反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

日本政治は小泉時代から政局主導の連続。政局の連続の政治過程は社会経済実態と遊離してバブル的独走。結果、凝縮された政治過程は歴史過程に。1年が数年に相当する政治情勢の急展開は国民の判断を狂わせる。

 タイトルにある様に政局の連続=政局が次の政局を呼び政治過程として、独自運動してしまう。そしてその政治過程の独自運動は日本の実際の社会や経済の実態から、遊離して「バブル化」している。
従って社会や経済のリアルな在り様と遊離して独自運動する政治過程の実態は1年が数年にも相当するスピードで進行する。
 かくして、国民の目の前にある今の社会や経済のから遊離して、バブル化し、急進行する独自運動の政治過程は実は歴史の進行過程である。
 
 だから、我々コレからの政治判断は、主観の在り様に関わらず、単なる政治判断ではなく、歴史的判断、日本と世界の歴史を生み出す判断にならざる得ない。 
 
 歴史的判断を今、多数の国民が下せるかどうか?
 
 戦前はできなかった。
 
 以下手前味噌になるが自分の2012年6月10付の記事を引用。 
 
 戦前、1920年~30年代の日本の世界工業生産構成比と第一次大戦後の軍縮条約における軍艦保有制限割り当て。
(  )及び(  )は2010年度の世界各国の名目GDPと 戦前の工業生産指数の差し引き=世界戦争を跨いだ経済成長度合いと解釈できる。
 
 >1)1922年(大正11年)ワシントン軍縮会議。
 米5。英5。日本3。仏3。伊、1、75。
 
 >2)1929年世界恐慌直後の世界主要国、工業生産指数。
   3)( )は2010年度、当該国名目GDP構成比。
米、44,5%(27、7%。-21,6ポイント)。
>独、<11、6>(5,2%。-6,4)
>イギリス(3,6%。-5,7)
>仏、7%(4,1%。-2,9)。
ソ連、4,6%(2、3%。-2,3)。
>イタリア、(3,3%。+1)
 
>日本、2,4%((8,7%。+6,3) 
 
A)1、2の日本の数値が示すのは、第一次大戦後の好景気=大正デモクラシー期から、1923年の関東大震災
普通選挙制実施宣言に先行する1925年治安維持法実施。
1927年の普通選挙制実施、1929年の米国発の世界恐慌の一連の歴史的事態の進行過程によって、
1931年の満州国成立=国際連盟脱退は歴史的に不可避な事態だった。
 
 軍部の暴走と歴史教科書的に総括されているが、1、2の数値が示すのは日本の経済社会が完全な民需を蔑にした、軍需主導の歪で異常な戦争体制にあったと云う事実だ。
 
 勿論、明治維新の富国強兵路線の最終着地点。
それは強力な国内の反対派の存在によってしか修正できなかったが、伝統的政治軍事路線を修正させるだけの勢力の存在はなかった。
 
(その意味で司馬遼太郎の「坂の上の雲」的歴史観は歴史の面白おかしくの小説家的偽造。ノモハン戦争敗北を描こうとして描けなかったのは、日本軍のソ連機構化部隊への敗北は「坂の上の雲」史観を裏切るからだ。
私の指摘している、戦前日本の工業力の実体がアカラサマニ成った局地戦。)
 
 >さらに加えて、この時代の毎年自然増人口30~40万の人口爆発の圧力(失業と絶対的貧困の現状)が労働市場と政治に加わった。
 
 そのため世界恐慌における<はけ口>は従来の農村への吸収で追いつかない(日本農村は過剰労働人口の巨大な貯水池だったが、寄生地主制の進展による、収奪が進行し農村の疲弊が慢性化。東北農村の疲弊は象徴的で後の1936年の2、26クーデター事態の依拠するところ)。
 
 歪、異常な民需蔑、軍需主導の経済体制が基底にある以上、軍需産業の主導する投資、及び過剰な労働人口を梃子とする低賃金労働に基づく安価な工業背品の集中豪的海外輸出とならざる得ない。
コレは国内の貧困の飢餓的輸出であり、結局は世界経済体制の一層のブロック化進展=世界市場の争闘戦の激化のブーメランとなって、日本に降りかかってきた。
 
B)この時期の濃縮した政治過程は当時の国民の目の前で歴史的過程が足早に進行していた。
 
 >都市部国民は関東大震災を契機に大正デモクラシーの薄皮を早々と脱ぎ捨て、軍事力の日本国に身を委ねていた。
 1923年の関東大震災における都市部、「市民社会」は東アジア諸民族や国内異分子に対する極端な排外を通じて日本帝国と一層、一体化を遂げた。
 
 モノの本の証言によれば、関東大震災以降、社会の雰囲気ががらっと変わって、その後の1927年共産党綱領決定や党建設、その他の社会主義、無産者運動、労働運動は社会の空気と完全にミスマッチしていたと云う。
 
 関東大震災による社会防衛の空気は大正デモクラシーによって僅かに形作られた都市市民社会を内外への排外主義の大日本帝国市民社会に完全に変貌させた。
 
関東大震災を奇貨として、異分子による内乱騒擾のデマ情報を流し、強固な国内反対派狩りを画策した読売新聞の創始者正力松太郎、警視庁治安幹部の思惑通り、その後の事態は進展したと云わねばならない。
 
>結局、当時の農村部を含めた多数派日本国民に、環境、条件に基づき、歴史的情勢に対する判断力、決定権はなかった。
 
C)この時期の高橋是清金本位制からの離脱、金融政策は、日本に与えられた内外情勢に追従し、むしろ加速させたモノであり、満州事変、満州国成立、国際連盟脱退、飢餓輸出による経済ブロック化の歴史過程を推進しただけである。
 
 海軍の血気盛んな将校は1932年5、15、事件で、1923年のワシントン軍縮会議を引き継ぐ、1930年のロンドン軍縮条約に不満を持ち犬養首相を銃殺した。
ロンドン軍縮条約によって、制限されたモノは日本の規定からはみ出すとされた巡洋艦建造を規制するのモノであったが、英米日の保有割り当て5:5:3は不変だった。
 
高橋是清等の暗殺。
連隊規模の兵士を動員した、1936年2、26事態において、高橋は自らの死を持って、日露戦争前のユダヤ金融平身低頭の売族的戦争資金調達(日本兵士の流血と死によってユダヤ金融の下に膨大な資金が転がり込んだ。明治維新とその延長の裏表を両面を正当に評価するのが民衆の歴史観。)、恐慌における軍部財閥体制強化、国民生活放置の金融の量的緩和などの根深い罪業を償った。
 
>日本の戦前の戦争体制はユダヤ金融を肥え太らせた面がある。勿論、財閥形成、肥大に大きく寄与した。
その割に国民全般の生活は、社会経済の構造上、低水準に放置された。
戦前日本は社会保障、福祉、社会資本の乏しい
<軍国的治安管理的市場原理主義社会>であり、金融寡頭制に所属するモノだけが自由と豊かさを謳歌していた。
 
>この窮屈な圧迫体制から、帝国主義戦争における日本軍事力のせん滅によって、日本人民が解き放たれたからこそ、日本の戦後の急経済成長の国民的的原動力となった。
戦前、農村に疲弊的に滞留し、軍事力として突出しせざる得なかった過剰労働人口を生み出す源泉は解き放たれ、結局、農漁村の解体を伴って、安価の労働力として産業に動員された。
 
 軍事力への生産力集中が、今度は東アジア軍事情勢を奇貨として、民需に向かったのは事実。
日本経済は地政学的幸運の恩恵にあずかったのであり、本質的に日本民族が<格段に優秀>だった訳でない。
今となってはこの冷めた認識が求められる。
 
 冷戦体制ーアジア(高度成長の終わった過剰生産のはけ口=70年代の東南アジアへの経済進出は米国のドミノ理論のおかげ)
特に東アジアの特殊政治軍事情勢が日本の経済成長の基礎的要因であり、コレが韓国、中国の経済成長によって、現状取り払われつつある。
低経済成長持続の日本と高度経済成長の東アジア諸国の軋轢が現状の齟齬を規定している。
 
 TPP事態になれば、日本多数派国民は日米支配層によって共同収奪下に置かれるから、この齟齬の経済的要因はもっと深化するだろう。
韓国中国台湾インドネシア近隣諸国は全部、TPP参加予定なし。
インドの不参加も大きい。コレでザット見積もって世界人口の3分の1になる。
 
 TPPが排他的経済圏構築になるのは火を見るよりも明らかで、日米の政治軍事格差は余りにも大き過ぎる。
>>国際条約における経済の不平等はいつの時代も政治的軍事的格差に起因する。
今までの安保体制時代は冷戦体制前提の特殊時代だった。後退する米国はTPPによって、東の保護国から元を取ろうとしている。
 
 日本国家は収奪されない。日本富裕層への収奪は後回しになる。
大げさに言えば、そのためだけに自民党などは奔走している。橋下維新はその噛ませ犬。
 
 かくして、残念ながら、このままでは多数派日本国民の汗と血の結晶が米日金融寡頭支配層の懐に行く。
 
 TPPは小泉政権時代の年次要望書の段違いの発展であり、戦後日米関係の最終着地点である。
 
D)戦前の歴史的過程の進展は政治や軍事が日本の社会経済的実体から、かけ離れて独自運動をしたものでなく、追認、追従したモノと総括できる。
 何処かの政党、誰か政治家個人の手腕で日本の行く末が変わる様なものでなく、修正さえ効かなかった。
コレが結論。
 
 
>>E)ところが、今、目の前にある急進展する政治過程=歴史的過程は日本の社会的経済的実体とかけ離れて
政治が独自運動して、全体の情勢を進展させている面が非常に濃厚。
 
 日本社会経済の実体からして(政治が大騒ぎするほど、日本経済や社会は落ちぶれていない。
やらなくて良い事を政治過程の独自運動化のスイッチ、オン状態が長期に続いた政治家層が得手勝手にやって、日本の社会経済の自力を貶める様な方向につっぱしている。
 
 だから米国の利益に沿っていると見なされる。
 
 勿論確かにそういう面はある。
グローバル資本制下の国家と資本は国民を蔑に最大限の利潤を求めて外に出ていくと云うすう勢が厳としてある。
もう国民国家、国民経済の時代を支配層は自ら葬り去っている。
国家は本質的にグローバル制下の支配層の道具である。
この厳しい現実を直視すべきだ。
 
>>が、政治過程の実態からかけ離れた独自運動の面を重視することが肝心。
独自運動させる仕組みが国民意識を含めて、ビルドインされている。
 
 乱暴にいえば、国民にとって、戦前の事態はしょうがなかったで、済ます事が出来る次元は否定できない。
 
 今は違う。戦前の限定性は一応、取っ払われている。
国民は「自由に」判断し、限定的であっても行動できる。
 
 
 
>>が、国民の政治責任、政治不信論など野暮、阿呆な事は持ち出すつもりはない。
 
小泉政権以降の政局の連続ー政治過程の独自運動化、急進展=歴史的事態の進展と、日本の社会経済の実態はらかけ離れた多数派国民の利益に反する事態とみるが、
 
その際のキーワードに政局と云う不思議な用語注目する。
 
 コレはマスコミ永田町、霞が関の常日頃、意識して使用し、実行しているモノである。
戦局と云う言葉は世界中で通用するが政局は日本的用語である。辞書を見ても曖昧な説明だけ。
 
 その極意は戦略的思考、政治軍事はアメリカ専権事項でその下で、
官僚層が日常の政策立案、業務を取り仕切り、
政治家は時々の情勢に対応して政治権力争いの画策に勤しむ。
 
 こういった戦後の米国ー官僚ー自民党支配体制の中での政治画策による政権を巡る政治が
真に威力を発揮できた源泉は
記者クラブ制度のマスコミ媒体の国民への宣伝力との阿吽の呼応関係にある。
 
>この体制からその時々に重宝がられるモノが実体から底上げされて、国民間に浸透する。
逆に排除されるモノへの無視や、否定されるモノへのある事ない事の名誉棄損的一斉攻撃は凄まじい。
 
かくしてこの体制に許容される底上げ政治家が跋扈して、マスコミ連動で社会経済の実態から遊離した得手勝手な動きは可能となる。
 
>>以上が政局なる日本的政治用語の真相である。
 
内外情勢の平穏な時代、経済の順調な時期は、こうしたザワメキは表層の騒ぎで済まされ鎮静化する。
が、情勢が窮屈になれば、政局は沈静化しない。
政局が政局を呼び、独自運動して、政治過程が歴史的過程ななってしまう。
 
>この様な歴史的事態の進行に国民の正常な判断を委ねるのは基本的に間違っている。
政治経済の専門知識を動員しても、解らないモノは解らない。