反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

尖閣島など領土問題はイロイロ多方面に渡って、考える契機になる。

 昨夜、NHKラジオのニュースでは、尖閣諸島の領海内に日本政府の尖閣島国有化を受けて、中国の海洋調査船20隻が7時間余りに渡って侵入した、と報じていた。
 
 嗤えるのは、中国は周辺のフィリピン、ベトナムとも領土紛争を抱えている、とか云ってあたかも東アジアに置いて現中国政府だけが、周辺諸国との紛争を引き起こしている、かのような印象報道になっている。
が、振り返ってみれば、我が日本もロシア、韓国、中国の周辺諸国と軒並み領土係争中なのに、自分たちの現状はシッカリと、スルーしている。
 
 我が身を振り返らず他を云うのは中国の海洋方面の領土問題を報じる時のNHKの定番の報道姿勢で、その根底の認識には中国軍事力増強による太平洋方面への進出と云う構図がインプットされている。
それに対抗して我が方は日米同盟で尖閣島を最先端とする、南西島嶼部の防衛体制を強行に打ち固める、と云う訳だ。
 こういう報道を戦前お馴染みの帝国に寄りそった報道と云う。紛争にマスコミ自ら油を注ぐ、パターンであるが消火活動はおろそかにさて行き、時代風潮を形成する。
眼下にある事態が正邪紆余曲直、正義不正義が争われていると見なしたら大間違いである。
あくまでも歴史を含んだ内外政治の延長での紛争である。
 
 今の自国や世界、東アジアの状勢下では中国当局の軍事力増強は止むことはない。
 
日米韓軍事当局は中国本土への軍事的圧迫を戦略的に追及しており、そのあからさまな意図を何ら隠さず、公然化し、そのための演習をし、実行する共同軍事配置を追及している。
 
 イミョンバク韓国大統領の独島=竹島訪問はオスプレイ配備を進める日米政府に対する沖縄を先頭とする日本国民の大きな反発が発生している時期に敢行されている、のは偶然ではないとみる。
 
 自ら動いて、日本国民の領土問題への激烈な反発を巻き起こし、オスプレイ忌避感覚を分散、溶融させる。
 
 天皇発言まで踏み込んでいるところが怪しい。
そこまで念を押せば、前後不覚になって、激憤する日本国民の特性を熟知している。
 
 マッカーサー天皇を敗戦日本のスムーズな統治に利用した事を引き継いでいる感がある。
そうすると、突如の竹島訪問はアメリカCIAの匂いがたちこめる。
 
 要は竹島訪問は日韓両国民多数にとって、領土をめぐる感情の領域の問題だが、政治支配者にとっては政治の一環であり、その材料に過ぎず、少なくとも先に仕掛けた方にはハッキリとした政治目的がある。
 
 また、民族血みどろの朝鮮戦争を潜りぬけ南北民族分断の対北の最前線で在り続ける現状のリアルな韓国の立場からの、日本の平和主義への、歴史的に形成された本能に似た苛立ちも想定できる。
 
 >この辺の政治軍事本能を戦後の竹島日本領土を声高に主張する人たちも理解できない。
 
 日本の民族主義者と韓国中国の民族主義者とは質が違う。
 
 前者に現支配体制変革の要素はないが、後者はエネルギーの発露の先が間違えば、支配者への刃になる可能性を潜在させている。
 
 後者の民族主義は半植民地、植民地における抵抗、民族自立、解放の渦中から生まれた民族主義を含むが、日本の民族主義形成過程は東アジア諸民族への日本の軍事的政治的抑圧の歴史と一体化してきた。
 
 一言でいえば、東アジアの抑圧民族としての刻印を押され成長せざる得なかった日本の抑圧的民族主義と被抑圧民族の自立と抵抗の形成過程を持つ被抑圧的民族主義の次元の相違である。
 
 >そう考えていくと後先を考えず、日本民族主義が増長していくと、日本の国益と安全を犯す契機を提供することになりかねない。
 
 なぜなら、戦前の日本民族主義はアジアでは肩を並べるモノのない強大を誇った日本軍の軍事力と共にあり、東アジアの諸国民は半植民地、植民地状態にあったが、今はまるっきり違う。
 
彼らは大きな軍事力を持った独立国で十分な経済力も持っている。中国に至っては核武装の歴史が長い国連常任理事国
彼らに対抗する日本の頼みとする米国と彼らの関係は中国とは経済関係だけだが、韓国とは軍事同盟関係でもある。
 
 日本は東アジア情勢の重要なプレイヤーであることは間違いないロシア、北朝鮮のカードは一切持っていないばかりか敵対関係にすらある。
そうすると日本は政治的軍事的力学として、独自戦略性を展開する力が極端に制限せれて、米国の戦略の方向に押しやられざる得ない。
 
 所が、こういう関係の中で、肝心の米国はどう立ち回るか、言葉と、目先の行動とは裏腹に日本にとって不鮮明ば部分がある。
一番ハッキリしている事は太平洋を隔てて遥かかなたの米国国民にとって、東アジアの情勢は直接的利害関係はなく、災難は及ばない、と云う事だ。
米国が未だ強大であった冷戦時代のベトナム戦争は兎も角も、アフガン、イラクへの大規模な軍事介入から出兵は9、11ニューヨーク事態へのリアクションであった。
 
 国民を基礎にする米国当局はまず何よりも自国の利害最優先で行動する。
 
 戦後の米国の軍事行動の特徴は弱い相手との戦争であり、朝鮮戦争で中国が出てきたら、戦線こう着状態から休戦している。地上戦による面への制圧力に伝統的に弱点を抱えている。
実際にベトナム戦争の最盛期に50万の大軍を投じ、最終段階では米軍関係軍属は大使館の屋上からヘリで脱出した。
従って、よほど天地のひっくり返る様な事件的契機がない限り、介入はない、とみる。
 
 >が、かつての冷戦体制によるソ連東欧包囲網の様に中国政治軍事包囲のシフトから中国を圧迫する戦略を追及しているのも事実。
その体制の中で、相対化する経済力をカバーする経済利益を得られると云う判断があるからだ。
米国の東アジア戦略の主たる目的はここにある。
 
 その際、一番都合は良いのは同盟国同士をけん制させて、連携させず分断しつつ、軍事的にだけ米国中心に協調させる。
この意味で 東アジア共同体構想とか日本独自の国家戦略など以ての外である。
政権交代直後の米国と日本支配層のなりふり構わぬ突撃振りは今も記憶に新しい。
 
 日本のTPP参加による帰趨は、東アジアに展開する集団的軍事戦略に拡大した日本従属覇権下の日米軍事同盟の現状の経済拡大版に着地することは明らかだ。
 
 ところが、遠く太平洋を隔てた米本土から、出張してきているアメリカとは日米同盟とその経済的最終着地点=TPPで一体化=「解国」し、本来の生息生活圏であるはずのユーラシア大陸方面とは全てもめ事を起こしている。
 
 一方における戦後日米関係のトドノツマリの着地=TPPによる米国への解国的事態と、日本本来の生存、生活圏とのかい離。
他方において、東アジアの米国のハブとしての各国分断を前提とする米国プレゼンスの上昇と一体、不可分なパッケージとして進展深化している。
 
 哀れだ。
 1985ニューヨーク、プラザホテルに集合したG5首脳の合意で手取り、足とり、バブル経済の起こし方を教授され、その挙句、キッチリ歴史的経済大混乱を招き、以降、経済停滞継続で、小泉純一郎による年次要望書の忠実な実行。
 
 その現実を目の当たりし、かつ痛みに耐えかね、米国バブル崩壊もあって、戦後初の有権者自主選択の民主党政権を国民が選択したと想ったら、日米支配層の総攻撃にあって、戦意喪失転向で、恭順の意をアカラサマニ示した事に加えて、
大震災原発事故の日本有史以来の未曽有の天と地と水の超ド級の怒りの鉄槌が下った。
 
 ただでさえ、政治的に軟弱な単純な国民の意識はどこかへ飛んだ。
が、心配しなくとも来る総選挙の結果がすべてを語る。
 
 支配層もかなり慌てていた様だから、2011年の各種の官僚報告書を読めば、日本支配層の今後の目論見がアカラサマニ語られている。
難しい語句を駆使しての誤魔化しが少ない。落ち着いてまた元に戻っているのと比較すれば、面白い。
日本残存国民はあくまでも統治の対象に過ぎず、上澄み部分は海外展開して、カネを稼ぎまくれと。(外務省、経産省横浜AIPECに向けた資料より)。
 
 中小零細資本、可能なあらゆる職種が海外に出て行けこぞって海外にでて行けば、日本に税金は落とさない。
国民経済を円滑に回して、国民福祉の向上を測るなんて観点は私が読んだ限り皆無だった。
高級、世界倭寇願望だ。
 
 中国、インドに関しても凄く大胆な見方をしている。
17~18世紀に巨大な人口扶養力の在った帝国の再勃興。それなりに醒めた長期スパンのなかの展望である。
 
 しかしそれなのに、摩訶不思議、不条理、歪な事に基本政治の方向性は、人間は飯を食わなければ生きていけないと云う、理念以前の動物的現実を蔑にして、工業製品の生産で生きていける、とする大きな勘違いの現状にある。
 
 今でも戦略的フリーハンドが少な過ぎなのに、TPPによって食いぶちを抑えられたらどうなるか?
 
 そもそも、大戦終了後のフランスイギリスの石炭、鉄鋼共同体に端を発したEU通貨危機の様な一端、大事あれば、もめにもめている。
 
 いわんや大した歴史交流のない国が一杯緊急に詰め込まれ、特殊国家の満載の急進経済圏TPPが上手く機能する訳がない。
 
 アジアの成長を取り込むたって、肝心のアジアの潜在的成長市場国は選りすぐって除外されているありさまである。
除外された韓国、中国、台湾、インドネシア、インドの人口トータルはザット見積もっても25億人で、地球上の人口の3分の1。
 
 情勢不安定な東アジアを臨み日本に精鋭部隊を軍事駐留させ、経済規模が2倍以上の米国とのTPPと仏独のバランスを中核とするEUと比較するとその歪さが解る。
 
 EU経済危機に際して日経新聞社説は財政統合も視野に入れなければ、などと論評していたが、このヒトたちは解っている様で肝心な政治のど真ん中の事を蔑にしている。
財政主権を手放したら、国はいらなくなり、政治家や官僚も失業する。国民も究極の処、文句を言っていく場がなくなる。
 
 コレって国家論、権力論のリアル性なきアナーキストの主張である。
資本主義の無政府性の本質も極まれり。完璧な経済アナーキストであり、金融寡頭制の思想である。
この種の奴らがTPPの音頭をとっているかと想うとぞっとする
 
>他方、日本の領土紛争の相手国も個別に取り上げてみると、摩訶不思議、不条理、異常極まりない現状がある。
 
 こうして日本と取り巻く国々をぐるりと、見渡していくと、ある意味アメリカだけが人間の生存次元に政治が留意している国なんじゃないかと、思えてくるから、不思議。
 
 そいう云う訳で、コレからの日本を取り巻く環境は厳しい。
 
 何度も繰り返している様に戦前、イタリア、ソ連より工業生産指数に劣って、第一次大戦後の軍備増強の割り当て置いては米英5仏3日本3、イタリア1、5の歪な軍事大国、日本の戦後急速な経済成長は一定の環境に恵まれていたモノとい合わざるない。
 
 冷戦体制終了、米国一極支配崩壊、新興経済国の台頭。この世界情勢が進展していけばいくほど、戦後、経済成長一本やりを国是としてきた日本の経済力の後退は避けられない。
因果応報なのである。
 
 が、軟着陸がTPPでは国民にとって、胴体強行着陸の如き衝撃を与える事だけは間違いない。
 
 支配層と日本国家がどうなるかって?
彼らは同じ飛行機に載るつもりはない。
予め飛行機の故障を知っているから。
 
だからこそ、自分たちの身の安全を確保するため、この期に呼んでの消費税増税、TPP の決める政治なのである。
税の専門家が云っていた。
日本の当局は税収はヨーロッパ流の増大を目指し、歳出は米国の小さな政府指向。
取るモノ採って、分配しない。
財政介入後の所得配分の世界統計にその傾向はハッキリと示されている。
上に過酷な政策あれば、下?は対策を講じるしかあるまい。