反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

孫崎享著「戦後日本の正体」を読み解く。ー残存日本国民多数はもはや、日米支配層の収奪と統治対象物に過ぎない。が、情報シャワーを浴び過ぎて、勘違い。誰が得をし誰が損をするか。

 孫崎享さんの「戦後日本の正体」の見本が岩上安見サイトに出ている。
全ページ数はあとがきも含めて360P余りで、今回読めたのは第一章の「終戦」から占領へ、の部分だけ。
それでも88Pもある、処がこの本のポイントの様な気がする。
 
 第二章、冷戦の始まり、から~第七章までは読めない。
特に第五章、第六章、第七章は孫崎さんの現状認識に関わる部分が語られていると想われるので読んでみたい。
タイトルと本文紹介を見ただけで興味をそそられる。
 
第五章、自民党と高度経済成長。
 >安保騒動の後、1960年代に日米関係は黄金期を迎えます。高度成長期も迎え、安全保障の問題は棚上げにされる事になりました。
 
第六章、冷戦終結と米国の変容。
 >冷戦が終わり、日米関係は40年ぶりに180度変化します。米国にとって日本は「最大の脅威」と位置付けられるようになりました。
 
第七章、9,11後のイラク戦争後の世界。
 >唯一の超大国となったことで米国の暴走が始まります。
米国は<国連を軽視して>?世界中に軍事力を行使する様になりまり、日本に協力を求めるようになりました。
 
>>さて、この本の5、6、7章の展開が問題であり、興味深いが、
岩上安見さんの長時間インタビューその他における孫崎発言を総合すれば、5、6、7章に紹介された中身に厳しく踏み込んだ発言は乏しい様と想われる。
すでに歴史上の事実と化した事物、現象は後代のモノにとって検証しやすい。今の立場から時間経過で全体像はくっきりとしてくる。
ところが、現在に近づけば近づくほど、本線と枝葉の見分けがつかないし、今の社会的空気に左右された価値判断に陥り易い。
また、自分の原理原則、政治センスに基ずく政治判断の比重が大きくなる。
 
 基本的に若くして官僚を志す様な方は根に保守的精神をもっており、、政治判断、価値判断の領域では、官僚的事務能力ほど有能ではない。東アジアの制度で云えば、科挙制度に受る様な人たちが層として、特権化して長く政治の実権を握るとあらゆる面で停滞が必然化する。日本は科挙制度がなかったから、近代を迎えた時期に一時的に「助かった」面があるが、そののち文武の官僚化が進行し、おかしくなった。
俗っぽく云えば、経済学の達人がカネ儲けに向いているとは限らない。
 
>失礼ながら、さわりの部分を読んだだけも孫崎さんは官僚として、外交の専門家として有能で見識高い御人とは想うが、政治家、政治哲学者としては疑問符を付けざる得ない。
 
>ただ孫崎さんために次の事実は付け加えておきたい。
孫崎さんは駐イラン大使の1999年~2002年の任期中に、アサデガン油田と云う推定埋蔵量270億バレルの世界最大級の油田の開発権をハタミ、イラン大統領の訪日と引き換えに開発権獲得工作に奔走したが、米国の強烈な圧力をうけている。
時のブッシュ大統領の福大統領チェイニーは自ら先頭に立って、アサデガン油田開発権獲得工作に携わった官僚を含む実務関係者に至るまで、職責から外すように圧力を加えた。
ここまでは孫崎さんは本に書いているが、それに関わる事実は一切書いていない。
 
>従って、前後関係を調べて、想像力を働かせてみるしかない。
 
孫崎さんの駐イラン大使の任期。
1999年~2002年。アサデガン油田開発権獲得工作。
 
>~橋本内閣1998年辞任。~小渕内閣~2000年4月首相脳梗塞死亡。~森義郎内閣(青木、村上正邦、野中、亀井4者談合で森に決定。経世会の力まだ強かった)2001年4月小泉内閣成立。
 
>ジョージ、ブッシュ大統領2001年1月20日~2001年1月20日。
2001年9月11日同時多発攻撃。同年10月「テロとの戦い」宣言。
2001年10月7日、NATOと共に報復のためにアフガン侵攻。
2003年3月「イラク大量破壊兵器の存在、米国保護」を理由に国連決議なくイラク侵攻。
 
>孫崎さんが駐イラン大使としてアサデガン油田開発権獲得に奔走していた時期は小渕内閣から、森内閣の時期、米国では2期務めたクリントン大統領時代の末期から、2001年9月の同時多発攻撃の時期。
 
アサデガン油田開発権獲得工作が本格化する前に、「日本はサウジアラビアの油田の開発権更新に失敗し、それを埋め合わせる形でアサデガン油田開発権獲得に乗り出した。
しかし米国は核疑惑を持つイランへの投資に反対。日本側も考慮し(米国の圧力で開発権交渉を棚上げにしていたと云う事だ。このブログ筆者はこの点を書いていない)2004年には国際s機湯開発が75%所有していた権益を2006年には10%に縮小した。」
2010年10月3日、米国(オバマ大統領)による国連安保理のイラン追加制裁措置に踏まえた、アサデガン油田からの完全撤退を求めに応じた。
原因その1。「イラン政府への圧力を強める米国によるアサデガン油田開発権の大半の中国への譲渡。
その2。「尖閣諸島周辺での中国船衝突事件(2010年9月7日発生、同9月10日船長那覇地検送検の事態への米国の支持に負い目」
 
>この記事の筆者は台頭する中国の「覇権主義に日本外交が翻弄された」とい処を落とし所にしたい様だが、事実関係はキチンと押さえているから参考になる。
が、どうしてそうなってしまうのかと云う事に関して米国側の原因は完全スルーしている。そしてその対価として中国の覇権主義に翻弄されている、日本外交の稚拙さを唐突にやり玉に挙げる。(一体、具体的にどうすればよかんたんか?不明。)
>ただ次の様な事実の指摘は注目に値する。
「2010年8月下旬、ワシントンで事務レベルの(アサデガン油田開発権問題における)協議が行われ<そうとう激しい応酬があった>という」
「こうした交渉が続く中で尖閣列島事件を巡り、9月23日クリントン国務相官による日米安全保障条約が適応されると云う日本支持の明確化が結果として撤退の流れを決定づけた」
 
>私は当時、ブログに置いて、那覇に曳航された船長はすぐに釈放せよ、とした。
自民党政権は、そういう事をやれば、結果的に対米対中関係で不味い事にあると云うリアルな認識があったから、侵犯者はその場で釈放していた。この一線を踏みこえて単独で持ちこたえる力量が日本にない以上、米国とは貸し借り関係が生じる。日本は米国の力の方に引き寄せられ、それを利用しようとしたら必ず対価を指しだ差根ければならない時代趨勢だ。
他方中国側もそうした戦略事情は十分承知しているから、鼎の軽重を冷静に判断する。
 
>示した事実経過はエネルギー戦略、日米安保、領土問題など国際政治の主要点が凝縮されている。
しかも時系列で辿っていけば、相互関係が結果として、明らかになっている。
 
>第1回の結論を急ぐ。
孫崎さんの云う自主路線は路線と云う程のモノではない。「NOと言える日本」どまりである。
昔こういう事を云っていた何処の知事は今や米国に行って尖閣国有化の率先して道筋をつけ日本がTPPの米国に抱擁される道筋をしっかりとつけた。
 
孫崎さんは基本認識において、「相対的に軍事経済で圧倒する米国と云う現実の中でどう生きていくか?としたうえで。
抵抗しても無駄だから、できるだけ言う事を聞いて、その枠内でどうやって利益を確保していくか=対米従属派
一方、自主派は「日本には独自の記事の価値?(とは何ぞや、肝心な時に抽象的幻想に逃げ込むのが日本の政治習性)がある。それは必ずしも米国と一緒でない。力の強い米国に対してどこまで、何処まで自分の価値を貫けるのか、それが外交だ」
と、区分けしているが、果たして、こういう2国間関係で外交を納めている先進国がどれほどあるのか。
尤もで美しい言葉だが、「NOと言える日本」の域を出ていないと想われる。
 
 アサデガン油田問題に関するイラン、ラフサンジャニ大統領の次の様な発言に同調するかのように取り上げている事でも、孫崎さんの自主論戦の曖昧さが解る。要約すると、
 日本に圧力を掛けて開発権を放棄させる米国は馬鹿である。漁夫の利は中露に行く。同盟国である日本の立場を弱めてどうする。
その発言を紹介して孫崎さんは予言通り、日本は米国の圧力に屈した、として、この項の最後に「どうして、こうも日本は米国の圧力に弱いのか」と在職中ずっと想ってきた、と締めくくっている。
 
>孫崎さんの指摘する5、6、7章の概略の立場からすると、
米国(王将)は日本を同盟国と称して、その時々の打倒、敵対する相手関係や国際情勢によって、歩、にも角にも飛車にも使おうとする。
王手、飛車取りを掛けられたけられた場合、飛車(日本)は見殺しにする場合の在るのじゃなかったのか?
 
>そういう外交のリアリズムを踏まえた孫崎さんは
6章に置いて
冷戦終結と米国の変容によって、戦後の日米関係は180度変化し、日本は<最大の脅威>と位置付けられています(多分、日米貿易摩擦から、1985年のプラザ合意あたりを指しているモノと想われるが)とまで記しているが、ラフサンジャニ発言の戦略性に乏しい同盟国日本を戦略的に弱体化させ、自分の方に呼び込む、冷戦崩壊後の米国の対日戦略を文言ほど厳しく受け止めていないようだ。
 
>孫崎さんは高校程度にも解る様にという趣旨でこの本を書いているから、省略した部分や薄めた部分が多いと推察する。
>従って、この本は考える糸口である。
>この本から単純な反米主義だけ抜き取れば、完全な片手落ちだろう。
それだったら、共産党は敗戦後の米軍解放軍の時代以外は一貫して反米をやっている。
その割に国民多数の支持は得られて来なかった。
>私が自説のアメリカ帝国主義論を捨てたのはエマニュエルトッドの「帝国以後」が読んで以降である。
少なくとも、それは孫崎さんの著書よりも、普遍性と破壊力がある。
人を奥底から、動かす著書は事実の指摘を大きく超えた何かが、そこにある。
孫崎さんによれば、アメリカは思想的にも世界を圧倒しているらしいが、私は絶対そうは思わない。
 
 
    <追記>
誤字脱字乱文は修正しない。集中力が続かない。あくまでも日記と居直る。
孫崎さんの見本は二回も読みこんだ。援用できる貴重な指摘がたくさんある。表現は易しくしているが、レベルは高い。現場の体験を後に抽象化できるモノしか描けない本だ。中身については第二回で解説する。それだけの旬の価値がある。
 異論がある処は、<日本国憲法>成立過程。日本側が用意したのは帝国憲法の焼き直しだったが、孫崎さんは日本国憲法GHQ民政局カーティス次長の草案のまる写しばかりを強調している感がある。バランスを欠いている。
残存、宮廷政治勢力に真っ当な民主主義観は望むべきもなかった。その意味で現状の日本は枠をそのままに中身を変えている。何度の主張している様に9条を変えるのであれば、1~8条の天皇の権利も後退させるべし。
そうしないと日本人は世界からかけ離れ、ますます米国に頼るしかなくなる。コレは戦前、敗戦、戦後、日本政治の継承の中での論理の帰結だ。
 第二。東京裁判
日本人自身に自らに被害を与えた戦争責任者をキッチリと裁くことができたか?大いに疑問だがこの点への省察がまるっきり欠如。
ドイツはニューンベルグ裁判以外に自分たちでナチ関係者を追及している。
 
 戦前のドイツイタリアと日本の軍国主義翼賛体制の発生の社会体制の相違を、孫崎さんがどこまで踏まえているか疑問。
 
 日本では彼我の力関係によってファシズム登場の危険性がある。
橋下維新がもてはやされているのは金融資本の危機の時代の担保だからだ。支配層の暗黙の政治嗅覚である
金融寡頭制にとって、ファシズム支配が必要でなければ、橋下維新は、早々と自民党など戦後主流派に単なる出世主義者の方便として合流する。