第1回の記事を書いたあと少し振り返ってみると、修正すべき点が出てきた。自分の基本的な考え方の根幹部分を蔑にしている。メモを見ながら書き飛ばしているから、どうしてもそういう雑なところが出てくる。
この部分は完全な説明不足。
このリアルな軍事政治過程は1910年の大韓帝国日本併合に着地せざる得なかった。
韓国朝鮮側からこの軍事政治過程を今振り返っても、おそらく断腸の思いがするだろう。
が、僭越ながら、そこに踏みとどまって良いのだろうかと云う主体側の問題があるのでは?
>朝鮮、韓国史にちょっと触れたモノでも簡単に気付くことがある。
1392年(室町幕府将軍、足利義満の死と同年)李王朝を開闢した開祖、李成桂の権力掌握の手口は1582年の豊臣秀吉の中国がえしと全く同一のモノで、前線での戦闘の任務を帯びた強力な精鋭軍団を体制混乱に乗じて、そっくりそのまま、軍事政権確立のために転用したモノである。云わば一番手っ取り早いクーデターである。
古今東西、こうした原始的武力方式で確立した政権は全国?的合意形成が最後までなされず、強力な反対勢力によって淘汰されてきたのである。日本おける一代限りの豊臣政権しかり。
対抗する反対勢力との一大武力衝突による政権に内在する問題の解決が図らててきた。
戦乱の時代に相応しい内乱内戦による歴史的進歩が勝ち取られてきた。
日本のパックストクガワーナ政権は長期の戦乱の政治軍事過程が生み出した歴史の進歩であった。
>ところがどうした事か、李王朝は1910年の大韓帝国の日本併合(植民地化)まで、実に518年間も曲がりなりにも、巨大半島を支配し、支配層を形成してきた。
この長期の歴史過程に置いて支配体制は中国型の王朝とその支配を護持する文官貴族層(両班ヤンパン)の支配体制として、500年も継続した。
この500年継続の体制は、朝鮮半島の政治経済を納めるのに適合するものであったかもしれないが、欧米の凶暴で先進的な政治軍事経済の中から生み出された産業力、軍事力、政治力に対して強固、かつ柔軟に対応するフレキシブルさを内在していなかった。
中国に典型的な文官官僚専制支配体制はあらゆる分野で<アジア的停滞を生む>。平和な腐朽過程が歴史的に温存され、やがて国民レベルに肥大化する。
>今、韓国と日本の間には竹島=独島を巡る紛争がある。
大海の真ん中のちっぽけな何もない孤島、独島を日本で云えば富士山の如く韓国支配層が国民感情を煽るのは筋違いではなかろうか。
>それは一見勇ましい民族主義の様だが、結果的にアメリカの東アジア分断支配を固定する事大主義ではないのか。19世紀から20世紀初頭の日本を先頭とした外国勢力に乗じられたのは停滞文官専制支配体制とその崩壊過程がもたらす外国勢力依存の事大主義によるのではないか。
西ドイツが東ドイツに取った政策は参考になると想うがどうだろうか。
食糧とか基礎的経済物資の援助を外国に要求しなければならない様な国情、民情の中で核搭載の長距離ミサイルを開発するのは統治者としてとんでもない転倒であるが、こうした政治軍事をやっているのは同じ民族なのである。
為政者として独島を煽るよりも、やるべきことはもっと他にある。
韓国経済は曲がり角にあり、インフレと交易条件の悪化で財閥系輸出企業は生産量の量的拡大はあっても
収益性が悪化している。
社会にストレスが充満して、強烈にはけ口を求める。
以上は現在の日本も似たようなところがある。
>>では日本の立場からどうなのか?
いやこういう課題の提出自体が間違っている。
こういう領域の問題に関して、日本の政治家は別次元に存在していると考えたほうが良い。
だから、日本の庶民、市民、国民としてどうなのかと云う事だ。
19世紀末端から20世紀初頭にかけての朝鮮半島におけるリアルな軍事政治過程に沿って、一つ一つの事態、事案を検証してみると、日本政府と軍隊をやった行為は卑劣な騙し討ち、やり過ぎそのものである。
目先のことしか考えてないとしか言いようがない。
こういう事を隣国とその民族にやれば必ず、しっぺ返しが来る。その歴史的理解がない軍人たちが日本の政治の中枢を占めていた。それが明治維新政府の内実だ。
それは日本の戦国時代の野蛮な計略と大した違いがない。
要は日本側に経済的文化的政治的力量が備わっていないのに背伸びをして欧米の植民地主義の真似をしていた。分不相応だった。
高橋是清と云う経済主義者である。
最後に海軍軍人のテロによって惨殺された。存在の卑劣さが、激しく憎まれたのである。
こういうモノを今になっても崇める経済通がいる。
歴史には表もあれば、裏側もある。表裏が一体となって、始めて歴史である。
>幕末、明治初頭の一揆、内乱内戦、騒擾事件に拘るのは、明治政府が血ぬられた激闘の中で誕生し、民衆闘争を剥き出しの暴力装置の発動によって圧殺する事によって、民衆側に天皇制への恐怖心を植え付けようと一貫して意図してきたと看過するからだ。
この次元の問題点は抽象的な言葉で説明しきれない。具体的な歴史事実を提示する中でまさに,,<理会>するのだ。
この説明者は商品の中身を説明しないで、包装紙の説明をしているが、まだましな方である。
と云うのは
幕末から明治初頭にかけての歴史的事実を隠ぺいしようとはしていない。
>ところが、この説明者は公平を期すため、別の説明も載せている。
「日本の統一を巡る個別所有権の連合方式と、その否定及び天皇への統合を必然化する方式との戦争」。
コレで一体何が解るのか、歴史的事実をワザと紛糾させている様なモノである。
>幕末から明治初頭にかけての歴史的事実の中に近代の天皇制誕生の秘密がある。
>私の個人的な考えでは戊辰戦争とは支配層同士の内乱内戦である。
民衆騒擾事態を潜りぬけて確立しようとする政権は絶対主義政権である。
絶対主義を説明する場合、ヨーロッパの典型を持ち出すのが通例だが、歴史的発展段階に周回遅れのある日本に欧州の事例は当てはまらないし、個別日本史に厳密な歴史概念の適応は必要なく、出来上がって行く権力のアウトラインが明らかになっているだけでよい。
旧支配層の一部が下剋上的に権力を手に入れた。
その事による政権の視野の狭さ限界性があり、後にきっちりと歴史の万力によって帳尻が合わせられた。
犠牲者は国民である。
>従って、敗戦日本資本主義の復活が朝鮮戦争の特需によってもたらされた様に、明治日本資本主義の形成期において、経済外的過程である、東アジア植民地戦争の果たす役割は巨大なモノがある。