反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

竹島、尖閣、領土問題は先進日本の金融寡頭支配の進展による非民主化すう勢と、韓国中国の後発国の大衆民主化のミスマッチによって、激化する。尖閣では小軍事衝突を日米中支配層は織り込み済み。

 日本では韓国のイミョンバク大統領、竹島=独島訪問、中国香港の民間活動家の尖閣島上陸がマスコミによって大きく報じられ、世論?が沸騰気味である。一昨年は尖閣列島付近で操業中の中国漁船の拿捕、連行事件が発生している。その間にロシア首相の北方4島訪問が実行された。
 
 NHK報道には、これら、相次ぐ一連の事件は日本政治への揺さぶり、というフレーズがあった。
 
 確かに日本バブル崩壊後の経済の低迷、米国バブル崩壊、を受けての政権交代への根拠薄弱な期待と、戦後的支配機構の日本的保守主義による過剰な動揺、そこに加重する大震災、原発事故、さらには財政問題、戦後60数年の日米関係の着地点=TPP参加問題の噴出。
それと対称的な東アジア近隣の韓国、中国の経済成長という日本社会全体を覆う漠然とした認識がNHK報道のフレーズにストレートに反映している。
 
 また、韓国中国の急速な経済発展によって戦後日本の復興、高度成長、経済大国化を跡付けてきた戦後日本固有の経済主義興国イデオロギーの動揺が見られる。
 
 現在に至るまで、大方の日本人は経済力の優位性とマッチングした政治力が備わっているとは見なしてこなかったが、経済的優位性=経済大国化をその埋め合わせとして充足してしてきた感がある。
が、それが東アジアの隣国のあっという間の経済成長によって揺らいでいる。
 
 だったら、戦後のこの歴史過程は何だったのだろうかと云う疑問は、どう云い繕っても、国民的イデオロギーの問題として自然とわき起こってくる。
資本制支配の根幹は直接の強制ではなく、経済隷属による頭の中の支配だから、国民規模での価値観の揺らぎは、支配層の支配の動揺に転化する。同時に先進国においては金融寡頭支配の強化=非民主化の大きなステップボードになる。(説明は後ほど)
 
 経済成長それ自身に過大に国家的民族的に意味扶養する価値はあったのだろうか?
現代資本制では本質的に条件さえい整えれば、世界中どこでも、経済の高度成長は可能だった。
だとすれば、その過程におけるなりふり構わぬ努力の価値は日本人が固有に独占できるモノではなく、世界中に平準化される本質のモノだった。今、領土問題に置いて日本に攻勢をかけてきている感のする韓国や中国はこの段階にある。金融寡頭制の進展と民主主義が並走している。特徴は共になりふり構わないと云う事だ。
 
 >クォリティーは資本制の競争下に置いては生産されるモノに反映されるが、そこで得られた対価は多数の国民の生活に反映されて、本当の国富となる。コレが先進国の今まで辿ってきた資本制の基本コースだった。
 
 >>が、あらゆる意味で恵まれて、先進諸国の中で国民的富の分配と云う意味では真逆のコースを辿ってこれた米国は、云わば、
1)イギリスの産業革命に始まる産業資本勃興時の<原始的資本制の精神と制度の残滓>を引きずって、
2)帝国主義の時代の争闘戦に置いては反人類的な原爆投下にまで至る凶暴な最終勝利者として潜り抜け、
3)自ら極大化させたアングロサクソンユダヤ金融寡頭制モデルを、
軍事力、政治力を梃子に世界基準として強要している。
 
 >東アジアの韓国、中国、との領土をめぐる軋轢は冷戦時代や両国の独裁体制が打ち固められている時代は内にくすぶっていたが表面化していなかった。
ロシアとの領土問題でも日本漁船の拿捕事件は多発していたが、北方領土を首相が訪問することはなかったはずだ。
その時代の日本では今ほど金融寡頭支配の進展はなく、戦後民主主義が制度、実体、空気として存在していたが、当事国の強権政治によって、その方面の国民の声が封殺されていることを幸いに、自ら進んで問題提起できるだけの国民のコンセンサスはなかった。確かに戦後的一国平和主義による原爆投下を頂点とした被害者意識に溢れ敗戦帝国主義国民としての冷戦構造を超える突き詰めた認識と行動が足りなかった。
冷戦構造の反映である保守と革新の合同という55年体制の東アジア戦災国と国民に開かれていない内に閉じられた円環構造を形成していた。
平和主義一般ではなく具体的歴史的事実が問題にされ出したのは高度成長が終焉した70年代中期以降だった。遅すぎた。
 
 
>>アングロサクソンユダヤ金融寡頭支配の世界化のすう勢の特性は地球規模の過剰資本、過剰生産による急速な経済成長とあらゆる分野での格差の拡大だが、先行する先進諸国おいては、金融寡頭制の一層の強化による<政治の非民主化と経済の独占化>をもたらし、後発諸国に置いては<政治の民主化と資本蓄積構造の強化>を招く。
民主主義と経済の成長は地球規模で不均衡になる。
 
 ロシア、韓国、中国の領土問題における積極姿勢はそれらの国における金融寡頭支配の進展に伴う民主主義のリアルな政治過程を政治家が先頭に立って担わざるが故に発生している事態だ。そこにあるのは良くも悪くも各々の経済状況に相応しい大衆民主主義である。
 
>>経済成長になりふり構わない事態は政治に置いては民主主義のなりふり構わない事態と並走していく。
 
>そして、後発国の金融寡頭制の成長過程に並走する、なりふり構わない民主主義に対応するのは、金融寡頭制の深化した先進諸国の非民主政治と経済の独占化である。
ここにおいてかなりの期間におけるミスマッチが厳として存在し、金融寡頭制の急速な世界的進行の不可避性から、この矛盾は増大していく、とみる。
 
>こうして先発国の強化していく非民主主義政治と後発国のなりふり構わない民主主義的政治のミスマッチは領土問題をますます第一級の国民的政治過大に押し上げ、互いに激突せざる得ない。
 
 軍事衝突は竹島=独島では発生する必然性にないが、尖閣での演出的軍事衝突は日米中支配層にもはや織り込み済みであろう。国家共同幻想による国民統合の強化は多数国民の反抗を抑え込み、強収奪を可能とする古くて新しい支配層としての立場を維持する常套手段である。
「諸君!大砲を撃てしからば、国民は団結する」。戦争を繰り返してきたヨーロッパの諺。
 
 その間に流される血と激憤をも梃子として、金融資本の寡頭支配のすう勢だけは着々と進行深化していく。
戦争は政治の継続であり、何ら驚くに当たらない。
 
>云い換えると、歴史的に後退するアメリカの経済覇権の維持には、こうしたすう勢に竿指し、政治過程の激化から戦争的事態の発火を演出し、世界に突出した軍事力を指示し、経済的権益を掴みとるしか他に方途はない。ただし、自分からは動かず、日本をかませ犬とする小戦闘に終わる事だけは間違いない。そうしないと東アジアのハブとしての管制高地は維持できない。
>事件で尤も得をしたモノが真の犯人である。
 
 東アジアの軍事的緊張は先発したが追い上げられている米国とその世界政略の一部を肩代わりする戦略のなかで支配層としての己の立場の維持を見出すしかない日本支配層の大きく踏み出した軍事冒険政治に、必要不可欠な事態である。
アジア諸国民が仲良くしてもらっては困るのである。
国家主義幻想と分断支配の中で多数国民の本当の立ち位置を忘れさせたい。
そうすれば支配を維持できて、強収奪できる。
この支配層としての基本的立場に日中米韓露に大きな差はない。
 が、こういう関係から最も利益を引き出すのは米国である。
米国本土は太平洋の遥かかなた。世界戦争で勝ち取った歴史的権益として、東アジアに強大な橋頭保を築いているにすぎず、究極的には、米国民は紛争当事者でない。
 
 >日本の支配層が核武装を視野に入れざる得ないのは、米国に従属して覇権を求めざる得ない戦略的狭窄状態を自覚しているからだ。
良~く考えると日本はこの先、今の国家間の対立が偽の対立であると察知しているので東アジアで一歩間違うと、これまで以上に孤立する可能性もありうるので、それが怖くてのなりふり構わぬ日米同盟への固執核武装の選択肢を絶対に確保したいのだ。
 
>東アジアで問題になっている領土がどこに属しているかなどと云う事は、支配層としての「大局的見地から」
野田首相のAIPEC中韓首相への発言)枝葉、あくまでも政治手段の具なのだ。
大騒ぎしたい方はどうぞご自由に!