う事だ。
 
19世紀末端から20世紀初頭にかけての朝鮮半島におけるリアルな軍事政治過程に沿って、一つ一つの事態、事案を検証してみると、日本政府と軍隊をやった行為は卑劣な騙し討ち、やり過ぎそのものである。
目先のことしか考えてないとしか言いようがない。
 
 こういう事を隣国とその民族にやれば必ず、しっぺ返しが来る。その歴史的理解がない軍人たちが日本の政治の中枢を占めていた。それが明治維新政府の内実だ。
 
 それは日本の戦国時代の野蛮な計略と大した違いがない。
要は日本側に経済的文化的政治的力量が備わっていないのに背伸びをして欧米の植民地主義の真似をしていた。分不相応だった。
 
 >さらにいえば、戦費調達のためにヨーロッパ、アメリカの金融界を掛けずり回ったが、ロンドンとニューヨークのユダヤ金融しか相手にされず、結局、彼らの資金を導入している。
ユダヤ金融のカネで戦争をして、国民の流した血によって、多額の利子を還して彼らを肥え太らせるなんて、死の商人の手先に国民を仕立て上げる様なモノで、真っ当な人間のやることではない。
 
 高橋是清と云う経済主義者である。
最後に海軍軍人のテロによって惨殺された。存在の卑劣さが、激しく憎まれたのである。
こういうモノを今になっても崇める経済通がいる。
 
 結果的に日本は日清、日露戦争に勝利して資本制的に発展していくが、この歴史過程は裏面からみると、国民の流した汗と血によって、ユダヤ金融や先進国金融を肥え太らせたようなモノである。
歴史には表もあれば、裏側もある。表裏が一体となって、始めて歴史である。
 
 >幕末、明治初頭の一揆、内乱内戦、騒擾事件に拘るのは、明治政府が血ぬられた激闘の中で誕生し、民衆闘争を剥き出しの暴力装置の発動によって圧殺する事によって、民衆側に天皇制への恐怖心を植え付けようと一貫して意図してきたと看過するからだ。
この次元の問題点は抽象的な言葉で説明しきれない。具体的な歴史事実を提示する中でまさに,,<理会>するのだ。
 
 >ウィデペギアの戊辰戦争明治維新の説明に次の様な文言がある。
戊辰戦争を経て権力を確立した明治新政府により行われた諸改革(明治維新)によって、近代的な国民国家の建設が進んだ」
 
 この説明者は商品の中身を説明しないで、包装紙の説明をしているが、まだましな方である。
と云うのは
戊辰戦争は将来の絶対政権の確立を目指す天皇政権と徳川政権の戦争」と云う歴史観点から、戊辰戦争の概略を提示しているからだ。二重権力状態が内戦によって決着された、と云いたいのだ。
幕末から明治初頭にかけての歴史的事実を隠ぺいしようとはしていない。
 
>ところが、この説明者は公平を期すため、別の説明も載せている。
「日本の統一を巡る個別所有権の連合方式と、その否定及び天皇への統合を必然化する方式との戦争」。
コレで一体何が解るのか、歴史的事実をワザと紛糾させている様なモノである。
 
>幕末から明治初頭にかけての歴史的事実の中に近代の天皇制誕生の秘密がある。
ここが支配層の歴史観の一種の弱点となっている。司馬遼太郎の史観はこの血ぬられた時期をパスするか一方的な統治者の立場から説明する。
 
>私の個人的な考えでは戊辰戦争とは支配層同士の内乱内戦である。
民衆騒擾事態を潜りぬけて確立しようとする政権は絶対主義政権である。
 
 絶対主義を説明する場合、ヨーロッパの典型を持ち出すのが通例だが、歴史的発展段階に周回遅れのある日本に欧州の事例は当てはまらないし、個別日本史に厳密な歴史概念の適応は必要なく、出来上がって行く権力のアウトラインが明らかになっているだけでよい。
 
>諸改革は所謂ブルジョア改革である。が、日本に改革を担い推進するブルジョアジーは存在しない。
旧支配層の一部が下剋上的に権力を手に入れた。
その事による政権の視野の狭さ限界性があり、後にきっちりと歴史の万力によって帳尻が合わせられた。
犠牲者は国民である。
 
>日本の資本制の出発点は日清戦争勝利のよる賠償資金獲得、日露戦争勝利による朝鮮半島での支配権の確立であり、ここまでの期間を日本資本主義の原始蓄積期とみる。
 
>従って、敗戦日本資本主義の復活が朝鮮戦争の特需によってもたらされた様に、明治日本資本主義の形成期において、経済外的過程である、東アジア植民地戦争の果たす役割は巨大なモノがある。
>以上の歴史観点は東アジア諸国民との歴史的対話の日本側の共通尺度の提出に少しは役立つ、と考える。